三木奎吾の住宅探訪記 2nd

北海道の住宅メディア人が住まいの過去・現在・未来を探索します。
(旧タイトル:性能とデザイン いい家大研究)

日本の風景と建築美

2010年11月08日 06時05分16秒 | 住宅取材&ウラ話






写真は、札幌市南区の「旧黒岩家住宅」です。
この建物は、開拓初期、札幌から有珠(伊達市に近い噴火湾沿いの街)への
「本願寺道路」という幹線道路が開かれて、
その旅客のための宿泊・休憩所として利用されたものです。
道路管理というのは、権力の本質に近いのでしょう。
こういった用途の建物というのは、歴史的に数多く建てられてきたのですね。
律令国家成立の頃から、国家というのは、
このような「通信手段・交通手段」を整備して管理する、というのが
基本的な目標になっていると思います。
権力の側からすると、自らの意志を浸透させる手段として
欠くべからざるものなのでしょうね。
従って、この建物は住宅というよりは旅館・ホテルの機能に近いのでしょう。
ただし、この建物はずっと個人所有であり、
個人が国家から、その機能を果たすように委任されていた、ということなのでしょうね。
近代・現代における「特定郵便局」のような存在だったのでしょう。
国家公務員ではないけれど、
安定的な保証を国家から与えられていた存在だったのだと思われます。

今日では、開拓しつくされクルマ社会になって
こういう存在って、想像力を働かせるのも難しいのですが、
札幌を一歩出れば、草深い未開拓地であり、
そこに一本の道が通っている、という状況だったのでしょう。
陸路での荷物運搬は馬を使用して行われたのでしょう。
そういう道すがらに、ちょうど、札幌市中心部から1泊目程度の
距離の位置に、この建物が建てられていたのですね。
1日の人間の移動は徒歩の場合、12~13km程度が多い、
という研究成果が、人類研究者からあったと聞きましたが、
この旅宿はそういった位置にあります。
それくらいの距離にあって、写真のようなたたずまいでこの建物に出会う。

ちょうど、この時期には北海道ではこんなたたずまいが見られる。
ことしの紅葉、ここにきて鮮やかな赤が際だってきています。
紅葉がよくない、というのではなく、遅いのかも知れませんね。
そんなもみじが朝方の雪にふりそそいで、
日本的な白壁と木の外壁とのコントラストを見せている。
一日の徒歩旅行の末にこんな風景の場所で
疲れを癒すわけですね。
今日のわたしたちも、なにげなくこういった雰囲気に癒やしを感じる。
こういう感覚は、日本人的な、ある普遍性に立ち至っているのでしょうか。
玄関にはいきなり石造りの薪暖房装置が据えられていて、
来訪者を「あたたかく」迎えてくれています。
北海道に暮らすものとしては、なによりも暖房がごちそうであり、
それを提供することが、コミュニケーションの最大要素。
建物内部には4室ほどの畳部屋がありましたが、
それぞれに囲炉裏が暖房装置としてしつらえられています。
そういう、刷り込まれたような民族的体験が、
こういう雰囲気の外観からも一気に伝わってくるのではないでしょうか。
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美しい天井仕上げ

2008年06月13日 06時11分26秒 | 住宅取材&ウラ話


写真は旭川での見学住宅の内装の様子。
下地に構造合板、まぁ、ベニヤを張って、
その上に押縁を押さえて、そのうえから塗装を施したという仕上げです。
単純な構成ですが
このように見せられると、なんともリズム感があって、
そう高くはない素材の組み合わせなのに、
高級感もしてくるような工夫のある仕上げだなぁと感心します。
色合いも馴染む絶妙な感じがあって
こういうディテールだと、毎日見上げていても
微妙な陰影とかが、陽のまわり方に連れて変化を見せてくれると思います。

屋根面なりの天井で、この部分は平屋ですが、
天井の高さがここだけは少し高くなっていました。
別に吹き抜けでなくても、
非常に心地よい空間が出来上がります。
屋根の傾斜も緩やかでいて、変化にも富んでいて落ち着いている。
まぁ、たぶん、そういう要素すべてで調和することが
内装の「似合い方」で大きな部分なのでしょうね。

