性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

江戸のそば屋台

2012年01月10日 14時36分05秒 | Weblog





きのうは東京で、江戸下町博物館を見学。
深川という下町情緒の残る街に建てられているもので、
なかなか展示がよくて人気が高い博物館です。
目を引かされたのはごらんのそばの屋台。
左右均等に店舗の用に使う品や装置がきわめてコンパクトに収まっている。
こちらの側には、炭火とおぼしき火力装置、
メインの装置であるそばゆで用の釜、調味料の類いなど。
手前側には、そばの玉麺やうどんなど、食材の類。
バランスも考えて、左右均等にしているようなのですが、
それにしても、全体としてかなり重そう。
展示物なので、持ち上げてはいけない、と言っていても
やはり持ち上げようとする人は多いようで(笑)
しかし、大の大人でもかなり閉口する重さなんだとか。
こういう装置を軽々と担ぎ上げて
江戸町人の暮らしを支えてきていたのですね。
案内の方から興味深いお話も聞けました。
江戸期は糞尿もリサイクル資源として農家で活用していたのですが、
これまで、武家などの方の糞尿の方が高いと思っていたのですが、
どうやら違うのだそうで、
本当はこういう町人の暮らす長屋などの肥えのほうが高かったそうなのです。
ほえ~~~というお話でしたが、
その訳を聞くと、町人は現金収入のあるひとたちで、
宵越しの金を持たない気っ風で、
食べるものにもけっこうお金を使っていたので、
いいものを食べていたのだそうです。
一方で武家は、江戸の初年当時こそ米の石高で、
大きな収入が保証されていたけれど、
発展する貨幣経済には乗り遅れていったので
どんどん相対的な困窮化が進み、
肥えもあんまり栄養価の高くない状態になっていたそうで、
糞尿の単価も町人よりも劣っていたというのですね(笑)。
そういえば、幕末の薩摩や徴収の威勢の良さは、
米の石高に依存しない経済活動の成功がその原因であるとされているそうです。
長州など、百万石以上のそれまでに対して関ヶ原戦争以降、
30万石程度の規模に無理矢理押込められ、
そういう苦境から、全藩狂ったように、新田開発したり
貨幣経済に積極的に関わっていって
それらを成功させてきた経緯があったのだそうです。
逆境が、維新の最大の力に転換していったというのも
大変に面白いものだと思います。

さて、本日、久しぶりに札幌に帰還。
帰ってみると大変な大雪でしばらくは除雪との戦いが最大の問題になりそうですね。
ことしは寒さも寒いし、雪も半端ではない。
しばらくは、この厳しい戦い続きそうです、やれやれ・・・。
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