くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

先に来た者

2010年12月19日 | 藤原竜也


武田真治さんが、デビュー20周年を迎え、ロングインタビューに答えている。その中で初舞台、「身毒丸」についても語っている。正直、以外だった。武田君も、武田君なりに「身毒丸」と向き合い、なおかつこんなにも苦しんだとは…。とってもピュアで、なおかつ繊細な人なんだなあ。だからこそ身毒丸に抜擢されたのだろう。非常にネガティブな作品を、若いエネルギーを持って、それこそ気を抜くことなく演じることで、精神的に追い詰められてしまった。だから再演は降りてしまった。そして、オーディションで発掘されたのが藤原竜也君だった。

さらに、以外だったのが、武田君の竜也君への想いだ。身毒丸の穴を埋めてくれたことに対する感謝…、武田君にとって、この降板はほんとうに辛く、傷ついた出来事だったんだなあ。今でさえ、それ以降の二人の活躍で、風化されつつあるが、俳優武田真治にとっては、乗り越えなければならない大きな過去だった。心境的には複雑なこともあっただろうけど、今の武田くんは全てを呑み込んで昇華し、人間としても大きく成長しようとしている。なかなか紳士だし、いい男になったね。ミステリアスで独特な色気も健在だしね。

このインタビューを聞くと、映画インシテミルの竜也君との格闘シーンの迫真さの意味がわかる。映画の中でもあの場面は印象的だったもの。真っ向から演技でぶつかることこそ先に来た者の意地でもあり、後から来た者へのエールでもある。かっこよすぎるぜ、武田君!これからも、サックス奏者、バラエティ、ミュージカル、ストレート、映画、TV…、様々な分野をこなせるオールラウンドプレーヤーとして活躍してくれることだろう。

心のバリアフリー

2010年12月19日 | 日常あれこれ
土曜日の夕方、混雑しているバスに車椅子の老人が乗ることになった。押している老婦人はたぶん奥様だろう。小柄でとてもかわいらしい人だった。交渉されたバスの運転士さんは手際良く、優先席のお客さんを立たせて椅子をしまいスペースを作る。バスを降りて登り板を出すし、かなり大柄な老人が乗った車椅子をバスの中へと押し上げた。そんな様子を眺めていたら、後ろの方から「夕方はいけないと思うわ、私」「夕方はいけないよ」という低い女性の声が聞こえてきた。 “何も混雑している時に乗ることないじゃない、発車まで手間取らせて”というような気持ちが露骨に伝わってくる物言いだ。夕方は行けない…、だったら、いつならいいというの?なんだか悲しくて嫌な気持ちになった。

間もなく、クリスマス、お正月を迎えようとして、夫婦で買い物に出たのかもしれない。月1回の通院日だったのかもしれない。この老夫婦は、外出するたびに、幾度となく、こうやって、冷たい視線を感じてきたことだろう。でも、奥様の凛とした顔つきは、決して悪びれず、堂々としておられた。人間、その状況になってみないと本当のことはわからないものだ。実際、こうやって体が不自由な人のテンポにいらついたり、迷惑を感じてしまうのだから。でも、いつ何どき、自分がその立場になるかわからない。ときどき、想像はする。両親が寝たきりになってしまったらとか、自分が病気になってしまったらとか…。でも心のどこかで大丈夫だろうとたかをくくっている。私だって、まさか母が癌を患うなんてまるっきり予想外のことだった。職場異動だって、自分はならないだろうと安易に思っていたこともあった。人を思いやるという人間として当たり前のことが希薄になってきている世の中になってしまった。バスは渋滞の道をのろのろと進む。私が降りる頃にはだいぶすいていたが、奥様はずっと車いすの後ろに立ち続けておられた。

段差がなくなっても、手すりができても、人の心の中の垣根が取り払われない限り、“差別”というものは無くならないのだなあと漠然と思う出来事だった。