林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

これから昼寝

2014-07-31 | 林住期

今日は記事がありません
普通、今日投稿する記事は昨夜のうちに書いておいて、一晩熟成させてから投稿するんですが、昨夜はさっさと就寝したからです。

このところラジオ体操に参加するために、以前より2時間も早起きするようになった。
しかし、夜はブログのために以前どおりの遅い就寝のまま。これでは当然寝不足で、午前中に昼寝をし、午後にも昼寝する。

昨日もそうするつもりで、午後、長椅子に横になったら、玄関の網戸をガチャガチャさせて、シャモじぃが入って来て、ギョッ。
居留守を使うヒマも何もあったものじゃない。しかも珍しいことに、手土産の西瓜半分を持参ときた。
仕方がない、夕方まで付き合っていたので、夜、眠くて眠くてさっさと就寝したというわけ。

とかなんとか言い訳を書いているうちに、記事が1本出来上がった

昼飯は素麺にしよう。
素麺を腹に流し込んだら、今日はしっかり昼寝をするからね。
猫額亭に遊びに来たいヒト、手土産は宅急便でいいよ。

いかにも美味しそうなそうめんは▲、三輪素麺を超えると自慢する、奈良県東吉野村にある升屋さんの吉野葛そうめんです。
じじぃはこんな高級素麺を口にしたことありません 通販可能です。念のため

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ラジオ体操皆勤を触れて回る

2014-07-30 | 高麗便り

早朝のラジオ体操は、今のところ皆勤である。(まだ、11日目だけどね)
とはいえ、就寝時間は今までどおりで、毎朝の5時半起床はいささかキツイ。挫けそうだ。

そろそろ早起きを止めて、TVのラジオ体操でもいいかな、と迷いが出てきた。
零細ブログ「林住記」は夏休みにして、ラジオ体操に命を懸けることも選択肢としてアリかな、と思っている。
皆さま、ラジオ体操を続けるか、ブログを休むか、どちらがいいでしょうか?

    シーン ...... どうせそんなもんさ、林住記は読み人足らずだからね、ふんっ。

新しい友だちが一人できそうだ。名前は、まだ知らない。
同い年か少し年下かな、と思ったら、何と80歳の大先輩だ。どういう日常を送れば先輩のような健康を保てるのか、教えていただきたい。
パソコンなんか、ましてブログなんか無視してるんだろうな。

この先輩も皆勤で、

    少し気恥ずかしかったけれど、来てみたら快適で良かった。最後まで続けるつもり。

今朝は空気が乾燥してたので、体操の後、遠回りして家に帰ることにした。

途中、庭先事務所の小窓を叩いたら、もう双方クンがいたので、ラジオ体操の効用を説いた。

    双 (ふんっ)飯能の市営プールは50mもあるので、あっちへ行ってますよ。

    森 (まさかシャンプーと石鹸を持ち込んではいねぇだろうな。ふんっ)

リュックを背負って、今日も、巾着田・高麗峠・天覧山・多峯主毎日回峰をする切株和尚さんにばったり。

    株 (ふんっ)森生さん、ちっとも多峯主山に来ないって、みんな心配してるよ。山歩きはラジオ体操に勝るよ。

    森 (心不全・心筋梗塞・熱中症・こむら返り・尻餅、それに蛇と虻と毒虫。お達者でね。ふんっ)

まだ雨戸も開けてなかったカーじぃ。ちょっとご機嫌斜め。

    カ (ふんっ)俺はね、本格的に陸上をやってたの。ラジオ体操なんてヤワなものなんかやってらんないよ。

    森 (ああそうかよ、だけどそれは15年前のことだろ? 近いうちに寝たきりさ。ふんっ)

どいつもこいつも友だち甲斐のない連中ばっかりだった。

TVの前で一人でやるラジオ体操も、集まってやるラジオ体操も、カラダを動かすことに変わりはない。
だが、ガヤガヤ集ってやるラジオ体操は、健康で健全な知り合いを増やすことができる。

