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三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

便利さを捨てる時代

2011年08月21日 05時37分23秒 | Weblog






きのうは先週の出張から札幌に帰ってきて
久しぶりに「なにもしない」で、休養に努めておりました。
肉体的なばかりではなく、神経的にも疲れが出ていて、
ちょっと自分でも反省するような部分が見られたりしたので、
本当になにもせず、ひたすら寝たり、考えないようにしたり、
そのように務めておりました。
おかげさまで、そうすると
少しは頭が回るようになって、
やる気が出て参りますね。
人間,オンがあれば、オフもあるっていうのが必要だと痛感。

で、カミさんが「倉本聰さん、テレビに出ているよ」
って、知らせてくれまして、
昨年から今年前半に掛けて、ずいぶんお世話になったので、
日ハムの試合以外で、大変久しぶりにテレビを見続けておりました。
BSフジテレビだと思いますが、
「北の国から30周年」という特別番組でして
始まって30分くらい経ってからだったので、全体的な視聴ではありません。
全体としては、東日本大震災以降の状況変化の中で
倉本聰さんが、いま、どんな考え方をしているのか、
そんな展開でお話が進んでおりました。

昨年10月からことし6月くらいまで、
2度の対談や、舞台鑑賞も2度ほどあって
富良野や倉本さんとは、親しい時間を共有してきています。
で、最近6月の舞台でも、ずいぶん、涙を流させていただいた。
6月の舞台は「帰国」で、戦後の意味を問い直すものでしたが、
やはり感じていたとおり、
東日本大震災のことが、大きな思索テーマになっている様子がわかりました。
戦後社会は、欧米的価値観の「資本主義思想」が明治の開国以上に
日本社会に圧倒的になだれ込んできた社会である、
という認識が倉本さんに強くあって、
今回の大震災から、その総体への問い直しが始まるのではないか、始めなければ
っていうような問題意識が、大きく出ていたように思います。
明治の開国というのは、欧米列強に対して
それに対抗していこう、という気分が濃厚な
「近代国家」競争意識が遙かに優先した社会であって、
「資本主義」というよりは、剥き出しの帝国主義国家間戦争に対して
日本人社会が、雪崩を打って突入していった社会だった。
それは、一部では独占的な「財閥」を生み出した社会ではあったけれど、
それ以上に、国家主義が優先され、
暮らしや生活の価値観は、江戸期までの社会とそうは違っていなかった。
質素倹約、刻苦勉励という規範が強く存在していた。
少なくとも、倉本聰さんはそういう気分を強く持っていると思います。
戦前までのこうした社会規範が倉本聰さんの心理の基底に存在し
そういう価値観と、現代生活との違和感が強いのでしょう。
そして東日本大震災の経験から、そこに回帰するしかないのではないか、
そのように思われていると思います。
表題のような、便利さを捨てる時代に「ならねばならない」のではないかと
作家的直感が、そう感じさせているように思います。

番組は、いくつかのテーマについて
倉本聰さんが語り続ける、という構成になっていて
そういう意味では、ここ最近のわたし自身の心象にも近くて
非常に興味を強く感じて見させていただいた次第です。
このテーマ、簡単にどうであるとは言い切れないテーマだと思っています。
ひとつだけ、
「復旧」という言葉への違和感については、
まったくその通りだと思いました。
復旧は、だれも心の中で思い続けてはいないだろうというのは、
実感として、たいへん伝わってきた言葉でした。
問題意識が違う部分もあるのですが、
その後のことを、倉本さんに報告したいなぁとも思った次第です。
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後藤純男美術館

2011年08月20日 05時18分04秒 | Weblog






北海道の地方都市にある個人名の美術館というのは
不勉強でして、1~2度くらいしか行ったことがなく
その経験では、あんまり良い印象を持っておりませんでした。
そういうことで、この後藤純男美術館もなんとなく敬遠し続けていた次第です。
・・・・ところが、
今回、お盆の数少ない休みの日にカミさんと上富良野に行ってみて驚愕。
本当にわが身の不勉強をつくづくと思い知らされました。
すごい、本当にすごい。
日本画、ということなのですが、
詳しい技法的な特徴とか、その分類とかはまったく興味ありません。
そういった知識とはまったく異次元の部分で圧倒されました。
経歴的には、真言宗僧侶の家の次男として生まれ
絵に目覚めて以来、日本画、それも宗教的題材を中心に描き始めて
その後、作家としての転機として
北海道の自然を日本画として描き続けてこられ
独自の画風を確立させたと言うことだそうであります。
その後、中国にも渡られて、彼の地の自然や建築世界も数多く描かれています。
いやぁ、とにかく凄い、としか言いようがない。
特に感銘を受けたのが、やはり北海道人なので
厳しい冬の季節を大作で表現した日本画の数々。
なるほど、このような美的感受性によって表現する北の冬の世界がある、
確かにある、というように誇らしく思えるのですね。
深い共感が、人間の感受性というファクターを通してまざまざと伝わってくる。
日本画の伝統であるのか、
金色が随所に効果的に使われていて、
それが「きざし」のような、光の残照なのか、予感なのか、
なんとも表現できない情動として心理の奥底に響いてくる。
冬の流氷のシーンなどに使われるとき、
現実を遙かに超えるようなシュールな臨場感を味わわせてくれる。
東京芸大で教授も務められていた方なのだそうで、
そういう作家が、北海道の自然をここまで深く愛してくださり、
ここを拠点に捜索活動を続けられているということに
深く歓びを感じる次第です。

