幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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「拍手(かしわで)は、古代日本の合言葉?」と、人との距離の取り方。

2018-02-21 23:31:32 | 古代文明

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韓国平昌で行われている冬季オリンピックでは、日本人選手が大活躍です。

日本のメダル獲得が歴代最高だそうで、とてもすべてをご紹介しきれないと、大変申し訳なく思っております。

500mスピードスケート女子では、小平奈央選手がオリンピックレコードで金メダル獲得で、オリンピック3連覇を狙う、韓国の李相花(イ サンファ)選手を破りました。

小平奈央選手、本当におめでとうございます!

また試合終了後小平選手は、李相花選手の検討と努力を称えるがごとく抱き合い、共に会場を回りましたが、そのことが韓国民にも感動を与えたことが、ブログ『理想国家日本の条件』にも投稿されていました。金メダル・小平奈緒は、涙するライバル李相花を抱きしめた。韓国でも感動の嵐 「これが真のオリンピック精神」

 小平選手も李相花選手も、とてもすがすがしい表情をしていて、「これぞオリンピック精神!」と、北朝鮮のミサイル騒動や、何やら美女軍団やら、韓国大超量の北朝鮮訪問がどうのこうのとか、とかく腹黒い駆け引きばかりが着目されたオリンピックに、爽やかな光と風が吹いた如くですよね。

 

とかく韓国とは関係がぎくしゃくしがちですけれども、これには一定の法則があって、「日本から仕掛けることはない関係」であるということ。

日韓関係の歴史を見ても、いつも日本は、鷹揚としていると言えば聞こえはいいが、ボーっとしているところがあって、対応が遅いところがある。

それは古事記や日本書紀でも書かれているから、昔から日本人は、あまり変わっていないのでしょうね。

そんなのんびり日本ですが、その国家の成り立ちが、対朝鮮半島関係にあるとしたら、今の日本人は、少しは外交であるとか、国益であるとか、国家とは何かとか、そういうことを考えるのではないでしょうか?

それがこの小さな布教ブログが、「古代文明」というカテゴリーを設けているわけなんですね。

さて過去の記事で、私は奈良盆地の地形的条件から、「神武東征の目的は、朝鮮半島からの防御にある」ということを述べました。
要するに大和朝廷は、奈良盆地という、朝鮮半島からの攻撃を想定した上での、鉄壁の要塞のような場所に造られたということです。

奈良要塞都市説と言っても良いですね。

今日は、神武東征伝説と、日本神道の宗教儀式の関連に迫ってみたいと考えております。

私はこの神武東征の期間における、「九州ヤマト国と、他の国々との関わりが、その後の日本神道の儀式や文化に、相当の影響を与えているのではないか?」 と、考えています。

今回の記事の内容は、右翼系の方や、国粋主義的思想をお持ちの方から見れば、「不敬罪だ!!」と、非難されるものかも知れませんし、「卑しくも、拍手というものは、場の穢れを祓い云々也。」と、お怒りになるやも知れません。

しかし、宗教というのは、それが拡がる過程における、さまざまな事柄が、行事や宗教アイテムに、取り入れられているものなのですね。

たとえば、キリスト教におけるクリスマスツリーは、その代表的な例です。


イエス様が人生をお過ごしになったユダヤの地には、モミの木なんかありません。
ユダヤは砂漠地方ですから、モミの木のような針葉樹はありませんし、当然雪もかぶっておりません。

これはドイツの、”冬至の祭り”の風習を、キリスト教が取り入れたのです。

イエス様の誕生日が、12月25日というのも、か・・・な・・・り・・・怪しいです。(笑)
恐らく、「冬至=イエス様ご生誕日」と、キリスト教伝道者が、勝手に決めちゃったんじゃないでしょうかね。

