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平昌(ピョンチャン)オリンピックが始まりました。
日本勢の活躍が楽しみで、是非にとも頑張っていただきたいです。
しかしスポーツの祭典の裏で、北朝鮮では、同時期に軍事パレードを行うというのですから、こやつら日本的な感覚で読み取ろうとすれば見間違うこと間違いなしです。
まるで、「近くの平昌という町に、世界中から人質が集められたぜ。ふふふ。」と考えているかの如き行動です。
しかも同時に、韓国大統領に金正恩の妹を韓国政府に送り、「韓国大統領、北朝鮮に訪問なされよ。」と親書を送ったのだとか。
金正恩が本気で韓国と友好を結びたいと願うなら、それこそ全世界からマスメディアが集まっている韓国に来てみれば良い訳で、それを呼びつける形で、北に表敬訪問のスタイルを取ろうとしていると思いますね。
しかし、こういう言い方は韓国国民には申し訳ないのだけれど、私から見て、「かなり前頭葉が欠落しているのでは?」と思えて仕方ない文韓国大統領は、のほほんと「点数稼ぎのチャンス」とばかりに訪北しそうで怖い。
こういう朝鮮半島国家の危うい外交は今に始まったことではなく、古事記や日本書紀には書かれてあるので、少なくとも1300年前にはあったのですね。
千数百年経っても同じことを繰り返しているのだから、きちんと歴史を学ばないということは、本当に危ういです。
このブログでは、まぁブログ代表管理人が歴史好き、ひょっとしたら宗教より歴史が好きですので(爆笑)、「幸福の科学布教ブログとしてはいかがなものか?」と言われながらも、時折書かせていただいておりますが、今回は古代日本最大の謎に、チャレンジに挑戦でございます。
それは、邪馬台国(やまたいこく)の場所です。
邪馬台国には、九州説と近畿説がありますが、私はこの2ヶ所に邪馬台国があったと思います。
つまり、「邪馬台国は2つあった」ということです。
当時の北部中国大陸の国家(魏)の魏志倭人伝にでてくる邪馬台国はヤマトの国の中国読みで、九州ヤマトの国は対外的なヤマトの国で、つまりは朝鮮半島国家群向けの仮の国家、つまり囮(おとり)ではなかったかと思うのです。
さすれば、朝鮮半島国家群からの、強力な抑止力となるからです。
さて古代朝鮮からは、縄文土器や古墳が発見されまして、これは古代日本と朝鮮とに、深い交流があった証です。
特に古墳は、死生観の共有の証であり、古代日本の歴史書と言われる古事記や日本書紀を読み解くに当たっては、こういう、当時の社会情勢を無視した、古代人=原始人といレッテルははずすべきだと思います。
レッテルは先入観ですから、真実を探求する姿勢ではないです。
縄文土器や黒曜石などの遺跡から読み取れる、ヤマトの国の前文明=縄文日本は、高度な海洋国家です。
かなり広範囲の朝鮮半島と交流し、文化圏や居留地があったはずです。
また、縄文文明には武具の発展した形跡が全くなく、完全な平和の文明です。
その後の中国の国家成立を受け、それに伴って発展した武具を手にした朝鮮半島国家群に押される形で、朝鮮半島南部の任那(みなま)まで撤退したのが、九州ヤマトの国の脱縄文のきっかけかも知れません。
弥生初期の遺跡、九州の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)は、物々しい櫓(やくら)があり、警戒色の強い遺跡です。
このような明らかな軍事的緊張を表現した遺跡は、現在のところ九州でのみ発見されます。
これは、九州の人々は高い軍事的緊張を感じていたが、他の地域はそれほどでもなかったという証拠とも言えます。
それらの点を考慮しての、この時代の動きに着目して参ります。
さて、この九州を表舞台で、国際的にはとても目立つ形で行われた卑弥呼外交。
その裏で、初代天皇と言われている、カムヤマトイワレヒコノミコト(神武天皇)の「東征」と言われる、近畿地方への遷都が、卑弥呼とは対照的に、ひっそりと採り行われたのではないでしょうか?
