林 住 記

寝言うわごと独り言 のようなもの

当たり前の死

2006-10-31 | 林住期

身の回りに死ぬ人が多い。
60歳を過ぎれば、いつお迎えが来てもおかしくない。
だから、死について時々考える。

自殺や事故死はしたくない。
殺人は論外だ。

だが、年老いて死ぬのは当たり前のこと。
世間は死ぬことを悪い事、避けるべきことと言い過ぎないか。

長寿世界一を誇るのも考えものだ。
日本人の平均寿命が下がることで、自然に解決することは多いはず。

知人の住職さんが、健康検診をするから病気になる、と言った。
深い意見だ。
検診をしなければ、病気に気が付いた時は手遅れだろう。
長患いをせず、苦痛が無く死ねれば、本人も周囲も満足すべきではないか。
だから、苦痛を除く医学の進歩は歓迎する。
しかし、延命治療や臓器移植は疑問だ。

亡くなった先輩は死期を悟っていたのではないか。
この5月に会った時、大分弱ったと感じたが、煙草を続けていた。
9月に会おうとしたら、奥様から居留守を使われた。
近所の友人の話では、その頃は自宅で伏せっていて、亡くなる2週間前に入院したらしい。

誰かが、子供に親族の死体を見せろ、と言っていた。
銭湯で老人の肉体を見せろ、とも言っていた。
賛成だ。

僧侶・牧師・神父など宗教関係者は怠けている。
外に出て、もっと発言すべきではないか。
その点、瀬戸内寂聴さんは偉い。

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サンポーニャ

2006-10-31 | 高麗便り

 おおたか(大鷹)

多峰主山に向かって坂道を登っていたら笛の音が聞こえてきた。
これまでも時々聞いたが、誰が吹いているのか分からなかった。
今日の笛の音は近い。

音に誘われて歩いて行くと、森男と同じ年格好の男が横笛を吹いていた。
林間に隠れてではなく、道に譜面台を立てて吹いている。
声をかけなければ、却って失礼かと思ったので、褒めてあげた。
大変喜んでくれた。

笛はケーナかと聞いたら、南米アンデス地方のサンポーニャという笛だ。
吹いている曲は、日本のナツメロや童謡だ。
一寸間延びした音色で、ゆっくり吹くから古い歌に良く似合う。

通販で取り寄せて、家で練習していたら、奥方から追い出されたのだそうだ。
確かに短時間聞くにはいいが、半日聞いていたら、頭が痛くなる腕前だ。
吹く場所が無いから、山に追い払われたオジサンは惨めか。
とんでもない。毎日、山に来るだけでも身体にいい。

この山は住宅地に近いからこういう利用法もある。
山に嫋々とした笛の音を響かせるのは、下刈りや間伐同様、山へのお礼だ。
でも、もう一寸上手くなって下さいな。
そして「コンドルは飛んでゆく」を聞かせて頂きたい。

多峰主山・天覧山の一帯には、大鷹が棲んでいる。
サシバの渡りを観察している人もいる。
さしば

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チアダンス 帰り来ぬ青春

2006-10-30 | 歌の翼に

飯能市の駿河台大学に行ったら「駿輝祭」の真っ最中だった。

5年前までは、ここの有料制公開講座に通ったが、金を取るくせに、あまりにもお粗末な先生方の講演技術にあきれ果て、城西大学の無料の公開講座に乗り換えた。
ただ、年に1回やる大学祭主催の公開講座は、外部から優秀な人を招いて外れがないから、今年も行って「金山町シンポジウム」に感動した。

もう一つ感動したのは、チアガールたちのダンスである。

森男はもともと、小股の切れ上がった高島礼子さんや、臈たけた森口瑶子さん、才媛の檀ふみさん、ずっと年上だが気品ある香川京子さん等贅沢好みだ。

だが、駿台のチアガールもいいんだなぁ。いいいい。実にいい。
笑顔一杯で、長くもない手足を思いっきり伸ばして曲げて、踊りまくる。
じゃが芋を転がしたような女の子たちも大好きだ。

仮設舞台のかぶりつきで、薄汚い男たちが舞台に合わせて銅鑼声を上げながら一緒に踊り出すのも、目障りながら理解共感できる。
森男も一緒に踊りたいが、腰痛の恐れがあり、ただただ感動している内に、鼻血の代わりに、涙と鼻水が垂れてきてしまったよ。

