林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

キレないために

2007-12-31 | 知ったかぶり

 「ど~もすいません」

 老人であることは隠しようもないが、「暴走老人」ではまずいね。
怒りを抑え、暴走を防ぐ方法がありました。

●テンカウント法
カッとしたら、ゆっくりと息を吐く・吸うを繰り返しながら10まで数える。

●バルコニー法
一歩離れて高所から自分を見ているもう一人の自分を作る。
今怒るとみっともない、相手に嫌なことがあったのだろう、という意見をもう一人の自分が発することで、怒りを客観的に見られれば怒りが冷める。

●ステージ転換法
適当な口実を見つけて怒りの対象となっている相手の前から姿を消し、他の場所に移動する。その内気分が変わる。

●スマイル法
とにかくニコッと笑ってみる。表情を動かすことに大脳が集中し、楽しい表情を浮かべた時の感情に変わる。

.....ふんっ、気に入らないね。
またもや全部カタカナだし、要するに「事勿れ逃げちゃえ主義」ですね。これじゃ相手は一向に反省しないぞ。
相手が厚労省や自民党のような巨悪でも、愛宕山に登り10を数えてニコッと笑え、ってことかぃ。
確定申告で席を外したら、控除申告が出来ないじゃないか。

●「何事も悪い方に考える」という癖を徐々に修正するHPもあるそうだ。
ライフバランスマネージメント社が開発した「メンタフダイアリー」という、これまた全てカタカナという怪し気なものです。

例により八面倒臭い「ユーザー登録」が必要だし、年末年始(~1/6)はお休みなんだとサ。ケッ!

ま、自分のことは自分で始末をつけよう。

ブログを書いていると腹が立ってくる。パソコンを弄っているとメーカーを縛り首にしたくなる。まさにパソコンが暴走の原因であるな。

そういう訳で、新年からは休載日を多くしますね。
今夜は紅白なんぞの馬鹿騒ぎは見ずに、おショパンの「夜想曲集」でも聴きながら綺麗な心で眠るつもり。

それではみなさん、ヨイお年を......。 

▲画像は「林家三平」山藤章二画。「オール曲者」(新潮社)より。


暴走老人

2007-12-31 | 林住期

  「うぬっ!」

 「暴走老人!」(文藝春秋社)という本が話題になっているらしい。
突然激怒したり、不可解な行動で周囲と摩擦を起こし、暴力的な行動に走る老人のことを指しているそうだ。
ゴミ屋敷の主や、税務署で怒鳴りまくる爺さんがそうなんだって。
森男もやはり暴走老人なのだろうか?

老人本人は、若い頃、老人を敬遠してはいたが、形式的には大切にしていたので、今は形だけでも大切にされるべきだ、と思っている。
だが、老人の数ばかり増え、社会福祉費が嵩み、知識や経験は役に立たないと看做され、明らかに邪魔にされるようになった、と痛感している。

パソコンをはじめ機械の進歩は急速で、老人は付いて行けない。
駅で切符を冷静に買えるかぃ。背後の行列を無視して、振込みを一発で出来るかっ。
脳は1割しか使わず、パソコンも機能の1割しか使わなかったら、残り9割9分は遊ばせているのだ。情報化って、どういう意味?
ケータイなんか関係無いや。どうせ電話はリフォーム屋と石材店だけだぃ。

長い年月を使い、やっと覚えた日本語も、若い連中には通じやしない。
スタバは何様だっ。マック、もっとゆっくり喋れ。
NHKさまよ、トラブルは、不具合、事件、事故、揉め事と使い分けれっ。
ソンナノカンケエナイってか? あれが芸かぇ? ドンダケ~はゲテモノだっ。
それを連中はバカ笑いし喜んでいる。

