goo blog サービス終了のお知らせ 

長岡京エイリアン

日記に…なるかしらん

ついに観た 梅雨どきだから この一品  映画『星砂の島、私の島 アイランド・ドリーミン』 の、はずが

2012年06月21日 22時38分18秒 | ふつうじゃない映画
 はいど~も~、こんばんは! そうだいでございます~。みなさま、今日も一日お疲れさまでございました~。

 いんや~もう、ジメジメのきわみですなぁ~。梅雨ですなぁ~、台風ですなぁ~!!
 もうここ数日は暑い日と肌寒い日の、か~りぺったか~りぺった(『ドリフ大爆笑』より)でねぇ。いずれにせよ湿度が高いのは共通なんですが、それに台風の影響がまざってくると「ズドドドドド!!」と、とてつもない勢いの雨と風が。体調的にも気分的にもモヤモヤっとしてどうにもよろしくありません。

 最近ちょっと、個人的には非常に気になるこんなニュースがありました。


「ポニョの景観」保護、鞆の浦工事中止へ 広島県知事
 (時事通信社 6月22日の記事より)

 宮崎駿監督のアニメ映画『崖の上のポニョ』の舞台のモデルとして知られる、瀬戸内海に面した景勝地「鞆(とも)の浦」(広島県福山市)の埋め立て・架橋計画について、同県の湯崎英彦知事が中止の意向を固めたことが22日、分かった。鞆地区の景観に配慮し、山側にトンネルを掘って橋の代替となる道路を整備する。知事は25日にも同市の羽田皓市長と会談した上で正式に表明する。

 鞆の浦は、江戸時代の石造り灯台や港湾施設が数多く残る景勝地。一方で道路が狭く、新たな道路整備が地域振興の課題となっている。
 このため、県は1983年に海の一部を埋め立て橋を架ける計画を立案。藤田雄山前知事時代の2007年に、計画具体化に向け埋め立て免許の交付手続きに入った。

 これに対し、景観保護を求める住民グループなどが反対運動を展開。2009年10月には広島地裁が、鞆の浦の景観について「国民の財産というべき公益」と指摘し、事業差し止めを命じた。
 広島県は判決を不服として控訴したが、その後、湯崎知事が当選。同知事が改めて推進派と反対派を交えて鞆の浦の町づくりについて話し合う協議会を発足させるなどして、計画の是非を再考していた。



 うおぉ、鞆の浦!! 私は現地には一度も行ったことがないし、現在の地区の不便さや、それを解消するために計画されていた橋が具体的にどのくらい景観をそこねる規模のものになっていたのかをまったく把握していないので、賛成か反対かのどちらかに属して意見を言うつもりは特にありません。
 特にないんだけど、無責任に言わせていただければ、鞆の浦の風景がこれからも残っていくというのは非常にうれしい!! いつか必ず行って、港から見渡す瀬戸内海のながめをこの目にとどめておきたかったんですよね。私にとってはかなりの高ランクで「生きているうちになんとしても行きたい聖地」なのであります、かの鞆の浦は。

 え? 『ポニョ』がおもしろかったからそんなに好きなのかって? ノン、ノン、ノン!

 この鞆の浦は、おそれおおくも、かの室町幕府第15代征夷大将軍・霊陽院足利義昭公(1537~97年)がにっくき織田信長に京を追放されたのち、天正4(1576)年2月から天正16(1588)年1月まで12年の長きにわたって滞在されていた土地だったのだァ!! これを「聖地」と呼ばずしてなにを「聖地」と呼ぶのでしょうか。

 ステキ……義昭公はいったい、何を想いながら眼前に広がる海を観ていたのかしら。その当時の風景がほぼ変わりなく今でも拝めるっていうんですから、これを現代も変わらないかたちで守り続ける意味は、ただ単に景勝地であるということ以上に大きな価値を持っているのです。

 だって、将軍がいたのよ!? ということはアナタ、いちお~当時の日本の「首府」だったのよ!! ヒィヤッホウ~。

 とは言ってもね、ちゃんと現実は見なきゃいけないわけでして、客観的に見れば義昭公在世中の「日本の首都」はあくまでも京のみやこ。その次にあがるのは信長の近江国安土や、豊臣秀吉の摂津国大坂(大阪じゃなくて、おおざか!)といった感じで、それにたいする義昭公の備後国(びんごのくに・現在の広島県東部)鞆の浦はくらべるべくもない寂しさがあることは事実です。

 ちょっと昔は「本能寺の変を決行した明智光秀の背後には足利義昭の影が!!」なんていう刺激的な新説も出てきていましたが、多くの論説が示すように、それが「意図的な古文書の誤読」による義昭公のもちあげすぎであることは言うまでもありません。要するに、権力的・軍事的バックアップをもぎとられた鞆の浦時代の彼が完全に「過去のひと」になっていたことは、これはも~ファンでも認めざるを得ない事実なのであります。哀しいけど……

 でも! いや、だからこそ!! 毛利家、島津家といった西日本の有力大名たちの「精神的よりどころ」として、自身の「征夷大将軍職」をガンとして手ばなさなかった鞆の浦の義昭公の姿は美しく、りりしいのです。「権力」は失っても「権威」は失わない。信長との争いに敗れ、泥まみれの屈辱にまみれてもプライドだけはにぎりしめて都を去っていく、その誇り高き哲学!
 これが将軍だ。あの覇王信長でさえもがついに滅ぼすことのできなかった将軍の生きざまなのだァ!!

 ……とは言いますけど、実は史実の織田信長は義昭公の追放後にもけっこう熱心に「和解」を目的とした交渉を申し入れており、人質としてぶんどった義昭公の長男を「第16代将軍」にする目的で大切に養育していたフシもありました。

 つまり、「革命的な政治意識を持った織田信長が旧態依然の室町幕府を滅ぼした!!」という手あかのつきまくった現代の常識は、「ヘソをまげまくった義昭公が将軍職をぜんぜん辞任しようとしなかったから結果的にそうなっちゃった。」というだけのなりゆきの産物だったのです。もう、ぐだぐだ!!

 これは別に私のオリジナルな歴史観でもないし、ちょっと調べればすぐにわかる話なのですが、いわゆる「革命児・織田信長」の歴史的偉業は、よくよく当時の史料を検証してみれば江戸時代以降にかなりオーバーに拡大解釈された、もしくは捏造されたものがほとんどです。「鉄砲三段撃ち」とか「巨大鉄甲船による大海戦」とか。

 じゃあ信長のなにがすごいのかといいますと、これはもう、「異常な運のよさ」と「デキた部下にめぐまれる人望のあつさ」としか言いようがありません。とにかく信長さんはすげぇ、信長さんについていけばなんかおもしれぇという、論理を超えたお祭り的なカリスマ性が時代をリードしていったのです。このチーマーみたいな高揚感!