伴奏の音楽は、Jポップスやあちらのビートの効いた威勢のいい音楽だ。
それを、拡声器が壊れんばかりの大音量で流していて、これもいい。
日頃の憂さが吹っ飛んでゆく。

ダンスが終って、薄汚い一団が絶叫しながら、これも割れるような音量で演奏を始めた。
これはマズイ。止めろ。
彼らの胃腸ににはいいだろうが、聴衆の頭が壊れてしまう。
薮蚊のような舞台の連中も、よく見れば完全に脳味噌が撹拌されてしまって馬鹿面だ。
あれは音楽というより騒音だ。
百歩譲って音楽だとしても、極めて野蛮で原始的な音楽だ。
城西大学の「高麗祭」も同様な怪異現象が起きている。

森男は大昔休日出勤したことがある。
いまいましいから、テープで歌を流しながら仕事をしていた。

歌は、メンデルスゾーン作曲の「歌の翼に」になった。
ジョーン・サザーランドが歌っていた。

すると、やはり休日出勤していたケバイのが寄ってきて、

 「どっかで聞いたことあるけど、イイ歌ですねぇ」

と言うのだ。
このトッポイあばずれは、普段は森男なぞクソ親父をシカトしている癖に、であった。
いい歌はあほにも分かるのだ。

人は学習をして進歩する。
自由気儘にしておけば、単純野蛮未開の音楽で停滞する。
何かと言えば、管理したがる文部科学省。
学内BGMの半分は、「歌の翼に」ほか定評つきの名曲を流すよう法令改正せよ、とつくづく思った「駿輝祭」だった。

学食は断然城西大学が勝る。
しかし売店や書店は品揃え豊富。全部2割引で、学外の者も利用できて、駿河台大学が勝る。
駐車場も充実しているし、無料の通学バスも多い。
学生の数も増えて、大学は繁盛しているようだ。
駿河台大学を見直してもいいかな。

 ♪YESTERDAY WHEN I WAS YOUNG
by SHIRLEY BASSEY

       Yesterday when I was young the taste of life was sweet
       As it was upon my tongue
       I teased the life as if it were a foolish breeze
       The way the evening breeze may tease a candle flame
       A thousand dreams I dreamed
       The splendid things I planned
       I always built a glass of shifting sand
       I lived by night and shun the naked light of day
       And only now I see
       How the years ran away

「帰り来ぬ青春」だった.......。

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熊った、亥だ。

2006-10-30 | 高麗便り

 西武線高麗駅で買った熊除け鈴 600円

昼前に多峰主山から下りて来たら、若狭氏に遇った。
登山道を塞いでいる強風で倒れた杉を片付けに来たそうだ。

この方は、市外在住だが日高飯能の山が好きで、殆ど日参している。
山歩きをするだけではなく、道に倒れ掛かった木を伐採したり、叢を刈り払ったり、道標をつけたりしている。

国土地理院の地図にも載っていない道を探し出して、手書きの詳細な地図を作っている。
そして山で遇った人たちに差し上げているのだ。

若狭氏によると、この夏の天候が不順で、どんぐりが実ってない。
だから、飯能の山奥の高山不動尊辺りの集落には、猿・猪が例年以上に出没して、困っているそうだ。

多峰主山に続く山奥の[竹寺]や[子の権現]には、数年前から熊注意看板が出ている。
日高の北の寄居町や、都幾川村にも熊出没報道がある。
寄居の30時間にわたる子熊生け捕り騒動は、TVでも大きく報道された。

木に登ったまま下りて来ない子熊は、無事生け捕りされて、町民さえほっとしたいい話だが、冬眠前の親熊では恐ろしい。

日高市では西武団地に猪が出て、公園の芝生をすっかり耕してしまった。
団地の知人の話では、夜間舗装道路を群れで歩いているそうだ。
多峰主山でも山道を横切る猪一家を見た人に遇った。
森男の家の隣の湿地も、人間の仕業にしては不自然な穴がいくつか掘られている。

山間部では時々人間が猪に突き飛ばされて大怪我をしている。
猪よ、新年の挨拶はまだ先だ。

森男が多峰主山に登るのは、晩秋から初冬にかけて、秩父の城峰山や、外秩父の大霧山、笠山などに登りたくて、足腰を鍛えるためだ。
熊猪大行進では危なくて山歩きが出来ない。

熊った。

★ニュース速報(10/31夜)★

①10月31日午後4時、市の有線放送で、「日高市横手地区に熊目撃情報があるから
 注意せよ」と発表された。
 日和田山~ユガテのハイキングコースはうかうか歩けなくなった!

