三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

官僚志望の少年

2008年05月07日 06時32分32秒 | こちら発行人です

連休は息子が付き合ってくれたので、
1泊で十勝へ行ってきました。
なぜか、馬を見てみたい、ということを言い出してくれたのです。
察するにたぶん、テレビCMがたまたま流れていて
頭にこびりついていたのでしょう(笑)。
馬と言えば、ばんえい競馬にでも行けば確実に見られるだろう、
という実に安易な選択で、十勝方面、ということになった次第。
まぁ、どこでもいいんですね。
家族一緒に歩ければ、いろいろ話もできて一番楽しい。

坊主はずっと、保育園から学童保育というように
子ども同士のふれあい志向で育ててきました。
そうすると親同士も似たような考えを持つ人たちが集まってくる。
で、そういう仲間のなかから、ことし受験中学にみごと合格した子どもがでました。
6年生になるまで、それほど勉強が好きではなさそうな子だったのですが、
突然「おれ、官僚になる」と言い出して、
そのためには有名大学に行って官僚試験に合格しなければ、となったそうなんです。
話を聞いてみるとどうも、親たちが学童保育で苦労している話を聞いて、
「官僚機構」というのが、こどもにとって良い環境を作るのに
阻害要因になっている、というように理解していたようなんですね。
あるいは、結局は官僚たちが社会の決まりをすべて決定している、
というように社会を見切ったと言うことなのか。
いずれにせよ、その直感力に脱帽してしまった次第です。
で、自分自身が官僚になることで、
良い社会に作り替えたい、と少年らしい志望を抱いたというのでしょう。
まことにすごい考えを持った子供だなぁと感心してしまいました。

なんですが、官僚になりたいって、
ちょっと、ややさみしいかなぁ、とも思えて複雑ではありました。
もちろん、職業選択の自由は尊重するし、
考え方の根本もすばらしいと思うのですが、
そういう素晴らしい少年が、官僚になりたいと思う社会って
どうも、どうなんだろうか、という思い。
「社会に役立つ」ということの一番の有効な道が官僚っていうのも
なんとも情けない社会なのではないかと思われてならないのですね。
わたしたちの子どもの頃には、役人さんというのは「公僕」であって
「志望する」という人生の目標とは
少し違う概念の存在だと思っていた記憶がある。

というような印象を持つのですが、
やはり時代が違うのかなぁ、と思える気持ちもあります。
日本は自由主義で資本主義というように表向きはなっているけれど、
本質的には中国とそう変わらない社会主義だという説もある。
たしかに明治以来、社会発展の自然なプロセスを経て強国となった
欧米列強国家に対して、それに追いつき追い越すために、
官僚機構が国家主導的な国づくりを進めてきた国。
戦争での敗戦はあったけれど、そこから以降も結局、官僚主導的に経済大国を志向してきた。
戦前の「富国強兵」が「経済大国」に変わっただけとも言えるでしょう。
で、そういう流れがいまだに強く残り続けている。
そういうなかで、少年は正しく直感しているのではないかと思われるのです。
さて、こういうの、どうなんでしょうか?

<写真は十勝・中札内美術村にて>
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