林 住 記

寝言うわごと独り言 のようなもの

あじゅが移植

2007-02-28 | お節介

  移植前

 吹き飛ばされそうな烈風。手先がかじかむ寒さ。
それでも、アジュガを移植した。
移植元は森男邸の踏み石の周り。移植先は別院の土手。

 別院は若い住職さんがやる気満々で、次から次へと各種仏像、羅漢像、七福神像。その他不動尊像、弘法大師像を安置。日高市で一番「像」の多いお寺のはず。
そのため、見たことは無いが高野山の草創期のように、あちこち地肌が露出して、大分痛々しい。なにしろ、住職さんが土方の親方のように、ユンボを駆使して土木工事を敢行するのだから偉いものだ。

 流れ者の団地住民は、石灯籠は地震の時に危険、だなんて無茶苦茶な難癖を市役所に言いつけるそうだが、森男は極楽往生を念じて、お賽銭代わりの緑化に協力。

 土質は最悪。雨でドロドロ、乾くとカチカチ。今冬のよう干天続きで、サラサラ。
崩れた岩が混じり、見たことは無いが、ゴビ砂漠のような土手だ。
アジュガには向いていないが、森男邸の最悪の土にも健気に蔓延るので、移植してみた。根付かないかも知れないが....。
 1000年後、世界遺産になるかも、と思うと、寒さも吹き飛ばされそうだった。

◎あじゅが。
日本在住脆弱山野草の「じゅうにひとえ(十二単)」という人がいるけれど、別物。
渡来植物らしいが、名前がお経じみていて、お寺向き。寄席向きかな?
地被植物(近頃グランドカバープランツと洒落て言う)として強健、優秀だ。花丈は10センチ。
群生すると、地味な花でも結構見事です。
                              

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あほうどり

2007-02-28 | 重箱の隅

  阿房鳥・阿呆鳥・信天翁・あほうどり

 被差別魚の改名反対記事を書き終えたら、アホウドリ改名提案記事が出た。
朝日新聞編集委員・内山幸男氏の名入り記事(2/27夕刊「記者席」)での改名提案だ。
それによると、

 ・どんな名前にも歴史があり、言葉狩り的に変えるのは馬鹿気ている
 ・しかし、間違ったイメージのものまで、絶対変えてはいけない、ということも無かろう。

と、前置きをして、アホウドリが何故アホウドリと呼ばれるに到ったか、また、アホウドリの素晴らしい飛翔力を紹介している。
 更に、

 ・フランスの詩人ボードレールはこの鳥に憧れ、詩を書いた
 ・上田敏はアホウドリを「沖の太夫」と訳した

と書き、アホウドリの研究者の長谷川博東大教授が「オキノダユウ」に改名することを主張している事を紹介している。

 ふ~ん。いいね。「沖の太夫」ならもっといい。
森男も、こういう改名なら賛成します。

「あほう」は関西では差別語ではなく、愛情の籠った言葉のようだが......。
阿呆宮は秦の始皇帝が築いた1万人も収容できる宮殿。
信天翁は何故アホウと読むのか不明。
英語のあほうどり albatross はゴルファーの夢。これでキマリかな?

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被差別魚

2007-02-28 | 重箱の隅

  izariuo は可愛い魚。

 日本魚類学会が32種類の魚の名前を変更する。(日本昆虫学会も同様の動きがある由)。
魚(その他の生物全般も)には世界共通の学名とは別に、国内で使われる独自の名前(標準和名)がある。今回の変更はこの標準和名が対象になる。
魚類学会標準和名検討委員会は九つの言葉を差別的として、これを排除し、新しい名前にする。例えば、名前が変る主な魚は以下のとおり。

  ・めくらうなぎ→ほそぬたうなぎ
  ・おしざめ→ちひろざめ
  ・ばかじゃこ→りゅうきゅうきびなご
  ・せむしいたちうお→せだかいたちお
  ・いざりうお→かえるあんこう
  ・みつくちげんげ→うさげんげ
  ・あしなしげんげ→やわらげんげ
  ・てなしげんげ→ちょうじゃげんげ
  ・せっぱりはぎ→せだかかわはぎ

