林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

街並み

2009-01-30 | 床屋放談


                   

ブログを書いたり読んだりするのは暇つぶしであり、お遊びである。

バカバカしいものや捻ったものは大好きだが、あまりにも幼いもの、汚らしいもの、露骨なものは、一度は覗いても二度とは開かない。元々縁が無かったものだ、と思うことにして、うっちゃっておく。

ところが世の中、そういう人ばかりではないようで、言いがかりを付けて、他の人を煽ったりするマメな人もいるんですね。
やはり、褒められれば嬉しいが、貶されると不愉快だ。

だから、上の新聞記事の感想は書きません。

▲新聞は1月29日、朝日新聞朝刊より。
挿絵は山藤章二シールより。


まつけん鍋

2009-01-29 | 知ったかぶり

 

「まつけん鍋」と言っても知らない人が多いだろう。
正式な名称は「白菜の暴れん坊鍋」だが、「まつけん鍋」の方がいいと思うからそうした。
この鍋は誰あろう、あの松健サンバの松平健さまが創作した鍋料理であ~る。

国営放送(......そう書くと訂正を求めるコメントが入ったりしますが)が毎週放送している「きよしとこの夜」という、グッチ祐三親方がへ~な(ヘンではありませんよ)創作料理を毎回紹介して、タメになる料理音楽バラエティ番組がある。
その番組に松平健さまが呼ばれて、健さまが公開した鍋料理だ。

ベッキー(この底抜け娘、いいなぁ)ちゃんも、グッチ親方も、氷川きよしクンも、出来上がったまつけん鍋の味に絶句した。

ナンボなんでもありゃ芝居だよ、と思ったが、作り方は実にカンタンで、そうだ、やってやろうじゃないか、と挑戦する気になった。
何しろ近頃は、「林住記」よりも食生活を改善しよう、とシャカリキになってますからね。

 

二人分の材料は以下のとおりです。

  ・白菜半分(もしかしたら4分の1だったかも....、イイカゲンだね)
  ・ハーフベーコン2袋
  ・鱈の切り身1つ(黒い皮は、切り取り難いが、切り取る)
  ・ウインナ2本(冷蔵庫にあった余りもので、健さまは使わなかった)
  ・ミニトマト1パック
  ・浅利の剥き身の水煮固形量30gのもの2袋(健さまは殻つきの浅利を使用)
  ・調味料は不要(ベーコン、浅利、トマトなど材料から滲み出てくるので)
  ・水も不要(調味料と同様)

作り方はカンタンです。

  ・白菜を4cmくらいの長さに切り、鍋にザクザクと立てて並べる。
  ・その隙間に短くしたベーコン、ウィンナや、細切れにした鱈の切り身を挟む。
  ・その上に浅利の剥き身をお汁と共にぶちまける。
  ・更にヘタを取ったプチトマトを形良く展開し、設置する。
  ・IHクッキングヒーター(えへん)のスイッチをONにする(中熱がヨイと思う)。

以上の仕掛けをして、鍋に蓋をして約10分(15分だったかな)。
材料がぐつぐつ喋り出し、白菜がグッタリしてきたら、それっ、出来上がり!

食ってみた。

   .........ん? ......ん美味い!

特に材料から滲み出たスープは、白菜の甘みと、鱈やベーコンの旨みと、浅利の深みと、トマトの酸味が、曰く言い難く、絶品であった。
そして、入歯を外してても、くたくたになった具は、ラクに歯茎で噛み切れるのだ。

実は、この「まつけん鍋」は夕食のご飯のおかずに作ってみた。
だが、ご飯のおかずとしては、身体にはいいかも知れないが、精神衛生上やや薄味過ぎで、もの足りない。
だからご飯よりも、夜なべに作っておいて、朝食のパンなど洋食のおかずの方がピッタリするかも知れない。

実にカンタンなので、ご同輩も挑戦してみては如何?
材料費? さあ......。なに、たいしたもんじゃありませんよ。

あ、それから、健さまの歌とサルサダンス踊りも、絶句ものでした。

     

    ▲写真はベッキーちゃん(毎日JPから)。子ども服のデザインをしたそうで......