黙って励んでいるのではなく、ラジオ体操皆勤を触れて回ることで、挫けそうなココロを奮起させよう

明日は別の街区を歩くつもりだ。ふぅ。

8月2日は夏祭りだ。どういうわけか、自治会から案内状とタオルが届いた。
市からは喜寿祝金1萬円を支給するので振込先を申告せよ、という通知が来た。嬉しいような悲しいような。複雑微妙。

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山水画の住所表記について

2014-07-29 | 知ったかぶり

出光美術館で鉄斎の山水画を観て、老後はああいうところに住みたいと思ふ。
家政婦が一人いれば、なおよろし。

問題は住所表記が難しく、読めないし書けないこと。
E-mail なんか当然止めるつもりだが、そうすると手紙を出したり、頂いたりすることができない。
安否確認ができないまま、人知れず、浮世とおさらばしていたなんてなりそうな。

「梅華邨荘図」は分かったつもりだけれど、「東■僊閣図」は読めない書けないイミ分からないで、猿になった気分である。

読めない理由の一つは、字画が物凄く多く、何が何だかこんがらかって見えないのでありますからして、辞書に当たれないのであります。
もっとも、大辞海とか何とかいう上等な漢和辞典を持っていないんでありますが...........。

で、仕方がないから出光美術館がくれた出品リストを、拡大スキャンしてみた▼

          

ね、これなら読めなくても見えるでしょ。(「富岳図」の上です)

ヘンはサンズイだ。ツクリは「亡・口・月・女・凡」ですかね。違ふかな?
オンでもクンでもいいから、これどう読むんでしょうか? そして「東」のこれってどういうイミでしょうか? コメント下さいね。
不肖・森生は「滝・瀧」にカンケイがあるのではないかと。

    

    なお、「僊閣」の「僊」は電子辞書によると、

       ①仙人に同じ。「仙女・仙術・神仙」

       ②才芸のまさりすぐれた人。「歌仙・詩仙」

       だから、「僊閣」とはド・エライ人が住んでいる「閣」、つまり金閣や通天閣のようなリッパな御殿なのでありましょう。

        東■僊閣図

         一番上のおっさんの絵は、古書象々さまのHPからお借りしています。販売中の古書「筆端遊戯画冊」に載っているようです。
         なお、おっさんが何て言ってるのか、全く分かりません。

         もう一つの「梅華邨荘図」は7月26日の「デュフィと鉄斎」をご覧ください。

         器物は弁当箱ではありません。中国製の硯です。購入ご希望のかたはこちらへどうぞ。

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頑張るラジオ体操

2014-07-28 | 林住期






 

いつもながらの朝が来た けだるい朝だ

喜びに胸を開け 大空仰げ

ラジオの声に 張りのない胸を この蒸暑い風に 開けよ

ソレッ 1 2 3

人間、死ぬまで頑張らなくてはならない。
連日の蒸し暑さにだらけたカラダを、覚醒させなければならない。

毎朝5時半には起床し、軽く朝食を摂り、団地にあった旧スーパー前の会場に急ぐ今日この頃。ふぅ。

通常、どこへ行ってもおばばが優勢だが、何故かここではおじじが頑張っている。
人数は5~60人。減るどころか日を追って増えている。

じじばばは童心に返り、喜々として参加印を頂く。
実はもうへとへとだけれど、森生は皆勤だ。
賞品は何にも約束されてないのに。

じじぃが子供の頃は、ひもじくて、体操どころではなかったよ。

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言うまいと思えど今日の

2014-07-27 | うわごと

  You might think, today's at fish.

