飛耳長目 「一灯照隅」「行雲流水」「万里一空」「雲外蒼天」

「一隅を照らすもので 私はありたい」
「雲が行くが如く、水が流れる如く」

夢や希望をもつことはよいことか

2024年02月05日 09時53分06秒 | 人生論
私たちは夢や希望をもって生きていくことをいつも教えられてきた。
そのことは良いことだと思って生きている。
しかし、本当に良いことばかりなのかと最近考えるようになった。

夢や希望は、自分がこうなりたいという一種の願望であり欲であるとも言える。
この欲というのは、未来を自分も思うがままにしたいという望みでもある。
しかし、未来がどうなるかなんて誰にも分からない。
損得勘定で基づいて未来を設計したとこで、ほとんどの場合はそのようにはならない。
人はその狭間で苦しんだり、悩んだりする。
よいと思っている夢や希望が自分自身が自分を苦しめる結果にもなる。

だとしたら欲のもととなる夢や希望を捨てたらどうだろう。
希望を持たずに生きる方が楽ではないのかという考えも出てくる。

禅の言葉に次のようなものがある。
即今・当処。自己。
即今とはいまのこと。
当処とはここのこと。
自己とは、わたしのこと。

私たちは過去に生きているわけでも、未来を生きているわけでもでもない。
今、ここで、自分が生きているのである。
どんなに過去を悔やんだところで事実は変えられない。
ただし、その事実は変わらなくても、捉え方や解釈は変えられる。

そして、今を生きるときにも、のんびり、ゆったり、ほどほどに生きることが望ましい。
あまり頑張りすぎないことが重要である。

時には、夢や希望という欲を持たずに日々生きることも大切だと感じるこの頃である。

sairtani

この記事についてブログを書く
« ただマイヨジョーヌのためで... | トップ | 3年生 道徳科 ぼくを動かす... »

人生論」カテゴリの最新記事