林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

幸せ塩崎さん

2008-01-19 | うわごと

  (1/13朝日新聞より)

 このナイスなパパは、誰あろう、かっての官房長官塩崎恭久先生です。
安倍内閣官房長官の頃は、貧乏神、疫病神、死神の3種混合ウィルスのようだったのに、別人のようなこの明るい表情!

塩崎先生は東京大学卒業後、日本銀行入行、ハーバード大学行政大学院終了。
93年衆議院初当選(衆院4期、参院1期)。
05年外務副大臣、06年安倍内閣官房長官に就任。
と、凄い経歴だったのに、官房長官の頃のあの不景気なお顔は、よほど肩書きが向いていなかったのだろう。

高校生の頃に始めた料理の腕は本格的だそうで、地元松山市に帰ると、朝市で魚や野菜を買い込み、ご家族のために腕を振るう素敵なパパです。
かっての重責から開放されて、幸せ一杯の塩崎先生にエールを送ります。

一方、お友だちの安倍晋三先生は..........。

チャリティにパーティに墓参に、とセレブに忙しいご夫人のアッキーさんの「smile talk」によると、江戸のベルサイユ宮殿から出て、何度も領内をご視察の模様。
この寒空で風邪引かないかい?

毛利藩の頃だったら当然切腹ものだったのに、領民は優しいね。
幕末の志士を輩出した毛利藩は、よほどの人材払底なのだろうか、と心配です。

ま、ご夫人の「笑い話」ではなく、安倍先生のその後の心の内を、直接聞かせて頂きたいものである。

森男はあと何年かすると2回目の成人式である。
今になってつくづく考えることは、ハーバードなんかに進まず庭師か樵になっていれば、ホワイトカラーエクゼンプションな会社から放り出され、「林住記」の売上げに悩むことは無く、立派な親方としてまだ活躍しているはずだった。

孫や子を、グランパやパパのレジームからさっさと開放してやろう。
我が道を勝手に歩かせようよ。


700万以上の風

2008-01-18 | うわごと

 

 多峰主山の暗い密林には、猫額亭周辺よりも恐ろしい風が吹いていた。
檜の枝が擦れ合い、キキーコキーコゴッツンガッツンと音を立て、時々枯枝が頭上に落ちてきて、ヘルメットが必要だった。

夜のTVで分かったことは、例の西高東低の気圧配置の所為だけではなく、ななんと上空では700万もの風が吹いていたのである。
阪神大震災で亡くなった方々6433人+その他一般死亡者+殺害された方々×1000となれば、優に700万を超える風になって吹き荒れたのである。

子供の頃から、人は亡くなると墓に葬られ、閻魔さんに行く先を「地獄」か「極楽」に決められて、そこで苦痛に満ちた第2の人生か、安穏な生活を保証される、と教えられていたけれど、最近は耶蘇の力が強く、全員が「天国」へ行くそうである。
これでは悪人がのさばるわけだわな。
お坊様たち、頑張って。

700百万人もの亡くなった方々が墓にも入らず空を飛び交っていたら、そりゃぁ細きエ腹と称する太鼓腹の怪しい男女が交通整理に大活躍するわけだわな。

子供の頃から、母に関東大震災のことを聞かされて、大地震とは恐ろしいものだと思っていた。
ところが、幸い体験したことが無いので、毎年の17日のマスコミの報道に接する度に、不謹慎だが大震災が甘美な想い出に変わってくるのである。

思えば、亡くなる方々、特に殺害される方は全て、ご近所の評判が良く、頼りにされ、周囲を明るくし、希望を持って、毎日を積極的に生きてきた素晴らしい人ばかりである。
何故か「良い人」ばかりが殺されるのである。

多峰主山の頂上で烈風に吹き飛ばされそうになり、心底まで冷え切ってしまった森男には、まだ見果てぬ夢がある。
だから、当分「良い人」にはなるまい、と不謹慎に誓うのである。

▲挿絵は「横山やすし」山藤章二先生画(「オール曲者」85年新潮社刊より)。


2008-01-17 | 床屋放談

 

