くらげのごとく…

好きなことを考えてふわふわ漂ってるような
時間が心地良かったりする。
たとえ時間の無駄遣いだったとしても…。

納得いかない運命

2006年10月14日 | 日常あれこれ
ちょっぴり舌足らずの発音で「先生大好き!」って言ってくれた。
おばあちゃんこで甘えん坊、いつもマイペースに遊ぶ子だった。
でたらめ唄を口ずさむユニークさもあって、いろいろなことを思い巡らせていた。
「先生のお誕生日にいちごのケーキあげるね」と大きなケーキの絵を描いてくれた。感受性が豊かで味のある絵。大きくなるまで描き続けて欲しいなって思った。

3月に卒園していった、女の子は順調に小学校生活を送っていた。ところが、ある日、休み時間にシーソーから落下し、園庭を泣きながら転げまわった。見ていた友達が驚いて先生を呼びにいき保健室に運ばれた。

普段はおしゃべりなのに、何を聞いても保健室ではものを言わなかった。眼もうつろで口に入った砂も出せなかった。だけどそれを学校は異変だと思わず彼女の性格のせいだと思いそのまま1時間以上寝かせておいた。口の中の砂もそのままにして…。

異変に気づいたのは連絡を受けて駆けつけてたおばあちゃん。病院へいったら脳の中で何かが起こっていたことが判明。治療を施したが、放っておかれた時間が大きかった。彼女の脳細胞は確実に死滅してしまったのだ…。

あんなに元気に遊んで、一輪車にも乗れるようなったのに、突然、半身が麻痺してしまった。希望に満ち溢れて保育園を巣立っていったのに、こんな過酷な運命が待っていようとは…。

入院治療後、リハビリを重ね装具をつけてどうにか歩けるようになった彼女が保育園の運動会にやってきた。私を見ると抱きついてきた。「右手、上がるようになったんだよ」「指相撲しよう」って。卒園児の競技にも出たいという。手をひかれ、笑顔で園庭を走る姿を見て涙がこぼれそうだった。

私が泣いても彼女は救われない。どんな言葉をかけてもおばあちゃまの心は癒せない。詳しいいきさつはよくわからないが、学校側の対応にも疑問が残る。せめて、すぐに救急車を呼んでくれていたら。職員室近くにあるシーソー付近を見ていてくれたらと。1年生から6年生までが入り乱れて遊ぶ校庭を誰も先生が見ないのもおかしい。

一人でどんどん歩きまわる様子を見ていると、「もうすぐよくなるんだ」って信じて疑っていないように感じられる。案外そういう気持ちが一番大事かもしれない。寝たきりだったのにこんなに良くなったんだもん。これからもっと大きくなっていくんだもん。奇跡は起こるって信じたい。




運動会

2006年10月14日 | 保育園
暑くもなく、寒くもなく、好天に恵まれて、保育園の運動会が行われた。

保育園には0歳から6歳の子ども達がいる。乳児クラスの子ども達はまだ小さいので、お家の方と簡単な競技をしておしまい。午前中には眠くなってしまうし、お腹もすいてしまうから。3歳児以上になると、ようやく、お友達と競い合ったり、協力し合ったりする力がついてくる。お家の人と離れても泣かなくなる。というわけで、保育園の運動会というのは必然的に幼児クラスの子ども達が中心になってくるのだ。

年長児クラスの担任は、子ども達が自分の力を発揮して練習の成果を出してくれることを切望して緊張する。逆に乳児クラスに担任は裏方に徹する。ラインを引いたり、大道具を運んだり…。私は、久しぶりに乳児クラス担当になったので今までと違った動き方にとまどった。というのも乳児クラス担任は、練習になかなか参加できないのだ。何故って、午前中の練習時間は子ども達の食事、お昼寝時間にばっちり重なってしまうから。手のかかる赤ちゃんを放り出すわけにはいかない。そこで、各自、自分の持ち場をチェックしたり、連携を確認しあったりしながらぶっつけ本番で動く部分も出てくる。動いてみるとまた問題点や疑問点も出てきたりするので本番中でも再度、確認しあう。私にしてはめずらしく、昨夜は進行表を持ち帰り、何度も見直した。覚えようとしたけど、記憶力がないからダメだったけど。

でも、少しは予習が役立った。なんとか、自分の持ち場は忘れずにこなすことができた。仕事をする上で緊張感を持ち続けるって大事よね。また違った角度から運動会を見ることが出来て良かった。

主役の子ども達は大張り切りだ。我が2歳児クラスもあまり泣く子もいなくてお家の方と競技を楽しんでくれたし、本番に強い年長児は練習では見られなかったようなカッコイイ姿を見せてくれた。みんなの力が結集すると、さらに見えない力が生まれ一体感が出てくる。行事には子ども達が成長する瞬間がある。そんな子ども達の真剣な眼差しに感動した。お家の方の熱い声援やビデオ撮りに愛を感じた。

なんだかいい運動会だったなあ。