 「信長のスピーディな決断が時代を変えた!」というのもよく聞く話ですが、ちょ~っと待ってくださいよ。
 今川義元はミラクルに討ち取っても今川家そのものは滅ぼさない。設楽ヶ原合戦(長篠合戦)で大勝しても武田家そのものの滅亡にはそのあと7年もかけている。あんなに苦労した本願寺顕如との大戦争も最終的決着は和睦で済ませている。そして義昭公の件だって、はっきし言って殺そうと思えば殺せた勢いだったのに丁重に「京からおひきとり願う」という下からスタイル。
 こんな人が、果たしてほんとに「果断な革命児」なんでしょうか。な~んか真逆の「石橋をたたいても渡らない注意深さ」が目立ちますよね。

 要するに織田信長は、肝心のところで何もしてないのに武田信玄や上杉謙信がバタバタおっ死んでいくというあたりに代表される「ミラクルラッキーボーイっぷり」こそがその本質で、なにかが起こったときに何も言わずに内心ビックラこいているうちに、信長以上にかしこい部下たちが「わからんのか? これはすべて大殿の計算のうちのこと!」とうまくフォローして、それを受けて「う……うん。そうよ。」とこたえるお人だったのではないでしょうか。ぶっちゃけた話、長期的な政治プランなんか、ない!! まわりが敵だらけでそんなの作ってるヒマなんかなかったから。

 私はそういう見方から、織田信長は奇跡的な運のよさと人望のかたまりと言える「カンピュータ人間」、つまりは現代の長嶋茂雄のようなお人だったんじゃなかろうかと思うんだな。神経質という部分はあったでしょうが、間違っても「頭がよさそうなイメージ」が最優先する人ではないはずなんだ。
 だもんで、織田信長を演じた現代の俳優さんの中で私が一番好きなのは、これはもう文句なしに NHK大河ドラマ『利家とまつ』での反町隆史さんです。バカっぽいのについてきたくなっちゃう何かがあるのね!

 ついでに言うと、我らが足利義昭公を演じた俳優さんの中で、勝手ながら私が最も「義昭公らしい!」と思っているのは、ちょっと古くなりますが大河ドラマの『国盗り物語』で義昭公を演じきっていた伊丹十三さんです。次にくるのは10年前くらいにテレ東かどっかの大型時代劇版の『国盗り物語』で演じていた相島一之さんかなぁ。

 ここはハッキリ言っときますが、私は平成に入ってから義昭公を演じた俳優さんのほとんどに不服です。例外はさっきの相島さんと大河ドラマ『秀吉』の玉置浩二さんくらい。
 あとはそろいもそろってボンクラぞろい……いや、これは俳優さんの力量というよりも脚本の中でのキャラクター造形が浅すぎアホすぎというところが問題なのでしょうが、足利義昭という人物をただの「権力が大好きなバカ殿」としか描いていない時代劇は作る価値も見る価値もないといってよろしいでしょう。そんなドラマ観るんだったらカラオケで100回『田園』唄ってたほうがましです。

 特にアナタ、大河ドラマ『功名が辻』の三谷幸喜。
 そんなオファーことわれよ。役者じゃない人間がしゃしゃって演じられるほど足利将軍は軽いポジションじゃねぇんだ。こ・と・わ・れ・よ!!


 まぁ~ともかく、そんな足利義昭公が12年間住んでいらっしゃった鞆の浦の景観が残されるという今回のニュース、これはもうまことによろこばしいことなのであります。

 ところでそんな義昭公が、その61年の生涯の中で、戦国時代もたけなわの全国津々浦々を流浪したという遍歴は実にすさまじいものがあり、誕生~6歳は親父の第13代将軍・足利義晴に育てられながら京、6~29歳は出家して大和国の興福寺、29~30歳は近江国の大名・六角承禎の保護下、30~32歳は若狭国を経由して越前国の大名・朝倉義景の保護下、そして32歳のときに美濃国で織田信長と会見していっしょに京にのぼって将軍就任、そのまんま32~37歳は京にいて信長とハデにケンカしたすえに決別し、37~40歳は河内国を経由して紀伊国に滞在、40~52歳がくだんの鞆の浦で、52~61歳は将軍辞職と出家をひきかえに京に戻って、あの信長でさえ手に入れることがかなわなかった「おだやかな余生」をおくることとなったのでした。最終的には「勝ち」でしょ!
 ということなので、義昭公の少年~青年期をぜんぶカヴァーする「坊さん時代」をのぞけば、鞆の浦の12年間はなんと「義昭公が一番長くおちついて生活していた時代」だったのです。よっぽど住みやすかったんでしょうか。将軍として京にいたのはたったの5年間だったんだぁ。

 あっ、そう言えば、歴史の教科書では戦国時代の前の時代、つまりは義昭公を15代目とする歴代の足利将軍がいた時代のことを「室町時代」と呼んでいるのですが、この語源は「足利将軍の居館&執政所(御所)が京の室町地区(現在の京都市上京区)にあったこと」によります。

 ところが、実はちゃんと足利将軍の御所が「室町にあった」のは、正確に言うと「3代将軍・義満~12代将軍・義晴」のあいだだけで、初代・尊氏は二条高倉、2代・義詮(よしあきら)は三条坊門、13代・義輝(義昭公の兄貴)は二条で15代・義昭公は烏丸(からすま)に幕府をおいていたのです。めんどくせぇ! あ、ちなみに義昭公のいとこにあたる14代・義栄(よしひで)さんは基本的に和泉国の堺にいて、まともに京に入ることさえかないませんでした。残念!!

 そういうことなんで、あの足利将軍家が君臨していた時代ぜんたいを「室町時代」と呼ぶのは、私としてはちょっと……え……


 ……あれ。なんの話してんの、わたし。


 え? 足利義昭? いやいや、今回はアイドルの出ていた映画の話がしたかったんであって……
 そうそう、瀬戸内海じゃなくてもっと碧(あお)いエメラルドグリーンのさぁ、南国の海がはえる作品のことについて語りたくって……あの~、足利幕府第15代征夷大将軍じゃなくて、今現在、栄光ある名門・モーニング娘。第8代リーダーをつとめていらっしゃるお方のういういしい姿がおがめるやつを観たっていう話でして……ちなみに足利家の第8代将軍は義政というそ~と~ヤバいお人で、徳川家の第8代将軍は暴れん坊だったわけで。


 いや~、いけませんな。沖縄の離島を舞台にしたアイドルの話がしたかったのに、瀬戸内海の鞆の浦を舞台にした将軍の話題でお熱が上がってしまいました。でも、これこそが『長岡京エイリアン』のしごくナチュラルなありかたなのです。ゆがみまくり☆


 ここは、しきりなおすか。


 ということで! 満を持して DVDを購入、ついに目の当たりにすることとなった伝説の「モーニング娘。6期メンバーが正式加入するかしないかのうちにとっとと出演することになった映画」こと、


『星砂の島、私の島 アイランド・ドリーミン』(2004年2月公開 監督・喜多一郎 主演・大多月乃)


 の詳しい内容については、まったじっかい~。

 梅雨だからこそ、カラッとした沖縄の海が観られる作品をね!