仏教でも、旅の行者が持つ、ジャラジャラと音の出る”杖”が、宗教アイテムです。

これなどは、古代インドでの、”蛇除け・猛獣除け”ですね。
お釈迦様も、インド中を行脚なさっていますので、移動に関する道具がジャラジャラ杖なのです。

お線香なども虫除けでしょうし、精舎でたくさんの人が、一堂に集まるとさすがに臭いです。(笑)

それで香を焚く工夫が、お釈迦様当時からなされていたはずで、それが線香の成り立ちでもあります。



ですから、日本神道も同様に、儀式や儀礼建築物などは、教えの内容やそれが持つ芸術性だけでなく、その伝道や、普及過程での背景などにも、かなり影響されているはずなのです。

さて、日本神道と言えば、宗教建築物は神社です。
神社は大抵、森の中にありますね。
いわゆる、”鎮守の森”ですね。

森の中に宗教施設を作るのは、世界では日本の神社だけなのではないでしょうか?

普通ですと、もっと人が集まりやすい場所に作るはずです。



縄文時代の集落は、主食である ”栗” の林に囲まれていましたので、神社が木々の蔽い茂る中に作られたのは、こういった歴史的背景があるのではないでしょうか?

また、ヤマトの国の使者と、縄文系代表とが、秘密の交渉をするには、木々の蔽い茂る森林は、もってこいの条件だからです。

そして祠(ほこら)があって、大きな鈴を鳴らして、拍手(かしわで)を打ちますね。
一般的な神社では、柏手は2回で、出雲大社だけは拍手4回です。

この一連の、神道の儀式、建築文化は、神武東征という名の、ヤマト国の使者と他の国々の代表者との、”極秘の打ち合わせや交渉で使われた儀式”なのではないでしょうか?

つまり、ヤマト国の使者は、朝鮮半島諸国に動きを知られては困るので、他の縄文系諸国に、かくまわれていたはずなのです。

奈良盆地という、難攻不落の要塞地形であれば、ヤマトの国の軍隊は、奈良盆地に攻め入ることは不可能です。
私ならリスクの高すぎる盆地は、軍事的侵攻をさっさと諦めます。(笑)

盆地は、地元での何らかのお膳立てがなければ、征服どころか無事に進入することすらできません。
つまり、九州から奈良盆地への神武東征は、軍事侵攻ではなかったと考えられ、あったとしても、ごく小規模のものだったはずです。

なぜならば、盆地には、大軍は入れませんから。つまり、「東征」という軍事行動ではなく、大部分は「交渉」だったはずなのですね。

そして、交渉の場所や打ち合わせ方法、交渉成立の後の打ち上げの宴が、日本神道における宗教儀式に繋がったのではないでしょうか?

その様子は、このようなものではなかったでしょうか?



ヤマトの国の使者(もしくは天皇)は、まず”森”の中に祠(ほこら)を建てます。
そこが打ち合わせの場所となります。これが神社の原型ではないでしょうか?
それが、『日本神道における最高の司祭としての天皇』という位置付けの原型につながると思います。

そしてそこに、縄文系の代表者が、ヤマト国の使者に会いに来た時の”合言葉”的なものが、まず鈴を鳴らし、拍手2回(出雲国の使者には4回)だったのではないでしょうか?

交渉内容は、ヤマト国への協力依頼と、米の生産技術に関するものが多かったはずです。

今でも、天皇陛下は年中行事として、多くの農業、特に米に関する行事を行っていらっしゃいます。

4月上旬に種籾(たねもみ)を蒔く『お手まき』、5月下旬に『お田植え』、そして、10月上旬に『お稲刈り』をしています。
またその秋収穫された米は、11月23日の『新嘗祭』という、収穫を感謝する祭儀で使われます。



また今でも、お祝い事の際には、赤飯(せきはん)が炊く習慣がありますよね。
めでたいから赤い色を着けるのかと、僕も最近まで思っていましが、しかしどうやら、日本の古代のお米は、赤かったらしいのです。

その後の品種改良で、お米の色は白くなりましたが、赤飯は古代、この時代の祭りなどの際に使われた、”赤いお米”にまつわるものかも知れません。

そして交渉成立が成れば、酒と米とでお祭りが始まる・・・と。

だから日本人は、お祭り好きなのかもです。(笑)

また、今でも神社での行事では、体を洗い、清潔にし、口を水ですすぐなど、「身を清める」ということを重視します。

これらは、日本人の清潔好きから来たとも言えますが、ひょっとしたら、縄文系の代表が、ヤマトの使者との会見の時に、体を拭かされたのではないでしょうか?