世の中全般責任を逃れるためにクソ丁寧ではある。
電車は、ドア閉めさせて頂きますぅ、だとさ。
警備のおじさんに最敬礼されては、目のやり場に困る。道路工事は夜中にやれっ。
その癖、店も役所も銀行も勝手に合理化して、矢鱈に待たせる。
お陰でお叱呼をチビリそうになってしまうぞ。

そこで.....。

  自己の境遇、思い、怒り、不安などを抱えたまま、この社会のなかで顧みら
  ず埋もれていく「自分」を、一度引きずり出し、世の中に露呈させたいという
  欲望があるのかも知れ...........(136頁から抜粋)

なくて、「林住記」を書き始めたのかも知れないな。
著者の藤原智美クンに図星を指された感じであるな。

年齢はご破算に願いましても10年経てば、最早、少年ではなく老人であろう。
「林住記」は淡麗甘口を自認しているが、辛口と指摘されることもある。
確かに勝手気ままに言いたい放題で、嫌味が多く、人気が無い。

やはり森男は「暴走老人」なのかも......。

▼以下、「キレないために」へ続きます。


カレンダー

2007-12-30 | 高麗便り


 

 猫額亭に隠棲し世を洟かんでいるので、なかなかカレンダーにありつけない。
毎日が日曜日だから、それもいいか、と泣き寝入りしていると、嬉しいじゃありませんか、ほのぼのとしたカレンダーを下さる方がいた!

下さったのは前先生、現臥薪嘗胆先生で、次を狙って虎視眈々先生である。
先生はよく効く栄養剤を常用し、なかなかの働き者。
猪口才、と批判する人は蓄財の才能が無い人で、嫉妬です。
今年は「無いこと」を街宣車でガナラレて、選挙は惜しいことになった。

そういえば、ご尊顔、ご体形、働きぶりはねずみちゃんに似ているな。
絵のねずみちゃんは塀の上で巧みにバランスを取っているけれど、塀の内側に落っこちないでちょうよ。

森男は誘われれば、自民公明民主共産関係無く後援会に入会する。
既に4人の先生方の後援会員だが、他の現先生方、カレンダーぐらい下さいな。
現ナマならもっと嬉しいけど、投票はしないから買収じゃない。暫く預かるだけです。

この先生の後釜の現先生は、先生を任期中辞任し、前回市長選に落選して、浪人した。
浪人中はあっちの祭礼、こっちの運動会、どっかの忘年会に馳せ参じ.......ね。
それで大いに同情感謝されて、現先生に返り咲いたわけ。
別に先生じゃなかったから、いいのかもしれないね。

流れ者森男は昔からの住民に大分染められて赤くなった。
次はこの先生に「清き」一票を入れようかなぁ......。

▲カレンダーイラストは陶芸家の山中秀書先生。

前先生は、熱意・誠意・創意が町づくりの原点である、とご託宣。
カレンダーには「年間活動・討議資料」ともあるが、一体何を討議するのやら。


売れないわけ

2007-12-30 | 重箱の隅

 

 まるひろ百貨店飯能店の駐車場が11月から有料になった。
以前から有料だが、1円以上の買物で2時間半駐車が無料だったので、事実上は無料だった。
駐車場が満車になることは休日の夕方くらいである。

飯能市内は狭いので、2時間半もあれば凡その用事は片付いた。
用事が済めば1000円以上の買物はしたものである。2000円を越すことはそう無いが、5000円を超える場合もあった。

途中に駐車無料の大型スーパーが出来た。もう、まるひろ飯能店には行かないつもりだ。まるひろは一体何を考えてるのかぇ?