 めくら、おし、ばか、せむし、いざり、みつくち、あしなし、てなし、せっぱり等を「差別的」な言葉としているようだ。
言葉はもともと差別し区別するなものだと思う。このままでは、言葉は無くなってしまう。
「ばか」を無くして、何と言いかえるのか。馬鹿馬鹿しい。「せっぱり」という「差別語」は初めて聞いた。

 めくらを視覚障害者、おしを聴覚障害者。いざりはどう言い換えればいいのか。そのほか精神障害者、知的障害者もあり、障害者を弱者ともいう。障害の無い人を健常者と言い、相対的に非健常者とも言ったりする。いや、一番新しい言い換えが、他にあるかも知れない。全くややこしいことになってきた。

 めくら、おし、いざりという言葉を使わなければ、差別や侮辱は無くなるのだろうか。視覚、聴覚、歩行能力面で、めくら、おし、いざりは明らかに劣っている。だからと言って、人格を貶めるわけではない。かえって、障害の無い人より勝っているところがあるはずだ。
差別する人は「・・・・障害者」と言い換えても、貶めて、侮蔑しているのである。
 塙保己一、ヘレン・ケラー、宮城道夫や田辺聖子さんを、身体に障害があるからと、侮辱する人はいない。貶められた、侮辱された、と感じる人は、自分を高める努力をして欲しい。お互いに誰もが欠点を持っている。

 ただ、相手が嫌がることを敢えて言うこともないから、面と向かって以上の「差別語」を使うことは控えればいい。
魚が嫌がるはずはないから、今までとおりの呼び方でいい。
ましてや、めくら縞、めくら判、いざり機などを使えないとすれば、日本文化の破壊であろう。

 日高市の広報誌では「障者」を「障がい者」と、書き換えている。いかにも木っ端役人らしい発想である。
低賃金労働者をワーキングプアと言い換えるように、日本語を全てカタカナ英語にするのだろうか。
人を貶めて、侮蔑する「りゅうきゅう」な人間は、名前や呼び方をいくら変えても、無くならない。カタカナ英語に変えても、その英語がいずれ「差別語」になる。
会話は全て手話にしたとしても、文書はどうするのだろう。

 因みにシャープの電子辞書の和英辞典で「めくら」をひいたら、「該当語なし」と出る。「視覚障害者」では「 visually handicapped person 」になっている。本当に米英では、そんな長ったらしい言い方をするのだろうか。
「いざる」、「いざり」も「該当語なし」で、日本語でどう言い換えるのかを知らないから、電子辞書を使えない。「せむし」も同様である。
「おし」は無く、「聾唖」ならある。聾唖は差別語ではないらしい。

 紙の広辞苑を調べたら、医学用語(?)に言い換えている。更に大変なことになったので、これでお終いにする。

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庭弄り開始

2007-02-27 | 親方ひとり

  クロッカス

 猛烈な北風が吹いても日差しは強くなって、クロッカスが咲き始めた。
植え替え、移植、株分けの時期が早くも到来したのである。

 去年挿し木をした大手毬と沈丁花、それに実生のゆすら梅を1本ずつほぐしてポットに植え替えた。白い根が鉢一杯になっていた。
 去年夏に挿し木した椿は、本では今が植え替え時期だと書いてある。しかし今植え替えると何故か痛みが出て、植え替え後の生育が悪い。むしろ梅雨明け頃の方が上手くゆく。それでも株分け断行。
 庭にこぼれた種から発芽した雪柳は鉢上げの、まさに適期である。今を外すと、枯らしてしまうことが多い。

 ぼけ(木瓜)の株分け、虫取り撫子、撫子、吉祥草、アジュガ、昼咲き月見草の移植など、これからやる庭仕事は山ほどある。身体はいくつあっても足りないのである。
 今年も、ギックリ腰を用心しながら、狭い庭でストレッチ体操式庭弄りが始まった。
もうそろそろ卒業しようと思いながらも、蕾が膨らんでくると止められない。
そんなこんなで、またポット苗が増えてしまった。