 松下電器産業がパナソニックに社名変更する由。
ソニーやサムスンに大きく水を開けられたのは、松下の名前の所為だそうだが、果たしてそうだろうか。

結局、商品開発力や販売力が劣っているのではないか。
創業者の名前に拘るのは時代遅れというが、お手本のアメリカでも創業者の名前を引き継いでいる会社は多い。
松下の経営者は英語耳だけで市場の意見を聞いているのだろう。

NECの正式な会社名は新日本電気のままで、変えることなぞ考えたことも無い由。
もし花王がカタカナ名にするとすれば、多くの銘柄を抱えて、一体どういうカタカナ名にするのだろうか。
片一方へどっと傾くニッポンだから、カタカナ名前になるのは当然かも。

だが、リクルートに始まり、ライブドア、ヒューザー、コムスン、ミートホープ、グッドウィル、NOVA、IHI 等々不祥事を起こす会社はカタカナ会社に多いようだ。
パナソニックもご用心。

NHK教育TVの「日本の長寿企業」によると、建築業の「金剛組」は奈良時代から続いているそうだ。
その他長寿企業の数は日本がダントツの世界1位の由。
1930年創業の「吉兆」や、1917年の「松下」はまだ老舗ではなく、所詮成り上がりなのだった。

                   

朝日夕刊経済欄にトンデモ意見が出現した。
「decent work」を流行らせよう、だとさ。

「ちゃんとした仕事」という意味だそうだが、いい訳語が無いから、だと。
国際労働機関(ILO)は「働き甲斐がある人間らしい仕事」とも訳したが、長過ぎるそうで、それはそのとおり。

だから、いい訳語を探すのが貴方の仕事でしょ。
漢字を組み合わせて新しい日本語を作ってもいい。
国語学者の意見は聞かないのかぃ。

日本語で簡潔に説明出来ないのは、単に日本語を知らないだけのこと。
この人、英語が達者のつもりでいるのだろうが、本当だろうか?
日常、英語で考えているならいいが、日本語で考えているとしたら、随分雑駁でいい加減な意見になるだろう。......もうなっていますね。

もっと「ディーセント」な仕事をしろ、ってな言い方でいいのかな?
貴方も「プレゼン力(りょく)」を磨きなさい。

▲素敵な女性は片耳の聴力を無くした浜崎あゆみさん(松下電器産業HPから)。お大事に。


なまはげ大安売り

2008-01-17 | 床屋放談

 とうとう「なまはげ」に行動指針を策定することになってしまった。
なまはげ氏が女風呂に乱入し、身体を触ったり抱きついたのは1箇所ではなく、5施設もあったそうで、苦情が7件あったそうだ。

こうした苦情は初めてで、秋田県男鹿市と町内会で協議会を作り、

 ・なまはげ氏の飲酒量
 ・暴れ方
 ・なまはげ氏選定基準

等を定めるという大袈裟な話になってきた。
いずれ近いうちに、

 ・「なまはげ」とは差別語だ。「頭髪障がい者」と言い換えよ。
 ・幼児の「心のケア」が必要だ。心理療法士を託児所に派遣せよ。
 ・「精神的外傷」を受けた。男鹿市は損害を補償せよ。
 ・私のカラダの個人情報を見られてしまった。

なんていう苦情や主張が出てくるだろう。

そもそも「観光の活性化」や、なまはげによる「地域おこし」がいけなかったのである。
町内会だけでヒッソリと、神事としてやっていれば良かったのである。
旅館に入り、宿泊客になぞ見せるからこういう騒ぎになるのだ。

いずれ近いうちに、茶髪長髪健常者が、大広間の舞台で、年がら年中ラインダンスを踊るようになるのであろう。


野鳥観察会

2008-01-16 | 風に吹かれて

 

 駱駝の股引も効かない酷い寒さだった。
山田城址のある雑木林からはシンシンと音を立てて冷気が迫り、北側の西田沼を渡って来る上越国境からの空っ風がキリキリと肌を刺す。

 

それでもボランティアのおじさんおばさん約50人が集まった。
今日は作業ではなく「野鳥観察会」という研修会。ま、日頃の作業に対する公園側の心尽くしでしょう。
元月給鳥は羽をもがれて、集まる場所はこんなところです。