お寒い駄洒落と川柳がお得意な南気象予報士よ。この意味が分かるかぇ?
分かんないだろうな。なにしろ yesterday function がいっしょくただからね。

太平洋高気圧がここにあり、寒冷前線がここを通過するから、所により雨。雷を伴い激しく降るかも、と言う。
アタリマエだよ。その程度のことは分かってる。低気圧が来るから雨が降る、天気が悪いから嵐になる、と解説してるようなもんじゃないかぃ。
何故、この夏は海水温が高いのかを説明せよ。

                      

意地悪じじぃが感ずること。

こう暑いのは、南気象予報士のせいだ。
女子アナに近付き、涼しい顔をして「うん、暑い暑い、うん・うん」と繰り返すので、世の中、一層暑くなるのだ。

熱中症厳重注意はもう分かった。
お蔭で、残り少ない貴重な一日の出鼻をへし折られ、夜はシッカリ寝てるのに、外出を控え、昼間も夏眠ばかりしているのだ。

お~い、百田尚樹センセー、何とかしてくれぇ。 

                                               

挿絵は南予報士。南 利幸の「あしたは晴れ!」さまからお借りしました。全国の皆々さま、毎日、見てみてね。

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デュフィと鉄斎

2014-07-26 | 色めがね

 

デュフィの水彩画が好きだ。
鉄斎の山水画も好きだ。

今、東京で両大家の回顧展が開催されている。
目が眩む暑さを我慢して渋谷へ行ったのは、デュフィ展がもうすぐ終わるからだった。

東急文化村ミュージアムは大分混み合っていた。
展示作品は大量で、デュフィらしくない、というか森生が知らなかった修行模倣模索時代の重厚暗鬱な作品が多く、少しガッカリした。

デュフィに期待したのは、爽やかな潮風が感じられる、淡彩の海辺の風景や、涼風が通い緑滴る競馬場の風景だった。
それから、さささぁーっと描いた華麗な花の絵もね。

だが、チマチマと筆先を使って描いた輪郭線と、その輪郭線から意図的に外した淡い着色が、艱難辛苦の結果であることが良く分かった。
このごろ、じじぃも絵の脇に掲示している解説をじっくり読むようになったのである。いい勉強になりました。

  

出光美術館で鉄斎展を観るのは2回目である。普段よりも人は入っていたが、作品はゆったり観ることができた。
出光は沢山の鉄斎作品を所蔵しているらしく、図々しいけれど羨ましい。といって、例え貸してくれても、わが猫額亭には飾る場所がない。

鉄斎の場合の輪郭線はデュフィと異なり、大胆不敵、自由奔放に躍動しているように見える。もちろん細心の計算はあるのだろうが。
着色は山水画なので当然淡彩で、デュフィと同じように輪郭線を外している。画面の隅にある漢詩なぞ、行がひん曲がっていても平気の平左。
絵を描く苦労よりもヨロコビが感じられた。

デュフィと鉄斎は、横書きと縦書きの文化圏に別個に属しながら、到達した画風は意外にも共通の境地だった、と素人のじじぃは感じた。
生前、互いに相手の作品に接していたら、デュフィはまた模索を始め、鉄斎は「ややっ...... う~む」と唸ったのではあるまいか。
そういうことを空想させる、二人の偉大な画家の、愉快な展覧会だった。

   

出光美術館の最大の楽しみは、皇居前広場を見晴らす休憩室である。
冷房が利いた部屋で、無料の冷やし煎茶を3杯も頂きながら、皇居と外苑の滴る緑を「鑑賞する」ことは無上の喜びである。
ここは都心に於ける仙境なのであります。

                                            

東急文化村にも穴場があった。その楽しみは長くなるので別の記事にしますね。

上から「ヒナゲシト7アイリス」「ニースの窓辺」/「梅華邨荘図」「東■僊閣図」です。
最後の読めない漢字は、これから勉強します

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トイレではありません

2014-07-25 | 風に吹かれて

  この先にトイレはありません

と書いたビラがあった。

それじゃ、どこにあるんだ?

