幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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少なくとも、卑弥呼の時代から、朝鮮問題はあったはずです。

2018-03-20 00:46:10 | 古代文明

幸福の科学の映画「君のまなざし」のワンシーン(2017年)

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今国会では、森友公文書改ざん問題ばかりが注目されています。

今日本は、コップの中での争いをしている暇があるのでしょうか?

まるで日本に、国難であるとか、国亡の危機などないが如き、政治における時間の使い方ですね。

もしもとある人が、お医者さまの言うことを聞かず、花粉アレルギーが不愉快だから、免疫抑制剤を大量に飲んで、肺炎になったとしたら、どういう対応をしますでしょうか?

それが今の日本の姿なのです。

日本は、常に朝鮮半島からの、永続的な侵攻を恐れていたというのが、歴史を振り返って見える真実です。

不思議なことに、そういう視点があれば、日本の歴史のほとんどが理解できるのです。

歴史というのは、「過去」という亜空間の物語ではなく、「その時折に起きた日常」なのです。

そして、過去の人が、今の人たちと比べて、特別に劣っていたわけでもなく、その時折において、精一杯の判断こそが「歴史」なのです。

そういう視点でもって、有名な卑弥呼の物語を、中国の魏の時代の外交資料、「魏志倭人伝」から読み取ってみたいと思います。



さて古代日本の邪馬台国の卑弥呼外交は、一般的な説としては、「大国魏(ぎ)の後ろ盾を得て、邪馬台国国内をまとめるために使ったのではないか?」と言われることが多いですが、しかし私は、対朝鮮半島国家群向けの外交だと思います。

これは、「遠交近攻」と言って、外交戦略の鉄則中の鉄則で、とてもよい見本と呼べるものです。

そう思うのは、当時の邪馬台国(ヤマトの国の音読み)にとって、遠国「魏」との同盟は、日本国内向けの演出としてはほとんど効果はないのですが、眼を転ずるに、朝鮮半島国家群に対しての効果は絶大だからです。

一般説はあまりにも、「当時の日本は、占いで政治をしていたくらいだから、レベルが低いに決まっている。」という先入観を元に、日本の歴史を見過ぎていると思います。

魏志倭人伝を読むと、邪馬台国の北の国境は、狗邪韓国(くやかんこく)とあります。
ということはつまり・・・、邪馬台国は、その時既に、朝鮮半島に領土を持つ大国だった”可能性”があります。

”可能性”と言うのは、相当弱気な発言ですね。(笑)
字面をそのまま読むと、そういうことになります。(爆笑)

つまり少なくとも、朝鮮半島情勢に合わせて外交をするという、高度な外交価値判断が必要な状況に、当時の邪馬台国は十分に達していたということです。

魏国の公式外交文書である「魏志倭人伝」を、素直な心で読む限りは・・・。



ただ、当時の日本には、”国家”という概念が十分でなかったかも知れませんし、もしくは、機能としての国家が、存在しなかったかも知れません。

当時大陸では、既に”国家”が形成されていました。

ですから日本でも、きちんと国家を形成しない限り、時の流れにおいては危うかったのだと考えます。

パパママストアーが、長い眼で見れば、大手スーパーやショッピングモールにかなわないみたいな感じと、表現すればいいでしょうかね。

ただ、文化圏とすれば、当時の日本は、十分なものはあったはずです。

また恐らく、海洋文明である縄文時代に、既に日本人は、朝鮮半島諸国と交易などの人的交流を、既に相当行っていたからだろうと思われます。

そして、領土かもしれないし、はたまた文化圏なのかも知れませんが、任那(みなま)という日本人居留地も朝鮮半島内あり、朝鮮半島国家群とは、実際には相当密接な関係にあったはずです。