飯能市内の商店街は年末の夕方でもガラガラで、車の運転にはラクでいい。
商店街は店のことより、お祭りやイベントが大好きである。
最近は「町なか水族館」と称して、人集めのために、店内に淡水魚のチャチな水槽を設置している。

そんなことでお客が集まるのかねぇ。
.....答えはご覧の通り。

▲写真は12月30日午後3時の飯能商店街。


偽装家計

2007-12-29 | じゃじゃ馬馴らし

 クレジットカードはなるべく持たない使わない方針を貫いてきた。
ところが、営業担当者の甘言に乗せられて4枚増えて合計5枚になってしまった。
加入手続きの際に貰える粗品に釣られてしまうんだから情けない。
今年の反省点である。

なるべく使うまい、と思ってはいるが、出先で小銭が足りないとつい使ってしまう。収拾がつかなくなり、クレジットカード使用実績表を作ってみた。
何時、何処で、何を買い、または使い、何時預金から引き落とされて、今、未払い残高、つまり債務は幾らあるか、を把握する一覧表である。

既に、家計簿(小口現金出納表)は出来ていて、数年をかけて改良に改良を重ねたので、パソコン搭載の「家計簿」ソフトより数倍優れたものに仕上がっている。買って貰いたい位の出来上がりで、エヘン。

それに較べると、いま出来上がった「クレジットカード使用・引落実績表」は、名前同様矢鱈に大きい場所をとり、まだ自慢出来るものではない。改良の余地は多い、と思っている。

クレジットカード全盛なのに、その管理ソフトを予めパソコンに搭載していないとは、メーカーの怠慢だぞ。それとも、あるのに森男が気付かないだけかな。

クレジットカードを使ってみると、販売業者によって月締めの時期がバラバラであり、クレジット会社も同様である。
引落しが正しく行われているのか、自分の債務残高が一体幾らあるのか、分からなくなってくる。

また、通信販売の場合は注文時か出荷時を売上げ月日とするので、商品到着時を買った日と認識している森男は一層混乱する。
クレジット利用票(納品書)の形式と寸法もバラバラで判読し難く、綴じ込み難い。
この辺のところは、業界全体が一致団結して統一して貰いたいですね。

ま、クレジットカードなぞ使わなければ良いのではあるが......。
そうだ、新しい4枚は引き出しにしまっておこう。

以下に、「クレジットカード使用・引落実績表」の一部分(全体はA4版横1枚)を掲載しました。
欄は計算式が隠されており、自動的に結果が表示されます。
どうです?表の出来はともかく、豪奢な暮らし向きでしょ?
.....エヘン。(と、見栄見えの嘘は疲れるなァ) 

ここまで見せたら、来年、と言ってももう直ぐだが、1月の予想家計簿も公開しちまおう。
上表同様欄は計算式が入力してあり、自動的に計算結果が表示されます。
紙はA・B表ともA4判縦各1枚です。

なお、下らない話ですが、これらの表に数字を入力するのに、3日もかかりました。
家計を偽装するのは、本当にタイヘンな作業でした。
ブログの画面に納めるために、列幅を調整するのに七転八倒しました。
森男の詰まらぬ努力に免じて、辻褄が合わない、字が欠けてるなんて、突っ込まないで下さいね。

以下は別紙になります。


南天ひよどり

2007-12-28 | 庭いじり

 

 今年は実物が豊作のようで、南天にも赤い実が沢山付いた。
我が猫額亭の庭ににも、周囲の林の中にも、実生の南天が多く、ルビーのような赤い南天の実がたわわである。

ご近所を歩き、不思議なものを見た。
南天の赤い実にビニール袋を被せているのである。
多分、ヒヨドリに獲られてしまうのが惜しく、ビニール袋で防いでいるのだろうが、強風で飛ばされてきたゴミが引っかかっているようで見苦しい。

確かに、粋な四十雀や美声の目白に較べれば、ヒヨドリは可愛げの無いすれっからしに見える。漢字では「卑しい鳥」と書いて「鵯」。ヤな感じですね。
でもよくよく彼等を観察すれば髪型は股旅者を連想させるし、あのダミ声はいくら赤い実をついばんでも全快しないし、ヒヨドリなりにせかせかと一生懸命であり、お互い苦労しているなぁ、と同情し、共感出来る。
南天の実くらい、この際ヒヨドリに上げてもいいんじゃないか。