水分は殆ど滲み出ているはずだが、お叱呼は心の問題なんだよね。
気が付かなければ3時間だって溜められる。
でも、思い出してしまったら、赤ちゃんと同じなんですね。困ったもんだ。

さぁ大変だ、銀座駅までもたないぞ。それにあそこは広過ぎて探すのが大変だ。

あいにく工事中の仮設通路は、合計何十段もの段差が続く迷路で、体力を消耗する。
ええい、仕方がない、ヒカリエに行くか。

長く暑い空中回廊を渡り、ピカピカのヒカリエに滑り込む。
家賃が高い入口階に、トイレがあるはずがないので2階へ急いだ。
2階はお洒落な女性用の店が並んでる。

ヤマ勘で探し出したトイレはトイレではなかった。
だがしかし.......。

あなた、ご存じでしたか? 
その行為は、点けたり消したりするものですか? 
これがトイレの入り口ですぜ▲

漆を塗ったような重厚な壁面に、研ぎ出した切文字。
明るい壁面には本物の観葉植物。
その下には贅沢な椅子があり、紳士が難しそうな本を読んでいた。
じじぃは社長室かと思ったよ。

いよいよ切羽詰まって来た。
美人秘書に遮られたらその時はその時。

わ~ぃ、中はやっぱりトイレだ。
涼しく清潔で洒落ていて、わが猫額亭内の思庵より、ずっと快適だった。

でもね、トイレは「トイレ」か「お手洗い」か「WC」でいいじゃないですか。
SwitchRoomに思わずたじろいで引き返し、粗相でもしたら、ヒカリエさんはどうする?

  

  ネスレ日本は「インスタントコーヒー」を「ソリュブル」に替えるそうだ。
  製法上の違いはともかく、インスタントはインスタントではないかぃ。
  バカバカしい。

  スタバも飲み物の「大・中・小」を、思い出せないヘンな形容詞にしている。
  大企業が、何事も分かり難くしてますなぁ。

  140725


トイレはありません

2014-07-24 | 風に吹かれて

古い暦どおり、大暑だったそうだ。
確かに渋谷駅周辺は凄まじい蒸し暑さだった。
それでも命知らずのじじぃは渋谷・有楽町・丸の内を歩きまわったんですね。

酷寒・もう暑・大暑・猛暑・酷暑・烈暑・惨暑。そして爽秋はなく、いきなり、もう寒・大寒・・・・・・。
ということになるのではないか。長生きはしたくないね。

渋谷駅はまだまだ工事中だった。
JR渋谷駅を跨いでいた東急百貨店が壊されて無くなっていた(ようだ)。
東京メトロ(地下鉄のこと)銀座線で銀座に行くつもりだったが、地上2階(3階だったかな?)にあるはずの駅が見つからない。
ハチ公前広場から、煮立つ雑踏を掻き分け、山手線を潜り、新築したヒカリエ側の広場に行った。

れれれ! 地下鉄が昔のまま空中を走って来るぞ。この方向ならJR渋谷駅の上に向かってる。
ということは、駅はまだ元の場所にあるはずだ。
元の場所へはどう行く?

駅前広場も、東急百貨店の跡でらしい所でも、ガンガン工事をやっている。
熱中症もへちまもない。この暑さだ、成長戦略とやらは棚上げしようぜ。アベノリスクは夏休みだ。

人の流れに身を任せ、工事現場に吸い込まれ、へろへろになって何階かに達し、元の地下鉄渋谷駅への上り階段を発見した。
そして階段の途中でギョッとする看板を見つけたのだ。

                  「この先にトイレはありません」

この記事は、明日に続きます。

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上を向いて歩こう

2014-07-20 | 歌の翼に

土曜の朝の「佐和子の窓」。相方は中村メイコだった。
中村メイコには含羞が無い。何にでも図々しく嘴を挟んでくる。西の上沼恵美子と共に好かない女だった。
チャンネルを変えようとしたが、

       私、80歳になったわ。お婆さんになったことを隠すことはないわよ。歳をとったこと、ちっとも嫌じゃない。
    いつまでも歳をとらないなんて、かえって気味悪い。白髪になると、ほら、ピンクの服が似合うでしょ?