②夜9時、自治会長から熊出没注意メール受信。
 なんと、団地西端の榎田緑地公園だ!まさか、見間違いじゃなかろうか?
 多峰主山・天覧山にも行けないぞ。

駄洒落を書いてる場合じゃなくなってきた。

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山形県金山町

2006-10-29 | 拍手


イザベル・バードが「日本奥地紀行」でロマンチックな光景と書いた金山町遠景

山形県最上郡金山(かねやま)町。
以前からこの町に注目していた。

金山町から、駿河台大学のシンポジウムに、二人の町民が講演に来ると知って、
駆けつけた。
 
  「森林文化都市」飯能市 100年後の子どもたちのために
     元気な森の町 山形県金山町からのメッセージ

講師は金山町産業課商工景観係長藤山一栄氏と、同町農林業栗田和則氏。
司会は飯能市の岡部素明税理士。

金山町から来たお二人の講演は最高の出来だった。
大学の先生たちは見習って欲しい。
論旨は明快、情熱的で冷静だった。

金山町は、秋田杉に包括されていた特産の杉を「金山杉」としてブランド化している。また、町の景観を美化する活動を展開している。

この日は、町並みの景観整備を中心にして、町の意気込みを報告して下さった。
景観整備の詳しい内容は、町の内容豊富なHPに書いてあるから割愛するが、感銘を受けた事柄を以下に列記する。

・50年も前の欧州視察旅行で、景観整備を着想した。
・町並みを、「伝統的な」金山型住宅で整えることにした。
・町並み整備は、観光開発ではなく、町民の生活のし易さと、地場産業の活性化が目的。
・観光客・視察客は自然に増加して、その結果、町民の景観への関心が向上した。
・住宅は個人の資産だが、景観は公共の財産である。
・だから、金山型住宅に改築・新築する場合は助成金を交付する。
・毎年の住宅コンテストで、町内の職人を顕彰して、地場産業の活性化を図る。
・町並みの完成は100年後とする。
・町民を毎年ドイツに派遣して、景観整備に対する理解を深めさせている。
・東京藝術大学建築科ほか、中央の知識・意見を積極的に導入している。
・情報公開制度は日本で一番早く取り入れた。
・№1より、ONLY1を目標にしている。
・町は杉に囲まれているが、花粉症患者は殆どいない。小学校校歌では、杉花粉が肯定的に歌われる。

 金山型住宅

会場には飯能市長以下、市の幹部が多勢出席し、建設業者、林業家もおられた。
講演後の質問は愉快で活発だった。
金山町出身の、飯能市立吾野小学校の先生の発言が印象的だった。

 「感動した。故郷の金山町を誇りに思う。百年後が楽しみだ」。

二人の講演者は先生に歩み寄り握手。会場から大きな拍手が起きた。

 町内風景

森男は新聞の折込ちらしでこの催しを知った。
だから、日高市中にちらしは配布されたはずである。
ところが、日高市の職員は一人もいなかったし、環境団体の人もいなかった。

日高市は「彼岸花の巾着田」を集金袋として、後先を考えない「観光活性化」に迷走中だ。
「よそ者」の意見を聞こうともしない田舎者の市である。
金山町の行き方とは雲泥の差である。

森男は金山町に移住したくなった。
雪深い町だそうだから移住は諦める。
哲学書から金山町を発見し、町からお二人を招いた、飯能市在住の岡部税理士を見習い、見学に行きたい。
少なくとも、[金山応援団]に入団するつもりだ。

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告別式

2006-10-29 | 林住期

博覧強記だった先輩の告別式に参列した。

ご家族とご近所の方々だけの葬儀だった。
高齢者ばかりで、葬儀は淡々と行われた。
仏式で執り行われたが、位牌には戒名の代わりに本名が書いてあった。
奥様は大分やつれた感じだった。