  増えたポット苗はこの2倍、ふう....。

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物置

2007-02-27 | 林住期

          白服の社長さん、森男の提案も聞いて...。

 雪柳の芽が色づき、ぼけ(木瓜)や沈丁花(じんちょうげ)の蕾が膨らんできた。
いよいよ偽庭師の出番である。

 作業を始める前に、道具や土や肥料などを物置から出さねばならない。
なにしろ狭い場所で、ストレッチ体操のように身を捩りながら、段取り良く作業を進めなければならない。だから道具や材料の準備が大切だ。
 ところが、不思議に探し物は見つからない。
原理原則に従って真面目に収納すれば良かったのに、いつもしまう時になると「とりあえず」なのだ。だから、物置の中身を全部取り出さないと、探し物は見つからない。

 大体、物置が良くない。「100人乗っても大丈夫」のイナバだ。
20年前にに買ったイナバは10年過ぎたら錆が出て、裾の方がボロボロに。
それで3年前に、一回り大きいイナバにした。
以前より沢山収納出来るようになったが、探し物も沢山になって、もうタクサン。

 イナバの社長さん、誰が物置の屋根に100人も乗るんですか? 用事もないのに、屋根に乗るのは御社だけです。や~ね、です。100人乗りは雪国限定仕様にせよ。
それよりも、中に入れる棚を奥の壁に固定せず、引き戸に直角にして数台置き、引き戸と同じように横滑りするようにした方が便利だ。なお人一人中で立てる隙間分は棚の数を省いて下さい。美術館などの収蔵庫のように。
そして錆止めは最低30年にね。後は知らない。
 なお、設計アイデア料は辞退します(こっそり相談に応じますから、社長さんコメント下さいね)。

 そんなことウダウダ言わないこと。まだ物置に収納するものがあったら、捨ててしまえばいいのだった。あっちには持ってけないからね。

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土手の梅

2007-02-26 | 親方ひとり

  いい名前考慮中

 土手の梅が満開になった。
この梅はおよそ20年前に、庭の実生苗を捨てるつもりで移植したものである。
当時、高さはせいぜい30センチ、幹は1センチも無かった。
植えた頃は雑草に埋まっていたが、元気に育って、3年前から花が咲き出した。

  大盃

 花梅は普通実をつけない。
この梅は濃い桃色八重咲きの「大盃」という品種の花梅の下に、自然に生えてきたのである。他に、庭には白色枝垂性の「月影」と、一重で淡い桃色の花の上品な「紅筆」がある。稀に実を着けるのは大盃と月影。紅筆は花さえろくに咲かないのは、大事にし過ぎて、年中鋏をいれているからだと思う。

  月影枝垂れ

 土手の薄い桃色の梅は、どうも自然交配で出来た新しい品種なのである。土手の梅は綺麗な花を咲かせるようになった。もっといい名前を、褒美につけてやろうと思っている。

  紅筆

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鈍感力

2007-02-25 | やぶにらみ

 大丈夫かい 負けたらアタシもあんたもヤケド
                              だよ

 オペラ三昧かと思っていたら、コイズミがまた一発。
総理には鈍感力が必要だ、と。
支持率は上がったり下がったりだから気にするな、とも。
格差は昔からあったと切り返せ、だと。

 支持率は下がりっぱなしじゃないか。アカンベ首相は鈍感過ぎるのだ。
アメリカべったりだったイギリスも、イラクからは手を引く気配。
北朝鮮敵視政策を採ってきたアメリカは、イラク・イランに足を取られて妥協に向かっている模様。結局、支援資金は日本が負担するだろう。
郵政造反組の復党で叩かれても、「兄弟同然」の衛藤落選議員を復党させる。
そして、頼みもしない憲法改正である。

 それにしても、アカンベ首相の舌の滑らかさは、火が点いた鉋屑である。あの饒舌は異常であり、鈍感力は見事である。                  

 話しは変って。「鈍感力」は作家の渡辺淳一先生の本から取った発言のようだ。
出版社は素早いから、早速今朝(2/26)の朝日に広告が出ている。広告の文言に拠ると、ますますコイズミの発言は鈍感である。また前首相がこんな軽い本しか読んでないとは呆れる。アグネスチャンと親友のアカンベと同程度である。
 文言は以下のとおり。