 それにしても、ヘンな映画……
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時をかけるレディ、あれこれ  『篤姫ナンバー1』と『峰不二子という女』

2012年04月16日 23時23分34秒 | ふつうじゃない映画
 どうもこんばんは~、そうだいでございます。今日も一日お疲れさまでした!
 まずは、なにはなくともこの大ニュースから。


峰不二子が主役!? 『ルパン三世』27年ぶり新TVシリーズ 
 (産経ニュース 2012年4月3日の記事より)

 モンキー・パンチ(74歳)原作の人気マンガ『ルパン三世』の、27年ぶりとなる新作 TVアニメシリーズ『LUPIN the Third 峰不二子という女』が4日から日本テレビ系列で放送される。

 これまで TVアニメシリーズ3作と劇場版6作、1990年からは2時間の TVスペシャル版が放送されて、幅広い年代層にファンを持つ『ルパン三世』シリーズ。タイトルにヒロインの峰不二子が打ち出されたのは今回が初めてだ。同局は「若かりし頃のルパン一味の活躍と、ルパンの永遠の好敵手、銭形警部との戦いを描く。」としており、制作サイドによると、「これまでのシリーズはコミカルタッチで描かれてきたが、今回は原作のハードボイルド調が濃くなり、大人のお色気シーンもある。」という。

 レギュラー声優陣は昨年2011年12月放送の TVスペシャル第22作『血の刻印・永遠のマーメイド』からルパン三世役の栗田貫一(54歳)、次元大介役の小林清志(79歳)以外が交代し、峰不二子は沢城みゆき(26歳)、石川五ェ門は浪川大輔(36歳)、銭形警部は山寺宏一(50歳)が務める。毎週水曜日深夜1時29分(初回のみ同49分)から。監督はシリーズ初の女性、山本沙代(35歳)で、全13話の予定。


 イィイヤッホ~ォウ!! おぱ~おぱ~おぱ~、おぱ~おぱ~おぱ~♪

 いや~、気づくのが遅すぎましたわ! 放送が開始されて2週たっちゃった今ごろになってその存在を知りましたよ、待望の『ルパン三世』
最新シリーズ。
 やると思ってたんだぁ~。せっかくキャスト陣が若返ったんですから、年1のペースをかたくなに守る必要もありませんしねぇ!

 え? もちろん観た観た、2回とも観た!
 最初にこの報を知ったときには、「あぁ~、やっぱり天下のルパン一味といえども、ド深夜に1クール分だけの放送になるんですかぁ……」と少なからずさみしい気分にもなっていたんですが、拝見して大いに納得!

 これはド深夜の1クールだけじゃなきゃ成立しねぇな!!
 「しかたなく」じゃなくて、「あえて」この放送スタイルを選択したかのように見えてしまう、なつかしの「エロ・グロ・ナンセンス」大盤振る舞いの21世紀アップデート版ピカレスクロマン。おもしろいですねぇ。

 それぞれゲスト出演した第1回のルパン三世と銭形警部、第2回の次元大介のデザインとたたずまいを見てもわかるとおり、このシリーズはまさしく、1967~69年に連載されていた「マンガのほうの」ルパン三世の史上初のアニメ化作品と言っていいのではないでしょうか。

 いいですね~。「ルパン三世アニメ化40周年記念作品」っていってるのに、アニメの歴史はガン無視してそれ以前のルパンにスポットライトをあてたシリーズを始めてしまうとは! このななめ上をいった企画センスがまず大成功。

 いちおう、『ルパン三世』における「原作とアニメの関係」という点では、「駿さんが登板してなかった時期の」TV第1シリーズ(1971~72年)の初期や劇場版第1作『ルパン VS 複製人間』(1978年)あたりが比較的、原作マンガに近い雰囲気を持っていたかと思われるのですが、それもあくまで「比較的」のお話で、原作とはまったくの別物。
 あと、今までの歴史の中で原作とアニメとが最接近した例としては、原作者のモンキー・パンチ先生がおんみずから監督をつとめた劇場版第6作『DEAD OR ALIVE』(1996年)を無視してはならないのですが、これは1990年代時点での「原作者なりのアニメルパンの解釈」という逆輸入的な意味合いのある作品に仕上がっているため、絵柄もふくめて1960年代の原作マンガとはまったく違ったルパンワールドになっています。

 1967年に最初に登場した、あの悪魔のようにキレッキレの目つきをギラッギラ光らせ、底意地の悪い笑みで口元をしじゅう歪めている「若き悪漢・ルパン三世」が夜の街を跳梁跋扈する原作ワールドがアニメで観られることの幸せといったらねぇですよ。もう殺しまくり、犯しまくり! 「すてきなどろぼうのおじさま」? そんなヤツ知らねぇ~。

 ただし、そんな原作マンガの中でも「作者にとって使い勝手のいい謎の悪女キャラ」程度にしかあつかわれていなかった峰不二子を主人公に抜擢するとは。こここそが、原作でも触れられていなかった「稀代の女傑の正体」をひもとくこの『峰不二子という女』オリジナルの味わいになるであろうことはまず間違いありません。

 初回と第2回では、それぞれのちのルパン一味となる人物とのファーストコンタクトが物語の軸になっていましたし、おそらくは今週の第3回も、あの「くるりんモミアゲ」のおさむらいさんとのやりとりになりそうです。今のところは、峰不二子さんは「謎の女怪盗」という従来のイメージを踏襲していますね。
 でもまぁ、あの気合いの入りすぎたオープニングといい陰鬱なエンディングといい、近いうちに峰不二子というお方が「なんでああなのか。」という一大問題に本編がわけいっていくことは明らかでしょう。

 全体的に自由気ままに生きているように見えながらも、心の奥底に「なにかに追い立てられているかのような」強烈な焦燥感をやどしているような業を感じさせる主演の沢城さんの演技が実に的確で素晴らしいですね。
 特に第2回なんかそうでしたが、「自分が物語の中心にいられないと猛烈にさみしそうな表情になる」非常にチャーミングでめんどくさい人物像をバッチリ体現しています。世間の空気なんか読んでたら「ふ~じこちゃ~ん♡ 」って追いかけられるようなヒロインにはなれないんですね。
 沢城さんはほんとに20代なんですか!? とにかくうまいんですよねぇ。全体的にそれまでの「3人の峰不二子(2人じゃないよ!)」の声を精巧にバランスよく継承した演技を展開していながら、決める部分はスッと沢城さん自身の味わいをさしこんでくるのです。若くてうまいんだから文句のつけようがありません。

 沢城さんにかぎらず、作画も声優陣も全体的にテンションが高いのがいいですねぇ。
 なんてったってクリカンさんにとっては「初の TVシリーズ」になるんだし、いさぎよくオリジナリティを優先させている山寺さんのハードボイルド銭形もいい感じです。よわい80を目前にひかえて「次元イズムの決定版!」みたいなエピソードをなんなくやりきっている小林さんもおとろえ知らず。
 あとはも~、なんといっても音楽担当の菊地成孔(なるよし)のやりすぎ感!! 貴腐ワインのようにあまく、ふきのとうの天ぷらのように苦い。オトナじゃ~ん!

 ところで、こういった「原点回帰のさらに原点回帰」といったコンセプトを拝見すると、自然と思い起こしてしまうのが2008年にフジテレビの深夜アニメ枠「ノイタミナ」で放送された『墓場鬼太郎』なのですが、あれは中盤におかれた中川しょこたん演ずる初代猫娘こと「寝子(ねこ)ちゃん」のエピソードが立ちすぎてしまったために、それ以降の最終回にいたるまでのテンションが多少下落してしまった感がありました。

 ぜひとも『峰不二子という女』のほうは、同じ轍を踏んで「ルパン一味が出そろったとたんになんか落ち着いちゃった……」みたいな流れにならないようにがんばっていただきたいと!!

 まぁそんな感じでいろいろほんとに楽しませてもらえそうなこの作品なのですが、ちょっとひとつだけ、私が非常に危惧している問題があります。これ、アニメ観た人ならみんなそう感じておられるかと思うんですが……

峰不二子さんのおっぱいの価値がものすごいデフレを起こしている!!