私の考えでは、米と酒外交で、縄文系の東国の日ノ本の国々への段取りは、もう全て済んでおります。
栗を中心とした縄文JAPANを、米作中心の社会にしたのが、天皇を中心としたヤマトの国だったと思うのです。
ですから「東征」という軍事的行動を現す表記が、むしろ物々しすぎるのであって、実際は交渉だったと推測します。
恐らく、米と酒という新たなエネルギー源と、産業テクノロジーを引っさげたヤマト国の人々は、五穀豊穣の神、子孫繁栄の神として、縄文系の九州以東の日ノ本の民たちに、篤い信任(信仰)を得たのではないでしょうか?
東国縄文JAPANは、九州ヤマト国の長の遷都に、協力しない方がむしろ理に適いません。
陸路を通ったのか、海路を通ったのかは、はっきりとは私にはわかりません。
しかし恐らく、大部分は海路ではないかと思います。
この頃の古墳遺跡が、西日本各地で見つかりますが、近畿以外は、なぜだか各地に点在して存在しているからです。
ですから、陸路からキチキチと弥生化(コメ文明化)していたのではなく、海路で移動し、拠点拠点を弥生化していたのではないでしょうか?
そして九州ヤマトの国との、言わば連立共存関係を結ぶことで、他の地域は米の生産が可能となり、豊かさを手にできた、つまり日本各地に、今の天皇家の先祖の方々が米を普及し、同時に勢力を拡大させたということが、その後の、天皇を中心とした国つくり伝説として、日本神道の神事や、日本の神々の伝説として、後の世に語られていったのではないでしょうか?
そしてこれだと、九州に正規軍を残しての東征という、平和裏の遷都と勢力の東国への拡大、そしてその後の、近畿での大和朝廷発足という、歴史のウルトラCが可能なのです。
私には、それ以外の方法は無理だと思うのですね。
佐賀県神埼市吉野ヶ里町吉野ケ里遺跡
平和裏の東征というモデルは、その後の日本の歴史にも登場いたします。
明治維新のヒーロー、西郷隆盛の実例です。
西郷隆盛は、京都での鳥羽伏見の戦いの後、江戸無血開城に至るまで一戦も交えてはいません。
道中は、東海道も中山道も、徳川方の大名の領地ばかりです。
普通なら、戦を繰り返し、敵をなぎ倒し続けて、本拠地江戸に向かうのが常です。
なぜ新政府軍と幕府軍には戦がなかったか。
西郷が江戸に向かう前に、段取りは全て済んでいたからです。
西郷が主に戦ったのは、江戸城無血開城後の徳川勢力の残党との戦いです。
この時には、敵をなぎ倒し続けて、西郷ら新政府軍は北進しました。
幕末と同じことが、実際の神武東征でも行われたのではないでしょうか?
大和朝廷の戦いの史実やそれらを記した伝説は、日本武尊伝説など、近畿で大和朝廷ができて以降のものしか存在しないからです。
まとめると、国際的、対外的には、卑弥呼の邪馬台国(ヤマトの国の中国読み)が引き受ける、そして、いざ朝鮮諸国との戦になれば、九州の”卑弥呼の邪馬台国”が、防人として立ち向かう。
当時の国際的には、九州の卑弥呼の邪馬台国がどうしても目立つので、その裏でひっそりと行われている、近畿への政治拠点移しは、国の外からは見えないのです。
つまり、外交上の窓口と囮(おとり)としての役割も、卑弥呼の邪馬台国が兼ねる訳です。
そして、 新しい日ノ本(ひのもと)の、国づくりや国家形成は、大陸の影響を受けにくい近畿のヤマト(後の大和朝廷)が、静かにじっくりと行うというような国家体制作りが卑弥呼の時代前後に、執り行われたのではないでしょうか?