今朝、残りものをレンジで暖めるとき、大蒜をすりおろして加え、岩塩を振り掛けたら、味は濃厚になった。更に胡椒や胡麻をちょっと振れば、締まると思う。
これなら主食として、十分通用しますよ。


モンスター

2009-01-28 | 高麗便り


冬の蔵王には樹氷のモンスターが現れるそうだ。

当地、高麗の里では桑の木のモンスターが地面を這っている。
そして悩み、怨み、煩悶しているようだ。

役立たずになった桑たちに、そぞろ共感を覚える冬....。


盆栽婿入り

2009-01-27 | 庭いじり

皐月の盆栽や椿の鉢植えは沢山あるが、どれもがいじけていて、到底人様にお見せ出来るようなものは無い。
しかし黒松や五葉松などの盆栽は、鉢さえも威風堂々としていて、自慢のものだった。

▲▲▲

盆栽は普通3年に1度、新しい土に植え替えないと弱ってくる。
この前植え替えてから、そろそろ5年も経ち、葉の色に元気が無く、小枝もばらばらに伸び始め、枯枝もあり、何だか持ち主同様にうらぶれてきたのである。

以前は見事だったこれらの盆栽は、20年ほど前に、手に負えなくなった義兄から譲られたものである。
今では私の手にも負えなくなってきた。この春には植替えなければならないが、どうもその重労働を考えると鬱陶しい。
枯らす訳にも行かないし、本当の盆栽好きに差し上げなければいけない、と困っていた。

ところが、お誂え向きの人が現れたのだ。

▲▲▲

それは、私がリストラ被災後、一時働いていた建具工場の部長職の職人さんだ。
この職人部長は、乱暴な言葉で思ったことをヅケヅケ言うので、公私混同社長からは嫌われ、干されていた。ちょっと見には強面で、近付き難かった。

だがよく観察すると、素朴な可笑しみがあり、意外に細やかなところもあった。
例えば、工場の空地に暇を見て花壇を作り、柄にも無く、

   花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき

なぞという、とぼけて意味深な看板を立てるのだ。ゴツイが優しいオッサンだった。
それでだんだん好きになったのである。

こちらが好きになれば、相手も好きになってくれる。以心伝心ですね。
私が社長と喧嘩して、その工場を早々に辞めてからも、付き合いは続いていた。

工場は当然倒産し、ご当人は独立。悠々自適の親方ひとりになった。
その親方が私の出した遅い年賀状を見て心配し、見舞いに来てくれたのだ。

▲▲▲

昼食後、黒松盆栽のことを切り出したら、案外あっさりと、

   おう、いいよ、引き取って、面倒見てやるべぇ。
   こりゃぁいい形をしてるぜ、見違げぇるほど元気にしてやっからな。
   うちの畑は「百花園」にした。
   時々見に来てくんろ。

と引き受けてくれた。
そして大きな盆栽5鉢をライトバンに積んで、意気揚々と帰って行った。

▲▲▲

親方の家は車で40分もあれば行ける、梅と山吹と躑躅と紫陽花の里だ。近頃は饂飩で町興しをし、「麺食い街道」で売り出してもいる。有名な美味い蕎麦屋もある。

数年前に親方の家に行った時、畑は牡丹だけだったが、暇が出来て花木を増やしたらしい。今度はどんな看板を立てたのだろうか、想像すると可笑しい。
そして親方の奥方は漬物名人だ。
これからは花の楽しみばかりか、梅干や沢庵を頂けるかもしれないぞ。

いいとこへ婿入りした盆栽たちは幸せ者だ。惜しいことをしたが、私も幸せである。
と思うことにした。

写真は掌に載る柏槙(びゃくしん)の苗。
大きな本格盆栽の枝先を挿木して、10年くらい経ったものです。
これだけは残しました。


運慶と西洋美術館

2009-01-26 | 拍手

 

数年前に藝術新潮を20年分古書店に引き取って貰ったことがある。
現在の大判になった創刊号から、欠番無し、しかもカバー付きで大切にしていたものだ。
古書市では1冊100円か200円の値札が付いてるので、100円か悪くても50円はくれるものと思っていたら、何とタダだった!