と言うので、ピンクは似合わないと思ったが、30分付き合うことにした。

阿川佐和子嬢の聞く力もあって、話題は頗る豊富。30分間退屈せず、むしろ短かったくらい。
面白かったのは「上を向いて歩こう」ができた経緯だった。

大昔、60年も前、自分に好意を持っているらしい「永六輔クン」に、

    私、作曲家の神津善行さんと結婚することにしたの。

と言ったら、「感情が豊かですぐ涙をこぼす永クン」が涙をぽろぽろ流した。
びっくりして、父にどうしたらいいの?と相談したら、父が答えた。

    上を向いて歩こうね、そうすれば涙はこぼれないよ、と言えばいい。

メイコは永六輔に、そう伝えた。
永六輔はこのことを下敷きにして「上を向いて歩こう」を作詞したのだそうだ。

    あんなに大ヒットして、スキヤキにまでなり、印税ががっぽがっぽ入ったんだから、あの時のことは帳消しにしてね。
    永クンは「失恋話は嘘だ」と否定してるけど、男の人のウソはホントですからね。

そういうわけで、永六輔作詞・中村八大作曲・坂本九歌

                  「上 を 向 い て 歩 こ う

このほか、

    ある晩、神津善行・美空ひばり・中村メイコが神津家のダブルベッドで、川の字になって寝た(注・ひばりが真ん中ですぞ)。

    女優は結婚し子供を育てていは、自分のように長く働いても代表作がないことになるという考えを、杉村春子が激しく同感してくれた。

    通販で神津さんに宅配される本が、遠い南米のアマゾン川から発送されると思いこみ、濡れていないかと心配した。

など、先入観による中村メイコ嫌いを、反省させられた30分だった。

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恋するフォーチュンクッキー

2014-07-18 | 歌の翼に

今度の眼の先生は当たりだね。笑顔で会話をしてくれる。
診察室の隣がリハビリルームになっており、診察を待つ間、多くの老人を見て、自分の数年先を想像し悲しくなるが、この先生に会うとホッとする。
先生方、しかめっ面をしてれば腕を尊敬されると思ったら大間違いだぜ。医術は加齢には敵わないんだよ。

このところ毎日が酷く蒸暑く、今にも雨が降ってきそうなので、家の中で煮詰まっていた。
何とかしなければと思い悩んでたら、思い出した。

院長以下全員が代わる代わる笑顔で踊りまくり、もしかしたら不真面目ダッ!と叱られると思いきや、逆に大好評だった、という新聞記事である。
先ずはその動画をご覧ください。