始めに外部講師の先生から、野鳥観察の要点の説明があった。
大変面白く、分かり易く、ためになるお話ばかりだった。
配られた資料は市販のものとは目の付け所が違う貴重なもの。
........だったはずだが、寒くて手がかじかんでメモが取れないし、脳味噌が凍結してしまい、全~部忘れてしまった。
いずれ暖かくなれば、脳味噌も解凍されて思い出すだろう。

先生は喋るなと仰るが、舌はこわばり皆無口。
時々、ほーほーとフクロウのような声を出すばかりだった。

 

人数が多いので2班に分けて出発。
前半は南口広場から西田沼、ふれあい広場まで。
講師は公園職員の青年。説明は先生に負けない上手さ、面白さ。
もう斜面で咲き始めたオオイヌフグリという野草と桐の木が同じ「科(家族)」になるという驚愕の事実を教わった。
シラカシ(白樫)の言われも知った。森男は百年近く間違えていた。

 

ふれあい広場で講師が交代。後半は鳥専門の外部講師先生に従い、日本一の山野草散策路と分山沼を一周。
先生はいろいろ野鳥がいる方向を教えて下さるが、始めての森男はキョロキョロするばかりで、ウソがいるみたい。

 

大体、昨日買ったばかりの10倍率双眼鏡の使い方に不慣れ。前後を逆に覗くものだから、近くが遠く、遠くがもっと遠く見える。しかも近眼乱視兼用眼鏡を乱視兼老眼鏡に替えなければならず、テンヤワンヤのワヤでした。

双眼鏡の500円玉相当の視野にはチョコマカ動く野鳥は捉えられない。裸眼で探した方がマシだった。

 

「鳥合わせ」という作法があり、参加者が確認した鳥の名前を口頭申告する。
全部で尤もらしい鳥が16種類に達した。

先生は、まだ寒さが足りないので少ない、と仰るけれど、森男が見たものはカラス、ヒヨドリ、コゲラの3種だけで、水鳥はすべてガンモドキである。
これなら高麗のわが猫額亭庭園と同じだぜ。

でも、雑木林でたった一輪咲いていたフクジュソウを発見したのは森男だぞ。

 

運動広場の陽だまりで昼食。
少し身体が温まってきて、ようやく滑舌が改善。

 

午後は涸れ滝そばの東屋広場から、日本一の椿園を経由し、八橋の葦むらにいる、とみんなは言っているカワセミとモズを、見たつもりで、また西田沼へ。

どうしてこんなに日陰ばっかり歩くわけ?
岸辺で日向ぼっこするガンモドキのなかには、可哀相に、霜焼けで足を赤く腫らしているのがいる。

一首できました。

      水鳥は 悲しからずや 空の風 
                  水の中にも 脚はシバレル   若山森水

 

何時もは足下と頭の上しか見ない作業で気付かなかったけれど、森林公園がほんの一部分でも、こんなに広大無辺なアラスカ半島とは驚きだった。
まさに鳥を尋ねて3万歩だった。

お馴染みの元月給鳥たちは、デカイので双眼鏡無しでも見えるから、越辺川(おっぺがわ)の白鳥を見に行こう、と言う。
恐らく冷たい川風に身体は冷え切り、ガソリン補給をして、赤く染まるのだろう。
そして、夕暮れの町を漂うのであろう。

寒くて、また滑舌が悪くなった森男はここで別れて、暖かい会議室での質疑応答会に参加しました。

なお、森林公園さまにお願い。
ホッカイロ売って下さい。
そして、野鳥観察する人を「バーダー」なんて言わないで下さいね。
安っぽいよ。

注意=椿園や梅園(福寿草や水仙の群落あり)の開花状況は森林公園のHPでご確認下さい。
▼以下「囀る」に続きます。


囀る

2008-01-16 | 知ったかぶり

 