作品の数も、相当数あって、
すべてを見終わる頃には、かなり疲労感がカラダに残るほど。
しかし、美しいものを見た心の満足感は素晴らしい体験。
これからもきっと、長く通い、見続けるのではないかと予感しています。
写真はこの美術館2階のレストランの様子であります。
おいしい食事が楽しめますので、鑑賞後、よい句読点になることでしょう。
<美術館HP>
http://www.gotosumiomuseum.com/index.html

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民主党 住宅リフォーム推進議員連盟発足

2011年08月19日 06時31分03秒 | Weblog




民主党の参議院議員で、奈良県選出の中村てつじさんは、
わたしどもが発行した「エコ住宅Q1.0」という特集号を購読して以来、
ずっと、霞ヶ関で同僚国会議員や国交省のお役人さんたちに
その本を大量に配ったりされて来られていました。
新住協の実践的住宅性能向上運動に深く傾倒されて
個人会員として参加され続けています。
そういう経緯の積み重ねがあって、きのう18日に
表題のような議員連盟が発足することになりました。
発足会では、新住協の技術情報誌や、わたしどもの「東北の住まい再生」誌も
資料として、参加議員のみなさんや報道陣に配布されました。

写真は、発足会でひな壇側に並んだ政治家のみなさん。
左端が、議員連盟の幹事長を務められる中村哲治参議院議員。
そのとなりに、前首相・鳩山由紀夫氏。最高顧問。
その右側は、技術上の指導的立場に立つ鎌田紀彦室蘭工業大学教授。
その隣には、議員連盟の会長になる川内博史衆議院議員。
その右には、民主党の住宅政策立案者であり、顧問に就任した前田武志参議院議員。
一番右側は、事務局長を務める木村たけつか衆議院議員。
その他、副会長に26人、幹事長代理に1名、事務局次長に12名の政治家が名を連ね、
総勢で44名、さらに当日、石川知裕代議士の姿も見えていましたが、
なお数名の参加者があったと思われます。
川内代議士は民主党の国交省部会の委員長経験もあり、
幹事長の中村さんとの行動+戦略コンビという感じがいたします。
こういう時期での議員連盟旗揚げなので、たぶん、
いくらかの政治的な、政局的な思惑もあるのではないかと思いますが、
今後の活動方針として
1 サラリーマンが住宅ローンに苦しまない中古市場づくり
2 お年寄りが風呂場やトイレで倒れない家づくり
3 (東南海・南海など)来るべき震災に備えた家づくり
4 政策的な課題を総合的に解決するための業界側の受け皿作り
という4項目が中村さんから示されていました。
会合には、国交省の窓口となる住宅局の主要メンバーも顔を見せており、
本格的な与党政治側と、行政機構側の構図が鮮明になったと思います。
これまで正面切って
住宅の政策について窓口や折衝は存在しなかったのではないかと思いますが、
こういうひとつの可能性が見えてきたと言うことでしょう。

否応なく、その行方を注目していかねばならない動きだと思います。
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焼き鳥屋に逃げ込む赤ちゃんカモ