その証拠に、縄文土器や古墳など、日本古来の製品や文化を思わせるものは、古代朝鮮の地層から、結構たくさん出土します。

しかし教科書的には、飛鳥時代にあったと言われる朝鮮半島南部の任那は、今や「日本人の妄想説によるもの」とまで言われ始めています。

しかし縄文時代遺跡を素直な心で見る限り、当時の日本は、沈まぬ舟による高度な海洋文明でしたので、朝鮮半島南部くらいは、当時の日本人にとっては、”向こう岸感覚”だったと思います。

現実的に朝鮮半島南部からは、古墳が発掘されます。
古墳は、”墓”です。

つまり、「古墳」という、死後の遺体を埋葬する機能を持ったものが発掘されるということは、それがたとえその発祥が、いずれの地域であったとしても、その古墳が発見される地域の当時の人々というのは、少なくとも、「古墳の広がっている地域においては、そこで暮らす人々は、死生観を共有していた。」という、明らかな証拠です。

どちらが主要国で・・・とか、古墳の発祥が、どこの国で・・・というのは、古墳が見つかることではわかりません。
しかし、「共通の死生観を共有する地域であった。」ということは確実なのです。

つまり、古墳から導き出される歴史的真実として、古代日本と朝鮮半島南部は既に、同じ宗教を持つ間柄であったことには間違いがないのです。

これらを総合するに、卑弥呼外交は、朝鮮半島内における邪馬台国の、影響力強化や地位確立に、多大なる影響力を、それも相当長きに渡って持ち続けたはずなのです。

「漢の倭の奴の国王」という称号は、魏が存続する限り有効だからです。

見事です。

倭国(日本)の、一人勝ち外交なんですね。

その影響力が、保てなくなったので、その後の時代に、聖徳太子の遣隋使が始まったのかも知れませんよ。

中国では、王朝がコロコロ変わりますからね。(笑)

魏などの漢民族は、本来、海の外には全く興味を持たない、完全な大陸系民族です。
ですから、当時の超大国魏が、九州邪馬台国に攻めて来る危険性はありません。

しかし漢民族は、陸続きならば進入して来ます。
ですから、朝鮮半島諸国はビビリます。

朝鮮半島国家群が日本列島に、いや半島南部の任那にも攻め入ることができなくなるのです。

さて、「漢の倭の奴の国王」という称号の影響は、それだけにとどまりません。
ここからが本題です。(笑)


「魏や、朝鮮半島諸国から見た”倭=邪馬台国”は、九州にある。」対外的には、そう見えます。

中国(魏)や朝鮮国家群からは、そうとしか見えないのですが、そこがミソなんです。(笑)

卑弥呼外交が成功すれば、朝鮮半島国家群は日本や韓半島南部の任那にも入れないばかりか、「ヤマトの国の正規軍を、九州地方に温存しての、奈良への遷都」という、歴史の離れ業が可能だからです。

つまり、卑弥呼の邪馬台国が、九州にあると中国や朝鮮半島国家群に思わせることが重要で、それが、卑弥呼の邪馬台国の正体だと思います。

つまり、初代神武天皇による、奈良に都を移したヤマトの国の囮(おとり)です。

それができれば、平和裏に、ほとんど軍事的行動を起こさずに、奈良盆地へ遷都することができるからです。

というように、日本には「歴史の重み」があります。

それは誇るべきであるし、それは、「他国への配慮」という観点でゆがめるものでもないです。

本日は経典『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)より、大川隆法幸福の科学グループ総裁が、憲法への考え方に言及した一節をご紹介いたします。

             (ばく)

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「前世と運命の秘密」1-2 幸福の科学大川隆法総裁御法話抜粋

「アンサー」vol.22~学校教科書の歴史観について~【幸福実現党】

『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=113

日本国憲法は、敗戦後の占領下において、日本に主権がない状態のときに、占領軍の人たちが一週間程度で草案をつくり、それを日本語に訳したものに手を入れてできたものです。

