飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

子どもの非言語的情報

2005年05月22日 00時07分19秒 | 授業論
教師はよく「子どもたちは集中力がない」と言う。
ではこの集中力、どんな事実をもとに判断するのだろう。
まず考えられることは、きちんと椅子に座っているということだろう。
しかし、抽象的で漠然としている。
ある本に次のように書かれている。

子どもたちが学習に飽きてくるプロセスは次のようであるという。

0 適度な刺激の欠如
1 気が散る
2 姿勢がくずれる
3 落ちつきを失う
4 動き出す

さらに具体的に、子どもたちのサインを対応させてみる。

1 気が散る     「目」が散る
2 姿勢がくずれる  「背中」が曲がる
3 落ち着きを失う  「手」が動く
4 動き出す     「足」が動く

どの段階の指標で自分は気がつくだろうと考えてみる。
いつも見えているのは2レベルかなとも思う。
目の観察には少し時間がかかるかもしれないが、2レベルの「背中」はすぐに観察可能である。

次に無限にある教室場面をできるかぎり細分化してみる。
一点に集中して見るという前提で考えてみる。

0 リコーダーの練習の時、口元を見る。
1 授業が始まるとき、背中をみる。
2 個別指導の時、目(視線)を見る。
3 グループの話し合いの時、頭をみる。
4 発言・発表の時、足を見る。
5 何かを練習しているとき、手をみる。
6 集会の時、頭の揺れをみる。

その場面での子どもたちの心理状態を端的に表している部分は何かを考える。
例えば3のグループによる話し合いの場面。
何を見れば集中していると判断できるのか。
それは頭である。
頭の何を見るのか。
それは各班ごと、頭のくっつき具合いを見るのである。
これで班ごとの取りかかりの状況がほぼ見て取れる。
頭を寄せ合っている班は集中して話し合っている。
そして、さらにこの状況を波及させるために、
「○班は、立派です。
 頭を寄せ合って話し合えているね。」
と指導的評価の声かけをする。

子どもを見るとは、子どもの非言語的情報(しぐさ、動作、姿勢)に着目した子ども理解の方法である。

SCENE31(saitani)



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