長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

純粋『巨神兵東京に現わる』大批判!!  ~東京都現代美術館の「特撮博物館」に行ってきました~

2012年08月19日 17時36分44秒 | 特撮あたり
 ピロピロピロ、ケロケロ、カロカロカロ~。どうもこんばんは、そうだいでございます~。今日も暑かったですねぇ!

 世の中では、夏休みもそろそろおしまいが見えてきた頃ですよね。我が『長岡京エイリアン』をご覧になっているみなさまの年齢層も性別も私はまったくあずかり知っていないのですが、夏休みを実際に謳歌しているわこうどなんているのかね? もしいるとしたら、時間を大事にしなさいよォ~! つっても、いくら言葉で耳に入ってきても、その意味を理解できずに生きているのが若者の特権なのよね~。それが生き物のまっとうな姿なんだから仕方がねェ。

 いやぁ、暑いもなにも、今日はとびっきりあっつくありませんでした、関東!?
 そして、そういう日にかぎって、着なれないスーツに身を固めて炎天下の街中をほっつく歩くはめになっているのが、わたくしなのよね~!! こういうタイミングの悪さはもう慣れました。「うん、そうこなくっちゃ! 死んでたまるか~☆」みたいな鼻唄気分ですよね。

 スーツ姿で行った用事は例によっての仕事探しで、船橋で面接があったためでした。
 船橋っていったらもう千葉なんで、新宿や渋谷ほど遠くなくてよかったと思っていたんですが、やっぱり暑いと、たかが5分弱あるいたくらいでもう疲労困憊ですよ。だってさぁ、日曜日だし、スーツ姿の人なんてほかに誰もいねぇんだよ。男性だってTシャツとかハーフパンツがほとんどなのに、みんなそうとうキツそうな顔してるんですよ! そんな中で上下濃紺のスーツ……もはや荒行以外のなにものでもありません。

 んで、いちおう面接自体は無事に終わりました。いい結果になるといいんですが……まぁそれは、恨みっこなしで運を天にまかせることにいたしましょう。
 もちろん、スーツがとにかくあっちいのでさっさと帰宅する選択もあったのですが、用事が済んだ時点でまだまだ正午をちょっと過ぎたくらいだったので、「せっかくだし、あそこ、行ってみるか!」という気分でそのまま、かねてから行ってみたかったある展覧会に GO!!


東京都現代美術館・企画展示『館長庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技』(2012年7月10日~10月8日開催)


 イエ~イ! ついに行っちゃいましたよ。

 美術展に行くのも、どれくらいぶりですかね……たぶん、去年の真夏に行った千葉県佐倉市の「塚本刀剣美術館」いらいじゃないかなぁ。あそこも1フロアながらもなかなかディープな空間だったのですが、ある程度の広さをもった美術館ということになると、3~4年ぶりということになるかもしれません。ずいぶんご無沙汰。

 この、東京都の江東区三好にある東京都現代美術館も、確か5~6年くらい昔にやっていた「スタジオジブリ展」を観に行って以来、3度目の来訪になりますかね。けっこう好きな美術館です。

 そ・れ・な・の・に。道に迷っちゃった……よりによって猛暑の日に、上下スーツで!! ザッツ・荒行&バカ。

 現代美術館は最寄りの駅である地下鉄の清澄白河(きよすみしらかわ)駅を出て、道に迷わなければ徒歩15分ほどの距離にあります。ちょっと歩かなきゃならないんですね。

 いや~、久しぶりだけど何回か行ったことがあるから大丈夫かと思ったら、見事に道に迷って2倍の距離と時間を歩くことになってしまいました……こりゃアレですよ、きっと妖怪「ひだる」のしわざだな。99% のひだると1% の方向オンチですよ。

 別にそのせいにするつもりはないんですが、清澄白河駅から歩くと、けっこう目立つ感じで現代美術館のマスコットキャラクターみたいなものをあしらった「かかし人形」が立ってるんですね。道ばたに。
 で、それにしたがって歩くと数百メートル先に2体目のかかしがあるわけですよ。なので、そこからまたかかしの指示にしたがって歩く。
 するとね、3体目のかかしがいつまでたっても出てこない……現代美術館はまだ見えてこないのに。「まっすぐ行けば着きます」っていう段階でもないはずなのに、指示がピタッとなくなっちゃうんですよ? この恐怖。

