林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

太鼓橋は通行禁止

2008-01-31 | 風に吹かれて

 

 八幡さまの太鼓橋は神様と子ども達だけが渡る橋だった。
裸足になり、助走を付けて駆け上ったり、両手を着いて這い登ったりしたものだ。

その後、大人も登れるように、滑り易い花崗岩にギザを入れてしまった。
今日見たら、赤い柵を立てて、通行禁止である。

恐らく、滑って転んで脳震盪でも起こしたトロイ子がいたか、そうなる事を恐れたママさんたちの申し入れで、八幡さまが通行禁止にしたのだろう。鎌倉のママやお婆たちは一部の文化人に率いられてトビキリ煩いのである。これでまた一つ、子ども達がヤワになるだろう。今では源平池で鯉を釣る子もいまい。

 

橋の左手にある平家池を埋め立てて「神奈川県立近代美術館本館・別館(右)」がある。
小規模ながら先駆的な美術館活動の評価は高かった。
建物自体はコルビュジェ直伝の簡素な美しさを池に映しているが、八幡さま境内には場違いもいいところ。
もうじき借地契約が切れるそうだが、取り壊すかどうか、大騒動必至である。

 
 

鎌倉市は八幡さま他市内各所と併せて世界遺産登録申請中の由。
醜さに鈍感なニッポン人はともかく、さぁ、欧米のうるさ方を納得させられるだろうか。
ゴミの山の富士山と共に、無理でしょうね。
米軍は鎌倉を爆撃対象から外したが、ニッポン人が鎌倉を壊している。

赤い橋の袂にある似非洋風喫茶店に相対する鎌倉彫の老舗、「博古堂」は昔ながらのほっとする佇まいだった。

 

普通白旗は降参の印。
ところが勝った源氏が白旗で、貴族化した平家が共産党の赤旗、と分かりにくい。
太鼓橋の両側は源平池。白旗がある右側が源氏池です。

▲セピア色の写真は1950年当時の太鼓橋。岩波写真文庫「鎌倉」より。


八幡さま

2008-01-30 | 風に吹かれて

 

近くまでは行くことはあったが、鎌倉の八幡さまの本殿にお参りをしたのは4~50年振りだろうか。
本殿の楼門は改修工事が完成し、色鮮やかだった。

 
 

だが記憶の中の八幡さまと較べて、今の八幡さまは随分小さく貧相になってしまった。

社殿を囲む鬱蒼とした樹林がまばらになってしまったこと。
ゴチャゴチャと不似合いな建物を増やしたこと。
参道の露店が減ったこと、等々のせいだと思う。
二代目将軍源実朝暗殺犯が隠れた大銀杏の枝をバッサリ伐ってしまったのには吃驚した。

 
 
 
静御前が頼朝の前で舞った舞殿は、参拝客を舞台に上げ、神事を執り行うために増改築をした。神様は商売繁盛、結構結構。
すぐ隣では回収した破魔矢のお焚きあげ中。神官の祝詞が付く良心的な処理である。わが高麗の郷のようにゴミ焼却炉で弁当殻と一緒に焼くのとは大違いだから、信者の方々はご安心を。

 

この舞殿が関東大震災で倒壊した写真を見たことがある。
石段上の本殿も、境内入口の太鼓橋も倒壊した。
傍にある菰冠りの酒樽が倒れてきたら、小原庄助さん以外には一大事だ。

 

何百万回も踏まれて磨り減った石畳。
本殿楼門や舞殿は新しく、石畳は昔のまま。

 


広辞苑よりも

2008-01-29 | 拍手

 

 「国民的辞書」という勲章を持っている「広辞苑」の第6版が、岩波書店から発売された。予約だけで34万部に達したそうで、誠にお目出度いことです。

追随を許さぬ人気だそうだが、1冊7875円(7月からは8400円)もする字引に一々追随していたら破産してしまうから、森男は買わない。
だいいち、既に69年5月発行の第2版第1刷3200円を持っているもの。

第2版に一体何万語が収録されているのか数えたことが無いから分からないが、日常生活で使う言葉はせいぜい数百語だろう。だからサライの十字語判断でどうしても埋まらない枡にア・イ・ウ......と適当に入れて、そういう言葉があるのか無いのかを確認する時に使うくらいである。