 ・あなたは持っていますか? 今を幸せに生き抜くための、この力を。
 ・例えば、いやなことはすぐ忘れる、説教は右から左へ聞き流す.....。
 ・それが複雑な現代社会を生きる知恵「鈍感力」。

 林住期の森男は、そのとおり。「鈍感力」の真っ只中。
コイズミは依然として歳費を貰い、アカンベは総理大臣。鈍感を目指すのは鈍感。
「米百俵」を持ち出したのはコイズミ。「先憂後楽」こそアカンベに必要。

 なお、集英社の広告で鈍感力をキザに、英語で表記しています。

   The Power of Insensitivity と。

カンベ総理は、そのうちボサノバの How Insennsitive になる。

ニュース速報(TV朝日・2/27朝)。
現在国会傍に豪華な議員会館新築中。
その工事現場に二本松藩の遺跡があって、二本松市長が保存を首相に直訴した由。首相はこれを無視。業者は遺跡を壊し始めた。まさに、美しい国作りに邁進中だ。

                                     イラストは山田紳 朝日1/5掲載

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「林住期」の効きめ

2007-02-25 | 重箱の隅

 

 う~ん、やられた。五木寛之先生に。先生が「林住期」を出したのである。

 「林住記」は、もちろん「林住期」から採っている。臨終期だなんて言うヤカラもいるけれど、憎まれっ子は、まだ世にはばかるからな。
林住期という言葉は、随分昔に桐島洋子女史が言っているのを聞いて、いつか使ってやろうと思っていた。
 林住期とは、人生の終わりの少し前の蹌踉期に対する、古代インド思想上の定義である。森男のブログはどうせ大したものじゃないよ。だから遠慮して「林住記」にしたのだ。
そこへゆくと、五木寛之先生は大したもの。堂々の「林住期」である。面白くないね。

 実は幻冬舎が朝日新聞に大きな広告を出したのだ。
やられた。流行るぞ。口惜しいねぇ。商標登録しておけば良かった、と後悔している。
悔し紛れに、広告文にケチを付けてやる。森男の異論反論妄言罵詈雑言は小文字で呟きます。

◆「林住期」の生き方で 人生の価値は決まる!

 冗談じゃない。人生の価値は林住期以前の家住期・学生期で決まるのだ。
 林住期の生き方なんか、あまり関係ない。
 大体、「価値」と言うが、価値を誰が、どう決めるのか? 読者にゴマを擂らないで下さい。

◆女も旅立ち、男も旅立つ「林住期」。

 何じゃ、こりゃ。旅立つのは「遊行期」の最後「死出の旅」じゃないのか。
 ただの旅行なら何時だってしている。
 いかにもデラシネ・五木センセらしい言い草だね。

◆私は初めてポジティブな本を書いた。疲れた自分を励ますために......。

 疲れたご自分を励ますためなら、出版なぞしないで下さい。
 森男のように「林住期」ブログにして、しこしこやってて下さい。
 本当は原稿料を稼ぐためでしょうよ。キザな物言いをする先生だ。
 本は相変わらず、ネガティブな装丁(↓)だ。
 ただ、今までネガティブな本ばかり書いていたと自覚して、反省するなら許してやる。

◆これまでと全く違った革命的人生のすすめ。

 おいおい、これから革命的人生かよ。もう、草臥れてるんだよ、読者一般は。
 この「林住記」が本になって、印税沢山入ったら、革命的な人生を送ってやるよ。

◆林住期こそ人生のクライマックスだ

 そうかねえ。林住期は間違いなく人生の下り坂さ。
 輝かしい第二の人生だなんて嘘嘘、嘘ばっかり。
 いま煽られて、頑張ると脳溢血起こすぞ。責任とってくれるか?