他の単行本十数冊も全てタダで、「職人衆昔話」正続が僅かに1000円だった。
ワゴン車で受け取りに来た癖に、そりゃぁあんまりだ、と思わず不平を漏らしたら、哀れんでか、1500円にしてくれた。

◎◎◎

年末は入院していたので、1月号が買えなかった。
退院後、飯能の書店に買いに行ったら、何時もなら月末まで書棚に売れ残っているのに売り切れだった。駅の周りの3軒を探したが、どこも売り切れだった。
どうせ古本屋に出してもタダだし、積んどく本が沢山あるから、もう芸術新潮は止めだ、と思った。

だが、何故だろうと新潮社のHPを見たら、1月号は「運慶」大特集だった。
そしてここも既に、売り切れだった。

そうなうと、ここで諦めるのは沽券に拘る、とアマゾンを見たら、残りは僅か4冊だ。送料300円を含め1700円で迷わず注文してしまった。

◎◎◎

届いた運慶大特集は実に素晴らしい。これじゃぁ売り切れるわけだ。

このところの芸術新潮は、一時のエログロ路線を改めて、結構面白い。
写真が素晴らしい上に、読み物としても、軽く、分りやすく、結構ミーハーしていて嬉しくなる。学者評論家先生の文章とは異なり、門外漢読者の興味をそそる内容だ。

ごった返していて、肝心の展示が他人の頭越しにしか見えない企画展より、近くによっても気付かない細部写真からレントゲン写真まで良く見えて、ずっとマシである。

 

と、そうこうしている内に2月号が出た。今度は開館50周年国立西洋美術館特集である。
内容は、この美術館をどうしたらまるごと十分に楽しめるか、の特集だ。

世界遺産に登録することにフランス側の方が熱心なわけとか、美神檀ふみサマや中村吉衛門が一文を寄せたりとか、皇后陛下の入れ込み様とか、話題は賑やかだ。

なお、3月号はあの天平彫刻の傑作阿修羅立像に関して、興福寺創建1300年記念「阿修羅のまなざし」である。
また1年、芸術新潮を買い続けなければならない。

◎◎◎

ところで、こんなに人気があった本は、古書店が高く引き取るかと言えば、さにあらず。
あの時のつれない古書店主によれば、ベストセラー本は二束三文で、あまり売れなかったが、評価の高い専門書の方が価値があるそうで........。 


ほっ

2009-01-23 | 病院巡り

退院後初めての診察日だった。
午後一番の予約だったが、気が急いて早くに出かけた。
血液検査と心電図検査を、昼食前に済ませておきたかったからでもある。

3日前から、実は憂鬱だった。
動脈瘤の後の痛みが消えた代わりに、下腹部全体が少し痛むようになったばかりか、ここ数日、腹が膨れ、胸がつかえ、呼吸が止まった感じがしたりしていたからである。
もしかしたら.........、と思うと暗~い気分になっていた。

午後、先生は聴診器で心臓の音を調べたり、心電図や血液検査の結果を診たり、パソコン画面を詳細に点検して、

  全く問題は無い、下腹部の痛みは徐々に消えてゆくはず。

と聞かされ、ほっとした。どうも、気の病に罹っていたようだ。

主治医の先生は、今までくれていた胃や食道や十二指腸の炎症を抑える薬の他に、ピロリ菌を抑え、胃の粘膜を保護する薬を追加してくれた。
本筋を外した不具合に、何か申し訳ないような気がした。

次回は3月6日。採血、レントゲン検査、エコー検査などをするそうだ。

この巨大な病院では、患者は全てコンピューターで管理されている。
その仕掛けはなかなか面白そうで、迅速に物事が処理されるが、高嶺者にとっては慣れるまでが大変であろう。
職員は親切で、うろうろしていると直ぐ助け舟を出してくれる。近頃の百貨店ほかのサービス業は見習うといい。

                       ◎◎◎

病院外の薬局で薬を貰うと夕方だった。
広大な病院内をくまなく探検しようと思っていたが、かなり疲れてしまっていた。
病院内のスタバでお茶をする元気も失せ、真っ直ぐ家に帰ってきた。

▲写真は病院前庭の3人乙女像「愛・希望・祈り」。(病院ニュースから)。


予兆

2009-01-22 | 病院巡り

診断では「急性心筋梗塞」だが、よく考えると予兆や前兆は確実にあった。

今年の夏ごろから、妙に根気やヤル気が無くなっていた。
好きな山歩きも、去年までは3、4時間平気だったし、敢えて急な坂道を上っていたのに、今年はせいぜい1時間ちょっとしか歩かなかった。

真夏の炎天下でも、例年なら3回は草刈をしたのに、今年は蛇にかこつけて叢には1度も入らなかった。
秋になっても、冬が来て、蛇や虻がいなくなっても叢には入らなかった。

