三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

雨からの窓の保護

2013年03月29日 07時06分41秒 | Weblog



先日のReplan100号イベントで、会場に来られた方から、
ある相談を受けておりました。
最近の住宅でたいへん多いのですが、
窓周り、窓の左右両端下部の壁面に雨水が流れる筋道ができる、
という事態についての解決策は? という問いでした。
外見的に、住んでいる方からすると気になるものであり、
その方の場合、その対処として外壁材の交換を過去にもされたそうなのです。
で、ご質問の趣旨は、そういうふうにならない外壁材は?
という質問だったのですね。
聞いていて、まぁ口頭だけでの相談で、実際に状況を把握しての
ことではありませんので、断定は出来かねますが、
壁材の素材の問題ではないと思いました。

北海道から発祥した住宅の「合理化」って、ポイントは多いのですが、
その究極は、「軒がなくなった」ということではないかと思います。
日本の建築は、高温多湿の気候に合わせて、
いわば、「屋根の建築」であった部分があります。
その屋根の機能は雨から建物を守るという思想がベース。
当然、傾斜角度を付けて三角屋根で雨を落とすということが基本だった。
必然的に壁も保護することになる「軒の出」が
デザインの基本になっていった。
ところが、北海道ではその軒には大量の氷柱が発生して
住宅建築の欠陥ぶりを象徴的に表すものとされ、そのように
体験記憶に刷り込まれ、「いっそないほうがいい」という志向に向かった。
それは、同じように進行していった「土地利用の高度化」要請という
日本社会では必然的な流れと一体になって大きな流れになってしまい、
「無落雪屋根」と同時に「軒の消失」という事態に結果した。
そうなってしまうと、「まぁこれでもいいか」という慣れも生じ、
同時に、その衝撃的なスタイルがある意味、ウケて、
本州地域でもモダンなボックスデザインというように広がっていってしまった。
まことに罪多いことであるかも知れません。
マンションなどでも同様な事態が進行することになって、
窓や壁面を保護するということはいつしか、後景に追いやられた。

ということで、
解決方法は、写真のような対応策と言うことになる。
建物全体に屋根から軒が出ていれば、
ここまでの細かい対応はいらないけれど、
一度、屋根から軒をなくしてしまった住宅文化は、より「不合理」な
解決策を模索しなければならなくなっている。
住宅文化のジグザグぶりを象徴するようなことではないかと
立ち止まって考え込んだりもしている次第です。
コメント
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