また、今回の改訂で1万語を増やしたそうだが、表記に間違いがある、と指摘する人がいる。かっこいいを意味する「イケメン」です。

「いけメン」が正しいのに「いけ面」になっているのはイケメンという言葉の成り立ちに知らないからなんだそうだ。
なんでも「かっこいい」を意味する「いけてる」に男性複数を意味する英語、「men 」が組み合わされたのが語源だから、「いけメン」が正しい、とか。

そういう間違いもあるから、森男は広辞苑を追随するつもりは無い。
むしろ、三省堂が発売した「新明解国語辞典」の89年発行第4版第36刷2500円の方を愛用している。

理由は日常生活にはここに収録されている76000語で十分過ぎるからであるし、あの赤瀬川原平先生が「新解さんの謎」という本で推薦されたからである。

先生は、この字引はご婦人に対して辛らつで、世間を斜めに見ている偏屈爺さんが書いた、と看做し、収録された言葉の説明文を色々取り上げ、その可笑しさを指摘し、偏屈さを実証している。
だから読み物としても面白い、と森男は思案している。

本は発売後直ぐに買って、大いに楽しんだ後、リハビリに通っていた国立病院の先生に貸したら病院中を転々とした揚句、行方不明になってしまった。だから、本はもう手許には無い。

それで行き当たりばったりに、例えば「恋愛」という言葉について、新明解広辞苑を較べてみよう。

 れん あい「恋愛」 
    特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来る
    ならば合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられな
    いで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態。

☆☆☆!......そこまで言いますか!

 れん・あい「恋愛」
    男女間の恋い慕う愛情。

たったこれだけ!断然、新明解の勝ちでしょ。
それで、次は「合体」について較べてみます。

 がっ たい「合体」
    ①起源・由来の違うものが新しい理念の下に一体となって何かを運営する
    こと。
    ②「性交」のこの辞書でのえんきょく表現。

☆☆☆!......。もう、負けそ。

 がっ・たい「合体」
    ①二つ以上のものが一つになること。合同すること。
    ②心を一つにすること。
    ③原生動物などで、二個の生殖細胞が合一して一個の接合子を生ずること。

貴方、原生動物ですか? お子さまは接合子ですか?

と、まあ新明解のほうがずっと親切で分かり易く、広辞苑はいかにも岩波書店。ヒンヤリとして難解である。

ところで89年発行第4版第36刷の新明解と、69年発売第2版第1刷とを較べるのは、20年も差があるのに不公平だ、と言われるかもしれない。

だが、広辞苑は「芦屋」という項目の説明で、初版時からの誤りを第6版まで改めなかった。すなわち、

 あしや「芦屋・葦屋」
    ①兵庫県東南部の市。阪神間の住宅地。もと精道村の大字。万葉集の葦
    原処女、在原行平と松風村雨の伝説など、文学上の遺跡。

と書いているが、行平と松風村雨の伝説は須磨(現神戸市)が正しく、行平の弟で芦屋に所縁があったとされる在原業平と混同しているのである、のであるそうなのである。(どうもよく分からんですね。在原兄弟は、ま、どうでもいいや)。

このことからも分かるように、89年当時から広辞苑は貴方や森男を原生動物と看做し、蔑視しているのである。多分、広辞苑にとっては今でも貴方と森男は原生動物なのであろう。ふんっ。

なお、新明解は「芦屋」なんていう高級住宅地に就いてのウンヌンは載せておりません。それでいいのです。高級は知らなければ幸せなのです。

そういうわけで、森男は分厚い広辞苑は昼寝の枕に使い、小さくて持ち運び易い新明解を贔屓にして、思庵、つまり厠にまで持ち込んでいる。
そして尻を出したまま長時間を過ごすのである。

それで、しょっちゅう風邪ひいてるんだな。
ハ、ハ、ハ、ハックショーィ。

◎なお、累計販売冊数は広辞苑1100万冊に対し新明解2040万部。
「国民的辞書」の勲章は、新明解爺さんに差し上げたいですね。

▲温泉芸者さんは、「お座敷文化大學」が気になっただけ。記事とは関係ありませんよ。
熱海=広辞苑、伊東=新明解かも。詳しくは(?)伊東観光協会HPをどうぞ。


静電気

2008-01-28 | うわごと

 

