林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

自画自賛

2015-11-30 | 重箱の隅

朝日新聞はよほど記事がないのか、朝刊に連載中の小説「春に散る」を1頁も使った特集記事で自画自賛している。
森生は毎朝この小説を読んでいる。ボクシング業界のことを知ることもでき、悪くはない。

特集頁では、作者・沢木耕太朗と仲良しの作家・角田光代がこの連載小説を褒めている。
また、沢木耕太朗は、執筆中の「
揺れる胸のうち」を明かしてもいる。

更に、挿絵を担当している中田春彌は「どの絵にも悔いはない」とまで言い、自信たっぷりである。

森生は朝日新聞を購読して50年は経っているが、こんなに図々しい自画自賛特集記事は珍しい。
掲載すべき記事が足りないなら頁数を減らせばいいではないか。

小説は現在進行中である
。小説の出来がいいか悪いかは、まだ分からないのではないだろうか。
仲間内の褒め合いは見苦しい。

それに挿絵だって、街角風景はいいが、登場人物全員の表情・体型ともに矢鱈にバタ臭く、日本人ではない▲

森生は、鼻筋がとおり彫りが深い8等身以上のスラリとしたヤツを好かない。
ついでに言うと、英語の発音が不必要に巧い奴、例えば、あさの前に突然現れる五代友厚という気障な若造も、嫌いですね。

挿絵は11月25日付朝日新聞朝刊から。
じじぃも記事がなく、また悪口を書きました。ごめんね。

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原節子連想

2015-11-29 | 遠い雲

あの「永遠の処女」原節子が95歳で亡くなっていたことが分かった。

原節子といえば小津安二郎監督であり、森生は、鎌倉を舞台にした小津映画を何本も見ているが、退屈だった。
登場人物の台詞がわざとらしく、嫌いだった。鎌倉原住民は、あんな気取った話し方はしていなかったのである。
原節子は綺麗で、気品があった。ただ、お行儀が良過ぎ神々しいほどで、さほど好きにはならなかった。
それでも、森生が生まれ育った北鎌倉が舞台だったから、小津映画を見たのである。

小津の映画はつまらなかったが、稲垣浩監督作品で原節子最後の出演作「ふんどし医者」は、流石に良くできていて面白かった。
だが、賭博好きで貞淑な妻という役は、相手が芸達者な森繁久彌にしても、原節子には少し気の毒だった。

原節子死去の報道はマスコミに溢れた。朝日新聞は1面に始まりこの数日で天声人語w含め6本も記事を載せた。

中でも27日付け朝刊の文化文芸頁に載った、映画評論家・蓮見重彦氏による追悼文は、原節子の魅力の解説にもなっており、胸を打った。
森生が小津映画の原節子を好きにはなれなかったのは、まだ人生経験が足りない若造だった所為だろう。
この追悼文を読み、数々の報道に接し、もう一度小津作品を見直せば、原節子への思いが変わるかもしれない。
そして成瀬己喜男作品の「山の音」や、黒澤明監督の「白痴」を是非観てみたい。

42歳で引退し、以後鎌倉に隠棲。マスコミを避け通したのは立派である。
小津安二郎との間に何があったのだろうか。TVで誰かが言っていたが、誠に「秘すれば花」である。

懐かしい、当時の北鎌倉風景を画像検索してみたけれど、徒労だった。
故郷の風景は、小津映画にしか残っていないのだろう。

   

始めの写真は現在の北鎌倉駅手前風景です。以前は線路に沿って素掘りの狭いトンネルがありました。
左手のくぼみには、中国洞門風の赤いトンネルがあり「好々亭」への近道でしたが、戦中戦後は弾薬庫になり、MPが歩哨に立っておりました。
写真は「日本女子プロ将棋協会・天河戦」さまのブログから拝借しました。

下のモノクロ写真は昭和24年当時の北鎌倉駅下りホームです。
映画「晩春」からの写真で、「人生楽しくガンバロー」さまから拝借しました。
現在は屋根が延び、広告看板と自販機がずらりと並んでおります。

安立清史オフィシャルサイト」さまには、最近の北鎌倉風景があり、赤い洞門も載ってます。

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一畳記

2015-11-26 | うわごと

ワックス塗り替え工事で場所を開けるために、思庵に文箱電卓手帳目薬眼鏡薬箱新聞雑誌などを緊急避難させた。
工事2日目。塗り替えたワックスが乾き、1階主要部分が通行可能になり、昨日の夕方からお叱呼の心配がなくなった。ふぅ。