         埼玉県久喜市・済生会栗橋病院の「恋するフォーチュンクッキー

アッハッハ。ヘタだけどいいねぇ。見てるだけで病気が治りそうでしょ。

新聞記事で紹介されたのはこの病院だけだけだったけど、youtubeには他のがわんさか載ってるんですね。
森生が知らない間に、日本中が踊っているようなのだ。

例えばその数例です(歌の題名は「恋チュン」にしても
長いので「KFC」にしました)▼

  てんでんばらばらに町の人ががやがや踊る

        埼玉県寄居町ふるさとの祭典のKFC

  60年前にこういう学校があったら森生の人生変わってた

        日本航空高校山梨校のKFC

  ごついおっさんが愉快な

        福萬組グループのKFC

  おいおい、火事・救急はダイジョーブかぇ?な

        熊谷市消防本部のKFC

  ちょこまか顔を出す県知事の熱い芝居が笑わせる

        神奈川県内各市町村民たちのKFC

  一糸乱れず可愛いおヘソを見せてくれる

        横浜マリノス・トリコロールマーメイズのKFC

  へ~!と納得させられた本家が博多で踊った

        AKB48公式「恋のフォーチュンクッキー

等々です。ふぅ。
リンクさせましたが草臥れた。どうせあなたさまもお暇なんでしょ? 正しく繋がってるかどうか、ご自分で確かめて下さいね。

昨夜は、今夜こそ早く寝ようと思ってた。
しかしながら時を忘れ、歳も忘れ、安倍晋三の驕り昂ぶるヅラなど嫌なことは頭から全部削除し、今朝に食い込んでおりました。
お蔭で含蓄がある歌詞とウキウキする節は覚えたし、手だけの動きなら合わせられるみたいだ。

        明日は明日の風が吹く.........

        人生捨てたもんじゃないよね
        あっと驚く奇跡が起きる

だってさ。それを信じよう。
それからそれから、特にハマっ子のおヘソのゴマ、食べたいなぁ

                 

既に48,249,423回も見られている元祖・公式版は、混み合っているのか、ウチのパソは途中で何度も止まってしまいますが

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隠れ熱中症

2014-07-17 | 病院巡り

高齢者は体温調節がままならないので熱中症になり易いと聞いている。
日射しを避けて室内にいても熱中症になるということも知っている。
熱中症の症状は、マスコミを通じしょっちゅう見聞きしている。

だから熱中症にならないように、もうエアコンを点けている。

だが、朝日新聞の隠れ熱中症の記事を読んで、驚いた。
これらの症状▼は全部、自分に当て嵌まるんだよねぇ。

それで「なぁるほど、隠れ熱中症だったんだ」と納得した。

     
これまで、
医者にいくら不定愁訴を訴えても、パソコンを見ながら、

   まぁ、お歳をとったということではないでしょうか、はい次の患者さん。

などと鼻先であしらわれていた。

年配の先生に言われるなら、そうかなぁと思う.。
けれど、30、40の筍先生に、そう言われる度にムッとしていた。

だが後期高齢者になると年中隠れ熱中症なのは一体全体どういうわけだ?
そして更に考えてみた。

   まぁ、歳をとったというこかな

   140717


小津映画

2014-07-16 | 遠い雲

黒沢明・溝口健二と共に世界的に高い評価を得ている小津安二郎が残した言葉がある。

  なんでもないことは流行に従う。
  重大なことは道徳に従う。
  
芸術のことは自分に従う。

その信条を貫き、好きな赤いヤカンを多くの作品に登場させていたそうだ。
朝日新聞日曜朝刊の「小津安二郎がいた時代」という連載記事に書いてあった(7月13日)。

        

森生が若い頃は日本映画の全盛期で、鎌倉市内には映画館が4館もあった。
当時は娯楽は映画くらいしかなく、小津作品も何本か観ている。
しかし、若い者には退屈な映画でしたね。

行き遅れた娘の縁談話が、毎度お馴染みの出演者によりだらだら続く。
登場人物の「ちょいと」が多い台詞も不自然だった。
少なくとも森生の周りでは、鎌倉にあんな言葉遣いの人はいなかった。

7月6日、北鎌倉建長寺境内の小津宅の住み込み家政婦について、いい話があった▼

小津映画が退屈だったのは、森生がまだ若かったためかもしれない。
小津は生涯結婚をしなかったそうだ。
誰かこの家政婦のことを、小津美学に沿って映画にしてくれれば是非観てみたい。

鬱蒼とした木立のなかの狭い路地、屋根が付いた古い門と珊瑚樹の生垣、脆い岩盤を削り風化した切通し。
月光に輝く夜の海の大波など.......。

無くしてしまった懐かしい風景を、もう一度見たいものだ。

挿絵は安西篤子著・沢田重隆絵「鎌倉 海と山のある暮らし」草思社より。

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尾行される

2014-07-15 | 風に吹かれて

以下は、さきたま古墳公園であったことです。

この丸い大墓とは一期一会になるかもしれない。
炎天下、必死の思いで長く急な階段を登り、やっとこさ古代大王の墓の頂上に着いた。
墓に登るなんて不敬極まるけれど、煙と何とかは高いところに行きたいのである。