 こういうのにホントに弱いんですよ、方向オンチのわたくしは! それで不安になった末の八門遁甲の陣モード突入ですよ。またおまえか、諸葛亮ォ!!
 途中までお世話になっておきながらこういうことを言うのも非常に恩知らずな話なんですが、あの、親切にしてくださるなら、最後までその親切をやり通してくれないものだろうか……何卒お願いし申す。

 なにはともあれ、1時間弱歩いて見なれた現代美術館にたどり着くことができました。た、助かった。

 いやぁ、さすがは夏休み! お題が「特撮」なもんですから、そりゃあもう日曜日の現代美術館はたいへんな盛況振りでした。特にやっぱりお子さんの数ね。
 ところが、入館料をはらって中の展示スペースに踏み込んでみると、客層が少なからず、私の予想していた感じと異なっていたのが実に印象的でしたねぇ。

 とにかく思ったよりも女性が多い、多い! 
 やっぱり特撮作品の展示会なので、オッサンの身としては、私のようなおたくのみなさんか小学生男子をつれたお父さんがメインで、女性がいるとしても若干のひき顔で彼氏についてきている女の子くらいかとおもっていたのですが、そんなことない、印象としては男女比は5:5でしたね!
 大学生くらいの若い女性が、ひとりか数人で一緒に来ているというパターンが多く見受けられましたし、個人的にもっとビックリしたのが、中学生以下の女子がかなり多く親御さんを連れて観に来ていたってこと! 本当に、つきあわされてるって様子じゃなくて、積極的に展示されてるミニチュアや映像に見入っているんですよね、女の子が。

 時代も変わったというかなんというか……私が子どもだったころには「特撮」と「同級生の女子」なんて、隠れキリシタンと江戸幕府くらいに相性が極悪な組み合わせでしたからね。
 でも、もっと年上の女性も非常に多かったところを見ると、やはりこれは「館長・庵野秀明」という部分によるところが大きいんでしょう。たぶん、アニメ経由で実写の特撮に興味を持ち始めたという層にバッチリとはまったのではないでしょうか。実写特撮とアニメという、この2大ジャンルの壁を取り払う役割をになうことのできる才能は、たしかに現代の日本では庵野秀明をおいて他には見当たらないと実感いたしました。
 いやはや、大英断をもって今回の企画をたちあげた庵野さんには足を向けて寝られません。これは立派な文化的偉業ですよ、ほんと!

 それでもって肝心の展示内容だったのですが、そりゃあもうあーた、「最高」としか当てはまる言葉のないものでしたよ、ええ。
 「特撮博物館」の入館料は大人で1400円だったのですが、これだけのボリュームが映画鑑賞1本ぶんよりもリーズナブルな料金で見たい放題とは……「ものすんごく安い!!」としか言いようがありません。

 冒頭の繰り返しになるのですが、このブログをご覧になっている方の中で、どのくらいの人数が関東地方にお住まいになられているのかは、私は存じあげておりません。
 おりませんが! 行ける人はほんっとうに行ったほうがいいですよ、この展覧会。関東以外に住んでいる人でも、これはちょっとどうにかして、10月8日までに現代美術館に足を運んだほうがいいかもしんない。かなり広いスペースと多様な設備を必要とする展示規模なので、おそらくこれが全く同じスケールで地方にまわる機会はないと思われます。

 こんな『長岡京エイリアン』なんてタイトルのブログですので、おそらく今この記事をお読みになっているあなたは、特撮に少なからず興味をお持ちになっていることでしょう。もうこの「特撮博物館」なんて、とっくに行ったよ! という方も多いでしょうね。
 でもねぇ、この展示は特撮作品にまったく興味がない人が行っても、十二分におもしろいはずですよ。

 要するに、「怪獣が出てくる子ども向け作品」の製作現場の再現展示ではなくて、「人がものをつくる」ということの素晴らしさがしみじみ伝わってくるという、非常に範囲の大きな展覧会なんですよね。
 もうこれは、仕事をする人、料理をする人、趣味に没頭する人。もっと広くすれば、人とつきあいながら生きていく人すべてが共感できる、「生きていくことの大変さと楽しさ」が克明に展開されている稀有な美術展なんですよ。なまはんかなアートよりよっぽど間口が広くて、しかもレベルが高いです。

