昨日は、秋田県能代市の西方設計さんに訪問。
この建物、いまから13年前に建てたという事務所です。
バウビオロギーというドイツの考え方を実践する建築家として
最近は首都圏地域などでも設計を依頼されるということ。
まぁ、古くからの知人なので、よもやまの話になった次第ですが、
このバウビオロギーという考え、
ドイツなどでは、生態系の尊重とかの側面のほか
当然の前提として、エコロジーという考え方もあり、
断熱気密の住宅性能の面もあたりまえのように重視されているのが、
日本の、とくに首都圏地域の推進者のみなさんからは
そうした部分がきれいさっぱりと抜け落ちて、
逆に、原理運動的に生態系保存最優先になっているというお話を聞きました。
ドイツでは、たとえば塩ビという可塑剤を使った工業製品についても
その有用性を十分に認めて、いわば適材適所で使う、
という合理性が基本になっているのに対して、
日本の中心的な運動では、可塑剤を使ったような製品を極悪視して、
そういうものの排除が、バウビオロギーなのだ、というようにいわれる現実があるということ。
このあたり、日本の現実についての認識で
共感できる部分だと思います。
もっと自由に考えて、暮らし方の知恵として
活用するというような実践的な考え方はできないものでしょうか。
排除の論理で、原理主義的にいくと、やはり行き詰まってしまう。
そうではなく、柔軟に、考え方の基本として活かしていきながら、
合理的に豊かに暮らしていくための知恵として活用するというスタンス。
なぜ、北国住宅の基本の断熱気密という
室内気候のコントロール手法を放棄して、バウビオロギー至上主義になるのか、
どうも、解せない部分がありますね。
そのように原理主義的に、いわば、「完璧」を追求していくと、
家づくりさえ、息苦しいような
「失敗できない」というような脅迫観念的な営為になってしまいやすい。
せっかくの幸せな、楽しいものであるべき家づくりが、
かえって、人間不信になったりすることになっていやしないか、
考えさせらる部分だと思います。
写真は、屋根の置き芝の様子です。
最初はうつくしいラベンダーなどを植え込んだりしていたそうですが、
忙しさもあって、やがてほったらかしにしていたら
今や、生命力の強いススキなどの雑草が屋根を占領しているということ。
こういうのにも、笑って現実を受け入れるようなおおらかさで
対処されていましたが、まぁ、許せないと考える人もいるのでしょうね。
まぁ、あまり美しくはないとは言えるでしょうが、
植物の世界での過酷な生存競争の結果でもあるのですから、
それはやはり、あるがまま受け入れることが必要だと思いますね。
そう考えれば、こういう光景も
なんともユーモラスで、楽しく感じられるもの。
というようなお話でいろいろと盛り上がっていました。
みなさん、いかがお考えでしょうか。
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