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三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

活きのいい「たち」

2011年03月11日 05時35分32秒 | Weblog





タラの白子のことを北海道では「たち」といいます。
酢醤油でねぎなどを添えて食べると無上にうまい。
ちょうどこんな時期だったかなぁ、こどものころの郷愁に打たれる。

きのうは、岩手県は水沢からの住宅見学ご一行さまの
ガイド役を一日務めておりました。
そのお役ご免の夕食会で、ひさしぶりに口に運んだ一品です。
いいですね、
口の中でナマの海の香が広がって、
濃厚なやさしさがじんわりと広がっていく。
活きの良さが何よりなんですが、
昨日食べられたのは、本当に久しぶりのこどものころの食感そのまま。
水沢のみなさんは、みんな「たらの白子」と呼んでいましたが、
なぜか、北海道では「たち」ですね。
方言なのでしょうか? よく分かりませんが、
やっぱり「北海道らしい」という味わいは、まことに深い。
こういう北海道の旨みは、本州の方たちから言われてみて
はじめて、あぁそうか、他の地域では食べられないのか、
っていうようにびっくりさせられる。
味は、その土地その土地で、いいものがあるけれど、
やっぱり北海道、海のものは格段ですよ。
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住宅用独立電源装置

2011年03月10日 05時37分46秒 | Weblog






先日の「空気調和学会」の講演会から
北見工業大学の小原伸哉先生の発表でたいへん興味深いテーマが示されていました。
省エネとか、省CO2ということは
世界的に競争のように叫ばれてきているなかで、
こういった分野で、技術の競争が起こっており、
やがて産業になる、さまざまな試みがいま、全世界で行われていると思います。
ルールが見えない時代になると、独創的な発見とか、開発って
どうも、あんまり日本の得意分野ではないのではないか。
スマートグリッドという概念も日本が発祥だと聞きましたが、
それはオバマさんが会見で方向性を述べたから広がった。
こういった新奇性への発信力、それ自体は日本は弱い。
一方で、今明確になってきているこの分野では、
大いに日本内部で動きが見えてきているのではないかと思います。
日本人は、競争のルールが明確になってくると
その力量を発揮できる、どうもそんな気がしています。

そういうなかで、
なにげなく発表されていたのですが、
この研究は、写真左のインド製の「水電解装置」を使って
水から水素を取り出して、
それを使って家庭のエネルギーを生み出そうという試み。
日本でも、大阪の方で取り組まれていたそうですがうまくはいかず、
それに対して、インドではだいぶ研究が進んで
この写真の装置がずいぶん安価に製造されているのです。
で、これをベースに日本のハイテク技術で挑戦中、ということだそうです。
住宅の外皮の研究は、明確に見えている分野ですが、
現代住宅では、設備の要素による快適性、という部分も不可分。
あくまでも「従」の部分ではあるけれど、
本体の側で、パッシブな方向、自然エネルギーだけで
基本的には暖房や涼房を完結させようという目的点が明確ななか、
同時に設備の面でも、こういう志向性が求められる。

そういった意味では、
現在の出口なしのような閉塞状況を打ち破るような胎動は
いろいろな場面で、すでに起き上がってきていると言えるのでしょう。
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17世紀の北海道勢力分布図

2011年03月09日 07時44分20秒 | Weblog






中世以前の北海道アイヌ、あるいは檫文のひとびとを
調査しようとすれば、なかなか文献記録は出てこない。
かろうじてある、江戸期などの近世の記録から
その様子を窺うと言うことになる。
日本的土地価値観が入ってくる以前、当時のエコシステムでは
どんなエリア認識を持っていたのか、
というような興味を持って研究しております。

おおむねアイヌまでの社会では、
太平洋側の「日ノ本」といわれる東方エリアと、
より日本社会との交通が盛んであった日本海側の「唐子」といわれる
大きくは2つのグループに分かれていたと言われている。
道央部分は、その両方のグループが混在的であったのか、
むしろ、太平洋側グループに親しい、と言われているようです。
ここに表現されていないのですが、
上川地方も、サケの生産地として大きな集落が営まれていた。
内陸の上川がどうして、と思うのですが、
海岸近くで捕れるサケは脂分が多すぎて
当時の保存・輸出形態であった干しサケ原料としては
産卵地に近い場所の方が適している、というのが最新の研究だそうです。