しかしいろんなものを詰め込んだ思庵は、意外に便利ですなぁ。
ビジネスホテルやワンルームマンションより無駄がなく、居心地がいいと思う。
壁に囲まれてるので、大地震にはいちばん安全安心だ。


お尻はほかほかと暖かく、目の前にはとりあえず何でもある。
電話は子機を持ち込んでおけばいい。

手洗いは勿論、うがいだって、すればできる。
水をいくら飲んでも出す場所の心配はないし、水っ洟が溢れても鼻紙は無尽蔵だ。

30年前、猫額亭を建てる時、勿体ないと思ったけれど、玄関・風呂・思庵などを広くしておき、風呂と思庵は正解だった。
しかし玄関は広過ぎた。何故なら、新聞の集金や宅急便のお兄さん以外に、だぁれもやって来ないのであります。

そうそう、申し遅れましたが「思庵・おもいあん」とは、物思いに耽るイオリ、いわゆるトイレのこと。
面積はちょうど畳1枚分です。

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北の小屋から

2015-11-25 | うわごと

   

ワックス塗り替え工事第1日。

昨夜のうちに動かせるものは動かし、古い絨毯は切断し、床の拭き掃除まで済ませておいた。我ながらモハン的な施主サマである。
ところが、あいにくの空模様だ。関東平野は氷雨になり、秩父・奥多摩の山地は雪が降るらしい。
こういう日に限って予報士メは予報を的中させるんだから、全く腹立たしい。

幸いまだ降りだしていない。
窓を開け放ち、もちろんエアコンは使えない。

深刻に困っていることは、音入れに行けないことだ。それでなくても近いというのに.........。
嗚呼、おむつパンツを買っておけばよかった。

若い職人くんが二人。
いま、ごしごしと床の垢落とし中である。

    へ~え、なるほど、そういうやり方か! そんなもんなら、じじぃにもできるぜ。
    30年後の預金残高はとっくに底をついている。Do
 it yourself でゆくべぇ。

    ........いや、作業の邪魔になる。引っ込んでいよう。

というわけで。

    あなた変わりはないですか 夜ごと 寒さがつのります

    読んでくれない林住記 寒さこらえて書いてます

    じじぃ~ごころの~未練でしょう 

    火鉢恋しい北の小屋

         (以上、都はるみさんとご一緒にどうぞ

桐火鉢は金沢岩本清商店さまの「布袋」ですが、売り切れたようです。
第1日目は手前から玄関までを行う予定です。

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段取りで悩む

2015-11-24 | 林住期

猫額亭の洋間の床が大分汚れてきた。絨毯は毛足がなくなり、端っこはめくり上がり、亭主がけ躓く有様だ。
築30年を超したんだからしょうがない。

外壁は、家の中から汚れは見えないので、ペンキ屋が何十回と塗装工事の催促に来たけれど、先送りしているうちに諦めたようだ。

今から家の内外を取り繕ったって、明日おさらばかもしれないので無駄な出費になる。
だが、たまの来客が床を見た挙句、視線を泳がすのが申し訳なく、まだらに汚れたワックスの剥離と塗り替え工事を依頼した。

さて、問題は工事の段取りである。
なにしろ「猫額亭」と気取るほどの苫屋なので、作業は1日でできる面積だが、家具やらなんやら人生をかけて集めたガラクタだらけ。
先ずそいつらをどけ、ざっと床掃除をしなくてはならない。それをどういう順序で行うか、だ。

で、業者くんと相談した結果、2日に分けて作業することになった。亭主は2日間、外出を控え、昼食は台所でレンジ飯という次第。

動かせる棚の後ろは、綿埃や赤黴・青黴が凄いことになってるだろう。
埃まみれの1万円札が出てくるなんてことがあればいいんだが.......。

この際思い切って断捨離をと思うけれど、生まれつきケチで優柔不断なので、当日までに決行できないだろう。
家具什器ガラクタの並び替えパズル。段取りを考えるだけでもゲッソリしますな。土壇場
になって、工事を頼んだことを後悔しております。

