三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

感動秘話

2007年12月12日 05時21分20秒 | 北海道日本ハムファイターズ

以下、日刊スポーツの記事より
あんまり感動ものだったので、つい転載しちゃいます。
許してください。

感動秘話!豊島が母代わりの姉に恩返し
 一番、見せたかった2人はいなかった。10日に札幌市内のホテルで行われた日本ハムの入団発表会見。ユニホームに袖を通した豊島明好投手(17=北陸大谷)の晴れ姿は、姉岩本一美さん(31)が見守った。中学生の時に両親が相次いで急逝。母親代わりに手塩にかけ、プロ選手へと育て上げた。「感激しました」。優しいまなざしを向けながら、声を上ずらせた。
 02年12月16日。豊島が中学1年の時だった。「びっくりした。突然だったので…」。父敏明さんが急性心筋梗塞(こうそく)、49歳で他界した。その日の登校間際まで元気だったが、帰宅した時には息を引き取っていた。翌03年11月13日。母ゆみ子さんが乳がんで天国へ旅立った。57歳の若さだった。思春期の弟に一美さんは「言えなかった」。末期がんとギリギリまで知らなかった豊島は、精神的に不安定になり、食事がのどを通らないこともあった。
 2年間で、身寄りがなくなった。結婚間近の一美さんが引き取り、野球を続けさせた。豊島はしみじみと言う。「お金の面とかいろいろ、迷惑を掛けたと思う」。北陸大谷進学後は下宿生活。毎朝5時に起床し、午後9時ごろまで野球に没頭。「下宿をやめたい」と漏らしたこともある弟を、一美さんは何度も励ました。「明好だけじゃないよ。もっと恵まれない人もいるんだから」。洗濯させるなど、生活面は厳しく接した。その一方で、野球にかかる用具費などは惜しまなかった。
 高校2年でプロを目指そうと決めた。大学進学の選択肢もあったが「経済的な面もあるので」と、9月下旬の入団テストを受けて合格。無名ながら、野球界の頂点へこの日、たどり着いた。5日後の16日が、父の命日。「ちゃんと報告をします」。豊島の自室には仏壇がある。天国で見守ってくれた両親へ、そっと手を合わせる。


プロ野球の選手で、こんな泣かせる話もあるなんて、うれしくなりますね。
ドラフトの頃にも話題になったのですが、入団発表と言うことで、
あらためて、新聞各紙で取り上げられています。
プロなんだから、こういう話題でもファンを引きつけたり、
あるいは感動を与え、チームとしての求心力を高めるというのは
「戦い」の中で、ひとつの力にはなるものだと思います。
一方で、最多勝投手のみならず、最多安打選手まで、同一リーグのチームから
引き抜いたり、画策したりしていて、一方で団結心は一体どうかというチームもある。
こと、ファンという観点からすると、さてどっちに強く引きつけられるかは自明。
北海道日本ハムファイターズのファンとして誇らしくなります。

でもまぁ、プロは厳しい世界ですけれども。ぜひがんばって欲しいものだと思いますね。
がんばれ、豊島君! がんばれ北海道日本ハムファイターズ!

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 紙による境界分けの文化 | トップ | 新聞社からの取材依頼 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

北海道日本ハムファイターズ」カテゴリの最新記事