唐子、といわれるグループは
その名の通り、北方アジアを経由して中国文化とのつながりも持っていた。
中国の王朝国家の官服であったものが
かれらアイヌ有力者の衣装として「蝦夷錦」と日本社会から呼ばれていた。
伝統的に、交易による「宝」収集がかれらアイヌのアイデンティティだった。
そうすると、日本海地域というのは、
活発に海の交通が行われていた、ということですね。
船をいくつも乗り換えて、活発に物資を交換させていた社会。
川もあり、海もあり、水上交通はきわめて旺盛だったということ。
北海道に生まれたわたしですが、
残念ながら、明治以前の記録や歴史というのは学ぶことが出来なかった。
そういう教育が、北海道のひとの地域へのこだわりの少なさにも繋がっているのか。
もっと若い世代のみなさんに、
可能な限りの知見を、残していきたいものだと感じます。
少なくとも、生まれた地域への興味をもっと強く持ちたい。
そんな思いを持ちながら、こうした地図を眺めております。
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大学と官庁の関係性

2011年03月08日 07時11分33秒 | Weblog





先日、東大卒のある研究者の方から
「所詮、東大も官庁の下請けみたいなモノだから」
っていう言葉を聞きました。
官庁の政策決定プロセスの常套手段を見ていると
この指摘って、まことにその通りなんだなぁと
つくづくと思い知らされますね。
国の「政策」というのは、
諮問機関なり、審議会なり、それを論議する会議のようなモノが用意され、
そこに「座長」のような立場として
東大を頂点とする学閥からしかるべきポジションにいる教授の方が
推薦され、あとはバランスを取って人選が進められ、
そうして座長に対して、官庁側から打合せが行われて
大筋のあらすじが打ち合わせされて、会議に臨む。
その座長先生は、論議の主催者として議長のように進行させて
あらすじ通りの「結論」をまとめ上げる。
たぶん、こうしたプロセスでは、官庁側の思い通りに進めてくれる先生が
こういうポイントとしては当然高くなる。
こういった立場についての「勤務評定」というようなモノは存在するのか、どうか。
で、斯業における論議が尽くされたという状況を作り上げて
政治家の論議の世界に回される。
もちろん政治家先生たちには、斯業業界についての深い知見などはありえない。
そのときの「政治的力関係」で、可否がおおむね決定する。
というのが「日本の法」のおおまかな流れ。
そうすると、シンクタンクとしての官庁と大学との間に
長年築かれていく「関係性」が強固に発生し、存続し続ける。

こういったプロセスというのは、
理の当然という側面も確かにあるけれど、
一度でもこういうプロセスの可否を国会で論議したことはないのだろうか。
国会での論議など、最後の最後のいわば認証式に過ぎなくなっている。
政治家を選ぶことだけが、本当に民主主義なのだろうか。
政策の決定プロセスを見る度に、そういう疑問を感じざるを得ない。
ヨーロッパでの「住宅政策」というものの淵源、
その論議の「人権」的な部分での国民論議の存在などを
聞くことが多い。
そういう論議を支えていると思われる「世論」というもの、
結局は、この健全な世論形成の未熟がすべての根幹なのだろうか。

固定化しきっているこういうプロセスに
深い絶望感とも、なんとも言えないモノを感じ続けております。
まぁ、長いものには巻かれるべきなのか、
それとも、こういうのは当然あるべきことなので、
そういうなかで民主的要素をどう盛り込むべきなのか、
そう考えるべきなのでしょうか。
どうすればいいのでしょうね。