 野鳥観察会の締めくくりは暖かい会議室での質疑応答だ。

 これが良かった。メモも取れました。
 先に帰ってしまった仲間たちは損したぞ。愉快愉快。

始めに、鳥の鳴き方には2種類あるそうだ。
「囀る(さえずる)」は求愛であり、縄張り宣言。
もう一つの「地鳴き」は会話だそうです。
綺麗な姿と声で求愛するのは♂で、受容れるのは♀。
なお、最近、綺麗は禁句で派手と地味に使い分けなくてはイケナイ由。
いずれにしても、男は辛いね。

閑話休題。

図鑑のバーコードを擦ると、あ~ら不思議、マウスのような器具から野鳥の鳴声がする! 随分勉強になった。

野鳥の鳴声からその種類を判定する方法として、「聴き做し」があるそうだ。
目でいう「看做し」ですね。
白鳥を見に行った仲間には知られたくないけれど、ほんの数例を報告します。

 ヒバリ(雲雀)
    ピーチクパーチクジュクジュク......。は素人の聴き做しで、本当は、
    利取る利取る日一分日一分月二文......。で、別名「高利貸鳥」とか。

 センダイムシクイ、
    焼酎一杯ぐいーっ。!? 白鳥を見に行った仲間のことかな?

 メジロ(目白)
    一筆啓上仕る札幌らーめん味噌らーめん。.....? そんな風にきこえるもんか。

 サンコウチョウ(三光鳥)
    日月星ほーいほい。見たことも聞いたこともないや。

 コジュケイ
    一寸来い一寸来い母ちゃん怖い。だそうだ。
    しかし大昔、森生少年たちは恥知らずに、.♂♂♂♂♂♂.............。
    
一寸、「林住記」の品格を損なうので書けませんっ。

    野鳥にも方言があるそうだ。
    湘南地方のコジュケイは早熟なヤツラだった。

鳴声は色々に聞こえる。
夫々個々人が勝手に「聴き做し」をして、それを覚えるのがいいそうだ。

双眼鏡の使い方も慣れる必要がある。
覚えたこと、分かったことを積み重ねることが野鳥観察のツボ。
なんだそうでした。


どんど焼き

2008-01-15 | 遠い雲

  「どんど焼き」滝平二郎画

 「エコ」は正義。
全国各地で、どんど焼きは環境汚染として、中止に追い込まれているそうだ。

石油製品の便利さにドップリ浸かり、クリスマスイルミネーションの無駄には気付かない。馬鹿馬鹿しい流れである。

今ではどうなのかは知らないけれど、三重県伊勢志摩地方では、立派な正月の門飾りを一年中付けたままだった。別に片付けるのを怠けていたわけではなく、それが風習で、他所者にはいいものだった。

横着で取り外さず、未だに寒空にチカチカしている電飾は見苦しい。

                 

そういえば。

天然のハマチの刺身や奥さん手作りのドクダミ茶をご馳走してくれた旅館の社長、
あの地方で路地を意味する名前の事業所のお母さん、
売り物の事務用品をタダでくれた漁協の組合長、
真面目一方の島の青年、
網本家出身で赤鬼の元勅任官所長、
森男が意地悪した経理課長、
口は悪いが気のいい漁師のアンチャンたち...........。

人が好過ぎて肝臓を患い、死んでしまった土建会社課長。奥さんは元気だろうか。

みんなどうしているのやら.........。

この時期に吹く猛烈な西風は冷たいが、暖かい鳥羽の人たちにもう一度会いたい。
門飾りはまだ飾っているか、確かめてみたい。

蘇民祭が秋田県にもあったが、蘇民の墓は鳥羽にあったはず(違うかな)。
その辺の事情も知りたい。

........♪みんなちりじり、お星さま出たぞ。


遥かな誓願

2008-01-15 | 先輩のお言葉

 

 玄侑宗久さんは臨済宗の僧侶なのに、偉ぶって人を煙に巻くところが無いばかりか、心霊現象を頭から否定はしない。玄侑宗久さんの柔軟で分かり易いところ、積極的に発言している事などを森男は尊敬している。