なぜならば、体を拭くには、衣服を脱がなければなりませんので、当然、武具を身に着けているわけにはいきませんからね。

ということで、神代の時代=弥生時代が、いつの間にか、米作が広がり、いつの間にか、都が奈良になり、いつの間にか、日本神道が普及しているのは、それらを、九州ヤマトの国、今の天皇一族に関係する人たちが、平和的交渉を機軸にして、日本の東方に押し広げたからではないでしょうか?

こう見ることで、解ける謎があります。

出雲の大国主命(オオクニヌシノミコト)の、有名な国譲り伝説と、日本古代最大のミステりーと言われる、卑弥呼の邪馬台国です。

それはまた、後日改めて。

本日は、経典『人を愛し人を生かし人を許せ』(幸福の科学出版)より、人間関係における距離の取り方の重要性について、大川隆法幸福の科学グループ総裁が語った一節をご紹介いたします。

           (ばく)

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福を育てる考え方 天使のモーニングコール1377回(2018.2.17.18)

【NHK】小平奈緒 強敵下して金! スピードスケート女子500m<ピョンチャン>

 

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人との付き合い方で、もう一つ難しいのは、相手の侵入をどこまで許すかということです。

心の扉を開くと入ってくる。こちらが一歩さがると、もう一歩入ってくる。さらに一歩さがると、また一歩入ってくる。このように、どんどん入り込んでくる人がいるのです。このタイプの友達に困っている人はかなり多いと思います。

これは、友達付き合いを始めたが最後、家のなかに上がり、お米の数まで数えてしまいそうなタイプです。

一言でいうと厚かましいわけですが、こうしたタイプであるため、他の人から疎(うと)まれる人もいるのです。

したがって、オール・オア・ナッシング、つまり、友人なら全部受け入れ、友人でなければまったく受け入れないという考え方をとるのではなく、距離のとり方を常に考えておく必要があります。

「親しくとも、ここまで」という距離のとり方があるのです。

一定の距離をとっておくと、長く付き合えるのですが、その距離が短すぎると、お互いに干渉し合って、長く付き合えなくなることがあるので、距離のとり方を大事にすることです。

この辺を間違えると、相手にどんどん入ってこられて、いやになり、パシッと切ってしまうことになります。そうすると、相手は 「あれほど自分に好意的だったのに、てのひらを返すような反応をされた。納得がいかない」と考えます。

こうしたタイプの人は、「自分が入りすぎた」ということがなかなか分からないので、最初から少し距離をとっておいてあげることです。(中略)

相手によっては、空間的な距離だけではなく、心理的な距離をとることが必要なのです。心の部分においても、少し距離をとったほうがよいのです。

また、ある程度、魂の修行を深めている人の場合は、そうでない人とは少し距離のあるほうがよいのです。

心の修行を深めている人の場合、他の人と意見がピタッと一致することは少ないものなのです。

魂修行の段階に差があると、意見がなかなか一致しないのですが、そうしたものだと思って、心の部分では少し距離をとっておくことです。それが多くの人と長く付き合っていく秘訣です。(中略)

心理的な距離のとり方が上手だと、いろいろな人と付き合えるようになります。

ところが、たいていの場合は、深く付き合いすぎるか、まったく付き合わないかのどちらかになって、相手から学ぶものが少なくなっているのです。
『人を愛し人を生かし人を許せ』(幸福の科学出版)P131~134


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