飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

ただマイヨジョーヌのためでなく 1

2024年02月04日 13時08分51秒 | 趣味
この本の中には、言葉にするにはあまりに辛いこともあるし、また気楽には読めないような話もある。
最初にお願いしたいのだが、まず英雄とか奇跡と言った考えは傍に置いて置いて欲しい。
なぜなら僕はおとぎ話の主人公ではないからだ。
ここはディズニーランドでもハリウッドでもない。


ある記事の中で、僕がフランスの丘や山々を「飛ぶように上って行った」という表現があった。
でも、丘を「飛びように上る」ことなどできない。
僕にできることは、「ゆっくりと苦しみながらも、ひたすらペダルを漕ぎ続け、あらゆる努力を惜しまず惜しまず、上っていく」ことだけだ。
そうすれば、もしかしたら最初に頂上に辿りつけるかもしれないのだ。


ガンも同じだ。
どんなに品行方正で、からだが丈夫な人でもガンになる。
人はガンに勝つためにあらゆる手段を講じる。
それでも人は死んでいく。
これは絶対的な真理だ。
人は死ぬ。
それを知った後では、全てのことは無意味に思える。
全てが小さく思えるのだ。


病気は僕という人間を、屈辱的なまでに素っ裸にし、僕は容赦のない目で自分の人生を振り返ることを余儀なくされた。
いくつものことが後悔と共に思い出された。
卑劣な振る舞い。
未完成の仕事、自分の弱さなど。
僕は自分に問いかけた。
「もし、生き残れるとしたら、一体どんな人間になりたいのか」。
僕は人間として、もっともっと成長しなければならないことに気がついた。

断言していい。
ガンは僕の人生に起こった最良のことだ。
なぜ僕がガンになったのかはわからない。
けれども、ガンは不思議な力を与えてくれた。
僕はガンに逃げる気はない。
人生でもっとも重要な、人生を形作ってくれたものを、忘れたいと思う人などいるだろうか。


Saitani

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