遥けくも来つるものかな、と喘ぎながら振り返ると、制服を着た暑苦しい男が登って来た。明らかに公園の警備員氏である。

ここは古代大王の墓の上だ。今は何も掠め盗るものがない。勾玉や埴輪のカケラすらないよ。
警備員氏は、われわれ3爺がへばっているところにやって来て、馴れ馴れしく、

  ねっ、いいとこでしょ、ここはいつ登っても素晴らしい。彩の国行田市、自慢の風景です。気に入ってくれましたか?

  ここにアイスクリームの自販機があれば、もっと気に入りますけどね。

  それと、ハンモックが欲しいなぁ。

  ........ 麦茶、持ってきてくれましたかぁ?

実際、この猛烈な蒸し暑さなのに、墓の頂上はともかく麓にさえ水飲み場がない。
何処かにあるのかもしれないが、探し歩くうちに日干しになるわぃ。


それにしても、警備員氏は何故、何も盗られるものが無いお墓の頂上まで登って来たのだろうか、という疑問が生じた。

  我ら三爺がぶっ倒れるんじゃないか、迷惑だなぁ、と尾行したんだろうよ、きっと。

  かもな。

  だろうね。

だとしたら、警備員氏の気配りに感謝しなければならない。
急な階段の下りは怖い。目が回り、脚がガクガクする。担架で麓に下ろされた方がラクだもんね。



県立さきたま古墳公園は、雄大で手入れが良く美しい。便利な施設は全然ないけれど、彩の国・埼玉県住民としては自慢できると思う。
森生が死んだら、遺骨は狭く湿ったお墓ではなく、ここに散骨して欲しいくらいだ。もちろん戒名や葬式は不要だな。



えっ? こんなとこより吉野ヶ里や三内丸山遺跡の方が上等だって? そうかもね。
サイタマって行田の足袋以外に、一番があんまりないのよね。

三爺が登った丸墓山古墳は日本最大の円墳と聞いております。念のため。

140715


布袋葵を追いかけて

2014-07-14 | 風に吹かれて

     

金魚鉢でプカプカしている布袋葵(ほていあおい)は涼やかである。初めて見た青い花は可憐だった▲

ところが古代蓮の里では、立看板で、布袋葵は「害草」と説明されていた。逞しい繁殖力で他の水草を駆逐してしまうらしい。
公園の隅にある池の真ん中を竹竿で仕切られて、閉じ込められていた▼。河骨(こうほね)や沢潟(おもだか)に差を付けられて。

忠次郎蔵で蕎麦にゼリーフライを食しているとき、こたびの小旅を企画した匠さんが提案した。

   忍城(おしじょう)の濠か、隣の水城公園に、布袋葵のための専用の池があるはずだ。インターネットで見たよ。
   このあと、古墳を見ただけで帰るのはもったい。行ってみよう。

先ず、車を停めた合同庁舎の先の「水城公園」に歩いて行った。

水城公園は広い。行けども行けども池が続いている。
園内は実によく管理されていている。風景は明るくのびのびとして、中華風の石橋が数か所あり、品がいい。行田市民の民度は相当高いね。
看板は無く電柱は目立たない。植栽は絵になり厠は茶室風だ。何でも構わず次から次と付け足す、わが町の巾着田とは大違いである。

問題はこんなに広い公園なのに、案内図が見つからないこと。(それにすいじょうか、みずしろかが分からないのね)
釣り人に尋ねてようやく見つけた布袋葵の池は、広い公園の外れの飛び地にあった。

そしてここでも布袋葵たちは、古代蓮の里と同じように、害草扱いを受けていた。
つまり、広い池の真ん中の水面に、円形に浮かせた竹竿に閉じ込められて、可憐な花を咲かせているのだった。