 展示物はも~ホントに、いちいちあげていたら向こう1ヶ月ぶんの『長岡京エイリアン』の記事がゆうに埋まってしまいますので、すべての素晴らしさを紹介するのは泣く泣く省略させていただきたいと思います。
 今回は「ミニチュア」という部分にそうとうな力を入れている展示になっているため、特撮の中でも比較的、巨大な怪獣が登場するような「ゴジラ系」「ウルトラヒーロー系」がメインになっていて、さすがは庵野館長、「非ウルトラ系」の巨大メカもの『マイティジャック』(1968年4~12月放送)のシビれる主役メカ群も大いにフィーチャーされていました。展示のテーマ上、等身大の「仮面ライダー系」はささやかなのですが、『突撃!ヒューマン』や『怪傑ライオン丸』などの主役ヒーローの本物のスーツマスクがズラズラ~ッ!と並んでいるのには畏れ入りました。き、貴重すぎる。

 ミニチュアときてハズせないのはやっぱり、それぞれの特撮番組で活躍する特殊防衛チームの戦闘機と特殊車両、それにリアルな25~100分の1スケールの町なみ・ビル群ですよね! そこはもうとてつもないボリュームで迫ってきますね~。
 もちろん、さわっちゃあいけません。いけないんですが、すぐ数センチ前に実際の撮影で使用されたウルトラホーク1号が、スカイホエールが、そしてマットアロー1号がァ!! たまりませんね~。地味ながらも、至るところにいろんな縮尺の東京タワー(もち昭和の)が置いてあるのも見逃せません。ちゃんとね~、遠景撮影用の東京タワーは赤い塗装をわざとくすませてあるんですよ。物は遠くなると、色あいが空気の層のせいで淡くなるんですよねぇ!

 こんな感じなのですが、だいじょうぶ、怪獣のモノホンの着ぐるみもちゃんとあるんですよね!

 ヒーローのスーツもそうなんですが、画面の中でなく実際に目の前にある着ぐるみは、これはもうほんとうにデカいです。圧倒されてしまいます。
 特撮向けの着ぐるみは、中に人間が入るという制約もさることながら、投げ飛ばされたりミニチュアの中に倒れこんだり、火をつけられたり仕込んだ爆薬をゼロ距離で炸裂されたりとかなり危険な現場に投入されるため、人間のひとまわりもふたまわりも大きなサイズにゴツく作られているわけなんですね。怪獣だったら背たけ2メートルサイズは当たり前。

 いやぁも~、目の前で観ることができたメカゴジラ2号機、平成ゴジラ(VS シリーズ)、そして! 私そうだいが信仰の対象とあおぐご本尊キングギドラさま。3体ともご本人です。はぁ~ありがてぇありがてぇ。

 その日の特撮博物館では、えんえん10分間、1センチ未満の距離でキングギドラの3本の首に順ぐりにメンチをきり続ける、上下濃紺スーツのおっさんの姿があったという……なにあの人、家族をキングギドラに殺されたのかしら……

 私のキングギドラへの愛。そりゃまぁ、語りだしたら向こう半年分の『長岡京エイリアン』が金色に染まってしまいますので、深入りするのはやめておきましょう。
 今回の冒頭の音が、キングギドラの鳴き声だと一瞬でわかった方、います? あなたとはいい酒が呑めそうです……私は甘酒で。

 ほんとのところ、特撮博物館に展示されていたおギドラ様は映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)に登場した前代未聞の「正義の怪獣」護国聖獣ギドラ幼体だったため(通算5代目)、実は私としてはもっとも思い入れのうすいヴァージョンの着ぐるみだったのですが、それでもやっぱり感動しちゃいましたねぇ、本物には! ウロコの1枚1枚までほんとうにかっこいい。

 メカゴジラ2号機もやっぱりよかったですね……あれって、『メカゴジラの逆襲』の撮影終了後にいったん「1号機」にもどされたんですかね? 着ぐるみの一部が1号機の仕様になってましたけど。1号機と2号機のちがい、キミにはわかるかナ~? わかっても社会の役には立たないぞ!
 昭和メカゴジラのデザインは何がいいってねぇ、メカなのに日本の龍や獅子舞、狛犬といったあたりの伝統の骨格をしっかり継承している男前な面がまえだからいいんですよ……神社の鳥居の両わきにメカゴジラの1号機と2号機が四つんばいで座ってても違和感ないでしょ? え、ある?


 さて、本当に展示ラインナップについて語りだせばきりがない特撮博物館なのですが、そろそろ本題に入ることにいたしましょうか。

 今回のこの展覧会の中でも、おそらく最も話題性の高いトピックが、庵野秀明の企画による実写短編映画『巨神兵東京に現わる』の上映でしょう。しかもなんと、天下のスタジオジブリ最新の正式制作作品!


