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【ギャランΛ(ラムダ)】三菱のデザイン革命で変わった、世界の街並み。

2017-01-17 22:47:32 | 自動車から見える日本と世界

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何事にも、正しい観察ということが重要だと思います。

病気だって、正しい診断をしないと、治る病気も治らないです。

私は自動車大好き人間ですが、同時に宗教的な人間でもあります。

仏教には八正道という修行項目があり、「その八正道を駆使して、私の好きな自動車界を見ると、こういう見解になります。」というのが、一連の自動車関連記事なんです。

そういう八正道的視点で見たときに、今苦境にあえぐ三菱という、ひとつの自動車メーカーを見れば、「次代のトレンドメーカー」という側面が見えるのですね。

これは何も、私が高知県人なので、土佐藩出身の岩崎弥太郎の三菱グループをひいきにしているからではありません。三菱自動車が世界に与えた影響は、技術面だけで、少なくとも7つはあろうかと思います。

そして今ある自動車製品の99.9%、フェラーリやランボルギーニなどのスーパースポーツカー以外の技術的な根源を探ると、なんと三菱車にたどり着いてしまうのです。

ある意味で自動車製品の歴史というのは、「一時的に絶滅し断絶していて、三菱車のDNAを受け継いだ製品だけが残っている。」と言っても過言ではないのです。

三菱がトレンドメーカーなのは、三菱というメーカーが、突飛な物珍しいことをするからではありません。

むしろ実直で原理原則に忠実だからなのです。そして何より、「本当に大切なのは、ここだ!」という、ものごとの本質を見抜き、なおかつそれを実現するための、技術的技能的な下地があるからなのです。だから三菱がやったこと、また、やろうとしていたことの後に、時代が付いてくるのです。

それだけの技術的背景があるからこそ、何度も窮地に陥った経験のある三菱は、そのたびに助け舟が現れるのではないでしょうか?

三菱の7大発明というのがあるのですが、今回は、わかりやすい形で三菱が次代のトレンドメーカーになった事例をご紹介します。

三菱ギャランΛ(ラムダ)です。

(1976年発売開始 三菱ギャランΛとギャランΛの内装。 1本ステアリングホイールが衝撃的)

この時期の三菱自動車の自動車デザインは、すばらしいものがあります。

(1976年 三菱ギャランΣ(シグマ) 

(1978年発売開始 三菱ミラージュ)

(1975年発売開始 三菱ランサーセレステ)

まるでデザインの神が、三菱に降臨していたかのような、優れた作品ばかりですね。

その中でも特に異彩を放っていて、その後の自動車デザインに、決定的な影響を与えたのがギャランΛ(ラムダ)です。

なぜならば、その後に発売されたすべてのメーカーのデザインが、このギャランΛ(ラムダ)の影響下にあるからです。

つまりそれだけ、ギャランΛ(ラムダ)はかっこ良かったんです。(笑)私は当時は小学生でしたが、「日本に、スーパーカーが生まれた。」と思いました。(爆笑)

それは決して私だけの感想ではなくて、当時の日本人全員がびっくりするような、衝撃的な自動車デザインだったのです。

角型ライトで、スラントノーズ。

ギャランΛ以降の日本車は、どれもこれもΛにあやかろうとしました。

その結果、日本車のデザインから、丸型のライトが消えたんですね。丸型ライトは、古典的なノスタルジーを意味し、過去の自動車の代名詞となりました。

角型ライトが、似合っていたものばかりとは限りませんが。(爆笑)

どう見ても、「あかんやろこれは・・・。」というのも、結構ありました。(さらに爆笑) 

(いすゞ フローリアン)

いすゞさん、ごめんなさい。 でも・・・これはあかんです。(^^;

それは日本車だけではありません。外車でもそうなんですね。

スーパーカーの特徴であった、点灯時にホップアップするライト(リトラクタブルライト)も、丸型から、どんどんと角型に変わっていきました。 

(1974年 フィアットX-9 イタリア車) 

(1989年 フェラーリF355 イタリア車)

三菱伝統のデザインは、Λとは逆の、逆スラントノーズです。僕の説では、逆スラントノーズは、高いフロントノーズを低く見せるためのデザイン処理です。フロントノーズが高いのは、前輪が前に来ているからで、それはフロントミッドシップを意味します。

Λ(ラムダ)は、スラントノーズですので、フロントミッドシップをやめてしまったかと言えば、決してそうではありません。

ラムダの元となっているΣ(シグマ)は、デザインだけが違う同型車ですが、立派な逆スラントノーズです。つまりラムダは、シグマの前輪から前(フロントオーバーバンク)を伸ばして、スラントノーズにデザイン処理したものです。

その証拠写真がありました。

わかりにくいですけれども、重いエンジンが、前輪の上に載っかっているのがお分かりでしょうか? 現代的なFR自動車製品は、すべてこのスタイルです。

それが前回記事でご紹介した、トヨタカローラレビンだとこうなるんですね。左右をつないでいる棒の下が前輪ですので、エンジンが前方に突き出ているのです。これが当時の主流のエンジン搭載方法です。

ですから、カローラシリーズが遅れていたとかではなくて、三菱が進んでいたというか、理に則った普遍的な方法を採用していたのです。これは三菱車が、かなり以前から、重量配分に気を配っていた証拠です。 

ラムダも、1969年発売のコルトギャランやGTO(70年)などの、良き伝統を受け継いでいて、考え方が、40年以上進んでいたと言えますね。

このΛ(ラムダ)やGTOのエンジン搭載位置を見て、僕はある車に似ていることに気付きました。

ドイツのスポーツカーメーカー、ポルシェの924です。

(1975年発売開始 ポルシェ924 ドイツ車) 

当時スバル1000によって、高性能RRを完全否定されたポルシェは、その後の主軸車種としてFRを模索していましたが、その924の開発モデルとなったのは・・・ひょっとしたら・・・三菱コルトギャランだったのかも知れません。 

いやそうでしょう。時系列的には、そうに違いありません。 

ポルシェはラムダ以降、急速に三菱に接近してきました。当時のポルシェは、三菱に着目していたはずなのです。何せスポーツカーの大御所ポルシェは、三菱の7大発明の一つによって窮地を脱したことがあるからです。 

その三菱とポルシェのヒストリアは、また後日。(笑)

            (ばく)

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1978 三菱ギャランΛ cm (1978 Mitsubishi galant Λ commercial)


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