 どうもこの本、さ迷える団塊定年世代狙いの緊急出版だな。五木先生って、本当に商売が上手い。
でも、林住期の生き方が本を読めば変るなんて事は無い。騙されるな、ご同輩。
五木先生のお友達(?)の塩野七生女史がこの広告を見たら、また憎まれ口をきくだろう。
 本を読まないで批評するのもナンだから、まあ、本屋で前書き・後書き・目次に目を通すことだけはしよう。
「林住期」の効き目はせいぜい納豆程度。林住期の生き方は、自分で決めようぜ。

  花は萎れて「林住期」 枯れずに森男は「林住記」

 .......その後「林住期」を立ち読みした。
あとがきを読むと、大勢の人の応援があって本が出せた、とある。森男の「林住記」はたった一人で書いているのに、五木先生、ずるい。
また、最末尾の小さい活字を読むと、なあんだ、どうも四住期の説明と、あとがきだけ新しく書き下ろして、その他は全て雑誌などに掲載済みの原稿を、並べ変えただけのようである。つまり、最新市場を分析しての緊急出版だったのだ。あざといねえ。
内容だって、今更先生に指摘されるまでも無く、既に知ってることばかり。実行してないのが弱みですがね。
 バカバカと馬鹿を連発して、読者を小馬鹿にする養老先生。深刻人生が売りの五木先生。ほんとに商売人です。

 まあ、東京マラソンや熟年式に参加する、毛が抜けた羊の団子世代には効く本だろうよ。せいぜい買ってやって下さい。本屋に山積みされてますから。フン。

お詫び。
上の画像は新聞広告の横幅を勝手に縮めました。ごめんなさい。
ごたごたしてますが、元の広告も普段の幻冬舎らしくなく、スッキリしていません。
なお、本の価格は税込みで1470円です。効き目のある人には安い値段ですね。

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熟年式

2007-02-24 | 林住期

 

 ヘンなちらしを見つけた。
「熟年式」である。所沢市では明日25日に第3回目を開催する予定で、既に申し込みは満員御礼、参加申し込みは終了しました、そうだ。

 所沢市では、主催は「熟年式実行委員会」で、市と「FM茶笛」が後援している。また、多くの市民の皆様や企業様のご協力で行われて、厚く御礼申し上げて、いる。
狭山市では第1回を開催するので、式を推進して下さる情熱のあるボランティアメンバーを募集!!、しているらしい。
熟年式HP」まであるのである。

 これ、なんか東京マラソンのようで、気味悪い。成人式のように、市が予算をつけなければいいけれど、所沢市民文化センターの中ホールが満席になるようなら、議員が放っておかない。
 誰かが号令すると、用も無いのに走り出す。組織にまだ懲りていない。団塊の世代とは情けない世代だ。

 還ギャル・還ボーイなんて呼ばれて恥ずかしくないのかい?BB・GG。
還暦祝いは家族でおやり。

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校歌

2007-02-24 | 歌の翼に

 
 大学の同窓会の締めは、肩を組んで円陣を作り、校歌を斉唱した。
森男は偏屈だからそういう野暮は嫌いだし、校歌をすっかり忘れていて、きまりが悪かった。
同窓会で何十年振りかに会った同窓生の多くは、若い頃の面影はまるで無く、すっかり老いて初対面のような気がした。
 その後、時々同窓会の案内が来るが、必ず「また昔話をしよう」と書いてある。まだ若いくせに何て後ろ向きなんだろう、とうんざりしてしまい、参加したことは無い。
昔話や思い出話は成り行きでするならいいが、始めからそれを目的にして集まるなんて、困った爺たちだ。

 作曲家の團伊玖磨が校歌について書いている。
東京6大学の校歌で最も優れたものとして、以下の3曲を挙げている。

 ・早稲田大学校歌(作詞相馬御風、作曲東儀鉄笛)
 ・明治大学校歌(作詞児玉花外、作曲山田耕筰)
 ・法政大学校歌(作詞佐藤春夫、作曲近衛秀麿)

そして、明大校歌を校歌中の白眉、と絶賛している。
確かに素晴らしい校歌だ。隣の大学だったが、森男もこれなら歌える。

 卒業した大学の校歌は忘れてしまったが、高校の校歌は今でも覚えている。
作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰という最強の組み合わせである。

  秀麗の富士を 高く
  西に仰ぐ この丘
  巍々たり 我が校
  風も 薫れり
  清明 ここに学ぶ
  我等
  眉わかく 常に純なり
  天与の稟質 磨け我と
  開けよこの窓 すべて光らむ