 これには……心の底から、がっかりした!! 落胆といきどおりね。


 まず、聞いていただきたい。

 この『巨神兵東京に現わる』は「オール CG技術ぬき!」という庵野秀明の号令の元に製作された、あの宮崎駿の歴史的名作『風の谷のナウシカ』(1982~94年)に登場する巨大破壊生物兵器・巨神兵がもし現代の東京に出現したら……という趣向の公式スピンオフ作品です。庵野さんは企画だけで、脚本にも監督にもかかわってはいないようです。

 だいたい9分ほどの実写特撮映画なのですが、CG はおろか生身の人間の役者さんさえ一切登場せず、林原めぐみさんによるナレーションと、空から降ってきた巨神兵が東京を火の海に変えていく様子の描写だけに徹している非常にシンプルな作品になっています。

 なんといっても、今回の特撮博物館で『巨神兵東京に現わる』が上映された最大の意義は、本編の上映もさることながら、「CG は使わない」というけっこうな高さのハードルを乗り越えるために発案された、そのまんま長編映画に使われてもさしつかえないような多くの「手作業による新たな特撮技術」の数々! これらが惜しげもなく、10~15分ほどのメイキング映像2本で詳細に解説されていることなのです。これはほんとうにありがたいし、そのひとつひとつのテクニックの素晴らしさに驚嘆してしまいます。プロが懇切丁寧にタネを明かしてくれるんですよ……これを小学生のみそらで観られる子どもたちがまことにうらやましい。

 『巨神兵東京に現わる』は賭け値なしに実写特撮技術の最新アイデアの宝庫で、だいたい、エヴァンゲリオンのように細身で人間らしからぬ不気味な体格を持った巨神兵をどうやって実写化するのか? 中に人間が入る従来の着ぐるみ技術では、さきほどに言ったような理由で巨神兵のリアルな再現は難しくなってしまいます。どうしても、宮崎駿のデザインよりも太った巨神兵になっちゃいますから。かといって、操り人形を上から動かす操演技術では、こまかい動きが難しくなってしまうわけです。
 映像を見るまで、私はてっきりミニチュアの巨神兵をコマ撮りで撮影していくレイ=ハリーハウゼンばりのストップモーション技術が活用されるのかと予想していたのですが、実際にはそんな古臭いものとはまったく違った、それでいて日本の伝統芸能をうま~く取り込んだ、思わずため息の出るような新技術が投入されていたのです。これにはまいったねぇ~。

 巨神兵、崩れるビル街、立ちのぼるキノコ雲……撮影に投入された数々の技術の解説に、メイキング映像の上映会場ではなんの誇張もなく「へぇ~!」「うわ~!」という声があがっていました。こういう驚きを他の人たちと共有できる楽しさね。そういう意味でも、今回の『巨神兵東京に現わる』関連の企画展示はほんとうに意義のあるものがあったと感動いたしました。

 しかし!! いや、だからこそ! 私は叫びたい。『巨神兵東京に現わる』の本編そのものは、最っっ低にして最っっ悪の出来であると。

 確かに、『巨神兵東京に現わる』は一般の劇場で公開される長編作品ではありませんし、おそらくは制作上の日程や予算などの条件がかなりタイトなものになっていたであろうことはうかがい知れます。その点からも、あくまでも「お祭り的な出し物」として割り切って、「肝心の特撮技術がこんなにものすごいんだから、ほかの少々のことはいいじゃないの……」と楽しんだらいいだけのことなのかも知れません。

 でもね。過去のすべての特撮作品への感謝と愛に満ちている展覧会のメインにすえられている、最も新しい時代をになっていく一作であるからこそ、私はここだけは許容するわけにはいかないんですね。

 なにが許容できないのか? それは、特撮がこれだけ魂の籠もった仕事になっているのに、「作品全体のまとまり」が実にいいかげん。特にこれといった主義主張もないくせになぜか嫌な感じに仕上がっているという、その「監督力」の絶望的な欠如なんですね。

 この作品の流れはだいたい、「大きな災厄の予感に満ちた映像と林原めぐみのナレーション」~「ついに出現した巨神兵の大破壊シーン」~「巨神兵による『火の七日間』を背景にした林原めぐみのナレーション」といった感じになっています。
 その中で、手ばなしに素晴らしいのは真ん中の巨神兵シーン。手ばなしに最低なのは前後のつけたり。