身体はすっかり干乾びて、水っ洟とお叱呼以外は何も出ないけれど、静電気発電能力だけはまだ溢れているようだ。
毎日あっちこっちでパチッパチッと元気に放出していますです。

電気のことにはからきしダメだが、静電気はボルトかアンペアが頗る高い(大きいというのかな?)そうである。
徒らに放電しているのは勿体無いことだと思う。

今、官学は総力を傾けて万能細胞の実用化を進めようとしている。
それはそれで結構なことではある。
しかし国民が毎日発電している静電気の利用方法を発明すれば、原発よりずっと地球に優しい原始力発電になるはずである。

具体的な商品化は家電各社さんにお願いするとして、とりあえず森男はアイデアだけを提示してみよう。

これらが実現すれば、地球温暖化の防止に大きく寄与するものと信じます。
搾り出したアイデア料は請求しないし、全部カタカナ名前にしてもいいから、是非実現して下さい。

 ・呆け防止帽子
    電気ショックで、呆けの進行を防止出来るはず。

 ・ピリ辛風味ふりかけ
    電気であっても異電子組み換えで、刺激性粉状物質が出来るはず。

 ・痴漢撃退用婦人ベルト
    真冬でも薄着が楽しめるはず。

 ・デジカメ電池
    デバカメラマンにとっては福音のはず。

 ・携帯掃除機
    小銭や銀杏も吸取れる強力なものなら、初詣や小遊三さんに売れるはず。

 ・ホッ懐炉
    この時期、必需品のはず。

     JRは東京駅北口改札口に「発電床」を設置する由。
     改札を通過する乗客の足圧で発電するちゃっかりした仕掛けとか。
     静電気も商品化が可能のはずですね。

     080128


お寒い作業

2008-01-27 | お節介

 
 

 寒さによる心神耗弱状態を治すつもりで、早起きして作業に向かったけれど......。

酷い寒さで参加者は何時もの半数。お馴染みさんたちは殆どおらず、比較的新しく若い人が多かった。

午前中の作業は笹刈。
切れない鎌を使う中腰の作業。はっきりいって辛い。
鎌よりも刈込鋏で刈った方が楽な上、綺麗に刈れるのだが.......。

公園作業員の刈払機による綺麗サッパリな作業跡(▲写真)と較べ情けなくなってしまった。手作業でも上手くやれるのにね。

午後はヒサカキやツゲなど常緑樹の伐採と後片付け作業。
結果ははっきり言って落第だぁ。
行政が実施する森林整備事業と同じように、ぞんざいで、見苦しい。

木は地際から30センチも上で伐る。伐った木は枝葉を落さず、そのまんま適当な方向から投げて積み上げる。まるで台風一過状態になってしまった。

途中で気付いて、みんなでやり直そうとした。でも一旦滅茶苦茶に積み上げた山はこんがらかって手が付けられない。
園路からは目立たない。だが、納得できない杜撰な作業だった。

手作業でやる雑木林の整備作業とは、どういう風にするのがいいか。道具、手順、作業後の風景......。そんなに急がず、みんなで考えようよ。

達成感に欠ける、寒~い一日だった。

◎天候次第ですが、梅と福寿草と椿がそろそろ咲き始めます。
森林公園のHPにご注目!


ほうれんそう

2008-01-26 | 知ったかぶり

 

 ニッポン人の野菜摂取量はますます少なくなり、あちこちに障害が発生している、とか。

今朝がそうだった。

わが猫額亭もあちこちガタがきて、改装の話が出、ようやく業者案と見積もりを聞く頃合になったのだが........。

酷寒で朝寝坊し、遅い朝食中に業者はやって来た。

そりゃ、内心では今日来るだろうとは思っていたさ。だから遅くても朝食中だったのだ。
それが、カレーライスが咽喉を通らないうちに朝駆けされてはね。

結局、1時間後にまた来て貰うことにした。
前の日に約束しておけば、森男は泡を食わず、業者はケンツクを食わされかった。
社長さん、経費、原価もいいけれど、ほうれんそうをもっと社員に食わせてね。