  湘南の空は 広く
  雲雀あがる この庭
  集へよ 我が師と
  声は和したり
  協同 ここに励む
  我等
  松蒼く 人は正なり
  自由の研学 思へ智徳
  求めよ普く 絶えず求めむ

  澎湃と満つる 潮は
  相模灘ぞ この海
  騰げよや 我が志気
  波も頻吹けり
  剛健 ここに勢う
  我等
  胆大に 意図は壮なり
  立身報国 期せよ友よ
  響かせかの雲 共に興らむ

 どうだっ。  この堂々。    読めないだろ。
白秋にしては古色蒼然だが、立派立派、物凄い。

 我等の先輩、石原慎太郎都知事は、3番の影響が相当あるようだ。
「立身報国」は別に悪くはない、と森男は思っている。
だが先輩、実は胆大ではないから剛健を装い、自分の士気ばかりを騰げる。
巍々たる態度を押し通し、わが子等にばかり報い、疑義ある言動はなはだし。
不信感は澎湃と東京湾に満ち、我等後輩残念なり。

 校歌が出来た戦前はともかく、森男の頃の校風は、3番より2番だった。勉強は厳しかったが、先生も生徒もリベラルだった。
松原や麦畑に囲まれた砂丘の上の高校だった。
背の高いポプラ並木に風が吹いて、緑の葉が煌いていた。

 山田耕筰の曲を、團伊玖磨のように作曲技法を基にして説明できないけれど、ちょっと風変わりな旋律で気宇壮大。入学して直ぐに好きになった。ブラスバンドの伴奏で校歌を歌うと、みんな元気になった。甲子園で優勝したのは奇跡であるが。
ただ、やっぱり古いや。

 今、欧米で引っ張りだこの指揮者大野和士クンは、我等の後輩である。オペラを編曲する才能は凄い。当然校歌くらいは作曲出来るはず。
だから現代感覚の易しい歌詞で、世界に飛び出すような校歌を作曲してくれないものか。

 といっても、この校歌が好きであることに変わりはありません。

補講(読み方)。
巍々(ぎぎ) 稟質(ひんしつ) 雲雀(ひばり)  勢う(きそう) 普く(あまねく) 澎湃(ほうはい) 頻吹く(しぶく) 騰げよ(あげよ) 興らむ(おこらん)

☆画像は、秀麗の富士と緑の江ノ島。

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確定申告でムカッ

2007-02-23 | 林住期

  灯台鬼(国宝) 興福寺

 確定申告のために書類を整理し始めたら、生命保険料の控除申告漏れがみつかった。
10年前に死亡保険金を解約し、医療特約だけを残し、有期年金に切り替えた。その時に特約保険料を一括前払いした。
保険会社は、前払い分を毎年均等に分割して、「生命保険料控除証明書(一般用)」を送付してくれていたのだ。迂闊にもその事に、ここ数年気付かず、現在加入している県民共済の僅かな「熟年生命保険料控除」しか申告していなかった。
税金が還ってくる。

 老齢者控除50万円は既に廃止したし、所得額の算出式を変更したので、課税対象所得金額が上昇した。定率減税も縮小した。
課税対象所得金額が上昇したために、所得税、県民税、市民税、健康保険税、介護保険料など、全て上がった
年金受給額は減り、いわゆる「負担増」である。

 役人と議員の怠慢・無駄遣い・特権などを聞く度に、税金なぞ払うものか。愛国心なぞ飛んでけの毎日だ。
そこで、確定申告会場に行って、申告漏れ分の追加申告を申し出た。ところが、

 「確定申告は本人が申告している。間違えたのは本人の責任である。
 前年分までしか訂正(役所言葉では更正)出来ない。
 訂正は税務署(当市の場合は川越税務署)でしか出来ない」。