出棺を見送った後、喪服のまま、訃報を知らせてくれた友人宅へ行った。
狭山ヶ丘の雑木林や畑がまた狭くなっていた。

友人は斎場の場所を間違って教え、森男は間違って聞き、今朝は斎場を探して所沢市の端から端まで走った。
お互いに、思い込みが激しく、相手の話を良く聞かなくなったのだ。

友人は奥方から叱られた。森男はとりなした。
友人宅の主導権は完全に奥方のものになったようだ。
友人は安心しているようだった。

久し振りの訪問で長居をしてしまった。
急ごしらえの遅い昼食のサラダとパスタは旨かった。

斎場から斎場へと引き回してしまったもう一人の先輩とは、斎場で別れた。
月末の芦ヶ久保の丸山と県民の森のハイキングを約束した。
しかし、お互いに実行出来るかどうか分からない秋である。

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ニート

2006-10-28 | 重箱の隅

ニートとは、仕事に就かず、通学も職業訓練もしていない奴らのことを言う。
64万人もはびこっているそうだ。

政府は支援に力を入れているらしい。
市民団体では、ニートの自宅に会員を派遣して、社会に出る道筋をつけてやるおせっかいを行っているそうだ。

おせっかいの内容は、以下のとおり。

・トークイベント(何だこれは?)に引っ張り出す。
・一緒にゲームをする。
・就労サポート(面接付き添いだってサ)。
・レンタル兄さん(要するに話相手)の派遣。
・ニート向け講座を実施。

こうした活動をする団体例として紹介されているのが、

 [若ぇ衆ら・サポートネットにいがた]。

いやはや、やれやれ、呆れたもんだ。

「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で小沢昭一さんが言っていた。

  ニートと言うと格好いいんだな。
  ごくつぶし・すねかじりと言え。

首切りをリストラと言い換えたことと同じなんだ。
「にいがた県」の「ナンタラネット」も、よほど暇人がいるらしい。
流行の「個人責任」はどこへ行った。

兵糧攻めにすればいいんだよ。

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山を変える

2006-10-28 | やぶにらみ

 まゆみ(檀)の実

曇天に多峰主山に登ると、山道は暗い。
まだ紅葉前だから陽射しが入らない。
檜や杉林の道は特に暗い。間伐を怠っているから尚更だ。
まだ昼間は気温が高いからいいが、冬になると寒々しくて気が滅入る。

多峰主山・天覧山も植林した針葉樹林が多い。
恐らく、戦後、補助金で植えまくったんだろう。
宅地開発を狙って大地主になった西武鉄道に、間伐する余裕もやる気もないだろう。
まして、散在する個人の所有地では、手入をするはずがない。

針葉樹林は強風に弱く、先頃の強風雨でも60年ものの檜の大木が吹き倒された。
倒木と後始末が悪い行政の間伐で、針葉樹林は酷い状態だ。
環境保護に熱心な団体も、まるで無関心のようだ。

環境保護団体は何かといえば「大鷹の営巣」を持ち出す。
大鷹は針葉樹林に営巣するんだろうか。(松の木に営巣している映像を見たことはある)
豊富な生態系が期待できる落葉広葉樹林の方が「大鷹の営巣」に適しているはず。
時間はかかるが、落葉広葉樹林に変えてもらいたいものだ。

落葉広葉樹林も下刈りが必要だ。
密林化すると、山野草の種類が減るし、昆虫や小動物も住めない。
風景も殺風景になる。
少しずつ場所を選んで下刈りをすれば、大鷹も巣を作るだろう。

飯能市は旧名栗村の市有林を駿河台大学に、「無償で100年間」貸すそうだ。
目的は森林保全・山林文化育成・学生の体験学習だ。
多峰主山・天覧山も対策を検討して欲しい。

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寿童女と仲間展

2006-10-27 | 風に吹かれて

 岩崎とよさん104歳の作品

104歳のお婆さんの作品を中心に、所謂「絵手紙」の展覧会が開かれている。
会場の[埼玉伝統工芸会館]へ行った。小川町の[道の駅]にある。

展覧会の名前は「寿童女と仲間展」だ。(9/18「百歳ばんざい」)