毎日が日曜日といっても、稼働時間が短くなった今日この頃、遊びには忙しく、他に体調やご機嫌もある。
ケータイを持って、「コミュニケーション」は随分便利になったのにね。

最近は全てがカタカナ英語になった。
「コミュニケーション」は昔は「ほうれんそう」、つまり、「報告・連絡・相談」と言っていた。カタカナにしたら、ご他聞に漏れずに曖昧模糊になってしまった。

森男が小学1年生の時は戦争中で、全てが軍隊式に行われ、命令・復唱・報告を厳しく躾けられ、上手くやらないとビンタを食わされたものである。1年生も、ですよ。
中学生の頃までは、先生のビンタは当たり前だった。よほど酷い怪我でも無ければ、親は出てこなかった。

子供の個性や人格を尊重し、良く言い聞かせ理解させよ、というが、身体で覚えさせれば、理屈や理解や個性は後から自然についてくる。

体感的に、ニッポン人は1960年を境に人種が変わったようである。
ほうれんそうを常食してないのに、大根なぞ、とてもとてもの衰退への道ですな。

それにしても、ほうれん草の薄味になったことよ。

「大根」とは大胆・根気のことです。
▲挿絵は五味太郎さん。


KYなセンセたち

2008-01-25 | うわごと

 

 下界では不景気風に怯えているのに、ベルサイユ国会の王女王子センセたちは、18日になっても、まだ我が世の春のお正月気分のようである。結構結構もう結構。

大損をしたセンセもいたようである。
株安で、兄弟合計80億円の損をしたんだそうだ。
結構結構、ザマアミロ。

▲1/23・4朝日新聞から。


山頂烈風

2008-01-24 | 高麗便り

 

 ようやく日が出てきたら猛烈な北風である。
まともな人間なら家に閉じこもっているのだろうが、昨日の雪は周囲の山岳地帯にどういう風景をもたらしたのか、を報告する義務がある、と勝手に自分を鼓舞し、長靴で多峰主山に登った。

 
 

雪は日陰に残ってはいるが、殆ど融けてしまった。
日和田山をはじめ近くの山々には雪の痕跡は無い。
だが、秩父や奥多摩方面の山岳地帯は、大袈裟に言えば「白ガイガイ(皚皚)」である。

 
 
 

多峰主山の頂上は吹き飛ばされそうな烈風が吹きまくり、同じくまともでないおっさんがコンクリベンチの上で寒さ凌ぎの腕立て伏せをしていた。

今日は「ガイガイ」を覚えました。


雪の朝

2008-01-23 | 高麗便り

 

 6時前に一旦目覚めたけれど、外が静か過ぎてまた眠ってしまい、布団から出たのは9時過ぎだった。

外は雪。

寝過ぎて、頭ぼんやり。それでも、生きてる証拠に写真を撮りました。
いつもぼんやりで、すいません。

 

 

 

雪はまだ降っているのに、写っていないのはどういうわけ?
デジカメもぼんやりだぁ。

骨折の危険を犯しながら、猫額亭周辺を徘徊。
団地の行儀の悪い住民が不法投棄して、先生経由で頼まなければ、清掃課は決して片付けてくれないガラクタも、雪に覆われて今朝は見えない。

 

 

午後、雪は雨に変わった。
早く融ければいいが........。
多分、根雪になる。明日からが憂鬱である。

 