 これはヤバい! これはいけませんよ~!!
 オープニングからカラダ張りすぎです。峰不二子さんの肢体で興奮できなくなったら、明日から日本男児はいったいなにをエロ指標にして生きていけばいいというのでしょうか。知ったこっちゃねぇか。
 まだ最初の2回くらいだったら新鮮なんですけど、最終回付近になって「あぁ~、またおちちほうり出した。」みたいなアクビ感が出てくることの決してないように、製作陣には鋭意努力していただきたい。エロは物理的数値じゃない。「希少性」なのだ!!

 『峰不二子という女』、がんばってくださ~い。応援しています!
 応援してるから、TV じゃない方法で観ているわたくしを許して……ダメ? じゃあ友だちの家にあがりこんで観ます。


 さて……と。ずいぶんと『峰不二子という女』の話題だけで字数をさいてしまいましたね。
 今回は映画『篤姫ナンバー1』のことをメインにすえたかったんですけど、まぁこっちのほうは要点だけちゃちゃっとまとめちゃいましょうか。前回の『スケバン刑事』ででもいろいろ言っちゃったし。

 『篤姫ナンバー1』は、あらすじのまんま、非常にどストレートな「タイムスリップコメディ」です。

《あらすじ》
 嘉永六(1853)年秋。薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)の養女となった17歳の今和泉篤子(いまいずみ あつこ)、通称「篤姫」は、徳川将軍家への輿入れのため、薩摩から江戸城への道中にあった。しかし、不安に揺れる篤姫は、自らの宿命に抵抗しようと決意し箱根の山中で逃走を計る。それを追うのは世話係のタエとくノ一のミツ。2人の説得にも駄々をこね続ける篤姫がふと空を見上げると、ほうき星の不思議な光が3人を包み……気づけばなんと、160年後の現代日本へとタイムスリップしていた。偶然出会ったカップルの有村里美と野田雄介の同棲先のマンションになりゆきで住みこむことになった篤姫たちは、激しすぎるカルチャーショックに驚きつつも興味津々。翌日、里美が働く職場へ社会見学を希望する。そこはなんと、銀座の高級クラブだった。クラブのママ・葵に気に入られた篤姫は、「ここはまさに大奥よ!」とホステスという仕事の尊さを説かれ、みずからもホステスとして働くことになり……

《キャスト》
島津 篤子   …… 石川 梨華(27歳)
藤山 俊太郎  …… 菊田 大輔(23歳)
侍女のタエ   …… 中澤 裕子(38歳)
くノ一のミツ   …… とっきー(20歳)
有村 里美   …… 佐藤 寛子(27歳)
野田 雄介   …… 山崎 裕太(31歳)
葵ママ      …… 秋本 奈緒美(49歳)
俊太郎の叔父  …… 草刈 正雄(59歳)
クラブのボーイ …… ダンディ坂野(45歳)
クラブの常連客 …… つんく♂(43歳)
ホステスのアミ …… 吉澤 ひとみ(27歳)


 こんな感じなんですけど、前回の『スケバン刑事』記事なんか1万字こえてましたからね。こっちはシンプルにいきましょう。

 『篤姫ナンバー1』にかんしては、これはもう頭をカラッポにして楽しむ純然たるコメディなので、細部へのせせこましいツッコミはするだけ野暮ってなもんなのですが、そういったところは抜きにして、いいなと思った点が2つと、もうちょっとがんばってよ!と思った点が2つ。


アゲ~!その1

 お話は見ての通りの「タイムスリップもの」なのですが、序盤の展開で、江戸時代から現代へと飛んできてしまった篤姫一行は意外とビックリしません。現代人が乗り回している自動車を見ても、「あぁ~、江戸ではこういう籠が使われてるんじゃなぁ。」みたいな感じです。
 つまり、もともと「江戸」という未知の先進都市へおもむく覚悟をしいられていた3人にとっては、行く先が「160年後のメガロポリス東京」に変更になろうがそれほどの驚愕はなかったということになるのです。知らない常識のある場所に行くという点では江戸城の大奥も銀座の高級クラブも篤姫にとっては同じような戦場だったということで。

 そのへんの経緯があるので、3人はしちめんどくさいカルチャーショックの連続描写をかる~くすませて物語の本筋に突入していきます。つまり、お話をスムースに流すために、主人公はただの江戸時代の人ではなく「行ったことのない江戸におもむく途上の篤姫でなければならなかった」必然があったということで、このへんの脚本の計算は実にうまいものがあったと思います。

 また、3人がタイムスリップを経験した地点が「箱根の山中」だったというところもいいと思います。
 箱根の山中ということは人工の構造物以外はあんまり江戸時代と変わっていないということになるので、篤姫たちにとっては、

「出会った人たちの服装としゃべり方がヘン」
 ↓
「出会った人たちの乗っている籠が異常に高速だし箱根の街の灯りも異常に明るいのでヘン!」
 ↓
「江戸に着いたらお城の天守閣よりも高い真四角なやぐらが何百本と建っているのでヘン!!」

 といった段階的なショックになるので非常にからだにやさしいんです。
 特に、らんらんと輝く東京タワー(もちろん初代)が3人の眼前に立ちはだかるショットでオープニングテーマが始まる演出は、ベタでありながらも、「やっぱ東京といったら東京タワー!」というところをきわめてまっとうに主張していてすごくよかったです。

 こんな感じで、序盤のお話の流れが非常にていねいだったのが好感触でしたねぇ。やっぱりタイムスリップ映画は序盤が命ですから。どの映画でもそうか。
 映画の『テルマエ・ロマエ』の方はどうなりますかねぇ~。そっちも楽しみ。


アゲ~!その2

 「日中のうす暗いマンション室内」という風景を演出にたくみに取り入れていたのが、私にとってはとても新鮮だったのでよかったです。

 わかりますかね……青空の広がっているいいお天気の日って、日中は室内の電気を消して過ごしていることが多いですよね。
 そのひとときってさぁ、どんなに外が明るくても部屋の中はちょっと暗くなるじゃないですか。ベランダだって、マンションで上にも階がある場合はひさしのせいで暗くなりますよねぇ。
 そうなると……なんとなくお日さまに明るく照らされている外の世界に自分の部屋だけ取り残されちゃった、みたいな気分になってブルーになることって、ありません?
 ここ! このビミョ~にしのびよる都会のかげりみたいなロケーションが、主人公と恋人との「別れの予感」みたいなものを感じさせる電話での会話シーンに使われていたんですよ。天気のいい東京の街をバックにして、うつむき加減にベランダで電話をかけている石川梨華さんのシルエットが、的確に孤独感とさみしさを言いあらわしていて非常に心に残ったんです。

 もう、そんなシチュエーションを取り入れている映画なんてだいぶ前からあるのかもしれませんけど、現代の生活に当たり前みたいに存在しているありきたりな風景を映画の劇的なシーンに組み込もうとするチャレンジ。こういうのが、お金ばっかりかけた映画らしい絢爛豪華なシーンよりもよっぽど印象に残るんだから不思議ですね~。ダレがちな中盤にあえておかれたこの静かなシーンを私は大いに買いたいです。


サゲ~!その1

 いわば、タイムスリップしてきてしまった篤姫一行は物語の中の「ボケ役」になるわけなのですが、彼女たち3人を住み込ませて江戸時代に送り返す手はないものかとあれこれ考えてくれる里美と雄介のカップルは「ツッコミ役」となるはずです。

 ちょっとね~、カップルを演じた佐藤寛子さんと山崎裕太さんのコンビにパワーが足りなかったかな!?
 わけのまったくわかんない3人組を相手に、親身になって問題を解決しようとする「いいひと感」はありあまるお2人だったんですが、まじめ過ぎて物語全体のテンションを上げる役割は果たしていなかったような。特別悪くもないんですけど、印象にも残らないんだなぁ!
 佐藤さん、やせた……ていうか、やつれた? ふけた、とまでは言いませんけど、10歳年下の役をド根性で演じている石川さんと同い年とはちょっと信じがたい年齢相応の顔つきになっておられました。もっとご飯食べてお肉つけて!!