今回のご発言は、

  命軽き時代 はるかな誓願を持とう      である。

とりあえず、以下に玄侑宗久さんのご意見を抜粋しました。

最近、犯罪が発覚しても容疑者が「きょとん」としている。
重大犯罪を犯した自覚が無いようだ。

これは当然のこと。
罪の意識は誓いがあってこそ芽生えるものだ。

どうして命が大切で、殺生がいけないことなのか、理詰めで教育しようという風潮があるが、無駄なこと。理詰めで進める限りどんな意見にも必ず反対意見がある。

完全に受身で産み落とされた我われの命は、そのままでは大切にすべき理由は見当たらない。しかしその命を大切に育て、慈しんでくれた人々がいた。そのことで、感覚的に大切そうな命と感じる人は多い。

だが、同じような体験を全ての人々が共有出来る世の中ではない。
だから現代は尚更に誓いこそが大切である。

不殺生戒が仏教発生以来、変わらず続いたのは、結局、遵守不可能だからだ。
仏教は植物も動物も対等な命と認める。

家畜などという手前勝手な考え方をしないから、一日を生きるために無数の殺生をしなければならない。
それを自覚して懺悔し、不殺生を誓い続けるのだ。

そんな実現不可能な誓いだから、戒は永遠のものになる。
盗・淫・嘘を行わない戒なども完璧な成就は不可能であるが故に永遠の誓いだ。

個々人が夫々遥かな誓願を持つことが何よりも大切である。
どんなに細々と法令を作り、あるいは道徳教育に力を入れようとも、本人がそれを守ろうと誓わなければ罪も自制も生まれない。

問題は誰に向かって誓願を立てるかだ。
尊敬する師匠がいれば最高だが、畏怖する雷親父か、神か仏か......。
それが見当たらない。

人々の不幸は遥かな誓願を持とうという発想が無く、誓う相手がいないことだろう。

朝日新聞の毎週木曜日に「opinion My Viewpoint 私の視点-ワイド」という困った呼び名の頁がある。登場する人々と発言内容は、全てに賛成するわけではないが、大変勉強になります。

始めに作家の池澤夏樹先生から、

  政治と言葉  コピー(宣伝広告文のことを指すらしい)の文体を追い出せ

と指摘され、平成軽薄文体しか使えない森男はビビッてしまった。
真面目に書こうとすると、読み違い書き違いが多くなるのが「林住記」の欠点。
だから、図書館に行って、1月10日(木)のこの頁を是非読んで頂きたい。

池澤先生の他に、マルガリータ・エステベス・アベというハーバード大学比較政治学准教授の

  市場化の先に 個人尊重の旗を掲げよ  も説得力のあるご発言である。

日本人は米国を弱肉強食の市場優先競争原理社会と考えているが誤解だ。
非営利部門や宗教的な慈善団体が大きな力を果たし、一旦市場で失敗した人を排除しない余裕があるが、日本には無いも同然。

その他、ズシリとくるなるほどなご発言とご提言です。
ホワイトカラーエクゼンプション法を家族団欒法と誤魔化した曲学阿世の代わりに、厚生労働大臣をお願いしたいもの。

▲「飯能の四季・雪原の中の小川」小島喜八郎先生画。


辛抱

2008-01-14 | 先輩のお言葉

 薩摩切子

 「篤姫」を観ないのはNHKのCMが煩さ過ぎたからだ。他に裏番組(新日曜美術館)の檀ふみ様が素敵だからでもある。

ところが、見逃せない記事を見た。
菊本を演じる佐々木すみ江さんのお言葉である。

  かっては10年経ってようやく新人賞を貰えた。
  10年辛抱出来ない時代になって残念ね。
  10年はどんな仕事でも基礎が分かる程度。
  世の中のスピードが上がっても、人間が早く成長するわけではない。

佐々木すみ江さんのお顔は知っていた。
ちょっとケンがあり、底意地悪い演技が上手い女優さん、とだけ思っていたが、こんなに立派な女優さんとは.....。

 

菊本の職歴を調べてみたら、篤姫の厳しい養育係りは奥方の部下。
篤姫の生母は今和泉島津家の奥方。ななんと、森男の女神様のお一人の樋口可南子様である。
昨年、「阿弥陀堂」でお会いして以来、ずっと可南子様を信仰しております。