緑なすはこべは萌えず

2008-01-22 | 歌の翼に

雪は降らなかったけれど「雪の降る町を」を口ずさんでいる。
この歌を作曲した中田喜直は、生前、詩の大切さを語りました。

  サザンの桑田クンの旋律は、とても美しい。
  でも、日本語の扱いが極めてぞんざいで、残念です。

と。全く同感ですね。

雪の降る町は「みどりなす春の日」の「みどりなす」がいい。
そこで、緑なす・緑なす・・・と呟いていたら、

  みどりなすはこべは萌えず 若草も敷くによしなし

を思い出した。
これは島崎藤村の有名な「小諸なる古城のほとり」の一部です。

これに「千曲川旅情のうた」を加え、弘田龍太郎が作曲。
8分を超える長さと、歌詞が古風なので、今は殆ど歌われない。
でも忘れ去るのは勿体無い音楽遺産です。

手許にある古いレコードでは奥田良三が歌っている。
奥田のベルカント唱法は、管弦楽伴奏を従えながら、
藤原義江のように調子ッ外れに聞こえ、実は好みではない。

だが、詩と旋律が断然良いので紹介します。
声に出して読みたい、歌うような美しい日本語遺産です。

  千曲川旅情のうた

  小諸なる 古城のほとり
  雲白く 遊子悲しむ
  緑なす はこべは萌えず
  若草も 敷くによしなし
  しろがねの 衾の岸辺
  日に溶けて 淡雪流る

  あたたかき 光はあれど
  野に満つる 香りも知らず
  浅くのみ 春は霞みて
  麦の色 わづかに青し
  旅人の 群はいくつか
  畑中の 道を急ぎぬ

  暮れ行けば 浅間も見えず
  歌悲し 佐久の草笛
  千曲川 いざよふ波の
  岸近き 宿にのぼりつ
  濁り酒 濁れる飲みて
  草枕 しばし慰む

   昨日またかくてありけり
   今日もまたかくてありなむ
   この命なにをあくせく
   明日をのみ思ひわづらふ

   いくたびか栄枯の夢の
   燃え残る谷に下りて
   河波のいざよふ見れば
   砂まじり水巻き帰る
   嗚呼古城なにをか語り
   岸の波なにをか答ふ
   過にし世を静かに思へ
   百年もきのふのごとし

  千曲川 柳霞みて
  春浅く 水流れたり
  ただひとり 岩をめぐりて
  この岸に 愁をつなぐ

    

昔は島崎藤村は青少年の必需品だった。
人前で口には出さないけれど、

  まだ上げ初めし前髪の
  林檎の下に見えしとき
  前に挿したる花櫛の
  花ある君と思いけり

くらいはコッソリ覚えていたものだ。
これは有名な詩「初恋」の導入部です。

森男も一時、藤村に入れ込み馬篭に行ったことがある。



その後滅茶苦茶に慌しい会社に入社。
名作「夜明け前」は年を重ね落ち着いたら読むつもりだった。

今はあの頃に較べたら滅茶苦茶に落ち着いている。
しかし視力体力気力がすっかり衰えてしまい「日没前」。
結局、代表作はまだ読んでいない。

この岸に愁を繋ぐ か.....。

奥田良三の歌唱では、段落部分が「朗吟」になります。
藤原義江は直木賞小説「漂白者のアリア」が面白い。ウィキだけでもご一読を。
▲挿絵は安野光雅/いわさきちひろ画。
               


ごまかさずに生きよ

2008-01-21 | 先輩のお言葉

  
                  桜島小蜜柑をプレゼントしようとした篤姫、断固拒否される

 朝から、うなだれております。
真野響子さんに叱られちゃったんです。

以前、NHKの日曜美術館にご出演の頃から、その道の大先輩に一歩も譲らず、ご自分のご意見をシッカリご発言されていて、エライ人だなァ、と。

昨夜も大久保利通卿のおっかさん(といったら失礼かな?)として、プレゼントは誇りを傷つけられる、と篤姫さんにシッカリ意見をし、元気な姫さんが凹んでしまった。

今朝は、

     自分をごまかさずに生きよ。

と厳しく指摘されちまって、森男は穴があったらゴメンナサイです。

更に追い討ち。

     年齢とは関係なく、誰でもまだ成長過程にいます。
           長い一つの人生の季節が形を変えていこうとする時、
     私たちは次の生き方を考える。
     次の季節もまた懸命に生きて、子どもや若い人たちに、
     人生ってこうやって生きていくといいものだ、
     と伝えるべきではないかしら。

ハイハイ、ごもっともで、恐れいりました、ハイ。
そういえば、爪、伸びてますもんね、やっぱ、成長してるんだ。

だけど、近頃寒くってヤル気出ません。
ヤル気出すには、真野さんちみたいに部屋をガンガン暖めて、薄着にならないと........。
うち、灯油も買えません。薩摩のエコはどうなってるの?
うち、埃は積もってるけど、誇りはありません。

