JIA東北支部は、今回の大震災に当たって
事実上、建築関係での動きとしてはもっともめざましい活躍を見せている。
ボランティアとしての「応急危険度判定」への協力から始まって
なかには、自らの住宅が津波の被害にあったにも関わらず、
避難所暮らしの中から、
周辺の橋の補修にボランティアとして取り組んだりという
まさに「建築家魂」を感じさせる活動を行った方もいる。
支部の事務所は、ひっきりなしに全国から支援に入られる建築家たちの
情報センターとしても機能している。
県や、仙台市などの要請を受けて
今度は罹災した住宅についての相談対応なども行っている。
さらに、一昨日には阪神大震災を経験した関西支部から
講師が来られて、震災後のまちづくり再建の道筋についての
さまざまな検討課題を話し合ったりされています。
まさに建築が好きで、
愛しているものが危機に瀕しているときに
そのために身体的な情念が沸き上がってくる、ということなのでしょう。
気の遠くなるような「復興」へのプロセスですが、
まずは、まちの復興の主役である住民のみなさんを
地元に根ざした建築家たちが支援し、ともに作り上げていく決意が
あふれていると感じました。
そしてそういうなかでも、和気あいあいと笑いあいながら、
明るく対応している姿には、頼もしさを感じました。
一方でしかし、痛恨の極みのようなことも起こっています。
新潟からボランティアで仙台の南隣町・名取市での
建築判定作業に入られていた建築家の方が、
宿泊先のホテルで疲労の蓄積からか、
風呂場で亡くなられたそうです。
なんとも悲痛な出来事で、深く哀悼の意を表します。
そういういろいろな動きのなか、
やはり目に焼き付けて欲しい、という新住協本部の会沢さんからのススメで
名取市の津波被害の様子を見てきました。
まさに地べたからの視線で、ここでなにが起こったのかを
深く認識させられます。
やはり、筆舌には尽くせない衝撃が迫ってきます。
その後、石巻に入って
知り合いの工務店さんを訪問。
先週、当社スタッフが訪問したときには安否が不明だった社員の方が
やはり残念なことになってしまっていたそうです。
火葬は青森県で済ませられたということだそう。
石巻では、そういうレベルで街の機能が失われてしまったのですね。
その後も、周辺の海岸線の様子を見ましたが、
繰り返しの映像になるのと、やはり写真は控える思いの方が
強くなっておりました。
多くの写真映像が語っているとおりの、
いや、それ以上のグランドレベルの衝撃が迫ってきます。