 なんと言いますか……巨神兵の恐怖は、人々の記憶に残る歴代の怪獣たちのそれに通じる「畏怖」につながらなければいけないと思うんです。原作者の宮崎駿がどう考えているのかは別としても、特撮博物館の一環として実写化されている以上は、観る者になんらかの感動を与える「破壊の神」でなければならないんですね。

 ところが、『巨神兵東京に現わる』の巨神兵は見てくれこそ確かに原作マンガに忠実でカッコイイのですが、その存在はもうひたすら「不快」でしかないんですね。これははっきり言って巨神兵のせいじゃありません。ただ気持ち悪いだけのナレーションを無批判に前後にのっけた監督のせい。
 このナレーションは最低ですよ。私はこれでも毎週日曜日のブギーナイトをけっこう欠かさず拝聴している人間なので、しゃべっている林原さんの声にはなにも申すことはありません。
 内容なんだよ、内容……上映中の作品なんで詳しいことは言いませんけど、まったく共感できないモノローグがぶつぶつ続くだけで、しかも、序盤と終盤とで言ってることがアホみたいに分裂してるんですよ。何が言いたいのかさっぱりわかんないの。ただ気持ち悪いだけで。
 しかも、「火の七日間」に触発されたのかなんだかわかんねぇけど、浅知恵まるだしで聖書の話なんか持ち出してきちゃったりしてねぇ、たいしておもしろい解釈もしてねぇのに。そういうのを恥ずかしげもなく超一流の声優さんにしゃべらせる脳みそのカラッピッピ感!!

 だれ、あんなくっだらねぇつぶやきを神聖な特撮作品に持ち込んだの?
 え? 舞城王太郎? お前にだけは、今後いっさい金なんか落とさねぇからな!! こんないい加減な仕事をやってるヤツの日本語なんか1文字も見るか! 「かばやきさん太郎」に改名して出なおせ、バカヤロー☆

 いや、わけのわかんない知性ゼロの日本語でもいいんですよ? それならそれで、そういう分裂ぶり、トチ狂いっぷりを演じてくれるようにナレーションを演出すればいいんです。なんてったって巨神兵が東京に現れてるんだから、それを語る者が狂乱することは当然なんです。人間だもの。
 でも、林原さんに演技指導している監督の影は寸毫も見いだせませんでしたね、私には。どうせ「××ちゃんみたいな感じでお願いします。」程度の軽さでパパッと収録したんじゃないですか?

 私はそこが許せない。特撮にはあんなに魂をこめているのに、作品全体の完成度のバランスをまったく考えていない監督の態度が本当に許せないんです。
 そこからはもう、「特撮がすげぇんだから、あとはいいだろ?」「人間の演技は役者にまかせよ~よぉ、プロなんだからさ。」という、映画監督という肩書きをなめきった姿勢しか感じられないんですよ。

 不快だ。とにかく不快です。『巨神兵東京に現わる』で、巨神兵が好きになる子どもはいなくていいんですか? トラウマ作品というものは、ただ単に目を背けたくなる暴力的な怖さがあればいいと思うものじゃないと思うんですが。

 別に私は、巨神兵に「シェー!」をするようなファンサービスをしろと言っているのではありません。最低限、東京を壊滅させるにしても初代ゴジラのような「畏怖」とガイラのような「身に迫るインパクト」を、どうか特撮だけでなく「監督の演出力」でも創造してほしいということなんです。そうじゃなきゃ、特撮博物館唯一のオリジナル作品であるという重責をになえないはずなんですよ。

 だって、特別上映作品だとしても、オープニングにちゃんと大きくクレジットされてるんでしょ、「監督 樋口真嗣」って!!
 そこ、「特技監督」だったら別に文句は言いませんよ。でも、作品全体の「監督」なんじゃん、あなた!!

 憎い! 私は「映画監督の樋口真嗣」が本当に憎い。だって彼は映画監督としての仕事をまるでやっていないのもさることながら、「特技監督の樋口真嗣」と現在の日本特撮界の評価を下げることしかしていないんです。彼がのうのうと映画監督を名乗り続けることができている日本映画界って、いったい何なんですか?