いやはや、大変な集中力である。
絵入りの文章を集めた手作りの小冊子は凄いと思った。
とても敵わないと思った。
足がちょっと不自由だそうだが、気力は大したものだ。
作品から元気を貰える。

若い仲間といっても、おばさんたちばかりのようだが、皆さん絵手紙を楽しんでいるのが気持ちよかった。

ここでは、他に油絵と写真の展覧会が開催されていた。
両方とも関係者が多勢入口に陣取っていて、部外者は入場し難い。
名前を書けと言うから、入口からちょっと覗いただけで退散した。

埼玉伝統工芸会館は固いが趣味のいい施設だった。
ところが流行っていないらしく、ごてごてと余計な飾りを付け始めた。
物陰にはがらくたを積み上げている。
これではますます寂れるだろう。

 ぼろぼろの紙漉娘の像

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また訃報

2006-10-27 | 林住期

9月始めに井戸端会議をした先輩と、電話で次の会食の打合せをし終えて直ぐ、もう一人の先輩の訃報が入った。
何時もは3人で長話をしていたが、亡くなった先輩はあの時、何故か来なかった。

ついさっきまで、ちっとも電話に出ない、奥さんの電話の応対が不自然だ、と噂をしていたのだ。
もしかしたら、入院でもしてるんじゃないか、とも話していた。
奥さんは津田塾大卒。凛とした方だ。

二人の先輩は、同じ時期に米国に留学していた。だから特に仲が良く、お二人の会話を聞いているのが、若い森男には面白かった。
森羅万象、大変な物知りで勉強になった。
日常会話に英語を全く使わない人だった。
お宅の近くで家庭菜園を楽しんでいたから、森男の家で集めた落ち葉を車に一杯積んで届けたこともある。
お子さんたちが年頃を過ぎても、全く結婚するつもりがないことを嘆いておられた。

肺癌だったそうだ。
春先3人で会った時にも、煙草を立て続けに吸っていた。
電話していた先輩と同じ歳なのに、急に衰えたと感じていた。

ご本人も、奥さんも、病み衰えた姿を見せたくなかったのだろう。

お通夜は家族だけで行うそうだ。
告別式には参列しよう。

また一人、親しい人を失った。

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オジサンではないのだ

2006-10-26 | 林住期

森男が共感するところの多いオニイサン(失礼?)のブログに、オジサン度を判定する点検表が掲載された。

森男は間違いなくオジサンを通り越して、「イ」が入る状況であると確信しているから、こういうものは遣りごすつもりだった。
だが一方、自らの体たらくぶりを客観的かつ科学的に把握しておく必要もあると思って、つい○×を付けてしまった。
全部で20の質問項目があって、半分以上に○が付いたら、立派なオジサンだそうだ。

..........れ、れれ!。
森男はオジサンではナイのである。オジサンらしくもないのだ。
つまり、○は2項目しかないのだ。

考えてみた。
判定結果の分類が大雑把なのだ。
つまり、男は、オコサン、オニイサン、オジサン、オジイサンと進化するのが普通だ。
しかし、オジイサンに進化せず、オコサンに退化する場合もあるのだ。
森男は立派なオコサンに退化したんである。

オコサンなら責任は追及されない。
だから、相変わらずブログには勝手な言い分を書き続けようと思う、秋の日向ぼっこです。



参考として、以下に20項目を列記する。
○は森男が「ハイ」とした項目。小文字は森男の言い分。

  ・最近、焼肉屋へ行こうと、自分から言わなくなった。割り勘でねと言ってから言う
  ・若い女性と話すとき、「お父さんは幾つ?」と聞いてしまう。全然....、機会ないね。
○・NHKを見る事が多くなった。視聴料払ってるからね。
  ・朝早く目が覚める。お叱呼したら、また寝てしまう。
  ・パソコンはメールだけ出来ればいい、と開き直った。冗談じゃないっ、もっと働け。
  ・同窓会など、昔の仲間に会うことが楽しくなった。相手によりけり。
○・ドキュメンタリー番組を見ていて、涙が出るほど、涙脆くなった。あるある。
  ・以前より、洋服を買わなくなった。安物なら衝動買いをよくする。
  ・時代小説を読むようになった。大昔から読んでるよ。
  ・下着はブリーフ型よりトランクス型の方が楽だ。トランクスなんか穿いたことない。
  ・γ-GTPを知っている。どこかで見たことあるが.....。どこかで見たことはあるが......。
   ・独り言が多くなった。ブログのサブタイトルだけのことさ。
  ・メル・ギブソンの名前を思い出せなかったことがある。これって、誰?
  ・ズボンのことをパンツと呼ぶことに抵抗がある。全然。
  ・趣味を持とうと色々始めるが、長続きしない。結構しつこいよ。
  ・ウコンを飲むようになった。ウコンって聞くけど、何?
  ・ハワイより京都に行きたくなった。両方行きたくない、東北と南欧なら行きたい。
  ・駄洒落を言いたくなることがある。駄洒落は昔からの生き甲斐。
  ・妻と言い争う気力が無くなった。触らぬ神に祟りなし。
  ・後頭部に汗をかく。そんな器用なこと出来るのか?