つまり、卑弥呼外交は、ヤマトの東国への拠点移動を、国際的に見えなくする、政治外交パフォーマンスであり、それは同時に、ヤマトの国が新たに、近畿に拠点を移す、最後の仕上げであった と、私は考えているのです。
魏志倭人伝から、卑弥呼登場は、今から1800年ほど前になります。
神武東征が行われたのは、日本書紀や古事記等の歴史書で言えば、今から2500年ほど前になります。
時系列的にもおかしくはありません。
むしろ、通常の歴史で言われている、卑弥呼→神武東征→近畿の大和朝廷説の方が、時系列的には無理があります。
短時間で行われていますから、当然激しい戦闘が必要です。
そのような伝説は、日本のどこにも存在いたしません。
激しい戦いがあれば、必ず伝説は生まれ英雄が生まれるからです。
この幕末や倒幕後の戦いには、ドラマが付きまといます。
現在も、大河ドラマで放映されております。
しかしたくさんの英雄が輩出した幕末でも、鳥羽伏見の戦いから江戸無血開城までの限られた期間には、伝説も英雄伝も存在しませんよね。
なぜなら、戦いそのものがなかったからです。
弥生時代の、近畿での大和朝廷成立までの静かな歴史の秘密も、戦いそのものがなかったからというのが、最もつじつまの合う答えだと思います。
「東征」という名の「交渉」だったのだと思います。
神武天皇の近畿入りの際の戦いは、最後の抵抗勢力との戦いと見て取れます。
また邪馬台国近畿説は、当時の武具の違いを説明できません。
この当時はまだ、当時の近代的武具を持っていたのは、九州地方だけだからです。
当時の日本では、九州だけが飛びぬけた、そして唯一の軍事大国なのですね。
その後の弥生的な文化の流れや、当時の武具の性能から、九州→近畿という流れがあったという方が自然です。
これだと、大和朝廷発足時に既にあった、朝廷の九州への影響力も、すんなり説明が付きます。
ともあれ東アジアでの、巨大国家の発生という歴史的脅威に対して、日本は上記の記事ような工夫で、この時期を乗り切った。
それが、日本の神話となり、これまでの日本の精神的支柱となった。
そのようなロマンを、私は古代日本に感じるのです。
本日は、2月17日(土)に行われる、山口龍彦高知厚生病院院長による健康セミナーのお知らせに続き、The Liberty Webの、建国記念日に向けた記事をご紹介いたします。
(ばく)
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エル・カンターレ祭大講演会「愛を広げる力」特集(前編) 天使のモーニングコール1373回 (2018.1.20,21)
健康セミナー「ぴんぴんコロリを目指して。~がん、認知症の予防と治し方~」
講師 山口龍彦高知厚生病院院長
日時 2月17日(土)10時30分~12時
場所 田野町ふれあいセンター 〒781-6410 高知県安芸郡田野町1456-42 0887-38-2511
主催 幸福の科学高知支部 百歳まで生きる会 088-882-7775
【ニュース】安倍総理「ミサイル一発目は甘受しなければならない」【ザ・ファクトニュースセレクト2018.02.10】
まもなく「建国記念の日」 誇るべき「最古の国家」「神々の国」である日本
2018.02.09 https://the-liberty.com/article.php?item_id=14109
橿原神宮外拝殿(Wikipediaより)
《本記事のポイント》
- 日本は「世界最古の国家」であり、これは「世界史のなかの奇跡」ともいえる
- 天皇は、神々の子孫であり、「神官の長」としての宗教家の役割がある
- 国の発展には、「信仰心」と「愛国心」が必要だ
日本は2月11日、「建国記念の日」を迎える。この日は、紀元前660年に初代天皇である神武天皇が即位されたことを祝う日。この年を元年として数えると、今年で皇紀2678年になる。神武天皇を祀る奈良県の橿原神宮などでは、恒例の「紀元祭」が執り行われる。
日本は現存する「世界最古の国家」
日本は現存する「世界最古の国家」であり、他の主要な国の建国からの年数を比べてみても、2600年以上という歴史の長さは群を抜いている。