おとといは白金温泉から一度札幌に戻って
いろいろ仕事の段取りを付けてから
仙台へ移動。スタッフとの打合せをすませて
JIA宮城支部のみなさんへ講演プレゼンテーション。
最近はたくさんのプレゼンデータを作成しているので
とっかえひっかえ、お見せいたしておりました。
北海道での動き、最近はたいへん多いので、
何からお話しすべきなのか、迷うところですね。
他の地域に来るとやはり、200年住宅への地方自治体としての応募、が
高い関心を持って受け取られるような気がします。
「北海道のビルダーさんはいいですね」と、
うらやましがる人たちが多いと思います。
来週は環境総合展がいよいよ、開催されるのですが、
その準備がいろいろに時間的に迫ってきて、
きょうも寸暇を惜しんでのパソコン作業が続きます。がんばらねば、ふ~~~っ。


NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

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「淘汰の時代」の始まり

2008年06月11日 16時13分25秒 | 住宅取材&ウラ話

きのうは北海道の建築ビルダー組織「アース21」の定期的な例会で旭川、白金温泉へ。
さすがの山奥温泉街と言うことで、PHSも電波がキャッチされません(泣)。
わたしはだいたいが早起きなので、早朝、一日が始まる前にはブログをアップするのを日課にしております。が、久しぶりの遠隔地ということで、アップがすぐにはできません。
でも、習慣というのは恐ろしく、どんなに環境が変わっても、時間に対する感覚は変わらない。
なので、いまは早朝5時なのですが、ブログ原稿だけは先に書いておいて、あとでアップしようと考えています。たぶんアップは午後になるものと思われます。

この時期になると、朝は早いですね。
けさはいつも通り4時半頃に目覚めたのですが、夏至寸前ということでまったく昼と変わらない明るさであります。
さて、きのうからの例会・勉強会では、異口同音に経済状況の厳しさが語られておりました。
そのなかでの発言で、ある設備事業者さんの言葉で、同業他社の社長さんたちのなかには、「いまどき仕事なんてあるわけないけれど、そのうち必ず仕事は循環しはじめるさ」というふうに、諦めきっている、という発言がありました。
という状況なんですが、さてどうなんでしょうかね。
今回の建設需要の落ち込みは、単に循環型のダウンというよりも、「淘汰の時代」の始まり、というようにも理解できる部分があると思います。
発注量の大幅ダウンが日常化して、受注側が激しく選別される状況がいよいよ始まった、というような感覚がいたします。
きのうまで触れていたような「人口減少」が、その心理的な部分で大きなうねりを見せて始まってきたような感覚。きのうも旭川市内の住宅見学をしてきたのですが、需要の先食いが20代まで狙ってきている様子が見て取れました。さらにこういう状況から、投資を抑制しようという意識が相当浸透を見せてもいると思います。
ある事例では、高齢のお母さんがひとり暮らしのために似合った住宅に建て替えようとしたのに、やがて残される子どもさんたちがそれをやんわり引き留める、ということ。
そういう部分まで、先行きに対する不安感の方が強くなってきているのが実情なんでしょうね。

こういうなかでは、やはり先行きに対するテーマの設定が一番大切なのでしょう。
それが単純なバラ色のものではなくとも、明確にして、自分の立ち位置を見定めていくことが、状況を乗り切っていくのに一番必要な「羅針盤」になるのではないでしょうか。

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リフォーム活況

2008年06月05日 07時52分20秒 | 住宅取材&ウラ話



住宅リフォームの状況が良いようです。
この業種には、「建築確認申請」に該当するような「情報のダム」機能を果たすものがありません。
したがって従来から、専業事業者さんからの直接の聞き取りくらいしか
的確な顧客動向を確認するすべがありません。
なかなか、把握できないんですよね。
なんですが、聞いてみると最近、団塊の世代からの注文が増えてきているということ。
色々と考えていきたいと思っています。

なんですが、
一般のみなさんがリフォームの情報に接するのって、
一番身近なのが、チラシの情報でしょうね。
で、面白いボード告知が以前に行ったビッグサイトでの催事で見たので、
上に張っておきました。
リフォーム工事って、とにかく値段がわかりにくい、というのが
一番大きい問題なんですが、
そういう消費者心理をお知らせする告知ですね。
業界って言う形でクローズアップしにくいのは、この問題が大きい。
そのなかでは、某社の新築の半分くらい、っていう宣伝は効果的のよう。
一般的には、モノの値段を表記して、それがいくらで入れ替えられます、
というような告知が多い。
そのポイントに徹底的にこだわって、小口需要専門に特化するという業態もある。
まぁ、いろいろなんですが、
考えていかなければいけないポイントですね。
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デザイナーの建築造形