裏番組で檀ふみ様が近衛家歴代の審美眼を称揚されていたのに、島津斉彬氏がお会いした近衛忠熙氏は、春風亭小朝ソックリで、ヘラヘラと協賛金のおねだりをしていた。みっともない近衛氏をも、たしなめて上げて下さいね。

そして、森男にお仕事くれますか?
可南子奥方様から以下のように優しく意見されたら、素直に従えるけど........。

     この世のものには、すべて役割があるのです。
     それは人とて同じこと。

そ、そ、そ。だからセコイ「林住記」、シコシコ書いてます。

仕事下さい。息子ともども、うなだれてます。
ああ、さぶぅ。

▲お写真は1/21朝日新聞「朝日求人」欄より。
プレゼントは「篤姫プレゼントブログ」へどうぞ。期間限定のようだからお早めに。


十か条

2008-01-21 | 知ったかぶり

  この人も呆ける暇無し。

 全国津々浦々を飛び回って、呆けてる暇が無い永六輔先輩が、沖縄のデイサービス施設で目撃した「呆ける人十か条」を受け売りします。

  壱.おーい、おーい、と何でも人に頼る人。

  弐.無口、無表情、むっつりな人。

  参.頑固で融通の利かない人。

  四.真っ正直な人。

  五.無趣味で仕事のみ続ける人。

  六.怠け者、ものぐさ、消極的な生き方の人。

  七.孤独な人。友人が無く、交際も無い人。

  八.食っちゃ寝の人。

  九.無神経、我儘な人。

  十.無信仰、仏壇や神棚が無い人。

これとは別に「呆けない人十か条」というのがあるが、読むからに気恥ずかしいし、そういう人とは交際し難いから割愛します。

いずれにしても、相当ヤバイのでした。
もう手遅れでした。

▲挿絵は「北林谷栄」山藤章二先生画(「軟派にっぽんの100人」76年刊)


雪の降る町を

2008-01-20 | 歌の翼に

 「雪の降る街」森男画

 雪は大迷惑だけれど、降らなければ降らないで待ち遠しいのが不思議だ。
予報では今夜いよいよ高麗の郷にも雪が降りそうである。

                「雪の降る町を」 内村直也作詞 中田喜直作曲

                雪の降る町を 雪の降る町を
                思い出だけが 通りすぎてゆく
                雪の降る町を
                遠い国から落ちてくる
                この想い出を この想い出を
                いつの日か 包まん
                あたたかき幸福の ほほえみ

                雪の降る町を 雪の降る町を
                足音だけが 追いかけてゆく
                雪の降る町を
                ひとりこころに 満ちてくる
                このかなしみを このかなしみを
                いつの日か ほぐさん
                みどりなす春の日の そよかぜ

                雪の降る町を 雪の降る町を
                息吹とともに こみあげてくる
                雪の降る町を
                だれもわからぬ わがこころ
                このむなしさを このむなしさを
                いつの日か 祈らん
                あたらしき光降る 鐘の音

雪は冷たい。
でも、この歌の雪はなぜか暖かい。
さらさら降っているのだろうが、湿り気があり、心が潤う。

歌は高英男から始まり、多くの歌手が歌っている。
森男は倍賞千恵子さんの歌が一番好きである。
クラシック歌手のようにヘンに構えて気取ったところが無く、しみじみと、しかもメリハリを付けた歌い方がいい。

作曲は日本のショパンと言われた中田喜直である。
戦争中は戦闘機のパイロットをしていたと聞いた。よく生き延びてくれた、と思う。
出だしがショパンの幻想曲49番と同じ旋律なのは、咄嗟の作曲のための所為らしい。でも、内村直也の詩にすっかり馴染んでいる。

「北の宿」にもショパンのピアノ協奏曲第1番そっくりの部分があり、これも冬の名曲と思うが、詩の心と言葉の品格は断然こちらの方が上である。
「かなしみ」は単なる失恋ではなく、意味は深く広い。