山で逢う樵仲間に「冬になったらまた下刈やヒサカキの伐採作業をしよう」と約束していたのに、一度も実行しなかった。

小川町の吉田さんちへも春と秋2回しか行かず「今年はどうも元気が出ない」と秋には吉田さんに弱音を吐いていた。

だから、この段階で検診を受けていれば、「急性心筋梗塞」はふせげたかもしれない。
ところが、これも加齢現象かな、と考えていた。なにしろ、歳をとるなんて始めての経験だから。

ん?、と思ったら、迷わず大病院で精密検査を受けておくべきである。
検査用の機器が足りない町医者では、喘息などと誤診が多いようなので、大病院がいいと思う。

30数年前に、76歳だった父が心筋梗塞で亡くなってた。
また、3年前に101歳で逝った母が80代の中頃、
心臓の調子が良くないと近所の小児科医に注意され、兄が古い家の欄間を紙で塞いでいたのを思い出した。
つまり、心臓に難がある家系のようだ。

▲写真は昨年12月7日、多峰主山で見た風景です。

090122


さもしい矜持

2009-01-20 | 床屋放談

    

       ▲今は昔、得意だったクレー射撃の腕も鈍り......

実は定額給付金の支給が待ち遠しい。
お金持ちにとっては12000円程度の金額は屁でもない額だろうが、大方の国民は、くれるものなら早く貰いたい、と思っているはずだ。
その点では太郎クンは国民の空気を正しく読めている。

一応住む家があり、懐石料理とはいえ3食を食えている森生は、鳩山大臣のようにさもしくはないし、与謝野大臣のように矜持が無いことは無いから、太郎クンから矜持やさもしさを持ち出されたら、口惜しいけど支給を辞退してもいい、とさえ考えていなくもないことはない。(ややこしいね)。

だが、定額給付金を支給するための費用が概算で800億円も余分にかかり、全体で2兆800億円も税金から支出されると聞くと、なにやら馬鹿馬鹿しくなってくる。

それだけの税金があるのなら、やはり、本当に困窮している人には12万円くらいの金額を給付したほうがいいし、学校の耐震化工事で建設業者を潤わせた方が税金が生きるし、医療や介護に回してくれれば、森生は老後に安心できて、新しいデジカメを買おう、という気分にもなり、景気は少し上向くであろう。

お金持ちはいま、投機や投資を控えて、預金通帳を膨らませているに違いない。
景気浮揚策が必要なら、手続きをどうするかは頭のいい官僚に任せて、彼らの預金から、億千万円単位の消費か浪費をさせるように誘導すべきであろう。
鳩山大臣は場末の美味いしゃぶしゃぶなんぞで誤魔化さないで、完全ソーラー邸宅でも建てればエライ。

その辺の理屈は、常々、国家国民のため、と格好をつけてる自民党のセンセイ方も、もう分っているのだろう。(分かってないかもな)。
それでもまだ四の五の言ってるのは、公明党が怖いからである。国家国民よりも、実は自分の選挙の当落の方が大事な、さもしいセンセイばかりなのだ。

 

いくらばら撒きが好きでも、その辺のところはもう分っているに違いない。
よく知らないが、宗祖上人のお言葉やお経の精神に照らせば、多分、定額給付金の不適切さは分りそうなものである。

それでも定額給付金というばら撒きに拘っているのは、今更引っ込められるかぃ、というヘンな矜持があるからだろうし、支持母体の方々が音無しいからである。

それに、どうしたことか(分ってはいるが)マスコミが言いだしっぺを叩かず、可哀相な太郎クンばかりを苛めており、誠にイカン千万円である。
だから、森生は信者の皆様に、シッカリセイ、と檄を飛ばしたい。

 

太郎クンも慣れてくると、あのダミ声は浪花節のようにDNAを揺さぶるし、あのひしゃげた顔も味があって宜しい。あれはあれでイイ男で好きになってきた。
それに、何と言われても、全然へこたれぬ鈍感さ、いや失礼、打たれ強さも好もしい。

しかも、矜持なんていう難しい漢字も読めたし、さもしいなんていう死語に近い大和言葉を思いださせてくれた。流石に名宰相の外孫だけのことはあった。
ここはあと何踏ん張りもして、任期を全うして貰いたい。

そのためには「矜持」や「さもしい」という言葉の本当の意味を勉強し直して下さい。
そうしてこれまでどおり大きくぶれて、定額給付金を撤回しよう。
そうすれば、支持率は少し上がるかもよ。