<写真は北大の冬の風景>
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断熱耐震リフォームセミナー

2011年03月07日 06時20分25秒 | Weblog






きのうは新住協の「断熱耐震リフォーム」の説明セミナー。
一般ユーザー向けの鎌田紀彦室蘭工大教授による講演がメーンの催事。
日曜日の午後という難しい時間帯に企画されたのですが、
会場はたくさんのリフォーム希望者で盛況でした。
そしてそれ以上に、活発な質問がやり取りされておりました。
鎌田先生の講演は、よくあるアカデミズム的な大先生の講演とは違って
非常に具体的で、しかもわかりやすく、
どのようにすれば暖かく、少しでもいい家になるのかの
実践的な内容が伝わってきます。
難しいことをきわめてわかりやすく伝えてくれるなぁと今更ながら感嘆。
よく高名な先生の講演で、しかし一般ユーザーには
さっぱり内容が分からない、というケースがありますが、
鎌田先生の話は、それこそ、あぁそうか、ここに釘を打てばよくなるのか、
っていうように、ユーザーレベルでもわかりやすい。
「高断熱高気密」という概念や言葉自体、
それを社会に常識として浸透させていった鎌田先生の真髄を感じさせてくれます。

で、日曜日ながら、その後、
参加した工務店その他で、懇親会をハシゴ。
13人ほどの参加でしたが、
手違いで焼酎の1升瓶を注文してしまったのですが、
どんどんと話が盛り上がると同時に酒量のピッチもあがる(笑)。
あっという間に、1升便はカラ。
やっぱり日本酒も飲みたいとなりまして、
久しぶりに口角泡を飛ばして議論しながらの会食で
まことに楽しい会になった次第です。
中高年おぢさんが多い会でしたが、一方で
若い年代も、国際色豊かに(っていっても1名ですがドイツ人も参加)
数名参加がありました。

っていうことで、いろいろな企画の切り口も発見できて
今後に展開が広がっていきそうであります。
さてさて、がんばるぞ、と。
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雪庇落とし作戦成功(!)

2011年03月06日 06時23分36秒 | Weblog






さてきのうの続編であります。
雪国札幌の「雪庇対策作戦」であります。
断熱が良くなっていって、屋根面からの熱の漏れが極小になると
雪が融けなくなる。で、自然のなかで樹氷が成長するように
風のイタズラで街中で出来ていく「雪庇」に対する
落とし作戦が必要になってくるのですね。
放っておくと、巨大に成長して、いつか、落下して
被害が大きくなるかも知れない。
なかなかの厄介者なんです。

で、事務所の建物では、屋根の板金の「タテハゼ」に工夫して
その頂部に電熱線を仕込んであるのです。
屋根の板金の組み合わせ部分が高くなっていて、その頂部にあるのですね。
それがちょうど写真の正面側の屋根に平行して装置してあります。
で、きのう朝までに成長した雪庇(上の写真)に対して、
昨日、朝9時直前に電熱線にスイッチオン。
で、家に戻って家事を片付けた後、1時間弱経過した後撮影したのが下の写真。
まことに見事に、綺麗さっぱりと落ちてくれました。
玄関は正面右端で、その上には庇をかけているので
問題なし。きのうはスタッフも出社してきたけれど、
休日なので、出てきたのは11時過ぎくらい。
なので、安全面でも問題なし、ということでした。
きのうは朝は冷え込んだのですが、日中は気温も上昇して
そういう条件の時を狙った作戦としては、大成功であります。
その後もやや残っていた左側の雪庇も落ちてくれまして、
午前中で電熱線はスイッチオフ。
あんまり長時間かけると、今度は屋根面で融雪水が発生し、
それがこの写真の左側隅角部で結氷して氷柱が下がることがあるのです。
本来の氷柱ができるメカニズムとはまったく違うのですが、
そういう結果も出来たりする。
なので、雪庇が落とせたら、速やかにスイッチを切らなければならない。
なかなか運用には気を使わなければならないのです。

雪庇対策では、いろいろな試行が行われています。
平屋の建物の場合には、
「雪庇切り」というような超長いハサミ装置を工夫したり、というのもあるようですが、
2階建ての建物の場合にはなかなか難しい。
雪国らしい工夫、雪対策の話題提供でした。
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冬将軍の贈り物