そういう取りこみがあり、パソコンの置場がない場合は、林住記は休業いたしますね。さぁ、どうなるかだ。

写真はわが猫額亭......ではなく、そろそろ築100年になる入間市旧石川組製糸迎賓館です

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またあう日まで

2015-11-20 | 歌の翼に

合同同窓会を賑やかにするために、幹事諸君がボランティア楽団を呼んでくれていた。

アーチストっていうのかな、楽器を持つ人たちはわれわれと同じじじばばばっかり。
残念乍ら華はなく、枯れ木も山の賑わいですな。

キーボード・ウクレレ・フルート・篠笛・ドラム・ピアノ・ベース・ボーカル各1、ギター2で計9人。
しかし聞こえたのはドラムとキーボードだけ。
特にドラム氏が頑張っちゃって喧しいのなんの。
同窓生同士の会話なんか全くできない騒々しさになりました。

幹事が手作りした歌詞ノートを手に、合唱が始まった。
だけど「同期の桜」とか「青い山脈」など。
森生の家の近くに住んでた八洲秀章さんの「あざみの歌」もあった。
少し新しくても「川の流れのように」
どれもうら寂しいメロディだね。

ま、みんな善意のカタマリでやってることだ。
ここで文句を言うのもヤボなんで、森生も小声で唱和しましたよ。

だが、会場近くを流れる粕尾川の河口にある江の島沖の悲劇「真白き富士の嶺」に少し似ている「琵琶湖周航の歌」は大声で歌った。

2時間半も歌いに歌った締め括りの歌は「今日の日はさようなら」だった。
これ、今まで気が付かなかったけれど、なかなかの名曲だねぇ。

同窓会のお開きにじじばばが歌うにはぴったり。
まさに今日の日しかないことを考え、胸にこみ上げてくるものがありました。

明日の夢も、空を飛ぶことも、なぁんにもないのが現実。
だけどせめていつまでも友達でいたい。

さぁ、ご同輩もご一緒に。
汚れちまったこころを、歌の力で洗いましょ。

      

      今日の日は さようなら
              .......作詞・作曲 金子 昭一

      つまでも絶えることなく・友達でいよう・明日の日を夢見て・希望の道を

      を飛ぶ鳥のように・自由に生きる・今日の日はさようなら・またあう日まで

      じあうよろこびを・大切にしよう・今日の日はさようなら・またあう日まで

      またあう日まで

実はこの歌でお終いではなかった。
同窓生である会場のオーナーくんのご厚意で、5時までカラオケ大会になるのだった。
11時に始まり6時間だぜ。森生はすっかり草臥れた。
千葉県に帰るマーちゃんと一緒に、湘南ライナーに飛び乗りました。

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あの子はいま

2015-11-19 | 遠い雲

小学校の合同同窓会で貰った名簿を繰り返し眺めている。
連絡先不明が多く、死亡もかなりある。
名前すら載っていない子もいる。
そろそろ百近くもなれば、仕方がないことですかね。

キヨミさんは来ていなかった。名簿に名前もないとは悲しいね。
竹久夢二が描いた美少女のように、目がぱっちりとし、胃下垂気味の姿勢で、いつも寂しそうに教室の片隅にいる女の子だった。
台峯の生き字引として、新住民にもてもてのイタちゃんによると、聖路加病院の創立者一族だそうだが、本当だろうか。
確かに丘の上の邸宅街から通学していて、土着民の子が多い同級生からは無視されていた。でも森生ちゃんはね.......。

ブンコは、森生の高校時代の同級生と結婚していた。
お洒落で目立つ子で、流石に白髪になってはいたが、綺麗なおばぁさんになっていた。
でも森生は覚えている。全員整列させられた挙句、アメリカの差し金でDDTを頭からぶっかけられ、べそをかいてたことを。
あのブンコがあいつのヨメになってたとはなぁ。

向こう隣の広い邸に住むご令嬢のシゲコさんが来ていた。
椿組だったこともあり、桃組の森生は口をきいたことはなかった。

ただ、時々聞こえてくるピアノの音に、森生はこっそり耳を傾けていたんだよ。

原住民の森生一家は、東京から疎開してきたシゲコさんちとは付き合わなかった。
祭礼の寄付金を集金する父は、どちらかというと嫌ってたようだ。
しかし母は晩年になって、シゲコさんのお母さんと、団体旅行に何度も参加して楽しんでいた、とシゲコさんは教えてくれた。
ありがとうね。