南無......。             

▲漫画は針すなお画(08/12/10朝日新聞朝刊より)。
腹這いブラック氏は山藤章二画。


多忙につき

2009-01-19 | 林住期

年賀葉書は買っておいたが、年末年始入院のため書けなかった。

それで、今年の年賀状は、下さった方にだけ出した。
それも1月13日の投函だった。

遅れた言い訳とお詫びを書いておいた。

その反響が意外に大きくて、多忙なのです。

皆さん大概がお暇なので、見舞の電話、来客、葉書と続き、まるで珍獣だ。
それで草臥れてしまった。

土日祭日を休業にしたし、病院生活をしたので、ネタは豊富にある。
だが、記事を書いている暇が無い。
ああ、アルバイトを募集したい。

○○○

ま、ブログより身体が大切。本日も休業とさせて頂きました。

そして、今まで高嶺の花だった、「ケロイドの全然無い大粒の真っ赤な」あまおうを、
ご飯の変わりに、腹一杯頂きま~す。

有り難うね。極楽極楽。


遠くへ行きたい

2009-01-16 | 歌の翼に

 

「遠くへ行きたい」

知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい

知らない海をながめてみたい どこか遠くへ行きたい

遠い街 遠い海 夢はるか一人旅

愛する人と巡り逢いたい どこか遠くへ行きたい

愛し合い 信じ合い いつの日か幸せを

愛する人と巡り逢いたい どこか遠くへ行きたい

日がな一日、わが猫額亭に淀んでいると、頻りに遠くへ行きたくなる。
遠くと言っても、北は寒いし、沖縄は遠過ぎるし、愛する人に巡り合うのはメンドクサイ。
だから、そんなに遠くなくてもいい。

温暖化というが、この数日の寒さは実に厳しい。

窓から真っ青な冬空を見上げていたら、故郷の海を思い出した。
同じ寒さでも内陸埼玉の尖がった寒さと、相模湾沿岸の寒さでは寒さの質が違う。

そうだ! ここから近い湘南の海で十分だ。
葉山、七里ガ浜、江ノ島辺りの暖かいホテルで、ひねもす、輝く水平線を眺めていたい。
いま、潮騒と海の匂いが無性に懐かしい。

・・・私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ・・・

「遠くへ行きたい」、永六輔作詞・中村八大作曲・ジェリー藤尾歌唱。ジェリーの変わり果てた姿に愕然。
「私の耳は.....」、ジャンコクトー原詩・堀口大學訳詩。

材木座海岸から稲村ガ崎の奥に江ノ島を見る黒白写真は、岩波写真文庫「鎌倉」より。

090116


心筋梗塞記

2009-01-15 | 林住期

 

カテゴリーに「心筋梗塞記」を付け加えます。

駆けつけて下さった皆様から「強運だ」と言われて、こんな病気になり何が強運だぃ?、などと一時は僻みましたが、その後、同病の方々と触れ合うにつれ、悲惨な病状を知り、確かに「強運」だったと素直に感謝する気持ちになりました。

私の心筋梗塞はその方々に較べるとまさに「軽症」で、「順調な回復」のようです。つまり大したことはありませんでした。
でも、誰にも発病の恐れがあります。私のささやかな体験がお役に立てば、と思います。

と申しましても見舞品の手帖に寝ながら記録を書き始めたのは12月30日からで、その前はあやふやな記憶頼りです。
前後関係も、用語も、投稿順序も、何もかも、かなりイイカゲンで主観的なものです。
だから間違っているところは、ご遠慮無くご指摘下さい。記事の訂正は敢えて致しませんが、記事末に「追記」としてご指摘のあったことを明記致します。

また、「林住記」の他のカテゴリーはこれまでどおり続けますが、全体に投稿頻度を大幅に削減致します。原則として土日と祝日は必ず休載します。

ところで、心筋梗塞を発症し易い性格があるそうで、病院から頂いた「心筋梗塞・狭心症のあなたへ」(これ、親切丁寧分り易く、簡潔で、傑作です)によると......