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山を守る人

2006-10-26 | やぶにらみ

 がまずみの実

朝早く、多峰主山に登ると、作業をしている高齢者に遇う。

今朝は山道の草刈をしている人がいた。
ゴミを拾って、山頂から下りて来る一団にも遇った。

道を補修する人や、混みあった木を間伐する人もいる。
すべて、高齢者だ。夫々が「勝手に」やっている。

森男も見習って間伐をした時期がある。
随分丁寧にやったつもりだが、白い目で見られることが多いので、今はやってない。

白目の言い分は、下刈り・間伐は生態系の破壊だそうだ。
白目はいっぱしの環境保護主義者で、大鷹の営巣を何よりも大切にする。
放置が環境保護だと思っている。

この山は里山だ。
間伐や下刈りをしなければ荒廃する。既に荒廃している。
行政の間伐は、後始末がいい加減で、台風一過の惨状になっている。

どこでも、一般に環境保護団体の行動は、
・開発反対行動
・親子自然観察会
・野外コンサート
・蛍の成育環境造り
に限られるようだ。
間伐・下刈り・間伐材の整理・ゴミ拾い・道普請など、作業にも手を貸して欲しいものだ。

帰り道、草刈をしていた人に声をかけようとしていたら、もういなかった。
五体満足なのに、福祉センターで朝から風呂に浸かり、カラオケに声を嗄らすより、ずっとましな林住期の過ごし方だと思う。
役に立つばかりか、身体にもいいと思うよ。

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カタカナのワナ

2006-10-25 | 重箱の隅

評論家の天野祐吉さんを尊敬している。
森男がもやもやと考えていることを、きっぱりと分かり易く書いて下さる。
だから朝日新聞の毎週月曜朝刊の[CM天気図]を愛読している。
CMの重箱の隅を軽妙につついて世相全般を批評している囲み記事が面白い。

数日前の「カタカナのワナ」に全く同感なので、その要旨を記録しておく。

・携帯会社を変えても番号を変えずにすむ制度を「ポータビリティ」という。
・何故それを「ポータビリティ]とカタカナ英語で言うのか。
・外国から来た事物をカタカナで、そのまま言い表すやり方を全て否定はしない。
・だが、この場合は「そのまま」制や「持ち越し」制でいい。
・カタカナ乱用で「新しさ」を偽造するのは広告のお家芸だ。
・でも、そんなことには人々は引っかからない時代だ。
・更に、カタカナにはものを見え難くする危険がある。

・「ワーキングプア」という言葉が使われ始めた。
・このカタカナの下に「勤労貧民層」と出ていたから意味は分かる。
・「ワーキングプア」では、「貧民」という言葉の強さ・実在感が薄くなる。

・カタカナが嫌いなわけではない。だが、カタカナには危ないワナがある。
・カタカナ乱用は、どこかのえらい人にまかせておこうよ。

カタカナ乱用で新しさや格好よさを偽装するのは、広告ばかりではない。
マスコミ業界も偽装する。
NHKでさえ、普通名詞やごく当たり前の動詞まで、カタカナ英語を乱発する。
見え難いものが一層見えなくなる。

ところで、天野祐吉さんは、評論家・随筆家・編集長と思っていたら、朝日新聞が付けた職業は、「コラムニスト」となっていましたぞ。

なお、余計なひとことだが、「麒麟麦酒」を「キリンビール」にするのは賛成。
「パンダビール」では反対。

 I can teach how to play cello (埼玉県日高市内で)