今、楽しまないで、折角の美しい赤い実をビニール袋で隠し、春先に外したところで、艶やかさを失い、興醒めだと思う。ヒヨドリは不味い南天の実よりも甘い椿の花の蜜や桜の蕾に熱中しているだろう。
うっかりすると袋を被せたまま夏になってしまう。

南天や柚子は今、苺は春、西瓜は真夏に楽しみたいもの。

確かめてはおりませんが、南天は花時に雨が降ると、花粉が流れてしまい、結実しない由。
ビニール袋は花時に被せるべき、だとか。

南天には咳止めや殺菌効果がある由。詳しくは→「薬効」。

画像は「環境goo」の中からお借りしています。


密林伐採

2007-12-27 | お節介

 

 もう何日も、ヒサカキの密林を伐採している。
大きな倒木は、切断し片付けた。
持ち主に叱られるんじゃないか、と思うほどさっぱりと綺麗な雑木林になってきた。

密林の中のあちこちに、息も絶え絶えといった状態で山躑躅が自生している。
ヒサカキを伐採することで陽が差し、息を吹き返すだろう。
馬酔木があれば残すつもりだが、どういうわけか自生していない。

伐採した木をそのまま積み上げる、というやり方は見苦しい。
いちいち枝葉を細かく切り刻み、周りに撒き散らし、幹は背丈ほどの長さに切り揃え、斜面に沿い積み上げる、というやり方をしている。
緑の草が生えて来たように見えるのは、落葉の上に撒き散らしたヒサカキの枝葉である。一ヶ月もすれば、落葉が敷き詰めた雑木林になるはずだ。

時間はかかるし、手に豆は出来る。少しも捗らないが、作業の後は自然で美しい。
ここに、庭で養成中の辛夷や薮椿を移植し、花の名所にしようと思っている。
何年か先に、知らずに訪れた人々を驚かしてやるつもりだ。

午後の2~3時間の作業中、誰も通らない。この山道の存在が知られていないからだ。
通りかかった人が興味を持ったら、仲間に引き入れるつもりだが、誰も通らない。
以前ここで宴会を開いていた人たちは、もう伐採作業は止めたのだろうか。
今が一番伐採し易いのに誰も来やしない。

▲ヒサカキとサカキは違います。


誤解と理解

2007-12-26 | 床屋放談

 

 朝の民放TVは各局とも王貞治監督の娘さんの結婚延期報道で賑やかだった。
人は誰も、「他人の不幸は蜜の味」、だもんね。

普通ならチャンネルを変えるところだが、娘さんの話しぶりが、近頃の娘さんや芸能人には無い、非常に明晰で綺麗な言葉遣いである上、相手にも配慮した話なので、最後まで聞いてしまった。

なんでも直前までハワイ婚前旅行中で、そこで相手に違和感を抱いた由。
よく言われる格言

    恋愛は美しい誤解 結婚は惨憺たる理解

ですね。

ま、結婚したわけではないが、数日間同居したら、相手の実態が次第に分かってきた、ということだろう。
普通の娘さんだったら、誤解のまま結婚、曖昧のまま老い、最後は朦朧としてしまうのだろう。察するに、娘さんは極めて理性的な人のようだ。

多分無意識に、相手を父親と比較したのだろう。誰だって王さんに敵いっこないよね。
ま、豪華な結婚式を挙げて、直ぐゴタゴタして別れるよりずっとマシではあった。

ただ、森男年代からすると、「婚前旅行」という最近の流行は、どうも釈然としない。けれども惨憺たる理解を早める、という目的からすれば良い風習か。
こういう理性的で生活力もありそうな二人は、平安時代のように、夫婦別居婚がいいのかもしれない。