  1.挑戦的
  2.攻撃的
  3.几帳面
  4.責任感が強い

だそうです。
逆な性格の、1.のんびり、2.マイペース、に較べると発病の危険性は2倍にもなる由。

私は几帳面なつもりですが、挑戦的でも無く、ましてや攻撃的でも無い。また、責任感は場合によりけりです。従ってのんびり・マイペース型と同じ、と考えます。
何を勝手な、と叱られそうだし、論理的にはヘンでしょうが、投稿頻度は削減致します。

 

なお、今回の入院で「森男」はもうオトコではないことが判明した。素敵なナースさんたちに、もう恥も外聞も無く全てを公開し、お任せして、ゼンゼンだった。
病棟の鏡に、オゾマシイジジイが蹌踉と映っていたが、気が付けば自分だった。

従って「森男」は「森生」と改名します。
木久翁師匠と同年だがあれほどじゃないつもりだし、「森翁」にするほどの好々爺でもない。また、もう少し生きていたいので「翁」の変わりに「生」にし、従来どおり「もりお」とお呼び下さいね。

そして一人称は「森生」か「私」または「自分」にします。
今後のことは行方定めぬ旅枕.......。
平日もサボリますので、あまりアテにしないで下さいね。

▲絵は上から「顔振峠付近の眺め」、「オオイヌフグリ」。故小島喜八郎先生画。


再開します

2009-01-13 | 林住期

はじめに、昨年12月23日以来休止し、皆様にご心配をお掛け致しましたことをお侘び申し上げます。
そして、暖かいコメントを沢山頂き、誠に有り難うございました。

また、弊「林住記」を再開させて頂きます。

休止していた理由は、22日午後、急性心筋梗塞の発作を起こして病院に搬送され、年末年始は治療のために病院で過ごしていたからです。
急性といっても、思いおこせば夏頃から予兆はあり、3日前には酷い胸焼け感と息苦しさはありました。しかしその時は、ストレス性胃潰瘍かな、と考えておりました。
何しろ揉め事を自ら引き起こすヤな性格ですから.......。

ご近所の方々の迅速なご対応により、最新式設備を擁した大規模専門病院に搬送され、病院の皆様のお陰で、心筋の壊死は免れることが出来ました。
心筋梗塞は対処が遅れると3~4割が死に至る心臓病だそうです。

カテーテル治療は成功し、先生方も驚くほどの速さで回復に向かいました。
しかし、退院予定日(29日)の2日前に、カテーテルを挿入した右股大動脈の傷跡に突発性動脈瘤(というのかどうか分りません)が発生。その物凄く痛い治療で日数を要し、7日に退院致しました。

その時の血腫と腫れがまだ残り、時々疼きますので、怖くてあまり動き回れません。
心臓はもう何の違和感もありませんが(あるようでもありますがそれは神経症なのでしょう)、2本の血管拡張器具(ステント)が入っているそうで、今後を考えると、これは薄気味悪いヤな存在です。

体重は2週間で一気に6㎏も減り65㎏になったものの、膝の力がめっきり弱りました。BMIは標準ですが、残念ながら腹はまだ狸....。といってもあくまでも形状の話、流石にココロは今のところキレイです。

動脈瘤の跡はまだ時々疼き、怖くて同じ姿勢は続けられません。
そして、ゾッとするような紫色の痣が、主治医の予言どおり腿に下りてきました。

趣味の山歩きや樵作業のような過激な運動は禁じられております。
当分の間、勧められても恐ろしく、自信もありませんので、ひたすら謹慎蟄居反省朦朧の日々を送らざるを得ません。

思えば今年は6回目の年男です。
5回めは何かと身辺が慌しくて、何の感慨も無いまま還暦をやり過ごしてしまいました。
この辺でこれまでを反省し、今後の生き方を考え直す第2の還暦とすべきなのでしょう。ま、他人さまより12年遅れてるわけですね。

性格は変えられるものではありませんが、少しは世のため他人のためになることを考えてみるつもりです。

こんなことはあと10年先、15年先のこととタカを括っておりましたが、死神がいつの間にか背中にへばり付いていたわけです。
この度は幸運にも死神を追い払うことが出来ましたが油断は大敵です。

何が何でも長生きしたいとは思いませんが、まだまだ楽しみもありそうで、これからは命の蝋燭を大切にしたいと考えております。

今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
皆様のご健勝をお祈り致します。

写真は上から
1.三が日の朝食に付いてきた祝い箸(使わず、記念に持ち帰りました)。
2.病院の案内本(至れり尽くせりの内容です)。
3.日高市台「滝不動尊」のお灯明(自分はどれだろうか?)。
4.隣の病床から脳外科病室へ移った方から頂いた、使いかけで私ソックリのテレホンカード
(お礼を言う暇もありませんでした。お大事に)。

お灯明の写真は12月19日記事のうち、「余命」の再利用です。