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長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

ついにこのときが

2012年10月05日 23時03分29秒 | 日記
大滝秀治さん 最期は眠るように……前夜はお酒も
 (サンケイスポーツ.com 10月5日の記事などより)

 俳優の大滝秀治(おおたき ひでじ)さんが2日午後3時17分、肺扁平(へんぺい)上皮がんのため東京都内の自宅で死去した。87歳。

 大滝さんが代表を務めた劇団民藝は、「今年2月ごろ体調不良のため、6月の民藝公演を降板して入院加療中でした。7月初旬には間質性肺炎も併発しましたが、その後病状も安定して退院、食欲もあり自宅療養しておりました。ご家族によれば、前夜も一緒に食卓を囲み好きなお酒も酌み交わしておりましたが、翌日の午後、静かに眠るようにお別れしたとのことです。」とファクスで綴った。
 大滝さんの家族は、「2月に肺がんが見つかり8ヶ月。病気に身体を蝕まれる恐怖以上に仕事ができないことがつらそうでした。しかし心から信頼できるお医者様と看護婦さんに出会えたことで、わがままを言いながらも普通の生活を最期まで送ることができました。こんなに家族とべったり過ごしたことがありませんでしたので、病気になるのも決して悪いことばかりじゃないねと申しておりました。あれこれ難しい本を読みあさっておりましたが、最後に手に取ったのは赤塚不二夫さんの『これでいいのだ』。まさに『これでいいのだ』と笑顔で穏やかに旅立ちました。」とコメントを発表した。

 東京都生まれ。中学卒業後に旧帝国陸軍に入り、国外で終戦を迎えた。復員後、丸ノ内の連合国軍総司令部(GHQ )電話部勤務のかたわら、帝国劇場で演劇の魅力にはまり1948年、民衆藝術劇場(第1次民藝)付属養成所に入所。1950年の滝沢修らの劇団民藝創立に研究生として参加し、同年に初舞台を踏んだ。1970年、東京裁判を描いた木下順二の舞台『審判』で注目され、以降、劇団の中心俳優となった。

 あくの強い人物造形の一方で、ひょうひょうとしてユーモアをたたえた演技で存在感を発揮、幅広い役柄をこなした。民藝の舞台は、『巨匠』の老人役、『審判』の首席弁護人役(いずれも木下順二作品)など多数。
 その個性と存在感は、 TVドラマや映画、 CMでも発揮された。ドラマ『うちのホンカン』(1975年 TBS)や『特捜最前線』(1977~87年 テレビ朝日)、映画『不毛地帯』(1976年 山本薩夫監督)、『あにいもうと』(1976年 今井正監督)、『影武者』(山県昌景役 1980年 黒澤明監督)、『お葬式』(1984年 伊丹十三監督)など代表作は多い。
 80歳を過ぎてからもほぼ毎年、民藝の舞台の主演を務め、円熟の芸境を見せていた。『らくだ』の演技で文化庁芸術祭大賞など受賞多数。1988年紫綬褒章、2011年文化功労者。奈良岡朋子さんとともに劇団民藝代表。

 2012年4月20日、主演予定だった6月の民藝公演を体調不良のため降板、病気療養中だった。2011年6月の『帰還』(坂手洋二作)が最後の舞台となった。また、現在公開中の高倉健さん主演『あなたへ』(降旗康男監督)が映画では最後となった。



 ……ついにこのときが来ちゃったのよね。

 大滝さんの舞台、結局1回も観なかったなぁ。生のものはやっぱり観られるうちに観ておかないとね。
 個人的にはやっぱり、映画『獄門島』(1977年 市川崑監督)での思わぬ悪役ぶりが印象的でした。あの笑顔から出てくるドス黒い言葉がものすごいんだ。

 ともかくともかく、今まで長いあいだ本当にありがとうございました。ゆっくりお休みください。

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