草案づくりには、一部、学者も入ってはいましたが、学者ではない人も入っていました。占領下において、外国人が、どさくさに紛れてつくった憲法なのです。

つくった人たちも、「これを日本が六十年以上も守り続ける」とは考えていなかったでしょう。「十年もしたら、国として立ち直り、自分たちの自主憲法をつくるだろう」と思って、とりあえずつくったものだったのに、それが延々と六十年以上も残ってしまったわけです。

なぜかというと、結局、敗戦を契機として、宗教というものが日本から葬り去られ、表の存在から消えたため、日本国憲法を、宗教に代わる“御本尊”か“基本教義”として捧げ奉ってきたからです。

それが、戦後の日本の歴史であったと思われるのです。
そのため、日本国憲法を「不磨の大典」のように考え、決して変えることのできない基本教義のようなかたちにしてしまっています。

「イエスの言葉を改竄したり、仏陀の言葉を改竄したりしてはいけない」ということと同様に、「この憲法は、一字一句、変えては相ならない」というような感じになっているのです。

しかし、「日本国憲法は、そんなに偉い人が書いたものなのか」といえば、そんなことはなくて、雑多な人たちが集まって書いたものであり、内容的にはボロボロで隙だらけの文章なのです。内容には矛盾がたくさんあります。

今流に言えば、六十数年前の敗戦国・日本というものを、現在の北朝鮮のようなものだと思ってつくられた憲法だと思います。あるいは、イラク戦争で敗戦を喫したイラクにおいて、占領軍が憲法をつくるとしたら、こういうものをつくるだろうと思います。

したがって、日本人自らの手によって、憲法を、自分たちの幸福にとってふさわしいものに変えていく必要があるのです。

「硬性憲法だから、なかなか変えることができなかったのだ」という言い方もされますが、それは単なる言い訳にしかすぎません。勇気がなかっただけのことです。自分たちのイニシアチブによって変える勇気がなかったのです。

精神的には、「占領状態のままで、ずっといたかった」という甘えです。「占領状態でいるかぎりは、アメリカが守ってくれる」と考え、「アメリカが言ったとおりにやっているのだから、守ってください」というかたちで、六十数年間、やってきたのです。

しかし、そのアメリカも、今は傾いてきて、唯一の超大国、スーパーパワーから、幾つかある大国の一つになりつつあります。はっきり言えば、「日本のことまで、もう面倒を見切れない」という状況になりつつあるのです。「自分のことぐらいは、自分でどうにかせよ」というのが、アメリカの本音ではないかと思います。

「子供であっても、親よりも大きくなってきたら、自分のことは自分で解決しなさい」ということです。
そういう判断力が日本にないのは悲しむべきことであると、アメリカは見ていると思います。

「占領下において、マッカーサーは日本人の知性を十二歳ぐらいと言った」という話が伝わっていますが、小学生と中学生の境目ぐらいの知性にしか見えなかったのでしょう。しかし、もう大人にならなければいけない時期が来ています。

憲法の内容を分析し、現在の国の状況に適合した新しいスタイルに変えていくべきだと思います。
『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)P31~35


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2 コメント

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Unknown (デーグー)
2018-03-20 20:08:49
賭か森友
で財務省せめられち居りますが
そんなコと、もう何年も前の観点で
今更マスコミが言うな!
って思う。
その前に幸福の科学大学を認可しなかった
文部科学省こそ
証人喚問して頂きたいデス・・・
阿部と財務省と麻生太郎と
下村文部大臣が幸福の科学大学を
認可しなかった経緯こそを

国会で、審議して頂き、国際社会の
審議を勧誘したいデス

財務省は、学校とかどうでも良いのだから・・・
即ち、この騒動の基は、、、
文部科学省・・・なのだと私わ
思いますもんね・・・今の大臣
識りませんが、、
必ずの如く、、此所が取り上げられるはず・・
と。
返信する
そうですよね (ばく)
2018-03-21 22:35:44
デーグーさん、コメントありがとうございます。
そうですよね。
そもそもは、幸福の科学大学不認可問題です。
それをどうとらえるかでしか、この問題の本質を見ることはできません。
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