サゲ~!その2

 プログラムがひどい。

 映画館に入ってプログラムを買おうとしたら、お店の方に「300円です。」って言われたんですよ。
 「えっ!? 安い!! ふつうの半額以下じゃん。」と思って買ったら、見開き2ページのプログラムでした。冊子でもないですねぇ。

 でも、それはどうでもいいんです。300円でオールカラーだし、なんてったってプログラムは気分を盛り上げるために買うものですから。正直言って内容はどうでもよろしい。最低限の情報を載せていてくれたらいいんです。

 ところが、この『篤姫ナンバー1』のプログラムは「最低限の情報」も載っていない……
 具体的に言うと、セリフのある役で映画に出演していた俳優さんの名前が全員ぶん載っていないんですよ。
 上にあげたメインキャストは無論フォローされているんですが、クラブのマネージャーや俊太郎の親友といった重要なキャラクターを演じた俳優さんの名前さえ記載されていないんです。これは……いくらなんでも、演じた方々に失礼じゃない?
 私個人としましては、ホステスになった篤姫にかわいらしいイタズラをしかける2人のホステスのうちの「ベッキー似の小柄な女優さん」が誰なのかがぜひとも知りたかったのですが。エキストラまでとは言いませんけど、プログラムと銘打つんだったら、その映画に不可欠な役割で参加した役者さんやスタッフさんの名前くらいは全部わかるようにしていただきたいんですけど……どんなもんでしょうか。

 あと、プログラムの中での「エグゼクティブプロデューサー・つんく♂」の説明文の中で、つんく♂さんの名前の読みが「づんく」になってますよ!!
 そこ!? よりによってそこを誤植する!? プログラムを製作した人間に悪意があるとしか思えませんよ!! さては秋葉原の手のものか? こしゃくなまねをしよるわ!


 まぁ、『篤姫ナンバー1』にかんしてはこんな感じでした。
 予算が厳しそうなのは一目瞭然だったのですが、そんな中でも良作を提供しようとする姿勢がスタッフ、役者さん双方に感じられたのがなによりでしたね。この1歩は決してムダではありません。みんなでがんばりましょう!

 最後に、「アイドルを好きになるっていうのは、こういうトクもあるんだなぁ~。」と感じたことを。

 私、日中の公園で自分の子どもを遊ばせながらベンチに座っているホステス役の吉澤さんと石川さんとが静かに会話をしているシーンを観てはげしく感動してしまいました。

 10年前、彼女たちはヘタッピな演技を笑顔とテンションでごまかしながら、必至に毎週、コントコーナー『ハロモニ。劇場』という名の戦場でしのぎをけずっていたのです……頑固一徹のめおとが、こんなに大きくなりんさって。

 あれから時はたち、石川さんは主人公だから若い役をやってはいますが、吉澤さんは子どもがいてもまったくおかしくない実年齢のお母さんの役を落ち着いたたたずまいで演じています。

 確実に時は流れている。そういったことをしみじみ感じさせてくれるのが「アイドルであり続けることの途上に起こるつれづれ」なわけなんですねぇ。そういう意味でも、好きな人に引退されてしまうのはホッとするところもあるけれど、ちょっと寂しくもあるんですね。


 はいっ、それじゃあ次回は、峰不二子さんや石川・吉澤ペアにも匹敵するような「ステキなレディ」つながりの話題に移っていきたいと思います~。

 どんなレディが出てくるかナ~? ヒントはたぶん、今あなたが開いている画面のどこかに隠れています!
 予想できた方は、次回の更新までにコメントに答えを送ってください。見事正解された方は、私と箱根に温泉旅行!! ダメ?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの3日間、彼女は何と闘っていたのか  映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』の研究

2012年04月12日 22時31分40秒 | ふつうじゃない映画
 春だは~る~だ~よ~。どうもこんばんは、そうだいです。みなさま、今日も一日お疲れさまでございました!

 いや~、本日は平日だというのに、わたくしは休みをいただいて花見こみの東京散歩としゃれこんでしまいました。
 中目黒。ちょっとふつうの木曜日とは信じられないような大にぎわいでしたよ!? 暑いぐらいの陽気だったし最高でしたね~。

 そして、新宿に行って観てきたぜ。あの映画『篤姫ナンバー1』を。

 なんだか、しご~くまっとうな娯楽映画でしたよ。そんなにひどくもないし、職業的にわかりやすく作られた作品とお見受けしましたので、メッセージみたいなものもすっきりと伝わってくるクライマックスでよかったと思います。

 ただ、しいて言うのならば……映画にするまでのこともなかったような。ウヒョー根本的!!
 物語全体のサイズが非常にTV 的だというかなんというか。きれいにまとまっていても、まとまった全体像がものすごくこぢんまりしてるんですよ。

 でもさぁ、いまや堂々たるオッサンとなった私ででさえものごころのついていなかった、やたら元気のあった昭和戦後の日本の映画界って、こういう「あぁ~、おもしろかった。」っていうだけのプログラムがドバドバ作られてたわけだったんでしょ? エノケンだのクレイジーだのドリフだのっていう、偉大なる喜劇映画の系譜ですよ。

 それにくらべたら、21世紀のいまどきはずいぶんとせちがらい世の中になっちゃいましたよねぇ……
 こういったベタベタの喜劇映画をやってくれる会社も芸人さんも役者さんも少なくなっちゃったし、やったらやったで観てもいないような輩から「どうせつまんねぇだろ~」とか「大コケ必至~」とか「終わってる~」とか言われちゃうんですから。
 哀しいことよ……それを知っててあえてやる勇気を見ろってんだよ。こんな、単純に楽しんでもらうためだけに作られた作品をよってたかっていじめるなんて、大人げないとか言う以前に人としての格の問題よ。

 1800円かけて映画を観ることの「たのしみ」って、必ずしも「世間的に『あたり』の映画をチェックする」ってことだけじゃないですよね。

 要するに、「日本円1800円」というものの価値は時代によっても人によっても、それを払うタイミングによっても大きく変動するものなんです。いちがいに「高い!」とも「安い!」とも言えないわけでして。

 大事なのは! 「自分が1800円はらった分以上に楽しんだぞ!!」という手ごたえを回収することなんです。これはもう、どんなに無理やりにでも一命を賭してふんづかんでから鼻唄まじりで家に帰らなければなりません。作品の絶対的な価値じゃなくて、自分自身との戦いの問題ですよ。大げさな言いかた!!