と説明された。丁寧な態度だったが、思わずむっとしましたね。
税法上の時効は5年のはず、と食い下がっても、この場合はダメなんだそうである。
窓口の役人に食い下がっても、一般庶民は敵わない。自業自得と自分を責めるしかない。
 川越税務署に行けば、交通費がかかり、散々待たされて、不愉快な思いをして、還付されるのは前年分のみ。多くても数千円だ。それでも出かけて、意趣返しにトイレットペーパーを大量にかっぱらってくるか、と不埒なことを考えている。

 ところで、数日前から腹が立っている。朝日新聞の記事(2/11「選択のとき」人口減で明日は・税と社会保障編)である。(記事が悪いとは言ってませんよ。)

 「相次ぐ高齢者の負担増。耐えられますか?」

と、ある。耐えられるはず、無いじゃないか。
それに、この記事、収入と所得を混同しているのではないか。もしそうでなければ、森男および知り合いの人の多くが「貧困層」だ。糞ッ。自民公明議員は八つ裂きにしてやれっ。
また、ここでいう「所得(もしかすると収入)」の分類をもう少し細かく分けて、世帯構成比を出して欲しかった。まあ、どっちにしても貧乏人だけどね。
だが、「どうする」欄で神野直彦東大財政学教授の意見、「格差を意識し、きめ細かい対応を」は解りやすい。記事全体は読み易いいい記事だ。確かに日銀のフクイのような、大金持ち荒稼ぎ爺いも大勢いる。単純平均で高齢者は金持ちと考えるなよ、アカンベ。

  朝日記事(部分)

 国会答弁でアカンベは、「もし格差があるならば、政治はしっかり対処する」と言った。つまり、彼は格差があることを認識していないのである。

 森男の同世代のオジイサンたちは、年金や税金を奥方任せにして、お犬様の散歩のお供か、TVのお守りに専従している人が多い。うかうかしてると、自民公明役人連合に身包み剥がされるぞ。
目を醒ませ。起きるんだ。..........やっぱり、起きないな。

★この記事、品が無くてイカンです。負担増を思い出すと、つい地金が出てしまうのだった。

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千の風になって

2007-02-22 | 歌の翼に

 

 「千の風になって」を初めて聞いた時は好きだった。
けれども、だんだん嫌いな歌になった。

 何故かというと。
秋川雅史さんの歌い方が嫌いだ。もったいぶって、偉そうに.......。
もともと、テナーは嫌い。男の癖に、あんな金切り声を揚げると、頭骨に響いて脳に悪影響があるはずだ。「テナーバカ」とは昔から言う。
この歌は、こんな歌い方は似合わない。ナポリへ行って「恐れ見よ」でも歌ってろ。

 世界の3大テナーのプラシド・ドミンゴがジョン・デンバーと流行歌を歌ったレコードを持っている。ジョン・デンバーの方がずっといい。イエスタデイをドミンゴが歌うと、こねくり回して、脂っこい。テナーってな人種は嫌いだ。

 嫌いになったもう一つの理由は、魔法使いのような風貌の、怪しい訳詩者のHPの所為である。
歌詞を転記しようとしたら、やたらに煩いのだ。
営利目的なら、どこそこの許可を取れ、は了解する。だがな、非営利目的なら、

   ・先ず、写真詩集「千の風になって」(講談社)を読め
   ・次に、いわさきちひろ著の「千の風になって ちひろの空」(講談社)を読め
   ・最後に出典を明記した上、該当頁でなくHPをリンクせよ

と来たもんだ。
ああそうですか、そんなに偉いんですか、千の風は、と嫌になってしまったのだ。
歌詞を書いてあるHPはいくらでもある。だが、キザったらしい訳詩で嫌いだね。
だいいち、背後霊の独り言のようで気味悪い。
だから、詞は転記しない。
 そもそも、始めはこの歌の販売促進に協力するつもりだった。ただ考えてみれば、「林住記」はトイレの落書きと同じだ。偽名でこっそりと書いている。やむを得ず入ってきた人しか読まないから宣伝にはならない。落書き風情のブログで話題にするのは、公衆道徳違反なのだった。
たかが流行り歌のくせに、千の風は偉すぎるよ。

 加藤登紀子さんが歌えば、ほんとは、いい歌なんだがね。

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定年後の過ごし方

2007-02-21 | 知ったかぶり

 