それで両方見ました。裏番組は日曜朝教育TVで9時から見せてくれます。

可南子奥方さま。最高です。
登場場面は少ないけれど、凛として、楚々として、優雅で、ろうたけて、聡明で、押し出しが良く......(以下略)。

式台で西郷隆盛を見下ろす立ち姿のお美しさと威厳は百済観音そのもの!
島津一族中一番のお方でした。

期待の菊本さん。姿勢が良く、はまり役。

篤姫。おきゃんはいいが、やっぱり、どう見ても町娘。可南子様の実子にはとても見えない。あれじゃ、菊本さんは苦労するわ。
それでも10年辛抱すれば、天璋院になれるのかねぇ。

一方のふみ様。どうしちゃったんだろう。
洋服の趣味、髪型、悪過ぎ。先週の紬のお着物と髪型は最高だったのに......。
大正の歌麿「橋本五葉」の解説だから、素敵なお着物姿を拝見したかったのに。

これは、総合チャンネルの教育チャンネルに対する陰謀である。

▲薩摩切子は「薩摩びーどろ工芸」製です。


なまはげ

2008-01-14 | うわごと

   
                    

 また、嬉しい記事。

一つはなまはげが女湯にチン入して、温泉客を触っちゃったこと。
警察沙汰になったらしい。

ほんとにヤなら湯船に突き落とせば、あの厚着だもの溺死する。
3本目の角をへし折れば、急所だもの悶絶死する。

きっと、大喜びで報告したもんだから、連れのハゲが妬んで110番。だろう。
それよりも、このなまはげ氏、女を子供と同等に扱ったんだから、女権団体は男鹿市に厳重抗議しなくちゃね。

ま、野暮や止めて、もっとおおらかにゆきましょ。
どうせ、減るもんじゃ無し。

     

二つ目は88歳の先輩が、3mの高さの竹馬に乗って歩く話。
ご発言がいい。 

  喜ばれるのが楽しくて。
  落ちたら大変で下を見ると怖い。

見る側も、もうすぐ卒壽の名人芸にドキドキし通しだ、そうだ。

樵の予作も見習って、枝打ちに挑戦しようか。

▲挿絵上は不肖森男作。下は大先輩山藤章二先生画。


2008-01-13 | お節介

 

 小鳥の巣があった。
ヒサカキの密林を伐採していて発見した。
まだ愛の季節ではないので、古巣である。

烈風にも吹き飛ばされず揺れている。
この大きさでは目白か四十雀の愛の巣だったのだろう。
どうせ転居するだろうが、しばらくこのまま様子を見よう。

巣の材料にビニール屑が多い。
愛しいような、哀しいような......、複雑である。

大分仕事が捗って、見違えるように綺麗な雑木林になったが、巣があったので、今後は今までよりももっと慎重に作業を進めよう。
また、巣作り前に今年の作業は終えよう。ゆっくりと急がなくちゃ。

また樵をしようとしたが、北風が猛烈だ。唸りを上げて恐ろしい。
頭上から枯枝が落ちて来る危険がある。作業は止しにして、記録写真を撮った。

 
 

帰ろうとしたら、偶然、先輩の樵氏ご夫妻に逢った。
腰痛でしばらく作業を休んでいるそうだ。大分良くなったので、気になって見に来たのだ。これまでの作業に合格点を下さった。
全快したら一緒にやろうと約束したが、お互い腰痛はもう治らないね、と苦笑い。
実は森男も怪しいのである。


北風小僧の寒太郎

2008-01-13 | 歌の翼に

 

 朝寝坊しているので朝の寒さはあまり知らないけれど、夕方になるとしんしんと寒くなる。とはいえ世間並みに暖冬らしく、高麗の名物、冬の烈風は今朝は凄いけれど、まださほど吹いていない。