中国の建国は1949年10月1日なので、今年でやっと69歳。「中国4千年の歴史」という言葉が独り歩きしているが、中国はそもそも歴史が連綿と続いている国ではない。異民族が次々と入ってきては戦争し、国を占領してきているため、日本のような「1つの統一王朝」とは到底言えない。
歴史的な大国であるイギリスも、1066年にノルマン人がイングランドを征服して建国されたため、今年で952歳であり、日本の半分以下の歴史に過ぎない。また、世界最大の経済規模を持つアメリカは、1776年7月4日に独立宣言して建国されたため、今年で242歳になる若い国だ。
日本が2600年以上も連綿と続いた国家であることは、まさに「世界史のなかの奇跡」であり、日本人はこの事実をもっと世界に誇れるはずだ。
神々の子孫である天皇の使命
こうした日本の長い歴史の背景には、2千年以上、125代にわたって天皇家の血筋を絶やさぬよう、日本を護り、導いてきた神々の存在があったといえる。
大川隆法・幸福の科学総裁は、天皇の存在の意味について、著書『保守の正義とは何か』で次のように述べている。
「皇室は尊いものですが、実は、それが『神々の子孫である』ということを前提として日本の神話が成り立っています。つまり、天皇は、神々の子孫であり、日本神道系の総帥であり、『神主の総領』であるのです(中略)『天皇は、政治に関して、象徴的な活動には加わるけれども、本質的には、日本神道の神々をお祀りする「神官の長」である』という認識をしているのです」
天皇は現在、「日本の国の象徴だ」と言われているが、実際には「神官の長」であるということだ。
今上天皇は、2019年4月30日をもって天皇を退位する意志を固めている。大川総裁は、今上天皇の生前退位の問題についても、著書『繁栄への決断』で次のように述べ、懸念を表明している。
「私としては、『これは、天皇陛下の「第二の人間宣言」に当たるのではないか』というのが率直な感想でした。やはり、天皇制とは、単なる組織や機関の一部として存在しているだけではなく、実は宗教的存在でもあります。それを、もしかしたら、皇室の方々も軽く見ておられるのではないかという気がするのです」
「信仰心」と「愛国心」が国を発展させる
現在の日本の教育では、神話の時代については明確に教えられない。しかし、日本が今後、世界のリーダー国家として発展していくためには、国民が正しい信仰心と愛国心を持ち、国を発展させようと努力することが大切だ。
愛国心はあっても神仏を信じていなければ、周辺諸国と領土問題で争ったり、他の国を侵略したりするなど、宗教的な善悪を無視した傍若無人な振る舞いをする国になる恐れもある。
大川咲也加・幸福の科学副理事長は、著書『人を動かす誠の力』の中で、愛国心と信仰心の関係について、次のように述べている。
「『愛国心』と『信仰心』は、よく似ているというか、純粋な信仰の下に、『国を救おう』とか、『正しいことを貫こう』と思ったときには、国は団結してきますし、人々の心に火が点ることになっていると思うのです」
「建国記念の日」は、これまで日本を護り、発展を支えてきた神々への感謝と尊崇の念を深める日にしたい。
(小林真由美)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『日本建国の原点』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1490
【関連記事】
2015年7月3日付本欄 初代・神武天皇から流れる神々の愛 今こそ建国の原点に立ち返るべき
https://the-liberty.com/article.php?item_id=9855
2015年2月10日付本欄 神武天皇や建国の歴史を知らない人へ 「建国記念の日」に振り返る日本の歴史【3分で学ぶリバティ日本史】
https://the-liberty.com/article.php?item_id=9184
2014年2月12日付本欄 建国記念日を取り戻せ 日本の存在自体が世界遺産