隣のショウちゃんは博打が原因の借金で、小学校に入るまで女の子として育ったアグリちゃんは不摂生が祟り、二人とも大分前に死んだそうだ。

英国式石彫庭園がある薄暗い西洋館に住んでいたヒサシくんは、中学生になって精神に変調を来して施設に入り、そのまま亡くなったらしい。

雲頂庵の真下にいたシンちゃんは、七里ヶ浜へ引っ越したそうだが、体調不良で不参加だった。
会いたかった。

マンザイくんは、大企業の相談役のような、驚くほど品のいい老紳士に脱皮していた。
家の近くの銭湯も、チンドン屋になって客寄せをした衣料品屋の「デブヤ」も、今は無いそうだ。

蓄音機で「ドナウ川のさざ波」を初めて聞かせてくれたヤマちゃんはどこへ行ったんだろう。
お父さんは北鎌倉か鎌倉駅の駅長だったと思う。

貰った名簿は桜組が欠落してたりして不完全なもの。
だが、いくら見ていても見飽きない。
忘れてた事を次から次へと思い出し、キリがない。
今日はここまで。

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異邦人

2015-11-18 | 遠い雲

遅れて合同同窓会の会場に入った森生が本名を名乗ると、

  へーっ!驚いた。 随分変わっちゃったね、でも確かにそうだ。

  よく来たなぁ。いま、どこに住んでるの?

と多くのおじぃさんから歓迎されて嬉しかった。
ところが森生ときたら、おじぃさんたちのことを何にも思い出せない。

  ごめん、あなたは誰さ?

  やだなぁ、ほら、俺だよ。

と胸の名札を見せてくれる。

  (う~む、そういえばそういう同級生がいたっけ。だけどこのおじぃさんのあの頃は........、う~む、はてな?....弱ったなぁ

見事なハゲ頭になった代わりに、白い髭を顔いっぱいに蓄え、それなりの風格を付けたイタちゃんは直ぐ思い出した。
イタちゃんは、森生が父から相続した後、長い間新住民に悩まされた杉山のことまで知っていたが、森生はその後のイタちゃんのことを全く知らない。
成功して同窓会場の経営者になったおじぃさんは、森生一族の詳しい消息まで知っていたのに、森生は社長クンの苗字と当時の家業しか思い出せなかった。

最近、物忘れが酷い。特に直近の過去は次から次へと忘れている。
反対に昔のことはよく覚えているつもりだったが、70年も前のことになると、最早すっかり忘れているのだった。

70年前の森生は、栄養不足で虚弱体質。何事にも自信が無く、腕白坊主から苛められないように、透明人間になっていた。
だから、同窓会場でがやがやと盛り上がる話題にも、追いつけなかった。

ここに集まった幼馴染たちは、その後も住み続けていたらしく、時々交流しているようだ。
しかし森生は大卒後会社一筋。所帯を持ってからは盆と正月しか帰らず、両親の没後は寄り付かない。
懐かしい
かの山は削られて今は無く、蛍追いしかの川は蓋をされた。

そして森生は鼻が低いまま、異邦人のおじぃさんになっていた。
ふるさとは遠くにありて思ふもの、とつくずく思い知らされた合同同窓会だった。

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イタチの禿げ頭

2015-11-17 | 林住期

小学校の合同同窓会から帰って来た。その感想・感慨は複雑である。

案内状の地図によると、場所はJR大船駅と湘南モノレール富士見町駅の中間にあり、徒歩10分くらいか。
早めに会場に着こうと思い十分な時間をとって富士見町駅から歩いたが、町並みはがらりと変わっていて迷子になってしまった。
もともとこの辺りは寂しい町で、田圃と畑が入りまじっていたはずだ。

70年前はどこからでも見えた、痛んだ餃子のような観音さまも、密集する家並に隠れて全く見えなかった。

やっと会場の焼肉屋に到着したのは開宴ぎりぎり。広い会場はすでにすし詰め、満席以上。
森生は旧桃組卓の当然端っこ。左足を床下に下ろし、右足を畳に投げ出すという無理な体型を余儀なくされた。
それにこの席、音入れが近いじじばばが、狭い背中を押しのけ掻き分け頻りに通るんですね。その都度身体を捩らなければならない。