2011年03月05日 06時47分39秒 | Weblog






2日間降り続いていた雪ですが、
なんとか収まって、きのう午後3時過ぎからは晴天。
で、表に出てみると、ご覧のような置き土産がありました(笑)。
いらないんですけど・・・。

札幌は年間積雪が6mにもなる、
日本海側湿潤寒冷気候という特徴があります。
冬期間は北西側からの風と伴って雪が降る。
建物の側では、高断熱高気密化が進み、一方社会的には、人口集積の結果、
無落雪屋根というスタイルが一般化しました。
三角屋根の「雪を落とす」屋根では、敷地の狭小化で
近隣関係に種々の問題を発生させていたのです。
で、建物の性能向上化以前には、雪を貯めておく場所の確保や
屋根の氷柱対策などが一番の問題だった。
そういった特有の問題が消えていって、
しかし、現在の問題としては、写真のような「雪庇」がクローズアップされてきた。
断熱が良くなって、屋根の雪が融雪しなくなり、
三角屋根から落ちなくなって、今度は
雪の塊が季節風にいたずらされて、軒を飛び出して大きくなる現象が発生してきた。
吹雪が収まってから、住宅街に出現するこれら雪庇群は
なにか、ユーモラスでもあるのですが、
しかし、それが南東、南側に出来ることから、
出入り口がそちらに面する場合の多い北国住宅では
落下したときの危険が高まるんですね。
今回発生した雪庇は、順調な生育状況で、
屋根の端部からのせり出しは80cmほど、長さも1mほどという状況。
玄関出入り口には庇があって、保護していますが、
このまま成長するのも困る。
ということで、「雪庇融雪」装置を工夫してあるのですが、
きのうは3時間ほど運転しても、歯が立たないと言うところ。
週が改まってから、再度融雪を働かせようと考えております。
さて、ことしはどうなりますか。
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冬の最後の逆襲

2011年03月04日 07時58分02秒 | Weblog







・・・なのか、かどうか、
きのうは、ほぼ終日にわたって降雪が続いた札幌。
きのうは坊主を送り出した頃から降雪が始まって、
朝のウチに1回。激しい降雪に午前中にさらに1回。
で、その後も降り続いていたので、午後に2回。
さらに夕方6時過ぎにさらに1回。
で、夜が明けてもさらに降雪だったので、1回。
それでもまだ、今朝は降り続いております。
っていうことで、さすがにカラダが寝床にいても厳しい。

1月にドカッと来てから、
ことしの降雪は、まとまってくる傾向にありまして、
今回も、この様子ではしばらく続くかも知れませんね。
つい先日までの様子では、このまま、雪がとけて
春になるかも、などと夢想できるような様子だったわけですが、
そうは問屋が卸してくれません。
統計数字を見るとことしの積雪量はほぼ昨年並み。
積雪深は、ほぼ平年並みという状態ですが、
これからは、段々と春に向かっての融雪時期。
「光の春」も実感できるような時期になります。

と見ているうちにまたまた降雪です。
きょうも、何度も雪かき作業に追われるのかなぁ・・・、
お手柔らかにお願いしたいですね。
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日ハム主力、相次ぐケガ

2011年03月03日 04時26分06秒 | Weblog






ありゃりゃ、ですね~。
これは困っちゃったなぁ~。
斉藤佑樹君の入団でマスコミの注目度は高まっている
北海道日本ハムファイターズでありますが、
どうにも主力のケガが止まらない。
高橋信二選手に始まって、田中賢介、飯山選手、さらにきのうは
ついに4番打者の小谷野選手まで骨折に倒れました。
続くときは続くと言いますが、
それにしてもこれはきついなぁ。
どうも、好事魔多し、を地で行っている感じですね。
今年度から、ちょっとすべりやすいボールに替わったと言うことが
こういう球際でのプレーに現れてくるのでしょうか?
きのうの試合での小谷野選手のデッドボールは
状況としてはやむを得ない、打ちに行っての内角シュートなのですが、
ヤクルト由規投手の手元が、ボールの感覚の違いでやや狂って
このような結果を生んだのかも知れない。
そういった野球界全体の変化が、わがチームに集中的に現れたモノなのか。
状況は分からないけれど、
田中賢介選手の指の骨折も、そういったポイントくらいしか考えられない。
まぁ、野球の神様がわがチームにこういう警告を集中させている、
と考えたら、これがすでにことしのプロ野球の
隠れたテーマを表現しているのかも知れない。

