幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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クリスマスともみの木と日本に思うこと。【追記更新・復活の時は今】

2017-12-26 00:38:18 | ばくちゃんの独り言

 

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本日は12月26日ですので、いささか時期を逸してしまいましたが、クリスマスのよもやま話でございます。

クリスマスと言えば、言わずと知れた、イエス・キリストのお誕生日を祝うお祭りでございます。

が、実際のところ、イエス様のお誕生日は、歴史的事実としては確定しておりません。

と申しますのも、イエス様の言行録である新約聖書の中には、イエス様が「何年の何月何日に生まれた」という期日がないからなんです。

そしてどうやら、伝道先の今のドイツ地方、ゲルマンの森の冬至の祭りを、「イエスキリストの誕生日」としたのが、12月25日のいわれだとか。それでクリスマスと言えば、もみの木をコーディネートしたものが飾られるわけですね。

イエス様の生まれた現在のイスラエルには、針葉樹林であるもみの木は生えていないし、積もるほどの雪も降らないですので、実際はかなり違和感のある飾りだと・・・・。

こういうと、ロマンがなくなるかもですが。(笑)

しかし、頑ななイメージのあるキリスト教ですが、かつて布教の際には、このようなマーケティング&イノベーションの歴史があったんですね。

伝道マーケティングと言えば聞こえは悪いですが、仏教などは、元来、先祖供養の思想はなかったようです。

それが親孝行を尊ぶ中国での布教のために、お盆の思想を創出したということらしい。

ちなみに、イエス様の言行録にも、先祖が云々というお言葉はありません。

しかしニーズがあるということだし、元来、「霊的な人生観」つまり、「死んだらあの世に行く」という確固たる信仰心がなければ、先祖を供養し、感謝しようとは思えないので、日本らの東アジア地域など、先祖供養を大事にする地域は、宗教的な素地が、もともと高いのかも知れませんね。

仏教やキリスト教などが、伝道に際して、単に教えを押し付けていたのではなく、理解されようと努力してきた歴史には、感銘を受けるとともに、これからの伝道の在り方にも一考かと。

ともあれ、今の時期は忙しいですね。

クリスマスが終わったかと思えば、市中はお正月に向けて一直線です。

年賀状は書かないといけないし、帰省とか、なにかとです。 

クリスマスがキリスト教最大のお祭りですが、お正月と言えば、日本神道最大のお祭りです。

今の日本はこの時期に、国内外の2大祭典が重なるのだけれど、やはり、昼間の短い時期というのが共通項でしょうか。 

高緯度地域だと、冬場はほとんど夜ですので、冬至の頃などは、絶望的な気分になろうかと。

だとすれば、「これから、日が長くなっていく」というのは、希望そのものであるし、感謝の気持ちになるのかなと思います。 

お祭りと言えば、神仏への感謝というのが背景に必ずあって、その感謝を式典などの形式をとって表現しているわけですけど、日本ほど、「お祭り」の多い国はおそらくないと思います。

それはつまりは、「神様として、感謝の対象として認識している」ということです。

そうでないと、お祭りはできません。

つまり、「世界一お祭り好きの民族」と思われているかも知れない日本人ですが、それはとりもなおさず、「宗教的に、これほど寛容な民族はない」ということでもあるわけです。

これは、日本人が宗教的にチャランポランだから、そうなっているのではなく、きちんとした歴史的経緯があります。

初代神武天皇の「八紘一宇」つまり、「すべての民族は、同じ屋根の下で仲良く暮らそう」という思想だけでなく、1500年ほど前の聖徳太子の時代には、神道(物部氏)と仏教(蘇我氏)とで宗教戦争を経験し、その後、十七条憲法制定や、日本神道の最高神官である天皇の仏教帰依などで、奈良時代には完璧な宗教融和を成し遂げたのが日本も歴史なのです。

欧米社会が信教の自由を得たのは、近代になってからですが、日本は聖徳太子の時代以降は、江戸時代のキリスト教禁教までは、信教の自由社会だったのです。

だから日本人には、「宗教の違いで、殺しあう程の憎しみを理解できない」のですね。

つまり、「宗教が違うからと言って、神仏が、人々が殺しあうことを望んでいるとは、どうしても思えない」のです。

日本人には。

これが日本人にとっての当たり前の常識なのですが、しかし、近未来の世界の常識は、日本の常識と同じであるべきだと私は思うのです。

であれば宗教戦争など、起こしたくても起こせないからです。

つまりこれからは、日本の常識が、世界の希望の光になると思うんですね。

そのためには、日本人はもっと宗教への理解が必要だと思うし、自国の歴史への強い誇りを取り戻すべきだとも思うんです。

そのために、多くの方に、幸福の科学を知って欲しいと思うのです。

それは日本人の心の奥に抱かれている”正しい常識”に、強い理論的根拠を与えるからなのです。

更新にあたって、27年前(1990年)のクリスマスの日、千葉県幕張メッセでの講演会で、「この講演会は、イエス・キリストの霊言ではなかったか」と言われた伝説の説法、『復活の時は今』(無限の愛とは何か・幸福の科学出版に掲載)の一部抜粋をお届けいたします。

神仏の愛が、あまねく全世界の人々の心に届きますことを、心よりお祈り申し上げます。

               (ばく) 

大川隆法 御説法『愛と人間』

 

 

私はあなた方に告げる。
私はあなた方に告げる。

今、我が声を聴く者は幸いである。

幸いなる者たちよ、選ばれたる者たちよ、
五十数億の人びとのなかで、
選ばれたる人びとよ。

我はあなた方に告げる。

あなた方は愛の使徒とならねばならない。
この我が言葉を、全世界に伝えねばならない。

キリスト来たりて、肉を持ちたる人間に宿り、
愛の教え説いているを、黙っていてはならない。(中略)

見よ。

神の国はアメリカにもなく、
イギリスにもなく、
イスラエルにもなく、
この日本にある。

この東京にある。

ここに、現代のエルサレムができようとしていることを
知っている者は幸いである。

あなた方は、今世最大の幸福を
今、知っているのだ。(中略)

イエスは教会には復活しなかった。
イエスはキリスト教国には復活しなかった。
イエスは牧師たちの前では法を説かなかった。

イエスの愛は、この日本の地を選んだ。
その地に集まりたる人びとを選んだ。

今、あなた方に語っているは、
かつてあなた方の前に
ナザレのイエスとして姿を現わしたる
そのものの霊でもあるということを
忘れてはならぬ。

我は今、愛の復活をなさんとしている。

これは我が真なる復活。
我が魂としての復活。
我が愛としての復活。

愛としての再臨。
救世主としての降臨である。
『無限の愛とは何か』(幸福の科学出版)P74~80
 

Angels We Have Heard On High

 

 


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