木陰を拾いながら歩いたとはいえ、猛烈な高温だ。水城公園の一番端まで往復したので、布袋葵はもうタクサンの気分だ。
忍城は「のぼうの城」として有名になったにしても、コンクリート製のまがい物である。
我ら本物を志向する三爺は、本物中の本物・さきたま古墳公園へ向かった。

  なお、ホテイアオイの猛烈な繁殖力を見せつけられる動画がありました。ウィキが「青い悪魔」と書くのも納得ですな。
  池の真ん中でソソと咲いていたのが、冬までにこんなにはびこったのであります。凄いですねぇ、中国原産かと思っていた。

              行田市水城公園あおいの池ホテイアオイ除去作業

  それから、あんまり暑かったので殆ど撮らなかった水城公園の風景は、パソコンで確かめるとロクでもない写真ばかりだった。
  で、広い池の写真は行田市観光協会さまから拝借しました。

  また、motoarakawahさまが公園内の一部分を自転車で走り回り、動画を撮影しておられます▼ どうかご覧下さい

                           自転車ぶらり旅 埼玉行田・水城公園



そういうわけで忍城見物は中止し、さきたま古墳公園へ車を走らせました。

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ゼリーフライ?!

2014-07-11 | 風に吹かれて


匠さんに連れられて行った「忠次郎蔵」は、NPO法人が経営している手打ち蕎麦屋だった。
普段は手打ち
うどんもやっているようだが、店内が立て込んでいてお断わりだった。

店は、豪壮な足袋蔵と、付属する正調和風住宅を使っている。外観も内部も一見の価値がある。
この建物は、日本一の足袋産地行田の有力足袋屋小川忠次郎が建築。その後廃業し無住となっていた店蔵の管理をNPO法人が引き受けた。
そして貴重な建物を生かしながら保存するために、蕎麦屋にしたのだそうだ。

もり蕎麦650円は美味かった。だが、蕎麦は所詮蕎麦で、ウチのそばの蕎麦屋で十分。わざわざ行田へ行く必要はない。
この店のお勧めは何といっても「ゼリーフライ」1個100円ですな。

 右下は古代蓮の里で買った蓮の実甘納豆です。

日本一の足袋生産地だった行田市は「元気をくれる素敵な”おいしい”がたくさんある街」なのだそうだ。
今回の旅を企画した匠さんから「ゼリーフライが行田の名物」と聞かされた時、実は「なぬっ、ゼリーをフライにしたとな!」と呆れた。
しかし、行田の名物とあれば一期一会だ、食いたくなくても食わずばなるまいと1個だけ注文。

1個しか注文しなかった所為か、出てきたゼリーフライの佇まいは実に侘しかった▲
見た目には、パン粉のコロモが足りないコロッケか、消費期限切れの薩摩揚をガスコンロで炙ったような、情けない姿だった。

まぁ、100円じゃぁな、と一口パクリ▼。....... 仄かにブルドッグソースの味。

ん、んまいっ!美味過ぎる! 行田に本店がある(と初めて知った)十万石饅頭の、聞き慣れたラジオCMをそのまんま拝借できるね。
匠さんも、うさじぃも饅頭に感激した棟方志功と異口同音だった。

ゼリーフライは、ゼリーをフライにしたのではない。そもそも行田ではゼリーはゼリーでなく、フライはフライではなかったのだ。
詳しいことは、忠次郎蔵の親方(蕎麦打ち名人だとか)から頂いたパンフの一部▼を転写しましたので、お読み下さい。

 

なお、「なから旨いっ!!」の「なから」の意味など、ご不明な点は行田市役所環境経済部商工観光課に問い合わせてね。
行田の街は車で通っただけでも、風格のあるいい街と感じました。

忠次郎蔵の正面写真は「お暇を頂きます」さまから拝借しました。蓮の花の写真が沢山載ってますよ。

140711