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カタカナ講義

2006-10-25 | 重箱の隅

今日の公開講座の演題は長い。

21世紀を生きる~安心・安全で質の高い生活を目指して
福祉・医療・環境市場への期待と課題
~ユニバーサルデザインが導く社会とアンチエイジング~

だったのだった。
現代政策学部という崇高な目標を標榜した新設学部の助教授による講演だった。
事務局との事前の摺り合わせも済ませたし、パワーポイントの纏めも上手かった。
ただ、演題からも覗えるように、内容を詰め込み過ぎて、早口に喋りまくって息もつかず、聴講していて草臥れたよ。

前半は事務局の意向を採り入れて、
《1.求められる21世紀型の社会経済システム》
   1.私たちの暮らしを取り巻く大きな変化
   2.期待される「福祉・医療・環境市場」の現状と課題
   3.21世紀型システムとしての「人にも環境にも優しい」社会の構築。

以上を、猛烈な速さでお話しされた。
まぁ、分かったような分からないような、どうもよく分からない。

後半は先生が是非話を聴いてほしかったことで、
《「ユニバーサルデザイン」がもたらす楽しく快適な社会》
   1.「ユニバーサルデザイン」の意味と日本での動き
   2.事例紹介(不自由さや不快なことから自由で快適なことへ)
   3.「ユニバーサルデザイン」の普及と「アンチエイジング」

やたらに、カタカナが多い講義だった。

 パラダイムシフト・ステークホルダー・CSR・イノベーション・アンチエイジング・・・・・
  スパイラルアップ・エルゴインデックス・アダプティックブランド・異業種コンソーシアム・・・

森男にはさっぱり分からん。

UD(ユニバーサルデザインという意味だそうだ)先進県は、静岡・熊本・埼玉県なんだそうだ。
確かに埼玉県日高市は、急峻な登山道を「ユニバーサルデザイン登山路」にしたもんな。
先進県とは、そんなことかいな。

これからは、万人向設計の商品・製品・施設等が沢山溢れて、抗加齢化商売が盛んになるんだそうだ。

「ユニバーサルデザイン」や「アンチエイジング」という概念はアメリカの学者が考案したもので、日本にはこういう考えは無かったから、そのままカタカナを使うべきなんだそうである。

そうかねぇ。そういうものかねぇ。それでいいのかねぇ。
アメリカの専売特許かねぇ。
先生の日本事情の勉強不足と、日本語が貧弱なんじゃないのかねぇ。

一生懸命に準備して、熱く講義して下さった事は有難かった。
開講30分前からパソコンや映写装置を先生自身が点検されたのは偉かった。
遮光カーテンが無いので、はっきり映らなかったのは、事務局が悪い。
肝心の講義の内容は、「どうも、どうも......」だった。
不肖、森男だったら、もっと分かり易く15分で講義を済ませただろうよ。

何時もの大教室ではなく、今日は普通の小教室で、約150人で満席になった。
どこの大学も、教室の椅子は座り難い。
やけに浅いし、足を組む隙間も無い。1時間も座っていたら耐えられなくなる。
身長170センチの森男が辛かったのだから、近頃の電柱みたいな学生にとって、教室は苦痛だろう。

大学は学生用の椅子を、ユニバーサルデザインに交換すべきである。
そして、講義はアンチエイジングにね。
(こういう使い方でいいんだろうか?)

 不老不死温泉

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催眠楽

2006-10-24 | 歌の翼に

ノーベル賞作家の大江健三郎先生のご長男の光さんは、作曲家だ。
光さんは知的障害者。作曲の才能は実に豊かだ。
穏やかで優しく、癒される。

大江先生は光さんを、ノーベル賞の授賞式に連れていった。
先生のお話し。

  「光は私の身の上に、大変な事が起きていると感じていたようだ。
  そして、何かと私を庇おうとしてくれる。
  それが嬉しかった」。
  「光の音楽を聴くと眠くなる、と仰る方がいる。
  本当に有り難いことです。
  光の音楽でも眠れない方は、私の小説を読んで下さい」。

実は、大江健三郎先生は苦手だった。
だが、このお話を聞いて、一寸考えを改めようと思っている。

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