 昨日、横浜の家庭裁判所に呼ばれた。
叔母の弁護士が預かっていた遺言書を公開し、筆跡や印鑑が正しいことを確認するのが目的だった。

書を習っていた叔母だが、脳梗塞で倒れて長期入院中、精神状態が平静な時期に弁護士に促されて書いたものである。筆跡は見るも無残な状態だった。
しかし、一同は叔母の筆跡であることにした。
法定相続人9人中、集まったのは最後まで面倒をみた兄姉と森男と妹の4人だけだった。

叔母は計数に明るく、実の姉妹の資産形成にまで的確な助言をして、同じく数学には強いけれど生活力の無い森男の父とは、全く違う人生を送った。
極めて勝気。離婚歴あり。経済的には安穏な余生を送れたのに、身体が不自由になってからは、まだら呆けながら歯噛みをする毎日だったようだ。

男女の仲は、誤解、曖昧、朦朧の方がいいようだ。


マゴットセラピー

2007-12-25 | 知ったかぶり

 

日本語だと「蛆虫療法」ですが、それでは誰も読んでくれません。
そこで上記のようなカタカナ表記のタイトルにしました。
以下は新聞で小さな記事を読み、ビックリした話題です。

糖尿病や動脈硬化で血管が詰まり、組織が腐る壊疽(えそ)。
これに罹ると、足や首を切断しなければならない恐ろしい病気です。
それを蝿の幼虫、蛆虫を使い切らずに直す療法を「マゴット・セラピー(maggot therapy)」という。

無菌培養した蛆虫を傷の周辺に置くと、2~3日で蛆虫が壊疽した組織を食べ尽くす。
蛆虫の分泌液には殺菌効果や組織の再生を促す作用があるそうだ。
あんな不潔なものが、実は清潔で役に立つ、とは驚きだった。

日本医大再生医療科の初代部長に就任した宮本正章准教授。
教授はマゴット・セラピーの確立を目指すそうです。

因みに、サナダムシを自分の腹中に愛称をつけて飼っている回虫博士がいる。
回虫が花粉症やアトピー性皮膚炎や喘息を防ぐ物質を分泌している、とか。
他にも、ヒルに血を吸わせ関節リウマチの疼痛を改善する、という話もある。
ミツバチに刺させて、という療法もあるようだ。

そういえば、西丸震哉は敗戦後の食糧難の頃。
集めた蛆虫を乾燥。砕いてフリカケにし食べてみた。
香ばしくて、とても美味かった、由。

蛆虫の成分は栄養価が高く、駆除は資源の浪費である。
と西丸先生は論じていた。

  また、映画「夜の河」で主役を演じた山本富士子さん。
  不倫相手が研究するキイロショウジョウ蝿を友禅柄にした和服で、
  話題になった。

ま、ヒトやムシをその姿や住むところで差別するのは良くないこと。
せめて今日一日くらいは、生きとし生けるもの全てを愛しませう。
猫額亭に棲息する森生も、蠅程度には役に立ってますよね。

  ........ナヌ? 五月蝿い? 

   ▲切り絵は安野光雅著「がまの油・贋作マッチ売りの少女」(岩崎書店)より


人類に対する罪

2007-12-24 | うわごと

      

 政府が製粉業者に売り渡す際の小麦の価格が、来年4月に最低2~3割値上げされることが確実の由。既に今年10月には1割値上げしている。
そのために、パンや麺類の大幅値上げも確実だそうだ。

鰻や本鮪やデコレーションケーキの値上げなんぞは、はいどうぞ、だった。だが、パンや麺はねえ.....。
灯油の高騰もあり、まことに生きにくい世の中になったものである。

値上げの理由が凶作ならば我慢しよう。だが、投機筋の価格操作が大きく影響しているらしい。
カネ余り、とかいう不思議な理由があるようだ。余っているなら、それでいいじゃないか、と思うのだが、金持ちには金持ちの事情があるらしく、どうもよく分からん。