この歌の歌詞には美しい日本語が使われている。
動きがあり、広さや奥行きがあり、詩そのものに音楽がある。

        遠い国から落ちてくる この想い出を
        息吹とともにこみあげてくる 
        ひとり 心に満ちてくる このかなしみ

        みどりなす春の日
        あたらしき光降る 鐘の音

などである。

この詩を聞くと、すさんだ心がいつの間にか清められて、そうだ、みどりなす春の日は近い、新しい光が溢れる春が近い、という気持ちになる。

林住期の現実には、とてもとても、ではあるけれど........。


ご丁寧

2008-01-20 | 林住期

 

 「暴走老人!」という本にも「丁寧化する社会」という1項があるが、ここ高麗の郷にも「丁寧化の波」が押し寄せている。

道路工事のお父さんたちが矢鱈にご丁寧なのだ。
掘っている穴の脇を通り抜けようとすると、最敬礼され、両手を広げて誘導され、通り過ぎるとまた最敬礼で、どうお礼を申し上げたら宜しいのか、困ってしまう。
またその一方で、そんなに森男は偉そうに見えるのか、それともヨボヨボしているのか、と悩んでしまう。
どうぞ、放っといて下さい。

横断歩道を渡ろうとすると、まだ車道には1mもあるのに、やってきた車は止まってしまう。
そして森男を見て、運転席からどうぞどうぞと手の平でご挨拶をされる。
折角のご好意をないがしろに出来ないので、急ぎ足で歩道を飛び出し、駆け足で対岸に辿り着いたら、縁石に毛躓いて骨折するところだった。
今度は悩む前に、むかっ腹が立つのである。
車の方が速いのだから、どうぞお先に突っ切って下さい。

山道を一人で歩いていると、向こうからやって来た人が、こんにちわ。
..........?と思う。近頃人の名前を思い出せないので、ご町内の方だったかと思い、また暫く悩んでしまう。
大抵の場合、お父さんは知らん顔だが、お母さんがご挨拶をしてくれるのだ。
森男はそんなに素敵だったのかとまた自惚れてしまう。
むっつりしているお父さんは妬いているのだろう。

やってくるのがおじさんだけの場合、どっちが先に挨拶するのかしないのか。
阿吽の呼吸に、必殺の気合。

Oh It's a wonderful world......だね。

▲挿絵は五味太郎先生。


あの手この手

2008-01-19 | 床屋放談

  (1/12朝日夕刊より)

 日本の対北朝鮮問題は膠着状態だが、どうも置いてけぼりになりそうだ。
何もかも米中が決め、請求書だけ日本に回してくる可能性が高い。
政府は例によって、事態の推移を慎重に見極め適切な対応をする、のだろう。

アメリカと北朝鮮の初の文化交流はニューヨーク・フィルのピョンヤン公演になるそうだ。

この公演の資金はベネチア在住の日本人富豪チェスキーナ・永江洋子さん(75)が提供している。
洋子さんは以前から世界各地の管弦楽団や有望な音楽家への支援を続けているが、政治的思惑が絡む今回の公演を支援するのは異例とのこと。

米朝関係が改善し、拉致問題の置き去りを懸念する日本国内の評判が気になったが、

   関係を友好的な方向に持っていき、
   そこから問題を話し合うという方法もあるのではないか。
   私は「音楽が好き」の一心。音楽を聴くと楽しい。
   それが何かの糸口になってくれれば。

と考え、敢えて支援することにした、と言う。

洋子さんは熊本出身の元ハーピスト。留学中に出会い結婚した夫のレンツォ・チェスキーナ氏の遺産をもとに、ご自分が評価する多くの音楽家への支援を続け、今売れっ子の指揮者ワレリー・ゲルギエフもその一人というから大したものだ。

拉致被害者家族の方々が強硬なのは当然だと思う。経済制裁を続けろ、と言うのは止むを得ないと思う。
だが経済制裁はいくら日本が徹底しても、殆ど効果が無いことはもう分かってきたことではないだろうか。
そろそろ篭絡懐柔策も考える時期である。
経済制裁一本槍では、古い話だが、乃木大将の旅順港攻めのような気がする。

どうも、洋子さんの方が、外務省の高級官僚よりも柔軟なようである。
外交にはあの手この手が必要なのではあるまいか。

それにしても、日本女性の行動力は凄いものだと思う。
この方に外務大臣をお願いしましょ。

▲洋子さんの後ろは、所蔵する14世紀の宗教画で、重要文化財の由。