 そういうことで言いますと、この『篤姫ナンバー1』は非常に親切設計な作品であるわけなんです。良くも悪くもわかりやすい。
 夜の蝶の世界を舞台にしてはいるのですが、それこそ、お子さんといっしょに観てもまったく問題ないくらいに、味が「カレーの王子さま」級にまっきっきのマイルドさに仕上がっております。ホメて……る、うん。

 こういったものって、「かわいくてちょっとばかな小動物のくせ」を見たときと一緒で、「その時の自分のコンディションがわかる格好のリトマス試験紙」になるんですよねぇ。調子のいいときは「おぉ~、意味がなくていいねぇ。」となるし、余裕のないときは「てめぇ、すぐに消えねぇとショットガンでどたまぶち抜くぞ!!」となるわけです。カルシウムとらないとねぇ。

 だから、この映画にダンディ坂野さんが出ていることの慧眼っていったらないんですね。いい役柄なんだ、坂野さん。

 と、まぁいろいろ言ってはいるんですけど、どうやらこのまんまでいくと本題に入れないまま終わりになっちゃいそうですねぇ……
 よっしゃ、ここで一発、ドカンと『スケバン刑事』のほうのケリをつけちゃいましょう!! 『篤姫ナンバー1』については、またあらためて次回ということで。

 単刀直入に言いますと、『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』の悲劇は、あらゆる面で『篤姫ナンバー1』とはまったく対極にある問題が発生していたことに起因していました。

 も~とにかく、今回はいろいろとくっちゃべっていきますよぉ~。いつもですけど。

 以下、前にもあげた項目ごとにぶつぶつつぶやいてまいりたいと思います。

 あっのっころっはぁ~、ハッ!!


1、「アイドル映画」にしたくなかった単独上映形式
 通常の全国上映プログラムの3分の1の公開規模だった

 なんてったって2006年当時の松浦さんが主演なのですから、製作した東映の系列映画館、全国300館規模で大々的に展開してもよかったはずの『スケバン刑事』だったのですが、実状は東映系のシネコンだけに限定したせいぜい100館前後での上映になっていました。
 これはおそらく、それまでのハロプロ陣営が得意としていた1時間前後のアイドル映画の2本立てで全国上映する形式の踏襲を「あえて」避けて、深作健太監督と「女優」松浦亜弥がタッグを組んだ純然たるアクション映画をつくりたいという強い意気込みが作り手側にあったからなのではないでしょうか。その結果、作品は99分の長編映画として独り立ちしなければならなくなったのです。
 また、そもそも松浦さんの映画初出演作『青の炎』(2003年)からして、ハロプロとジャニーズとの豪華競演でありながらもアイドル色を極力排除した『太陽がいっぱい』っぽい犯罪劇に仕上がっていたのですから、松浦さんがアイドル色のない演技に挑戦するというスタイルはさほど冒険的なものでもなかったのだと思います。まぁ、今になって考えれば、そういう「アイドルあやや」主演のハチャメチャ映画も観たかったような気はするのですが、松浦さんは「アイドル歌手」と「映画女優」との仕事を混同させることはいっさいなかったのです。

 ただし、「アイドル映画ですよ~☆」の方向を捨てたために上映規模が小さくなってしまったことは回避しようのない必然だったと思います。それをさして「興行的に失敗!」ってけなすのはおかしいですよねぇ? もともと公開当初から他の大作映画とはベースが違うんですから。
 むしろ問題は、映画を観に来たお客さんの多くが「う~ん、なんか観たかったあややの映画とちがう。怖い!」といった印象を持ってしまったことなのではないでしょうか?


2、「あやや主演映画!」のイメージと内容とのギャップ
 異常に硬派な「スケバン刑事」シリーズの正式続編

 この映画は、前回の物語タイムスケジュールをざっとごらんいただいてもわかるように、かつて日本全国で熱狂的なブームを巻き起こした「スケバン刑事」シリーズ、特に1985年4~10月に放送された TVドラマ『スケバン刑事』第1シリーズ(主演・斉藤由貴)のものすんごくストレートな続編となっています。
 ご存知の通り、もともとは昨年2011年の急逝が惜しまれる和田慎二先生の手によって1976~82年に白泉社『花とゆめ』で連載されていたバイオレンスアクション少女マンガだった『スケバン刑事』は、1985~87年に3つの TVシリーズが放映されて大人気を博し、映画も2本製作されるという活況を呈していました。
 この一連のシリーズの主人公は鋼鉄製のヨーヨーを自由自在に操って学園にはびこる犯罪をうちやぶる警視庁「裏公認」のスケバン刑事・麻宮サキなのですが、この「麻宮サキ」という名前はスケバン刑事の「継ぎ名」になっており、TV第2シリーズでは南野陽子、第3シリーズでは浅香唯が「麻宮サキ」を名乗る少女を演じていました。
 ちなみに、わたくしそうだいが記憶しているスケバン刑事は3代目浅香唯さんの最終回付近がかろうじて……っていうていたらくです。だって、アクションばっかで怖かったんだもん!

 さて、そんなスケバン刑事の歴史の中で、我らが松浦さんが演じた「少女K」は4代目麻宮サキということになっており、その母親を初代だった斉藤さんが演じていて、しかも彼女も「かつてスケバン刑事だった」という経歴が劇中で語られており、この映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』が、1985年の最終回で行方不明になっていた「初代麻宮サキ」のその後を語るものになっていることは明らかです。

 つまり、本人そのものはチラッとしか出てきていないのですが、この物語はトータルでながめれば、突然の事情で4代目にならざるをえなくなった松浦さんよりも、その母親のほうが大きな存在感を持っている作品になっていて、母親の代わりにエッチラオッチラがんばっている松浦さんの姿を「特別の感情」をもって見つめている、吉良警部こと竹内力アニィのほうがよっぽど主人公らしい顔をしているわけなのです。

 要するに、これは出演者も観客もひっくるめて、大人の方々が「1980年代は遠くになりにけり……」としみじみ実感するために作られたような『その後のスケバン刑事』であり、この作品の中で松浦さんが演じている主人公自体は、言ってみれば「まぁ~がんばってテキトーに事件を解決してくれたらいいよ~。」的な、カヤの外に置かれたきわめてど~でもいいお飾り的ポジションにあるといっても過言ではないのです。

 これじゃあ松浦さんの努力もむくわれねぇよ。自分のことを子ども扱いする大人ほど、子どもの逆鱗に触れる存在はありません。
 出演者も観客もひっくるめて、この映画ではじめて「スケバン刑事」シリーズに触れる若い人たちがなんとな~く「すっきりしない気分」になる理由のひとつが、まずこの置いてきぼりな作品構造にあるわけなのです。「いや、知らねぇし!」みたいな。


3、松浦さんが出ずっぱりになれなかった内容
 当時の過密スケジュールがわざわいした?

 こりゃあもう読んで字のごとくなんですが、2006年の松浦さんはまさしくそのキャリアの中でも最も忙しい時期の渦中にあり、「ソロ歌手・松浦亜弥」としての活動はもちのろんのこと、映画公開の3ヶ月前にあたる6月には、当時のモーニング娘。第5代リーダー・藤本美貴さんとのデュオユニット「GAM (ギャム)」も結成していて、しかも前年の2005年にできた安倍なつみ・後藤真希・石川梨華との4人組スペシャルユニット「DEF.DIVA (デフ・ディヴァ)」の活動も続いていたため、「3足のわらじ」の上にさらに「映画の主人公!」という1足をつけたしてケンタウロスのごとき非人間的なスケジュールに身を投じていたのです。これを20歳の娘さんがやるんだぜ!?

