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三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

田園調布の街並み

2009年11月06日 11時13分24秒 | Weblog



関東大震災のあと、
密集的に建てられていた町家的な住宅街では
大火にきわめて弱いのではないか、
という認識が広がっていったと言われます。
そういうなかで、当時欧米で主張されていた、
「田園住宅」という考え方が、日本にも導入されたと言うこと。
主導的な存在だったのが、日本の資本主義の産みの親と言われる
渋沢栄一子爵だったといいます。
住宅の敷地をたっぷりと広めにとって
また、街区が閉鎖的にならないように、塀を回さず、
生け垣や植栽などでの街区形成を心がけようという考え方だったのですね。
そういうなかから、日本で初めて取り組まれたのが、
この田園調布の街並み形成だったということ。

いまでこそ、高級住宅街の代名詞になっているワケですが、
本来的には東京の高級住宅街は明治神宮周辺の地域であり、
この田園調布は、あまりにも都心からは離れている存在だったのだろうと思います。
考え方はいいけど、遠いよね、っていうことだったのではないでしょうか?
それが、東急資本が電車を通して、渋谷と結んだというあたりで
利便性も著しく向上し、
それと、街路植栽の充実時期が重なって、
日本有数の高級住宅地として、定着していったものと思います。
街路は放射線状の形成になっていて、
この写真の木造駅舎と、その周辺広場が中心になります。
現在では、いわゆる中心街機能としてはやや面積が狭く、
鉄道をはさんだ反対側の方に、碁盤の目のような一般的街区が広がっています。
まぁ、現代都市機能としては、そういう推移にはなるでしょうね。
取材がてら、街区を散策してみましたが、
現状では、街路樹や庭木の繁茂が盛んで、
欧米の住宅地を訪れた感覚、一見すると森の中に家が点在する、
っていうような様子になっております。

現代に至る、住宅地形成という
住宅というものを考えていくときに基本的な部分の
ひとつの象徴として、この田園調布の土地ブランドとしての成功体験が
大きな位置を占めていることは間違いありません。
まぁ、ほとんど商店などはないのですが、
その多くが金融関係の企業の店舗だったことをご報告しておきます(笑)。






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