 フランスの保険グループ「アクサ」が、世界11ヶ国で退職者にアンケートを実施した。

 定年後の再就職希望は日本が50%で、2位シンガポール37%を大きく引き離している。退職年齢の引き上げに反対は、日本では9%で欧州諸国はほぼ50%。
日本では定年後も働きたい。だが、高齢者は就職できないのはご存知のとおりだ。

 それで、再就職出来ない定年後をどう過ごしているか。
アクサでは、定年後にしている事を、趣味・ボランティア・庭いじり・家族の世話・ハイキング・スポーツ・読書・旅行・何もしない等の10に分類して、1位から3位までを国別にまとめている。
 日本の場合、1位は趣味。2位はボランティア。
庭いじり、ハイキング、読書、旅行を趣味とは別にしているのに、3位に「何もしない」が出てくる。核家族化で「家族の世話」も無い。
この結果は、やはりそうだったかと思う。また、情けないことである。他の国では、している事が3つはあがるのに、日本は平均1.つしかあがらない。これは世界最低だそうだ。定年後の過ごし方はお寒い限りだ。

 日本の場合、定年後の年金収入だけでは生活費が5万824円不足している。調査した11ヶ国中最大の赤字幅だ。自国の社会保障に危機意識を感じている人も最多だった由。赤字をどのようにして補填しているのか、知りたいものだ。
 森男の場合、いまのところ収支は一応均衡している。だが、税金と健康保険介護保険料の割合が高い。楽しみのために支出をする前に、虎の子を役人と議員に毟り取られている感じが強い。
家の修理や病気をしたら、退職金を取り崩さなければならない。
他人の定年後の過ごし方を寒がっていたら、自分自身が相当寒いのだった。
ハッハ、ハ、ハックショイ、だ。

図と記事は朝日新聞2/18日曜版記事より。

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雨中植樹

2007-02-20 | お節介
 今日は男女9人で植樹作業。
予報どおり、霧雨が降ってきた。ザアッとくれば止めるのだが、霧雨では途中で止めるわけにもゆかず、結局11本のいろは紅葉の木を植えた。
作業は随分丁寧にやった。秋には紅葉が楽しめるだろう。

 斜面の福寿草は黄色い花を閉じ、麓の団地は灰色に沈み、春は一歩後退の感じ。
地下足袋はどろんこ。気分は寒さで沈み勝ち。写真撮る気にもならなかった。
 今日も昼前に解散した。

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鞆の浦に注目

2007-02-20 | やぶにらみ

  鞆の浦(ウィキペディアより)

日本一美しいと言われる「鞆の浦」を埋め立て道路を建設し橋を架けるらしい。
例によって「市街地の渋滞解消と観光振興」が目的である。

万葉集で歌われ、朝鮮通信使が感嘆し、東大・日大の都市計画調査で価値が裏付けられ、世界遺産諮問機関が評価した、世界でも稀な円形港湾の景観が破壊されようとしている。

鞆の浦にまだ行ったことは無いが、各地の観光地を見れば「観光振興」を言い出すと、行政と観光業者・土建会社が徹底的に景観を破壊してしまう。

仕事で三重県の伊勢志摩地方には何回も行った。
コンクリートの堤防ばかりで、景観に魅力は全く無かった。
志摩地方は津波や高潮の被害があるから、ある程度の工事はやむを得なかったかも知れないが、それにしても酷過ぎる。だが、瀬戸内海ではどうだろうか。

行政や観光業者の主導する「観光振興」は、大抵の場合景観を破壊してしまう。
日本でも欧州各国のように、これまであったものを生かし、工夫し、より良い景観にする時代になったはずである。
大工事で新しく何かを付け足す時代では無い。この計画は大手建設業者だけを潤し、議員が恩恵に与るだけであろう。

NPO法人「鞆まちづくり工房」の代表理事の松井秀子氏が訴えている。

  「世界の鞆の浦を助けて下さい」 と。

このNPO法人のHP「鞆まちづくり工房」を見た。
なかなかの活躍であり、信用できそうだ。HPは充実している。
時々覗いて、推移を見守りたい。

  朝日新聞2/17土曜版記事より

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