銀鱗荘って、北海道に住んでいる人なら
名前だけしか知らない典型的な高級旅館として有名。
余市の大網元の建てた宏壮なニシン御殿を小樽に移築して
温泉を掘り出して、旅館に改装したものです。
まったく自慢ではありませんが、わたし宿泊したことはありません。
なんといっても、宿泊は大人ひとり40000円で、
オーシャンビューの和室は、50000円なんだそうです。
ちょっと目がくらくらとしてきますです、ハイ。
以前にも一度、見に行ったことがあり、
そのときは、「北海道新聞社さまご一行」という名札を見ました。
すごいなぁ、儲かっている会社は・・・、
って、垂涎の思いで眺めておりました。
きのう、久しぶりに小ドライブで、カミさんと
昼下がり、ケーキとコーヒーを楽しんで参りました。
とはいっても、別棟の「グリル」のほうですが、
こっちも建築的には同様で、余市から移築されたもの。
ただし、何回かの修復が行われてきていることは明白でした。
余市という漁場は、「千石場所」と言われたそうで、
大名というのは1万石以上を大名というのですから、
その10分の1相当の富を、網元という一資本家が独占していたのですね。
それも基本的には収奪型の経営なワケで、
領民の安全を保証したり、家臣を養うのに巨大な保証をしなければならない
大名と比較して、経済的にはたいへん有利だったのでしょう。
江戸期を通じて、服飾というファッション産業を支えた木綿生産の
基本部分を担ったのが、北海道のニシン漁業だったので、
販売の方は、無尽蔵的な需要が見込まれたのですね。
そんなことから、北海道での網元というのは、
当時の日本の資本家層にとって、
ぜひとも入手したい権利だったのだと考えられます。
場所は確かに北海道だったけれど、
経済の動きで言えば、全日本的な規模での「投資」だったのでしょう。
ニシン漁の活況が消え去ったとき、
北海道にはそういう蓄積した富や、文化伝統が残らなかったのも無理はありません。
ただ、建築だけはやむなく当地に残らざるを得なかった。
そういう歴史的経緯で、存在している建築。
グリル館を見るのがやっとなワケですが、
それでも断片的に、その豪壮ぶりは伝わって参りました。
内部にはいると、2階まで吹き抜けがあるのですが、
思わず見上げると、天井が「塗り土」仕上げ、聚楽とおぼしき仕上げなのです。
とまぁ、何とはなしに想像したのですが、
考えたら、天井に土塗りするって、作業的にも大変そうだと思い至りました。
梁や柱の位置関係、際の様子などを観察すると、
やはり塗り仕上げに間違いはなさそう、まさかクロス仕上げではない。
下地の竹の木組みに対して練った土を塗っていくのだろうけれど、
それが重力に反しているのだから、土を押さえるのに
どのようにやったものなのか、左官仕事の詳細知識がないので、
ちょっと、わからなくなってしまいました。
その天井から軒側に向かって傾斜する天井部分には
土壁の上から竹が、ちょうど土を押さえるように羽目込まれていました。
お店の人に聞いたら、それでもときどきポロッと土が落ちてくるそうです(笑)。
っていうことですから、やはり水平天井部分、どうやって土を押さえているのか
いよいよ、興味を深くいたしました。
こういう部分、こっそりどなたか、教えてください(笑)。
まぁ、越後の宮大工の仕事になる豪壮建築、
やはり、一度はしっかり目に叩き込んでおきたいものだと思いました。
でも、一泊40000円って、う~む・・・(汗)。
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