他人を見れば森生も催す。しかし立ち上がった時、足はすっかり萎えていて、座布団の上でよろけてしまい、咄嗟に隣のおじいさんの禿げ頭を掴んでしまった。
禿げ頭を掴んだのは初体験だけど、気持ち悪いもんです。見た目とは異なり、決してつるつるしてないですね。
じとーっとしていながら生暖かく、幼友達と言えどもみだりに触るもんじゃない、と思った。

友だちの愛称は「イタちゃん」。最後っ屁が物凄いと言われる鼬のイタです。
いささか失礼な愛称だったけれど、イタちゃんはおおらかに受け入れていたので、みんなそう呼んだ。
顔は基本的にはちっとも変わっていない。まさかここで会うとは思わなかった、懐かしい懐かしいひとだった。

大船の観音さまは美容整形工事の結果、見違えるほど美しく変身した。
写真はNOBさまのブログから拝借しております。

この記事、題を変えて断続的に続きます。

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記念写真

2015-11-13 | 林住期

同期会の記念写真が届いた。
みんな赤ら顔をつやつやと光らせ、ご機嫌である。薬を常用し、
ほぼ半数が癌を患ったか闘病中とは見えない元気さである。
記念写真はプロ並みの腕と機材を持つ同期生が、幹事君の依頼で撮ったのだから、写りがいいのは当り前田のクラッカー。

森生はこういう会には、カメラを持って行かないことにしている。

何年か前、別の宴会でパチパチ撮り、パソコンで一人ずつ切り分け、拡大印刷したのを差し上げたが、喜ばれなかったからだ。
それは「遺影にどうぞ」なんていう余計な一言を付け加えたこともあるが、改めて自らの衰えを自覚させる記念写真になっていたからである。

一人一人が小さく写る集合写真はいいが、一人ずつにするとシワやシミやイボのほか、頬のタルミが酷く目立つ。
いま、自撮り棒とかいうものが流行っているそうだが、どうせ若い人しか使っていないだろうな。

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水っ洟

2015-11-12 | 病院巡り

水っ洟が止まらない。
後鼻漏の治療に大学病院に行き、若い先生に診察してもらった直後から、鼻下洪水状態だわ。

これまでも、鼻に刺激を与えると、どっと水っ洟が流れ出ることはあったが、安静にしていれば十分程度で自然に乾いてきた。
それが今度ばかりは全然止まらない。よくまぁこんなに水分が残ってたもんだ、とわれながら感心している。

出してもらっている3種類の薬が全く効いていない、などと訴えたのが気に障ったのだろうか。
鼻の中を覗いてみますね、と言ったかと思ったら、ヤニワニ鼻の穴に長い金属棒のようなものを突っ込んでグリグリした。
喉に痰が残ってますが、他にはこれといった異常はありませんね、やはり加齢現象じゃないでしょうか、と言った後から水っ洟が止まらなくなったのだ。

高峯者、特に高貴高嶺者は若い人を育てなければならない。医者だって筍は若いのだ。多少のマチガイは大目に見てやろう。
と鷹揚に構えていようと思ってはいても、こう激しく鼻水が流れちゃぁ悪口の二つも言いたくなりじゃないかぃ。

大体、医者のくせに、その辺のアンちゃんみたいな、極細のGパンが気に入らないね。まるで車夫馬丁が白衣を着たようだぜ。
大学病院は医者の服装を注意し、高齢な患者との
会話術を指南せよ。

高齢者の実態を何にも知らないくせに、加齢現象とは何事だぃ。
ミイラのような他のじじぃはともかく、森生はこんなに水っぽいではないか。

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特効薬は好奇心

2015-11-11 | 林住期

     

最近、会合が続く。昨日は定年少し前まで勤めていた会社の同期会だった。

同期会は、毎年11月、同じ曜日の同じロシア料理店で開催するのが決まりである。
一人は重大な病気を抱え乍ら、もう一人は前立腺を全摘出したという大小二人の同期君が、今年の幹事役を務めた。

会は、直前に数人が敢行した別の同期君の故郷訪問一泊旅行の話題で盛り上がった。
同期君の幼馴染である「寒天パパ」に会えたことに、出かけたみんなはいたく感動したようだ。頂いた著書を持って来たひともいた。
森生はお叱呼が心配で不参加だったが、一行の運転手は軽い脳梗塞を患い一時元気がなかった同期君だった。
運転手の特権を使い1
時間毎の音入れ休憩をしたので、心配無用だった由。それを聞いて、森生はちょっと後悔しましたね。