2008年05月29日 05時51分29秒 | 住宅取材&ウラ話

さて、先日、新住協総会が行われていた安比高原のホテル。
リクルートさんがバブルの頃に建てたリゾートホテルだそうです。
で、造形や色遣いが面白くて、聞いてみたら
専門の建築設計者ではなくて、亀倉雄策さんがデザインした、ということが判明。
亀倉雄策さんは故人ですが、
日本のグラフィックデザインでは、超有名な方です。
1957年 - 通産省(現・経済産業省)のグッドデザイン賞のロゴマークを手がける、
ということだそうで、まぁ、大家・大御所という存在。
そういう方ですので、こういうデザインの基本造形をしたのでしょう。
それと独特な色合い。
普通っぽくない、まことにシャープな印象という仕上がりですね。

なんですが、この建物の用途と、置かれた環境との見合いで考えたら、
いろいろに意見があるところでしょうね(笑)。
やはり建築のデザインと、造形デザインの違いというようなものに
ちょっと気付かされるような気がします。
やはりものづくりなので、
建築って、可能な限り美しくしなければならないのは当然ですが、
このような造形の「おもしろさ」とか「奇抜性」というのは
それを優先して考えるべきではないような気がします。
というか、あくまでも周辺環境との調和性とか、
その中に置かれることでの意味合いの部分での存在感、というようなものではないか。
造形のデザインって、どこにあっても同じというものでしょうが、
建築はそこに存在する、という意味合いが強烈なのではないか。
そういう事柄への配慮というのが、建築が持つべき姿勢であるような気がします。
どんなに奇抜であってもいいけれど、
それがそこに存在することで、ある「いごこちのよさ」につながっている、
という部分がとても大切なのではないでしょうか。

面白いけれども、
どうもここにこういうものが存在するという、存在感が希薄。
べつに亀倉雄策さんがどうこうではなく、
この建物を見ていて、そんな思いに駆られていました。
まぁ、リゾートなので別にいいとは思うのですが、
ちょうど、ある漫画家のデザインした自邸の色合いが
周辺住民から問題を指摘されているというようなことを想起させるものも
一部に、かすかに感じさせてくれました。
そういうようなのが、建築としての安心感の部分には不可欠なのだと、
あらためて思わせてくれるという意味では、逆に意味もある建築だと思います。
やっぱり「いごこちがいい」ということが
最大の評価軸なのではないでしょうかね、建築って?

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第2回東北住宅大賞授賞式

2008年05月21日 07時08分57秒 | 住宅取材&ウラ話

先週金曜日、表題のように表彰式が行われました。
大賞受賞は秋田県出身の建築家・納谷学、新さんの兄弟です。
昨年もお父さんの住む実家、能代の住宅で応募されましたが、
惜しくも優秀賞に終わったので、ことしはリベンジということ。
受賞作品については、現在発売中のReplan東北版最新号で掲載していますが、
築後150年近いという民家の再生型リニューアル。
こういう民家が、そのデザインと愛着を維持しながら、
最新のデザイン感覚で再生され、ながく残っていくように改修されたもの。

というような次第になったわけですが、
東北の住宅に限らないのですが、建築家の役割として
既存住宅をどのように現代的なすまいに作り替えていくのか、
その想像力とデザイン力がおおいに発揮されなければならないと思います。
納谷さんは、どちらかといえばシンプルモダンデザイン的な志向性の建築家ですが、
今回の再生住宅ではみごとな古材の迫力を活かした
光の投入の仕方を見せてくれていました。
古材の堂々とした質感に対して徹底して白壁を対比的に置いていって、
コントラストが明快な空間を作り出しました。
既存状態では、防寒のためにその下側に天井が張られていたみごとな梁が
そのまま表しになって、外光のいろいろな入り方に沿って、
時々刻々と変化する表情を見せていました。
ひとつの古民家リフォームの可能性を表現していると言えます。

今年以降も、この賞は継続していくと言うこと。
とくに、ことしはJIAの大会が仙台で開かれるので、
その目玉イベントとしても行われるようです。
ぜひ、大きな盛り上がりを見せていって欲しいと念願しています。