まぁ、いずれにせよ、痛いのですが、
開幕前に集中して出てきたと言うことでは、
まだなんとか、実戦の中で工夫したり、方法を講じる手は打てる段階。
ここは大胆に若手選手の抜擢と、活躍で乗り切って欲しい。
幸い、もう少しオープン戦で若手を試す期間があるので
上手にこの時間を使って、やりくりを試みて貰いたいものだと思います。
セカンドには、明るいキャラの杉谷選手とか出てきたし、
若手選手たちには、ものすごいチャンスでもある。
打撃の内容が良くなってきた中田翔がチームの勢いを引っ張るくらいの活躍を見せて
このピンチをチャンスに変えて欲しい。
斉藤佑樹君、きのうはヒヤヒヤでしたが、
最初のバッターのセンターオーバー2塁打(以上)を好捕した
糸井選手の大リーグ並みの守備力で救われたと思います。
先日のファウルフライへの小谷野選手のファインプレーなど、
かれには、そういうバックの盛り立てが、たまたまかも知れませんがある。
コントロールを生命線に、打たせて取る頭脳派投手としての
そういうキャラが、どうも見えてきている感じがします。

中田や、若手たちが引っ張って、なんとかこの苦境を乗り越えて欲しいです。
がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!

<写真は北大にあった、クラーク博士の言葉を新渡戸稲造が揮毫した額>
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京大入試不正と「知の価値」

2011年03月02日 05時30分20秒 | Weblog






京都大学の試験でIT時代を反映したようなカンニングが行われた。
そのことをめぐって、話題になっている。
警察は「偽計行為」ということで捜査に着手すると伝えられている。
カンニングもずいぶん進化したと言うべきか、
まことにすごい手法で行われている。
まぁ、困ったことではあると思います。

しかし一方で見方を変えれば、
先日来、大学とか、研究者の発表機会などに立ち会っているのですが、
インターネット時代が始まってから
「知の価値」というものが大きく変容してきていて
知っていること、詰め込まれた知識の量(のテスト)自体に
あまりにも多くの「人間能力価値判断基準」を置いてきた制度自体、
疑問符がついてきているのではないかと思われてならない。
テスト制度自体、問題だらけだと思う。
過去の他人の頭のなかに生起したことの蓄積暗記を
ひたすら問い続けるのは、どうなんだろうか?
で、そういう分野での研究でも明らかに想像力が
最大の知的エンジンであり、
けっして、知識の量の多さが個人の能力を表現してはいない、
と断言できると思う。
知識の量を問う、ということ自体、
今後のIT技術の進展を考えれば、意味が小さくなっていく可能性は高い。
より小型化して、肉体に一体化したデバイスの出現可能性は高く、
それがネットに接続する属性を持つであろうことは
火を見るよりも明らかだ。
そういう時代になっていくときに、
知の量を問いかけるテスト手法は、こういったカンニングと、
イタチごっこになっていくだろうし、
むしろ、根源的に違う価値観のテストに変わらなければならないのではないか。
知識の量自体は、単純にインターネットなどを活用すれば
簡単に入手可能である、ということは
人間の「知の環境」が大きく激変したと言うことであり、
今後求められる人間能力は、その応用力に大きな力点が求められるのは
明らかではないかと思う。
このように考えてくると、
今回の件は複雑な様相を見せるのではないだろうか。

<写真は、知の日本的建築表現としての書院>
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