毎年会場にするこの店の料理は、ロシア料理にも拘わらず、日本人の舌に合わせたのか、頗る美味であり、部屋の狭さが心地いい。

 ・会は28回目のはずだが、今回から回数は数えず「15年度の」ということにしよう。

 ・余った会費は次回に繰り越さず、その都度精算し、出席者に払い戻そう。 

 ・同期入社は40数人いたが、連絡が付かない人、毎回出欠の返事を寄越さない人が約半数いる。これらの人は退会としよう。

 ・1割が亡くなったが、この数年は訃報を聞かない。この先当分の間は、お互い憎まれないで生きていようね。

 ・次回の幹事は椎間板損傷君と例の軽度脳梗塞回復君を指名する。

などを決めた。なんだか急に優しくなったような気がする。

     

毎回、つくずく感心することは、ここに来る同期生の一病息災ぶりである。およそ半数が癌を克服したか克服中である。
朝、ラジオ体操で会う団地の人々と、年齢はおつかつのはずだが、たまに会うということを差し引いても、遥かに好奇心が強く精力的だ。
早口で大声。出される料理は残さずペロリだ。アルコールには大分弱くなっ
たようだけどね。

同期会は、13年度から時間帯を変え、晩餐会を昼食会にした。
足元を慮っての変更だったが、会の終了後、生憎の氷雨だったが、帰宅ラッシュまでにもう一遊びする時間が生まれた。



寒天パパの同級生の提案で、いま大評判の「永青文庫」へ浮世絵を鑑賞に出かけることにした。
どんな浮世絵ですか?って。 ほら、あのウタマロで有名な春画ですよ「春画」。
あとで股関節を脱臼するなんてことは、流石に無いだろうね。

永青文庫の春画展はこちらをどうぞ。林住記は記事にしませんからね。

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臨時休業

2015-11-10 | うわごと

最近、外出が多くて......。
今日も雨なのに出かけていて、今しがた帰ってきました。
もうへとへとで、記事を書く元気がありません。

そういうわけで、本日は臨時休業とさせていただきます。
お休みなさい。

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楽しい濡れ落葉

2015-11-09 | 林住期

秋川の河川段丘にある先輩別邸で、恒例の紅葉狩りの宴は、本降りの雨の中で決行した。
朝からの雨のためか、所在ない高貴高嶺前後のじじばばばばっかりが、遠い街から三々五々と集まって来た。

まだ使える厨房を仕切ったのは、数年前、こっち側に足を踏み入れたおじじ。
40年前、同じ職場になって数か月はいがみ合っていたが、その後すっかり仲良しになっている。
ご自慢の牛肉ピーマン炒め、茸スープ、塩焼きそばは旨かったよ。

外国暮らしが長かったおじじが持ち込んだ、白ワインとチーズがトレビアン。
貫録おばばが持参した完全手作り栗羊羹は、甘さ控えめで美味しゅうございましたよ。

こんなに飲みかつ食続けて、イチョウは大丈夫だろうか。まぁいいや、今日さえよけりゃぁね、とまた......。

話題はとりとめないことばかり。だが、今とこれからの話題が専らで、過去の話が出なかったのが好ましい。
イマの話題は朝ドラ「あさが来た」。これ好評頻りで、朝から元気が貰える、と。

11時に始まった宴は延々。そして3時前にお開き。
雨が止んだので、軒先に張り出した大きなブルーシートをみんなで取り外した。

梅雨前の若鮎の会では、どういう縁で参加したのか、黒タイツ姿のバレリーナが颯爽と屋根に上がり、シートを外した。
今回は参加者で一番若いと自称する白い顎鬚じぃさんが、おっかなびっくり屋根に上った。

毎回「これが最後の参加」と繰り返すおじじが「最後のキッスを」おばばにお願いし、おばばは「わたしでいいの?」とあっさり応じ、やんやの拍手喝采。
どさくさまぎれに巧いことやったね。

今を時めく人から見れば、この宴は単なる枯葉の寄せ集めかもしれない。
でもね、われわれ枯れ葉としては濡れてしっとり、近頃滅多にない楽しい一日だった。

夕飯は残り物の栗羊羹と柿少々。胃腸は大丈夫だったようだ。

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