2011年08月18日 06時21分59秒 | Weblog






先日、青森の散歩道でのこと。
海辺の街らしく、いろいろな海鳥やカラスなどよく行き交うのですが、
ある交差点信号機で待っているとき、
ふと足下を見ると、見慣れない鳥が歩いている。
ちゃんと横断歩道の所で、信号を待っているではありませんか。
よく見ると写真のようなお姿。
たぶん、群からはぐれた赤ちゃんカモのようなのですね。
可愛いやら、かわいそうやら、
咄嗟のことに、どうすればよいか、迷って見ておりました。
カモの赤ちゃんとはいえ、走るのはけっこう早い。
なかなか敏捷そうではあるのですね。
しかしどう見ても、周辺に水場はないし、群の姿はない。
これは仲間を捜して戻してやろうかと思って近づくと、
大あわてになって羽根をばたばたさせながら逃げまどう。
おかしいやら、可愛いやら、どうしていいやらであります。
で、居合わせた郵便配達の方などと
「あれま、あれま」と見守っていたら、
車道を横断していって逃げていく。
青森の繁華街にも近い場所なので、かれの向かった先には
なんと、「焼き鳥」店があるではありませんか!
あまりの事態の展開に、わたしたちも唖然仰天であります。
なんと、様子を見ていたら、その店が気に入ったのか、
玄関前でしばしたたずんでいる(笑)。
こんなネギを背負ったカモ状態っていうのも見たことはない。
野生動物なので、いまどき、捕まえて客に出す店もないでしょうが
まぁあまりの絶体絶命状態(笑)であります。
で、これは強制的に捕獲して安全な場所に、と思ったのですが、
さらにかれは、逃げまどい続けて路地に入り込んでいって
ついに行方不明になってしまいました。
けっしてわたし、野生動物を虐待したわけではないのですが、
あまりの珍事に、どう対処すべきか、ワケもわからなくなった次第であります。

まぁ、この事件から
5日間ほど経っているのですが、
いまも、心配でときどき胸を痛めている次第であります。
あ、そういえば、きのう居酒屋で焼き鳥を食してしまった(!)。
まことに人間は罪深い存在であることよ・・・。
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自然素材だけの空間性

2011年08月17日 05時15分00秒 | Weblog





1眼レフ写真であります。
こういうワイドの表現領域でも、タテ横に大きな狂いが生じない。
日本的空間美には、しっかりとした木材の構成力のたくましさを感じさせてくれる
基本的にこういう架構の美しさが存在する。
西欧のような石造りの壁による基本構造とは明確に違った、
こういう凜とした緊張感が、その底に存在していると感じる。
なのでどうしても、このような写真での表現力が必要になる。

そういう表現のことはきょうは置いておきまして
こういう空間美は、日本人の情緒性のイレモノとしての
住宅の親和力、とでも言えるような部分に、
やはり深く関係していると感じられる次第であります。
で、この空間を構成している素材を数え上げてみると、
基礎には、きっとそこらに存在していたけれど、
形を吟味して、機能性を満たすと判断された自然石が使われています。
そこから柱が立ち上げられ、梁が水平力に対応しています。
中心近くにある柱は、
やや曲がりのあるものが使われ空間デザインのポイントになっている。
こんな「自然なデザイン」って、他に考え得るだろうか?
土間は土が踏み固められたもの。
壁も、竹木舞下地の上から土が塗り上げられています。
天井には木の小屋組の上に竹が縦横に渡されて、
その上に、自然のストロー内包素材である萱が積み上げられている。
自然界に存在するなかでも相当に「断熱性」の高い素材。
それらを緊結させているのは、植物繊維の縄です。
数少ないけれど効果的な位置に配された開口部には、
木の桟で組み上げられた和紙が使われている。紙を通した光という
ガラスとはまた違った感受性を涵養する素材。
食事の準備をするかまども、土で造作され
いろりを囲むように敷かれた敷物も植物繊維を編み上げたもの。
そして全体のデザインとして、
やはり日本人にやすらぎをもたらせる木造の木組みが心地よい。

こういう空間に勝てるような日常性のなかのデザイン表現など、
存在するのだろうか。
こういう空間があって、その土間に親しい人間が訪れてくれる。
そして、囲炉裏を囲んで地酒を酌み交わし、
地物の野菜類を中心にした食事をいっしょに食べる。
そういう種類のいごこちの良さに、敵うような暮らしの快美感があるのだろうか?
日本人には「自然との調和」という考え方が、抜けがたく民族的に存在する。
こういった背景装置の上に、花鳥風月の美が日常を彩ってくれるわけだ。
しかし、北海道では実はこのような空間美はそのままではあり得ない。
こういう空間美に心惹かれていくのは、
いつか、こういう空間でしかも高断熱高気密が一般化することを
強く願ってきているということなのでしょうか?
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「百姓」仕事