 これで、99分のアクション映画で出ずっぱりの主人公をやりきるのはなかなか至難の業なんじゃないでしょうか。
 実際、結果としてこの『スケバン刑事』の中では、物語中盤、開始44分から58分にかけてのくだりが、「松浦さんでない人物が主人公となっている」決定的な空白ゾーンとなってしまっているのです。この部分での松浦さんは、完全に物語の聞き手にまわっていて存在感がびっくりするほど希薄。実にわかりやすい「挿入歌が流れて登場人物たちが無言で街をさまようシーン」なんかが入っちゃうし、典型的な「休憩タイム」ですね。
 んでもって、そこが松浦さんだけの休憩タイムだったらいいんですけど、と同時にどうしようもないレベルで「観客の集中力も休憩タイム」になってしまっているので、そこまで松浦さんが引っぱってきていた緊張感のあれこれが「ブッツン!!」と、それこそ早朝の剣道稽古で武道館内にその音がひびきわたったというコーチの塚口さん(48歳、酒屋経営)のアキレス腱断裂のようにぶっちぎれてしまうわけなのです。塚口さん?
 人間はけっこうな労力をもちいて集中力を上げなければならないので、こういった局面におちいってしまうと、そこからまたエンジンをあたためなおして復活させるのはそうとう厳しいものがあります。
 「あれ~、で、この映画なにやってんだっけ?」みたいなことになっちゃうんですよ。これは実にキツい。

 え? たった14分じゃないか、そんなのたいしたことないだろって?

 それはそうです。10~20分のあいだ主人公が消えるなんていうことは、世界に名だたる傑作映画の中ででも、調べてみれば意外とけっこうあることなのかも知れません。それ自体は決して、映画がダメになってしまう要因そのものではないはずなのです。

 ただ、それは、「主人公に代わって観客の興味を引っぱってくれるストーリーや登場人物」が他にちゃんといたら、のお話!


4、主人公が入れ替わって物語の軸がぶれてしまった中盤
 「スケバン刑事」シリーズでありながらまったく関係のない話が展開

 前回のタイムスケジュールを見てのとおり、問題の14分間の主人公になってしまった人物は、松浦さんが潜入した学園でいじめられていた生徒・今野多英を演じていた岡田唯さんでした。
 岡田さんは言わずもがな、アイドルユニット「美勇伝」のメンバーだった方なのですが、天下のハロー!プロジェクトの一員である以上、その基礎にどうしようもない「かわいさ」はあったものの、同時にいじめの対象にならないこともない「もっさり感」があったために、このいじめられっ子の役に大抜擢されたものと思われます。このキャスティングは非常に的を得ていてすばらしかったですね。

 なので岡田さんの演技自体は問題ないのですが、松浦さんが追いかけている「連続爆弾事件」のかげに「陰湿ないじめ」があり、それをひた隠しにしようとする「学園の体質」があったり、いじめられる側の復讐心につけこんだ「謎のカリスマ」の存在があったり……といううんぬんが始まったあたりから、明らかにストーリーが「スペックオーバー」の感をあらわすようになってきます。

 わかりやすく整理しますと、それまでは、

「突然『スケバン刑事』になっちゃった少女が奮闘する物語」

 だったものが、中盤に入って一気に、

「現代のいじめの構図やインターネットにはびこる無数の悪意の存在に警鐘を鳴らす物語」

 に拡大しちゃったんですね。
 そんなもん、きのうきょうスケバン刑事になった松浦さんにつきつけられても、ねぇ!? アメリカから来たばっかなんだぜ。


5、「物語上の時間が『3日間』」と非常にタイト
 たった3日間でヨーヨー達人になれ!?

 問題の中盤に入るまでの約45分のあいだ、映画は「ヨーヨーのあつかいがからっきしダメな主人公」といったあたりを比較的ていねいに描写しています。基本に「半人前にもなれていない松浦刑事の成長物語」という骨格があるんですね。
 ところが、映画の物語は「3日間以内に事件を解決しなければならない」設定なので、とてもじゃないですがその時間内に松浦さんが歴代のスケバン刑事に匹敵する技量を会得することなんてムリです。

 その結果、前半の成長物語路線はどうなったのかっつうと……うやむやになっちゃった!

 結局、時間を追っていけば2日目まで鋼鉄ヨーヨーもうまく操作できず、男に後ろから殴られてなにもできずに気絶していたような娘ッコが、3日目になったとたんに自分よりずっと昔からヨーヨーを得意武器としていたはずの公安のチャーミー石川刑事に伍するテクニックを駆使するスケバン刑事にしあがっているという、それまでのあれやこれやを製作陣みずからが紙切れのように破り捨ててしまうあきれた展開になってしまったわけなのです。

 「3日間」というスリル要素を強引に入れてしまったために、せっかくおもしろくなるはずだった松浦さんの成長物語がまるごと「ないもの」に。「主人公だからなんでもアリ!」という、ど~しようもない脚本の甘さが露呈してしまっていますね。これじゃあわざわボンデージ姿にまでなって奮闘したチャーミー刑事の努力も浮かばれねぇよ。ぜってー勝てねーんだもん!

 主人公の圧倒的なパワー差っていうのは、『ジョジョの奇妙な冒険・第3部』のように、主人公キャラクターに確立された魅力と説得力があって初めて観る側も納得するんであってね……「なんとなく気分で最強になった。」じゃあ応援する気にもなりゃしません。


6、タイムリミットサスペンスでありながら終盤がグダグダ
 「具体的に時間期限がきてなにが怖いのか」という緊迫感がぜんぜんわかない

 これは最低ですよ……
 だって、序盤からひっぱりにひっぱっていたタイムリミットの正体が、序盤とまったく同じ「爆発」だったうえに未遂に終わっちゃうんだもの。しかも、真犯人はへらへら顔で「そんなものはおとりだったんだよ~ん。」という展開に走り、物語はタイムリミットの話なんか最初っからなかったかのように残り20分ほどのクライマックスに突入していくのです。

 ここで真犯人が提示した「真の犯行計画」が、観客の誰もが想像だにしなかったものすごいものだったら納得もいくんですけど……アレでしょ? も~アホらしくて怒る気にもなりゃしません。

 後半のグッダグダぶりについていろいろ言いたいことはあるのですが、はっきり言ってすべての責任は役者でも監督でもなく「脚本」に起因しているとしか思えません。

 みんな~、「いじめっこ」と「いじめられっこ」と「いじめを無視している教師たち」が仲良く一緒に集まってガヤガヤやっている集会って、いっくらフィクションの世界だとしても、あっていいと思う~?
 親友が爆弾の事故で廃人同然の身体になったというのに、他人を説得する手段に「爆弾」を選択するひとって、いると思う~?

 そうなんです……脚本をやった人物は、クライマックスに起こるすべてのありえないほど都合のいい展開を「頭のおかしな真犯人」と「若者をすべからく思考停止にしてしまうインターネットの魔力」のせいにしてしまい、松浦さんの敵になる存在を全部ごった煮にしてしまっているのです。学園内のいじめが世間にもれることさえビビリまくっていた先生一同が、警察が封鎖してまで止めようとしている非合法の集会にふんぞり返って出席するわけねぇだろ、ボケンダラ!!