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建物の装飾性

2008年05月19日 06時25分17秒 | 住宅取材&ウラ話

仙台の街では、市内各所にあった寺院建築を駅東側に
一括して移転させて、「新寺町」という地名の街区を作っています。
お寺というと歴史性を感じさせる「古美」た風情というのがポイントですが、
この一帯では、むしろ建築としては新しいものばかりで、
わび、という感じがイマイチ、いたしません。
わが社の事務所はこの地域にあるのですが、
むしろ事務所のほうが「古びた」鉄筋コンクリートで、風情を感じるほど(笑)。
という次第なんですが、
やはり寺院建築では、そんなにおかしな「新建材」などを使うことは少ないので、
まっとうに年をとり続けているようなところは感じられます。
素材の若々しさは目にそのまま感じられるけれど、
これからが素材の味わいがだんだんに出てくるものなのでしょう。
最低、百年くらいの風雪を経ていかないと、
「わびさび」というような建築的な味わいには到達してこないのでしょうね。
出江寛さんのお話しに、
「わびとはなにか?」という疑問への答として、利休の師匠である
武野紹鴎の残した、
「わびとは、正直で、慎み深く、おごらぬさまを言う」という言葉が紹介されていました。
出江さんにお話を聞いたら、出江さんは京都の出身と言うことで、
小さいときから、古いお寺などで遊んで過ごしてきたのだそうです。
自然にそうしたことへの感受性が育てられる環境にいた、ということ。
この言葉そのままに理解すれば、
建築としての有り様というものが見えてくる部分があるでしょう。
きっと、そういう部分が本質的なものなのだろうと感じられます。

一方で、お寺さんの建築には奥行きのある装飾性もあります。
写真にあるように、ゴテゴテとは言えないけれど、
過不足なく、随所にデザインが施されています。
大きな意味では、単純な三角の屋根の造形を引き立てるような役割を担っているのでしょうが、
ひとつひとつの装飾は、感覚がおもしろいものばかり。
ディテールを見ていると、ちょっと時間を忘れるような気がしてきます。
「あれはなんの意味を持っているんだろうか?」という素朴な疑問が
次々に起き上がってきて、ひとがそのものに託した機能や思いを
思念し続けるような時間を味わうことができます。
そういう思いが、ふたたび、単純な外観プロポーションに戻ってきて
カタルシス的なものも感じられるようになる。
多くの人間が見続けてきたお寺などの建築デザインには
そういうさまざまな「仕掛け」が詰まっているのだろうな、と思われます。
まぁ、こういう新しいお寺さんは、伝統的美感の
「しきたり」を忠実になぞっている、というところなのでしょうが、
それでも、いろいろに想像力を膨らませてくれます。
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JIA出江寛次期会長

2008年05月17日 06時54分35秒 | 住宅取材&ウラ話

きのうはJIA東北支部のいろいろな催しがあり、参加してきました。
わたしも審査委員を拝命していた「住宅大賞」の授賞式などのイベントもあり、
折からの青葉祭り前日の仙台メディアテークで行われました。
ことしは17年ぶりにJIA全国大会が仙台で開かれると言うことで、
それに向けての「プレ大会」的な催しになっていました。

写真は来賓として、というか、
その迫力のあるメッセージは、とても「来賓」というような穏やかさではないのですが(笑)
元気いっぱいの「旬のひと」JIA出江寛次期会長の講演も聴くことができました。
ことし、JIAの会長職ははじめて選挙で選ばれることになり、
立候補を表明した出江寛さんと、現職の仙田満さんのあいだで争われ、
出江寛さんが当選して、6月からは新会長となるのだそうです。
自ら立候補して、政党の党首選挙並みに「公約」を掲げ、
その実現の道筋も、ロードマップで示すという公明正大な姿勢を通しています。
その主張されるところは至ってシンプル。
国、国交省に対して「建築家」という存在を証明させるということに尽きるでしょう。
建築士という制度がさまざまな矛盾を抱えてきている現状で、
それを打開して、革新しようと努力されています。
お話しの中で、安藤忠雄さんとのやり取りが紹介されていましたが、
世界の建築物の設計料は、実施をともなわない基本設計だけでも
かれ、安藤さんは建築費の20%をいただけるそうです。
それに対して、日本の公共建築の設計料は2%なのだとか。
しかも、それすらも「随意契約」であるならばまだしも、
「競争入札」で安売り合戦を強いられるというのが現実なんだとか。
そういう結果、世界的に活躍する安藤忠雄さんですら、
「所員に、満足な給料を支払うことができない」
というようになるのが実際のところなのだそうなんですね。
こういう現状に対して、究極的には「建築家法」の制定を目指して
建築家の地位向上の運動を展開しようというのが出江寛さんの主張。
具体的には、台湾で実施されているというシステムですが、
建築確認と同時に、「設計契約書」を添付することを義務化させようという作戦。
設計という行為が「無料」です、というような
社会風潮に歯止めを掛け、コンプライアンスを明確化し、
最終的には消費者保護につながるような改革に着手しようというのです。

