幸福の科学高知 なかまのぶろぐ

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3・11に思うこと 『されど光はここにある』

2020-03-12 00:02:10 | 気象・天変地異

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今日は3月11日、そう、2011年に東日本大震災が起こった日です。

改めて、犠牲者の方々の魂に、神仏の慈悲と導きの光が手向けられますことを、心よりお祈り申し上げます。

日本は地震大国であり、南海トラフ地震が予想される高知県に住まう私とて、他人事ではございません。

日本の地震の数は、統計の仕方にもよりますが、体に感じる地震は、世界の半数以上とか、9割に達するとかですから、「何もそこまで」と思うのは私だけではありますまい。

しかしそれもそのはず。

日本近海には、ユーラシアプレートなど、世界中のプレートが集まり、まるで「世界の地面の最終地点が日本」と言う構造です。

 

これでは、「地震になるな」と言う方が無理な地形であり、かつて天照大神降臨神示(霊言)において、「我ら日本の神々の仕事の大半は、天変地異を鎮めること。」と仰った意味と、天照大神の言葉の重みが、信じるというレベルではなく、「これは当然、知っちょかんと、大変ぜョ!」という価値観に私はなりました。

日本において、「日本の天上界、高天原において、日本の神々がなさっているのは、天変地異を鎮めること。」ということを知らないで生きるのは、「信号が赤になったら、止まらなければ危ない!」という意味を知らずに、町を走るのと同じくらい、いやそれ以上、危険なことなのだと思うんです。

    

しかし問題は、地震災害だけではありません。

日本の国土は、性格の違う4つの気団の影響を受けます。

これは古来から現代に至るまで、日本と言う国が、亜寒帯から亜熱帯までの気候を有し、世界で稀に見る、はっきりとした四季がある国である理由です。

それはとても風流高きことなのですが、同時に、寒帯と熱帯以外の、全ての気候災害をも経験してしまうことを意味します。

日本の天上界、高天原において、日本の神々がなさっているのは、天変地異を鎮めることならば、護っている国家国民から感謝の思いが途切れれば、人格神ならば、心が折れることも、ため息をつきたくなることも、悔し涙をにじませることもあるかも知れませんよね。私にはわかりませんけれども「そうではないか」と。

天照大神様をはじめとする日本の神々の、心が折れたら地震になり、神々が、ため息をついたら火山爆発となり、神々の眼から悔し涙がこぼれたら、それが台風や集中豪雨なのではと、神仏を信じる日本国民の一人として、私にはそう思えてくるんです。

幸福の科学では、春の供養大祭もあり、春と秋のお彼岸には、幸福の科学にも先祖供養ができます。

幸福の科学の先祖供養が他の宗教と違うところは、自助努力を重視しているということでしょうし、先祖供養は純粋に供養であって、幸福の科学では、先祖供養=幸福論ではないんですね。

つまり、今生きている人は、「自分が不幸なのは、先祖が迷っているせいだとは思ってはいけない。」ということですし、先祖霊には、「自分が不幸なのは、子孫が先祖供養しないからではない。」ということです。

まぁ、私なんぞが分かるはずもありませんので(苦笑)経典をお読みくださればと思います。

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1811 

仏教の開祖釈尊の時代の教えには、厳密には先祖供養の教えはありませんが、インドには先祖供養の発想がないのかな? 

そうかも知れませんね、インドはどうやら、個人主義的な宗教観のようですので。 

日本や中国など東アジア地域には、古来より先祖供養のニーズがあったので、仏教は東アジアへの伝道の途地で取り入れたようですが、東アジアの家族主義的な文化や、歴史的継続性を重視する価値観の違いが、歴史的背景にあるのかもですね。

となるとキリスト教が、日本ではある一定以上の広がりを見せないのは、そこらへんの、教えや、教えを地域に応じてイノベーションする遺伝子が、同じ外来宗教の仏教より弱かったのかも知れません。

ということで、本日は、東日本大震災後に説かれた法話を経典とした「されど光はここにある」の抜粋をお届けいたします。          

           (ばく)           

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大川隆法総裁 ご法話抜粋 ―「この世でもあの世でも幸福な道」

 

 https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=920

 現在、亡くなられた方々に対しての慰霊が、さまざまに行われていますが、そうしたことについて、マスコミ等が、伝統仏教に従事する“プロ”の方々に質問することもあるようです。ただ、何一つ明確な答えは返ってこないのが現状でしょう。

 「亡くなった方々は、どうなるのでしょうか」「海岸で数多くの幽霊を見ることがあるのですが、どうしたらいいでしょうか」と訊かれても答えられずに、結局、「『幽霊が見える』というのは、その人にとっては事実なのでしょうから、心のケアが大事ですね」と言うことぐらいしかできません。

 これが、二千五百年後の仏教の姿です。“プロ”と称する方が、あの世の世界について説くことができないでいるわけです。

一方、ある種の新宗教の団体では、「亡くなられた二万人近い方々は、みな観世音菩薩になった」というようなことを言っています。
 確かに、そういう言い方もあるのかもしれませんが、厳密に言えば、この言葉には嘘があるだろうと思います。それは、どう考えても、おかしいのではないでしょうか。

もちろん、観世音菩薩もいたかもしれませんが、実際には、まだ霊的に迷っている方も大勢いるはずです。やはり、「震災で亡くなった方は、みな観世音菩薩になった」と言って、それだけで済ませるのは、残念ながら真理ではないのです。

観世音菩薩が二万人近く亡くなられたのであれば、海辺に大量の幽霊が出たりすることはないはずです。

先ほど述べたように、七割ぐらいの方は、生きていたときに、少なくとも、あの世の存在を十分には認識していませんでした。そういう「あの世はない」と思って生きてきた方が一瞬のうちに命を失った場合、死んだあとの世界については、まったく知識がないため、どうしたらよいかが分かりません。そういう状態が、現実には続いているわけです。

ただ、その状態では、「自分はまだ生きている」と思っているので、「生きているけれども、どうしたらいいかが、まったく分からない」という状態にあることになります。

また、生前、真理について、さまざまな経典を献本したりして、説得し、説教し、さまざまに話をしても、まったく耳を傾けなかった人の場合は、死んだあとも、自分の死を、まったく受け入れようとしないことがあります。

「『意識がある』ということは、まだ生きているのだ」と思って、壊れた家や会社の周り、あるいは、亡くなった場所のあたりを徘徊している方も多いのです。死後一年ぐらいであれば、まだ、かなりの数の方が、そういう状況だろうと思われます。

やはり、こういう方々に、生前、真理を伝え切れなかったのは、非常に残念なことです。
(79~83ページ)

関連記事 春のお彼岸、幸福供養大祭。(関連動画あり)

     台風と日本の四季と日本の役割

天使の幸福  作詞:恍多 作曲:水澤有一


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