サブちゃんと子供たちが、ご機嫌で歌っているこの童謡演歌が好きだ。

    「北風小僧の寒太郎」
         井出隆夫作詞 福田和禾子作曲 北島三郎歌唱

    北風小僧の寒太郎 今年も町までやってきた
    ヒューン ヒューン ヒュルルンルンルンルン
    冬でござんす 
    ヒュルルルルルン

    北風小僧の勘太郎 口笛吹き吹き一人旅
    ヒューン ヒューン ヒュルルンルンルンルン
    寒うござんす
    ヒュルルルルルン

    北風小僧の寒太郎 電信柱も泣いている
    ヒューン ヒューン ヒュルルンルンルンルン
    雪でござんす
    ヒュルルルルルン

例年なら、歌なんか歌っている場合じゃないほど寒い北風が吹く高麗。
昔からの住民の家は北側に山を背負い、風を防いでいるが、はるばる流れ着いた森男の猫額亭は、まともに北風を受け止める。
電信柱が泣くどころかドドーンとぶつかり、家が揺れる。

最近、乱開発が進んではいるが、高麗をまだ気に入っている。
だが、厳冬期はしきりに温暖な湘南地方が恋しくなる。
寒さの質が違う。高麗の冷気は突き刺さるような冷たさである。

年末30日に雹が降った高麗には、滅多に雪は降らない。昨夜は結局降らなかった。
けれども朝晩は、凄く、寒うござんす。
そのわけは暖房費の節約のはずだが、もしかすると体温が下がっていて、そろそろお迎え、ご臨終かも。

千の風になって、投機筋とやらを吹き飛ばしてやろうか。
でも高麗にゃ、そんなお金持ちは居ないはず。


雪の降る道を

2008-01-13 | 歌の翼に

   「雪の道」森男画

   雨は夜更け過ぎに
   雪へと変わるだろう 

と、家の中でメタボっていたら、

   雪が降ってきた ほんの少しだけれど 
   私の胸の中に 積もりそうな雪だった。

で、こんな天気に無茶だけれど、山道を越えてスーパーまで行った。

籠にいろいろ入れてレジに並んだら、財布が無いっ!
慌てて品物を棚に戻して回った。

元来た道を引き返す。
今度はデジカメが無いっ! 胸の中の雪景色が撮れないや。

すると、

   雪の降るを 雪の降るを 
   足音だけが追いかけてくる 雪の降る道を。

ギョッ!

万引きはしてないし、財布は無い。しかも森男はもうお爺さんですぅ......。
薄暗い檜林には魑魅魍魎がいそう。乱暴されそう。

猪一族は確実にいる痕跡あり。

   Tombe la neige (雪が降る)
   あなたは来ない 

森男は恐ろしくて、泣き出しました。

           

........ほっ。財布もデジカメも、家にありました。
古い絵も見つかりましたので。

①は「ChristmasEve」→061205「ジングルベルは嫌い」。  
②は「白い想い出」→070201「白い想い出」。 
③「雪の降る街を」は、あ~と~で、つまんないな(「山口さんちのツトムくん」)。
④は→061216「TOMBE LA NEIGE 雪」。

今朝、雪は全然。
北風がごうごうと吹きまくっている。
北の空は青空。


足るを知る

2008-01-12 | じゃじゃ馬馴らし

 20円不足でスミマセン。

 世界的指揮者の故岩城宏之さんは愉快な名文家だった。
しかし、岩城さんにしても、音楽を文章にする難しさについて愚痴を並べ、イライラしていて可笑しい。

タクシーで移動中、ふと聞いた

  ソソーソ、ソソソ。ソソソソ、ララドー。
  ソソーソ、ソソソ。ソソソソ、ラソレー。

が素敵で、多分演歌だろうが何の曲か分からず、1ヶ月を空しく過ごし、札幌交響楽団事務局長に、

  ソソーソ、ソソソ。ソソソソ、ララドーしか分からないけど、何とか探して

と頼んだら何週間後かに北原ミレイの「石狩挽歌」だ、と札幌から電話があったそうだ。
そして、指で触ったら音が出る印刷は発明されないものだろうか、と慨嘆されている。(「音の影」文春文庫、「1秒間のキス アルベニス」より)

 

実は森男もまた世界的指揮者同様(スンマセン)、「林住記」を書きながら、イライラしているのです。

この前、安全祈願祭ですっかり良い気分になり、富田勲先生の「青い地球は誰のもの」他に陶然となったことをご報告した際、どうせ誰も分かっちゃくれまいよ、と半ば諦めていたら、即反応があった!