やはり人間の価値は、社会のためになることに
私心を捨てて立ち向かおうとする情熱の部分だろうと思います。
自分の役割も明確に示して、責任を持ってなすべきことを成そうとする迫力は
十分に伝わってきた気がしました。
ぜひがんばって欲しいものだと共感の気持ちを抱いた次第です。

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建て替えの間取り

2008年05月15日 06時34分28秒 | 住宅取材&ウラ話

写真は先日取材してきた盛岡市のお宅。
岩手県の民間で行っている「エコハウスコンテストいわて」で
大賞を受賞した住宅です。
熱損失係数はほぼ1を切るレベルで、暖房はヒートポンプを採用。
随所に熱環境性能を追求している高性能住宅です。
ということなのですが、
この家は実は老朽化した住宅を建て替えたもの。
施主さんの要望は、なによりも暖かく快適な住宅性能というものだったので、
その要望を最大限、現状で可能な限り実現させているのです。
一方で、暮らし方とか、ライフスタイルとかの面では、
特段意識しないで、設計者と打ち合わせるウチに、
だんだんと、前の家のプランに行き着くようになったということ。
なので、最終的な間取りプランは前の家と大きな変化がないのだそうです。

まぁ、面白い結果にはなったなぁと、
建て主さんと設計者は笑い会っていたのですが、
こういうの、取材しているとときどき見かける事例です。
間取りって、知らず知らずのうちに生活ぶりに溶け込んでいて、
同じ敷地に建て替える場合、間取りを変えないというのは、
ある意味、合理的で「継続性」の面で理にかなってもいます。
せっかく建て替えるんだから、と思う部分もあるのですが、
その家を使っていくのは建て主さん。
生活の仕方、流儀のようなものって、出来上がっているとすれば、
それをあえて変えなければならない、という理由はない。
あさ、起きたらこの方向に行けばトイレがあり、
そこから新聞を取りに行って、居間で新聞を見ながら、
お茶を沸かす、みたいな「生活習慣」は、そのひとがたどりついたもの。
そういう部分にも変化を求めたい、という希望も理解できるけれど、
たとえば、高齢者の場合には
そうした部分に過度な変化を与えない方が「安心感」を持てる。
まぁ、人によりけり、ということもできますが、
案外、こういう継続性の方がいいというケースも多いんですね。

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近隣騒音~国民的論議?

2008年05月06日 05時18分24秒 | 住宅取材&ウラ話

すっかり忘れていましたが、
実はわたし、プレジデント社の「Famiiy」誌6月号で取材を受けて掲載されています。
「親子の「困った!」すべて解決70問」という特集を組まれていて、取材を受けた次第。
その特集の中に「近隣騒音」問題があり、そこに登場しています。
現在書店で販売中ですから、参考までにごらんいただければ幸いです。
こういうブログとは違った発表の場なので、
比較的自由に表現できたと思っています。

なぜ思い出したかというと、
住宅クレーム110番の方に寄せられた投稿をチェックしていて、なんです。
まぁ、毎日のようにこうした悩みが寄せられます。
いろいろ、建築的解決法から話し合い手段を探る手だてまで
提案もしてきているけれど、一向に浸透しない。
なかなか、単純な解決策は見あたらないし、事情自体は個別的。
この問題って、そういう部分を持っているんですね。
で、たまたま本日寄せられた投稿の中に
「ほとんどの共同住宅の半分以上が抱えてる問題だと思うのに
何故改善されないのでしょうか?」
という部分があったのです。
言われてみて、なるほどその通り。

この問題、被害を受けている立場も、出している立場も、
同様に「個人として」、放り出されているに等しい立場なんですね。
わたし自身でも、賃貸アパート・分譲マンションと
経験してきているけれど、公共的な問題として社会的に提起されることは少ない、
と感じてきています。
わたしの場合は、無意識な解決法として結局戸建て住宅を選択したのですが、
多くのみなさんがそのように解決できるわけではない。
とくに首都圏のみなさんには、逃げ場があるものでもない。
NPOを立ち上げて10年近く、HPで住宅問題を考えてきた立場から言えば、
この問題、そろそろ、国の機関が本腰を入れて
取り組んでいくべきなのではないかと思われますね。
いまは政府は、目先ばかりで迷走している状態だけれど、
この問題はすでに国民的な大問題。
であるのに、論議の場も用意していないというのは、
政治家・官僚組織とも、怠慢の極みなのではないかと思うのです。
というようなことを思案し続けております。
なにか、ご意見をお持ちの方、お聞かせいただけないでしょうか?
どうかよろしくお願い申し上げます。
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