 『巨神兵東京に現わる』が如実に示しているように、樋口真嗣はまさしく、円谷、有川、高野、中野、川北というなみいる伝説の特技監督の面々につらなるどころか、互角以上にわたりあえる発想と行動力を持った天才であるはずなんです。
 しかし、同時に『巨神兵東京に現わる』が如実に示すとおり、映画監督なんていう肩書きは早々に放り投げたほうがいいんですって、マジで! いい映画監督本職のパートナーと組んだらいいだけの話じゃないっすか! もう若くはないんでしょ、シンちゃん。

 みなさん、今からおよそ50年も前、1964年に公開された映画『三大怪獣 地球最大の決戦』で初登場した宇宙超怪獣キングギドラが、どうして半世紀たった現在でも「最強・最凶・最恐の怪獣」としてい君臨できているのか、わかりますでしょうか。それは、単純な生物としての強さとか、吐き出す光線の威力のすさまじさだけではないんです。
 巨大な火の玉の中から満を持して爆誕するその姿。上空を飛び去っただけで風圧で屋根瓦が吹き飛んでしまう長野県・松本城。横をちょっと通り過ぎただけなのに、飛行から生まれる衝撃波でミシミシとへし折れる東京タワー。飛んでくるというラジオ速報を聞きいっせいに自宅に非難して雨戸を閉ざす住民の無駄な努力。ミニチュアの鳥居ごしに近づいてくるキングギドラの姿をとらえ、空間の奥から放たれた光線によって画面近くの鳥居が一瞬にしてなぎ倒されてしまうというものすごいカメラワーク。このワンカットによって、キングギドラは地球の神をもおそれない恐怖の存在であるということが無言で雄弁に説明されるのです!

 つまり、怪獣の恐ろしさは怪獣自身ではなく「周辺」で証明されていくものなのです。周辺を形作るのはもちろん、監督の手腕です。
 はっきり言って、その破壊のすさまじさにおいて、『巨神兵東京に現わる』の巨神兵は歴代のどの名怪獣さえも足元にさえ及ばない強烈さを誇っていました。そりゃあもうとんでもないものです。
 でも、その破壊には「美学」がない。監督のセンスや哲学を感じるカットがないんです。安っぽいエセ黙示録にたとえたいのかな~?程度。

 そういう点で今回の巨神兵は、あの、そ~と~不本意なコンディションでの登板となった映画版『風の谷のナウシカ』での「ドぐされ巨神兵」よりも効率の悪い破壊のしかたしかしてないんだよなぁ~! ただただ力押しなんですよ。光線の一発一発に魂を込めてない。高校球児を見習ってほしいですね。


 もうひとつ『巨神兵東京に現わる』で最低なのは、やっぱり音楽ですよね。

 哀しげな女性コーラスに、ピアノソロの「ポロン、ポロン……」って、なにそれ。
 激しい破壊に静かな音楽の対比ですか? そんなクソくだらない小手先だけのテクニック、こっちは三流ハリウッド映画で耳が腐れおちるほど聴いとるんじゃ、大バカタリンコ!!

「きみはマ=クベ大佐の下に長年いて何を学んだのだ……」

 聴こえないのか、あの、「ゴジラ名場面集」の上映スペースから流れてくる『怪獣大戦争マーチ』が。音楽と特撮が互いにどのくらいの相乗効果をもたらす重要な関係なのか、知らぬあなたではありますまい。
 そこをなんで、あんな聞く価値もない音の羅列で済ませるのか、本当にそのセンスを疑います。

 いろいろ言いましたが、私としてはすべての悪い点から観て、やっぱりこう結論を出さざるを得ないんです。
 樋口真嗣は作品全体のコンダクターたるべき「映画監督」という仕事をやってない。「展覧会向け特別作品だからこそ、そこに全力を賭ける」という行動の「粋(いき)さ」を、根っこのところで理解していない。特技監督としては合格点以上にやっていたのだとしても。


 今回の「特撮博物館」は、日本における特撮という文化の「素晴らしさ」と「今後の課題」、それぞれを強く感じさせる意義深い展示企画になっていました……
 あらためて言いますが、本当にいい展覧会です。このチャンスを逃がす手はありません。行ける方は是非とも行ってみていただきたい。

 いろいろ疲れちゃったよ。まずなにはなくとも歩き疲れてたから、これまたとてつもないスケールの物販ブースでも、オリジナルグッズなんか買う余裕もいっさいなく帰っちゃったし。昔は DVDだ、フィギュアだ、ガシャポンだと目移りしてしょうがないくらいだったのにねぇ~。私も年をとったのかねぇ~。

 たぶん、10月8日までにもう1回くらい行くんじゃないかな。

 その時には道に迷わず、体力に余裕を持ってじっくり楽しむぞ~! オイ、オイ、オイぃ~。
コメント (2)
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