年収300万円で良いじゃないか、大金持ちは不幸だよ、と森永教授は説いている。
その不幸な大金持ちがこれほど貧乏人にメイワクをかけて良いものだろうか。
じわじわと大勢の貧乏人を困らせて、足し算をすれば数万人の貧乏人を殺害したことになるんじゃないかぃ。
まさに「人類に対する罪」である。

クリスマス・イヴの今夜、国連は投機筋と言われる大金持ちたちを逮捕、余りカネを没収、修道院に監禁、明日から年末年始は強制労働をさせるべきである。

あ、それから付け加えれば......。
パンや麺類を値上げするならば、小売価格は据え置いて、分量を少なくして下さい。
普段から森男たちは貧乏人の癖に、食い過ぎていますので。


イルミネーション

2007-12-23 | うわごと

 

 どこかで何かが話題になると、一斉に真似をする。
イルミネーションもそう。

マスコミは、何かと言えば温暖化を防ごう、と言う。
それなのに、別に無くても構わぬイルミネーションを、どうして肯定的に報道するのだろうか。囃し立てて国中に広めようとしている。

寒い夜は厚着をして、家で本でも読んでいればいい。
でなければ、さっさと寝てしまえばいい。

数百万円もかけて家を電飾で飾り立て、近郷近在から見物客が押しかけるのを自慢する人がいる。普通の住宅地なら近所の人々は大迷惑だろう。
近所の人は遠慮してマスコミに不満を漏らさないだろうが.....。

また、電飾のための電線を街路樹に張り巡らすのは、樹木への虐待である。
木々は春の芽吹きに備えて、新芽を準備しているのに、枝に電線を取り付けられて、さぞ迷惑であろう。せめて、電線を枝に張り巡らさないで欲しい。
行灯や雪洞(ぼんぼり)で上手く飾れないものだろうか。

環境保護派は、何故黙っているのだろう。


テンション民族

2007-12-22 | 床屋放談

今年の不人気羽子イタッ!

日本人は戦前、天孫民族と自ら尊称した。
戦争に負けると、テンション民族と自虐したが、今は天真爛漫民族だと思う。

政治決断袋

大統領選挙運動の狂騒を見ると、お隣、韓国こそテンション民族である。
これは決して侮蔑して言うのではなく、むしろ羨ましいとさえ思う。

物言えば 唇寒し 支持率下ろし

年金や薬害肝炎問題など、韓国なら、何人かの抗議の焼身自殺者を出すだろう。
大勢の民衆が官邸や厚労省に押しかけるだろう。

 ねじれ鉢巻き

政府は原油高騰に伴う物価上昇対策など考えていない。
ブッシュに対する約束を最優先し、テロ特別措置法一本槍である。

 なぜか不人気「秘伝のタレ」

内閣支持率が急降下している。それでもまだ30%台を維持している。
現代の若い奴らは、紅白歌合戦ごときにテンションを上げるばかりである。
ニッポンはドンダケー堕ちるだろうか。

▲漫画は針すなお氏(朝日新聞より)


囲炉裏端

2007-12-21 | お節介

 

 吉田さんちの作業はどうも捗らない。
理由は囲炉裏端でのお喋りに時間を取られてしまうからだ。

 

吉田一家とのお喋り、来客とのお喋り、とお茶を飲み、お菓子を頂く。
今日は、自分は宇宙人だ、と言う紳士が来た。定年寸前の紳士で、仕事の途中の道草の模様。どういう関係か、70過ぎの爺様を連れて。
別に変人奇人ではなく、UFOの話題から、少し自嘲を込めて大真面目ではあるけれど、どこかソコハカトナク可笑しく、話が弾んだ。
秩父から毎日、熊谷の会社に通っているそうで、旧大滝村や札所の話を聞かせてくれた。この二人、面白い。
日時を決めない再会を約束した。

 

