飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

どんな子どもを育てたいのか

2024年10月02日 05時20分32秒 | 学級経営
先生方は学級の子どもたちをどんな風に育てたいと考えているのか。
どんな人間になってほしいと思っているのだろうか。
具体的な子ども像なしに、その目的は達成できない。
明確な目標とそれに至る確実な道筋を意識することになしには子どもは育っていかない。
担任のとき、自分はどんな子どもを育てたいと考えていたのだろうか。

1993年7月21日 学級通信より

私の「やれば必ずできる。結果は問わない。ベストを尽くせばそれでいい。」という言葉を信じ、自分の弱い心に打ち克ち、手を上げた子。
「結果が出なくても、一等賞になれなくても、勇気を持ってチャレンジすれば、それ以上の残念賞がもらえるよ。」という言葉に力強く頷いていた子。
私は尊敬する。
私が十分な助けをしてあげられなかったにもかかわらず、人を責めることをせず頑張った一人一人の子どもたちは立派だったと思う。
昨日の自分よりも成長しようと挑戦できた子どもたち。
その子どもたちの姿は、怠けそうになりそうな私の心に、勇気を与えてくれた。

ただ一つ残念だったのは、その向上心をクラス全体に広げられなかったことだ。
しかし、そういうクラスになれなかったこと、気持ちをそちらに向けられなかったことの責任は私にある。

「あいつは跳び箱が跳べない。」
「あいつは、計算ができない。」
「あいつは絵が下手だ。」
そんなふうに子どもたちが心の奥底で友人を評価しているとき、そんなことを払いのける事実を教室で示したかった。

自分ができるからといって尊大にならず、また、自分ができなからといって卑下することもなく、困難に立ち向かっていける。
そんな子どもたちを育てたかった。

いつも、自分を振り返り、友人と対等につきあっているだろうか反省する。
そして、どこかで友人を傷つけたりはしていないだろうかと自問する。
そんなたくましさも持って欲しいと考えていた。

そんなことを私は考え実践してきた。
しかし、現実はどうだったろう。
私自身の実践は、差別を拡大再生産するような授業ではなかっただろうか。
教室の中で、「授業がよくわからない。」と思っている子が一人でもいなかっただろうか。
自分の未熟さと弱さを反省する。

41日間の夏休みが始まる。
今、書斎にはられているクラスの写真をみながら、一人一人が小学校生活最後の夏休みを思い出深いものにしてほしいと心から願っている。
自分もこの夏休みを、自己研鑽にあてて、子どもたちとの約束を果たすために、授業再開に備えたいと思う。

saitani


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