2011年08月16日 05時23分56秒 | Weblog





百姓、という言葉は、近代から現代に掛けての日本で
非常に使われ方が変化してきた言葉だと思います。
語の本来の意味から言えば、中国語で言うように広く天下万民という意味合いであり、
まことにそのままの響きがあると思う。
それが、農本主義の影響から農であるべき、という考え方が強まって
実際の村落ではコメ以外の多様な生産活動従事者が存在したのに、
それらを農優先の存在であるべきとして農民に誤変換させたに等しい。
で、その後、百姓=農民という思想が幅を利かせる。
そういう基盤の上に、日本の産業振興が明治以降始められ、
農家の次男三男たちを、都市労働者に仕立て上げるために都会の優越性を
社会全体の価値観認識に植え込む風潮が見られた。
街が文化度が高く、田舎が遅れた存在であるという刷り込みが一貫して行われてきた。
メディアというのは、日本において、この面で大きな役割を果たし続けてきた。
それが、マルクス主義的な「農奴」という西欧的価値観の補完もあって
現代まで、どちらかといえば「百姓」という言葉が差別的用語として使われ、
マスコミでは言いかえが行われるようになって、一般語の地位からも落ちた。
どうしても使いたい水戸黄門では、「お」百姓というように
敬語的接頭語を付けてセリフにしていたといわれる。


いま、原発の問題から
この仕事が危機に瀕してきていると思う。
コメという、日本民族とほとんど同義とも思われる生産活動が
放射性物質のありなしで、根底的な危機に襲われようとしている。
まさに固唾をのんで、この測定結果に民族的関心が集中せざるを得ない。
もしコメが、ダメとなったら、どうなるのか?
そしてそれが地域的偏差を持って格差が出たときに、どのように
文化の側、報道やメディアの側は対応するのだろうか?
すでに牛肉や、その他の食材のことで厳しい状況が現れてきている。
なんとか、それら食材を救う方法はないのか。
多少の危険性は覚悟して、それらを産業としての存続性を担保するように
支え続けることは出来ないのか。
百姓の仕事、コメの生産には八十八の百姓仕事が込められているとある。
写真のような「雀追い」の仕事や
この農作業のための小屋がけの素朴さなど、なんとも日本的という印象を持つ。
日本が日本であった、その文化の源である百姓仕事が大きな岐路にある。
このような分水嶺が近づいてきていると感じています。
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永年開催の高校同期会

2011年08月15日 13時40分19秒 | Weblog






一昨日は高校の同期会で深夜まで大盛り上がり大会。
まぁ、仲がいいというか、
ちょうど学生運動が華やかだったので、学園紛争なども
いっしょに経験した世代と言うことから親近感が倍増しているのでしょうね。
高校卒業後、10年経過してから「やるべや」ということで開始。
それ以来、32回も続けてきています。
きっと、ギネスブックに登録したら、いい線に行くかなぁ。
<今度、調べてみようと思いますが、開催を証明する手段はあるのかなぁ?>
なにごとも本質とともに、その「継続性」がたいへん大事。
続けることはマンネリとの戦いでもあり、
遊びの会とはいえ、いくつかの山坂谷を越えてきた部分もあると思います。
来年はついにすべての参加者が還暦に到達。
女子部が幹事になって旅行会も企画されております。
たぶん、多くのメンバーが死ぬまでこの会は継続していくことになると思います。
日本人の歴史としても稀有な平和に人生を過ごすことが出来た
そういった仲間として、記憶に残していきたいですね。
これからの社会や、子どもたちのことを考えていくと、
わたしたちは、なんと幸せな社会を生きてくることが出来たことよと、
驚くような思いも沸いてきます。

さて本日は早朝に墓参りに。
ことしは13日に出張が入って、迎え盆にならず、
お盆の中日でようやく行ってこられました。
ことしは、墓の掃除とかも息子にさせたりして、
いろいろな思いも交差しています。
さて、あすから、再び出張とか大忙しであります。
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青森すじこ

2011年08月14日 10時12分17秒 | Weblog

いやぁ、どうしようかなぁ、とは思ったのですが、
これから汽車で5時間以上も揺られて札幌に帰るのに、
このすじこを持って帰るというのは、どうも考えられませんでした。
しかし、青森の市場街で見かけたごらんのような光景。
しかも、多くのお客さんが行列しているお店。
みんな行儀良くしていて、ひとりひとりの注文の終わるのを待っている。
で、ようやく順番が来たら、持参して帰るまでに足りるような包装方法で
荷造りしてもらって持ち帰っていきます。