それでも、お喋りの合間に作業はしましたよ。
前回に引き続き花殻の刈取と枯枝の片付けだが、吉田家の作業はちょっと按配が難しい。あまり綺麗にし過ぎると、広過ぎて手を付けられない場所との差が目立ち過ぎて、結局泊り込みでやらないといけなくなってしまう。
そこで、刈込鋏で細かく切り刻んでそのままにし、落葉もほったらかし、といった手抜き清掃作業だった。
あちこちにツンツン立っていた花殻を切り刻んだら、お正月を迎えられる景色になってきた。

 

明日から24日までの3日間、餅つき大会やら門松作り教室で忙しいそうだけれど、雪が降りそうなので、今日で仕事納めとさせて頂きました。
採りたての柚子をお土産に頂いて。

 


ながらへば

2007-12-20 | 林住期

   

   ながらへば またこのごろや しのばれむ
                   憂しと見し世ぞ いまは恋しき

                                    藤原清輔朝臣

田辺聖子先生による現代語訳は以下のとおりです。

   生きながらえていたら
   またこの頃がなつかしくなるんだろうか
   辛いこと いやなことの多い
   この頃なのにさ
    ......辛いこと多かった 昔の
    あの時代が
    いまは なつかしいんだもの

もっと、ざっかけな口語訳では、

   まあ、いい.......生きよう。
   長く生きていれば、この時代だって、また恋しくなるだろうからさ。

藤原清輔は(1104~1177)は和歌のお師匠さんの家柄に生まれた。
しかし生憎、時代は保元平治の乱世。実父の顕輔とは仲が悪く、父が祟徳院の命で編んだ「詞花集」には一首も採用されず、後の二条帝により清輔が「続詞花集」を編むよう下命され、やる気になったら、天皇崩御でオジャン。ツイてない人だたらしい。

この評判の良い歌を清輔が何歳ぐらいのときに詠んだかは、学者の間で長い間、論争になっているが、結論が出ていないそうだ。

田辺先生は、

   過去の経験に照らし、先の人生にかすかなのぞみをつなぐ、そういう「気の
   とり直し方」は、いくばくかの人生的蓄積がなければできない。

と書き、清輔55歳~62歳説を採ろうとされているようだが、

   だから、ある程度、トシがいったほうが、そういうテクニックに富むであろうが、
   しかし、本質的にそれはトシに関係ないような気もする。
   若い人が、ふと、こういう感懐を持つこともあるのではなかろうか。

と迷ってもおられる。

ふ~む........。
森男の若い頃は、疾風怒涛の時代であった。
戦死の恐れこそ無かったものの、馬車馬のように働かされて、こういう感懐を持つ暇など無かった。
そこが、貴族であり和歌の家に生まれた清輔と平民森男の違いではあるが、こういう心境に達したのは定年後、しばらくしてからである。
だから、55歳~62歳説に賛成します。

で、そのトシを遥かに過ぎた森男の現在の感懐は.......。
あと何年もしないうちに呆けてしまって、感懐どころではない、のではないか。
それで、

   まあ、いい.......今を楽しく生きよう。
   長く生きていれば、この時代のことなんか覚えていないだろうからさ。

この記事は「田辺聖子の小倉百人一首(続)」角川書店刊、に触発されて書いたものですが、田辺先生の愉快なところは、熊八中年なる人物を創り出し、こう言わせている。

    「青年の自殺、などという困った現象がはやりましたが、こういう歌を知っているのと
    いない
とでは、少しは違うのではないでしょうか」

左様。英会話なんか役立たずを教えるより、百人一首を暗記させたほうがマシですね。


はだける

2007-12-19 | うわごと

 

 懸命に闘っているお二人には申し訳ないが.....。

柔道の試合は見苦しい。
闘っているうちに柔道着がはだけてくるからだ。
相撲の場合、まわしが解けてきたらどうなる?
柔道だから見苦しいものを拝観しないで済むが、やはりだらしなくて見苦しい。
関係者は何も感じていないんだろうか。

柔道着がはだけることで、相手の技をかわしているとすれば、ヤな作戦ですね。
あんなにみっともないユニホームは柔道だけだろう。