先々週、東北の各地を訪れたのですが、
震災後、その様子を取材する、ということで、
やはり、なにがしかの心遣いはしたいと考えました。
そういうときになにがいいのか、
考えてみるとなかなか妙案がない。
水とか、いろいろ不足しているものがあるとは聞いていたけれど、
1ヶ月を経過して、充足もしてきている。
で、こちらはクルマで移動する、ということで、
考えた末にジャガイモを仕入れてクルマに積んで歩きました。
で、会う人に、小分けしてお渡ししました。
まぁ、あんまり高価なものを手渡すことも出来ず、
でもなんとか、こころはお伝えしたい、ということで、
北海道人として、食べ物、それもジャガイモがふさわしそうと判断したのです。
ジャガイモは、和洋中、どんな料理にもあうし、
場合によってはそのまま、蒸かせても食べられる。
洋食にはポタージュスープや、肉料理の引き立て役、
和食では煮物料理などの縁の下の力持ち
などなど、幅広く活用できる。
で、なんといっても北海道らしい食材の代表選手。
まぁ、だれでもそう、好き嫌いがない。
それに高価そうなものとも感じず、気持ちは受け取ってもらいやすい。
そんな思いで持ち歩いた次第です。
まぁだいたいの人から、にっこりとした表情で受け取っていただけたので
まずまず、ホッとひと安心、ジャガイモさん、お役目ご苦労さんでした。
考えてみると、
今回のような地域全体を支援するというようなケースで
北海道人として、気持ちを表現するというのは
あんまりないかも知れませんね。
アメリカが日本を支援するために来てくれた作戦名は
「TOMODATI」作戦、だったそうですが、
あの作戦名に込められたアメリカの日本文化研究は、素晴らしいなと思いました。
友情は危機の時にもっとも強く感じられるもの。
そのような文化伝統を、わたしたち北海道は
そうは多く持っていない。
でも、北海道は日本の文化社会の中で
その位置を再確認すれば、まるでジャガイモのような存在を目指すべきではないか
そんな思いを強く感じた次第です。
泥が少しついていて、
洗練にはほど遠いけれど、
その泥が、いかにも北海道的な部分を表現しているし、
味わいは万人に受け入れられやすい。
決して高価ではないけれど、
温もりや暖かさが伝わりやすいのではないか、
そんなことを思っていた次第です。