っていう話をけさ、カミさんにしたら、
「なして、買って帰ってこなかったのさ!」って一喝。
そうなんです、カミさんはこのすじこが大大大好物。
筋子を口にいれているときのあの幸せそうな表情は笑えるのです。
そうではあるのですが、
青森と筋子って、あんまり聞いたことがなかったので、
買って帰る発想がどうしても湧いてこなかったのですね。
ひとしきりどやしつけられまして、目が覚めましたです、はい。
今度は迷わず、列に並んで、従順に購入してきたいと思います。
実はわたしも大好きなんです。
まぁ、カミさんには負けるのは明白なんですが、
けっして人後には落ちないほどの筋子好き。
値段は100gあたり、400円から、特上では750円まで。
1kgくらい買うことになるのでしょうか?
で、どれくらいで食べ終わるのか、
まぁ、たぶん、冷凍庫に小分けして入れておいて
すこしずつ平らげていくのでしょうが、
あぁ、失敗したなぁ、ホント。
書いているウチに無性に食べたくなってきて溜まりませんね。
しかし、筋子がそればかり、こんなにどっさり展示されているのも
これの迫力って相当にあります。
舌と腹にズンと来る重量感が、圧倒的に迫って参ります。
盛りつけられている高さもより一層の迫力でありませんか。
ということで、逃がした魚は大きかった青森のすじこでした。
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北海道と本州のつながり

2011年08月13日 07時08分03秒 | Weblog






青森に来ております。
急な出張だったので、お盆時期でもあり
チケットが取れるのかどうか心配しておりましたが、
朝一番、札幌を7時に出発して、青森到着は12時ちょっと過ぎ。
途中は早起きを取り戻すかのようにゆっくりしていたので、
体力的には楽ができますね。
しかし、時間的に日帰りはちょっときついので、
青森で1泊している次第。
ちょうど若い人たちの体育系の大会が開かれているようで、
街を歩いていると、そういう元気な人たちばかり。

青森はゆっくりいたことが少ないので
つかの間ですが、街中の散歩を楽しめました。
郷土資料館に立ち寄ったら、ごらんのような地図に遭遇。
アイヌの人たちは、津軽海峡のことを
「しょっぱい川」というように表現するそうですが、
それは歴史年代的に、この地図のような民族的記憶が継承されている
そういう意味のように思われますね。
三内丸山と北海道南部の遺跡は強い相関関係があるそうですが、
この地図を見ていれば、明瞭です。
昔の交通手段は基本的に水運。
木をくりぬいて丸木船カヌーを造り、
さらに木を加工して船を造って、萱などを繊維素材にして帆を立て
海を行き来するというのが、基本的な人間の生態。
日本国家は基本的に農業生産を収奪することを権力の基盤にしてきたので、
交易を基盤に据えたようなこうした北方世界の様子が
なかなか想像力を持てないのかも知れませんね。
いまわたしたちが考える以上に近接した関係性が
日常的に存在していたのが、むしろ長い歴史なのかも知れません。

さて要件は無事に済ませられて
本日から3日間の休みです。
しかし、お盆明けにはふたたび、東京への出張が決定。
これも飛行機がめちゃくちゃ混んでいて
なかなか便が確保できませんでしたが、
なんとか、16日真夜中に東京着の便を確保。
お盆期間中、あちこち移動というのはあんまりなかったのですが、
ことしはいっぺんに押し寄せてきた感じです。
震災の影響で、とどまっていたひとの動きが
一気に活発化してきたのでしょうか?
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暑さ最高潮、北の夏

2011年08月12日 04時38分18秒 | Weblog





きのうはスタッフといっしょに夕食会。
お盆前の仕事の区切りというようなことですね。
市内中心部の屋上眺望ガーデンのようなお店へ。
ことしの北海道は
暑さが続いておりまして、きのうも日中に引き続き、猛暑の一日。
なので夜の大通りビヤガーデンなど、かなりの賑わいぶり。
夜に入っても、暑さは一向に治まる風がなく、
お酒に火照った肌をなでていく風がここちよい。
こういう陽気が続いているので
ものなりのほうはいいようで、農業関係は堅実なようですね。
でも、中心部のビルやお店、けっこう空きテナントや休業の店などが多く、
少ない需要を巡っての商戦の展開が見えていて
なかなか状況は厳しい感じですね。
ここにきて、アメリカの経済状況とか、イギリスでの暴動騒ぎなど、
世界の状況変化も激しい。
とくにイギリスの若年層による現状不満からの暴動って
ヨーロッパの出口なし状況を表しているようで、
ちょっと動向が不安になってくる動きだと思います。

さて、お盆前締めくくりのようなことでしたが、
本日はふたたび出張です。
1泊2日で、青森に行って参ります。
この時期なので、チケットの確保がなかなか厳しく、
ようやく綱渡りのようにしてゲット。
あっちのほうも、ねぶたは終わったけれど、
暑さが厳しいものと覚悟を決めて行ってきたいと思います。
これから大急ぎで支度して出発です。
やや焦点の明確でないブログで申し訳ありませんでした。ではでは。
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