三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

建築家展_4 手描き図面

2008年02月06日 06時16分32秒 | リプラン&事業

さて、建築家展での展示から。
写真は、わが社屋を設計してもらった圓山彬雄JIA北海道支部長の手描き図面。
以前、所員の方から「圓山の手描きスケッチって、いいんですよ」
っていう言葉を聞いたことがあります。
圓山さんはわたしよりも年上ですので、
建築家として仕事をしていくのに、
コンピューターCADが登場する以前からやっていたわけで、
当然、図面を手描きで描いていた時代の方。
なので、独特のペン使いの味わいとか、線画の美しさのような
そういう雰囲気が感じられるものです。

考えてみれば、もうこういう味わいに接すると言うことは少なくなっていく。
じっと、この図面を見入っていると、
やはりコンピュータが描く線とはまったく違って、
この造形した空間に対する思い入れのようなもの、
あるいは、愛着にも似た心遣いの細やかさの部分が感じられます。
このように額に納められ、ピンナップされて展示されると、
まるで、一幅の書画にも匹敵するような魅力が漂ってくると思います。
直線を太く引いたりしているところなど、
建築家のクセのような、緩やかな曲線の感じもみられ、
ちょうど、書の「はね」や、「とめ」のような風合いが滲む。
いかにも、「人間が描きました」というようなメッセージが伝わってくる。

絵とは違って、対象が明確に建築材料を使っての
「意思を伝達する」力強さに満ちていて、
これ自体はプロセスのものではあるのだけれど、
だからこそ、かえって、体言止めのような潔い簡潔さを表現している。
まぁ、わたしの場合には圓山さんの人となりにも接しているわけで、
そんな印象も加わっていると思われるのですが、
こういうメッセージ力というのも、建築家の魅力なのでしょうね。

通常の美術の展覧会には感じることができない
今回の建築家展で発見できた、ひとつの魅力ではあります。
そして、こういうプロセスを経て、
しかし、最終的には仕上がっていく住宅建築によってだけ、
社会の中での自らの評価を受け止めるわけなのですね。
建築というものと、いわゆる美術との同質性と、違いを
どちらも感じさせてくれるような展示だったと思います。
みなさん、いかがでしょうね。
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