和歌山にお住まいのまっちゃんという方が、いい曲を紹介してくれて有り難う、とお礼のコメントを下さったのだ。富田先生じゃありませんが......。
しかも、自分も作曲し歌っているのでどうぞ、と書き足してあった。

 

森男は電気な機械に弱い。
パソコンなぞ、使える機能の5%も使っていないが、それでヨシと考えている。
だから、YouTube 程度はコードを引っ張ってくるものの、音楽のダウンロードなぞ滅相も無いことだった。

だが、「林住記」では肝心の楽曲の素晴らしさを表現出来ず、専ら重箱の隅を突いて詞に難癖を付けるくらい。このじれったさに飽きていたし、自己嫌悪をも感じていた。
そこでお誘いに乗って、まっちゃんのブログ「masaring 1/7・時代劇ピンチ」を覗いてから、あれこれドキドキ初体験をしたのでした。

 

案ずるより生むは易し。なんか勝手にパソコンが動いて、「めぐる大谷。花盛り!」というご当地ソング(でいいんでしょ?)が始まった。

名曲です! まっちゃんは美声! 
しかも、誰かは知らねど、珠を転がすようなご婦人が寄り添って歌ってる! 
葬送行進曲のような、わが市の「日高音頭」とは大違いの明朗活発な二重唱だ!
他にもまだあるある大発見だぁ(これ、褒め言葉です)。
ダ・ビンチが和歌山にいた!

羨ましいねぇ。........ああ、口惜しいねぇ。

 

ま、これだけ生きれば森男に作曲の才能が無いのはよ~く弁えている。
ご婦人はもういいや、と先に言うぞっ。
でも、手許に沢山ある古いけれど名曲の数々を、文字ではなく音で「林住記」に載せたい。作曲や歌唱の能力は諦めて、選曲耳の良さを誇りたい。
そんなささやかな願いくらいはなぁ............。

いっそ和歌山のまっちゃん邸の隣に引っ越すか。だがなぁ.........。
先は箱根八十里。越すに越されぬ大井川だっ。

今日もなんとか生きている。それだけでも森男は幸せだと思おう。

足るを知らねば、足るを知らねば、足るを知らねば................。
あれから朝昼晩、ねばねば唱えております。

.......知るを足らねば.....。
だがなぁ。

以上、まっちゃん先輩へ。

●現在、レコードをCDに変換する機械は知っています。
問題はオアシと時間。


慈光寺の竹

2008-01-12 | お節介

 埼玉県NPO情報ステーション」から。

 朝日新聞朝刊で血湧き肉躍るいい記事を見つけた。

  「古寺・慈光寺境内の伐採竹から炭作ろう」   です。

NPO法人「ときがわ山里研究所」が、都幾川町「慈光寺」で12・13日行う竹の伐採を手伝う人を募集しているそうだ。
伐採され朽ちた竹の片付け(これ極めて大変)もあり、寺の環境保全と炭作りの体験と、一石二鳥の効果を期待している。

慈光寺は1300年前に開山し、隆盛を誇った大寺だったが、今は山上で寂れている。しかし、奥の禅寺「霊山院」も含めて、味のある古寺である。

慈光寺も、森林公園も、多峰主山や天覧山も、重文・吉田家裏山も竹が侵入し、その他県内あちこちの里山は荒廃している。

環境保護気分派は「放任=保護」と考える人が多いようだが、里山では「手入れ=保護」である。
もっとも、行政が実施する「手入れ」は税金と労力の無駄遣いが多く、却って環境を破壊しており、残念ですが....。

竹炭の効能は多い。
竹林伐採は爽快である。(但し慈光寺は急傾斜地が多く危険覚悟です)
しかも、お寺さんが喜んでくれ、ご先祖の供養にもなります。

樵の与作としては駆けつけたいところだが、雪が降りそうだし、こっちの雑木林の手入れが佳境に入り、そうそう身体が持たぬ。
家でゴロゴロしている「余作のおっさん」たち、参加しましょ。

12・13日の参加希望者は研究所事務局049・285.5296へ。
こういう記事は1~2週間前に掲載してね、朝日さん。