 これはライムスターの宇多丸さんの必殺技なのであんまり言いたくはないのですが、この映画の脚本を書いた人は「インターネット=若者の思考能力を完全停止させて犯罪の道へとひた走らせてしまう悪魔の機械」というコッテコテのテンプレートを信じきってしまっている典型的な「話の通じないオジン」です。信じていないものをあえて自分の作品に投入しているのなら、ウソをつくのが絶望的にヘタな「世間をナメきったひと」。

 脚本の人が昔に松田優作の作品を手がけていたっていうのも、なんとなくわかる気がするような。つまりはこの人、優作さんのようにきれいに舞台を去ることができなかった「自由を愛する昭和の一匹狼」が、その後21世紀に入っていったいどんな感じに老いさらばえていくのか、というところを身をもって体現しているんですね。「無差別犯罪」も「いじめ」も、自分の理解できない問題はまるっと「ぜ~んぶ敵!」にしてしまって勝手に安心するかわいそうなご老人なのです。いたわってさしあげましょう。


7、「アイドル映画」は「男優」が命!!
 竹内力さんを除いた男たちがのきなみパッとしない

 そんなお人が脚本を担当しているのですから、物語の中でも比較的「人間らしく描かれている」キャラクターは、自然と世代の近い、かつてやんちゃをして今は不自由な片脚をひきずって苦い顔をしまくっている吉良警部こと竹内力アニィとなります。

 ところが! アニィと特別出演の「暗闇警視」こと長門裕之さんをのぞいた男俳優の皆さんが演じている役が、そろいもそろって軒並み全員アホ。いや、そんな言い方をしたらアホの方々に失礼にあたるくらいに脳細胞がない「デクのバー」ばっかなのです。
 私、この映画に出演している俳優の仁科貴さんなんかけっこう好きなのですが、よくぞまぁ~その仁科さんをこんなにくだらない役にあててくれました。これほど俳優さんを湯水のように無駄遣いする映画も珍しいですよ。

 私は無論のことプロの俳優ではないの大きな口をたたくことはできないのですが、もし事前に台本を読んでいたとしら、たとえ松浦亜弥さんやチャーミー石川さんが出演していると言っても、この『スケバン刑事』への「吉良警部役以外での出演」だけは丁重にお断りするのが「正しいプロ意識」なんじゃないかと思うんですけど。

 悪役だとしても悪役なりの魅力を持たせてあげるのがいっぱしの脚本家だと思うんですけど、そんな手間さえかけなかったこの作品での男優陣は、「魅力ゼロ、出た甲斐ゼロ」の最悪ヤローばっかになっているところがあまりにも哀しいですね。
 とどのつまり、この脚本に登場した「わるいやつら」は、悪役としてのちゃんとした人格さえ作者からさずかっていないのです。なんでかって? 書いた人がハナっからそういう人たちを理解しようとしてないから。
 こうなっちゃうと、物語の中でいじめを隠蔽しようとする教師陣でさえなんとなくかわいらしく見えてきます。もっと救いようのない「大人の皮をかぶった無責任ボーヤ」がこの映画の舞台裏にいるんですもん。教師陣はくさっても学園を経営してますからね。

 特にひどいのが他ならぬ「真犯人」役の窪塚俊介くんなのですが、こいつはも~、「世間なんかつまんない、社会なんかバカばっか。」と景気のいいタンカをきってカリスマきどっている犯罪者であるのにもかかわらず、いざ実際に自分で計画を実行してみると、そんな社会で毎日のように起こってニュースで流れた翌日にはきれいさっぱり世間の記憶から忘れ去られてしまうような、実にファッキンどうでもいいベタプランしか思いつかない典型的な「くちばっかしクン」です。

 この人ねぇ、考え方といい「爆弾」といい「真の犯行計画の正体」といい、実はさまざまなポイントで、『スケバン刑事』の2年後に公開されて世界的な支持を得たあのハリウッド映画『ダークナイト』で、ヒース=レジャーが命がけで演じきった 00年代最高の悪役とも言われる「ジョーカー」に通じるものを持っているキャラクターで、

「人間なんてもろいよね。みんなすぐにバランスを崩してくずれ落ちる。ぼくは後ろからちょっとみんなの背中を押してみるだけ。」

 という劇中での発言なんて、まんまおんなじことをジョーカーが自身の最後の決めゼリフとして言い放っているんですよ。

 ところが!! だからと言って、この『スケバン刑事』の騎村時郎(きむらじろう)というキャラクターが『ダークナイト』のジョーカーのさきがけになっている! な~んてことはお尻の穴が裂けても言えないダメっぷりをいかんなく発揮しているのです。そういう意味では、その小人物ぶりが実に日本的ですばらしいです。1ミクロンも印象の残らないカスですけど。

 これはねぇ~、当時、俳優業を始めて2年しかたっていなかった俊介くんの演技力がつたないとかが原因なんじゃありません。全面的にこんなカッスカスの人間、穀類にたとえると「イヌビエ」くらいの栄養価しかないやつしか思いつかなかった物書きの責任です。えっ、ジョーカーは? ジョーカーはバリバリの「ひとめぼれ」ですよ!!


 なんかじょじょ~にヒートアップしちゃったんですけどね。

 この映画は私そうだいに、「老害とはなにか。」という、日本が現在直面している大問題を如実につきつける、すばらしい経験をさずけてくれました。これには感謝しなければなりません。

 そして、そんなとばっちりを受けてしまったがために、さまざまな成功要因があったはずの映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』はみごとにドンガラガッシャ~ンと「残念な結果」に終わってしまったのです。

 要するに、「アイドル映画」というパッケージかなぐり捨てた以上は、ちゃんとした映画としての「中身」が伴っていなければならないということなんですな。たいした勉強もしていないくせに「昔はよかった。今は悪くなった!」ばっかりしか言うことがない99分なんか丁重にあんたの脳内にお返しします、今をがんばって生きている人たちにカラむのはやめていただきたいというお話なんです。


 映画『スケバン刑事』のあれこれは、以上でございます!!

 また今回も長くなっちゃったし、なんだか異様に鼻息が荒くなってしまいました。
 松浦亜弥さんの今後の活躍を心から応援させていただきつつ、牛乳とにぼしでカルシウムを補給しながら眠りにつきたいと思います。


 じゃあ次回は、そんな『スケバン刑事』の中でも、体当たりのボンデージ姿で実に狡猾に「ひとり勝ち」に近い収穫をもぎ取っていったチャーミー石川梨華さんがその6年後に再び銀幕に返り咲くことになった、現在公開中の映画『篤姫ナンバー1』についてのあれこれを、少しだけやりましょうか。

 ちょっと、感心したところもあったのよねェ。『スケバン刑事』よりはよっぽど俳優さんが幸せそうな映画でしたよ~!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おひまな~ら~、見てよね~  映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』捜査調書

2012年04月11日 02時07分49秒 | ふつうじゃない映画
 春もたけなわ~。どうもこんばんは、そうだいでございます。みなさま、今日もいい日になりましたか?

 新たな出逢いがあり、人生の新章が開幕することも多い季節なのですが、わが『長岡京エイリアン』はあいも変わらず同じ話題が続いております。

 ギャ~、ごめんなさい! ほんとはこの回できっちりおしまいにするつもりだったんですけど、わかりやすくするつもりで準備したもろもろの分量が異様に多くなってしまったので、具体的なあれこれはまた次回ということで……

 もう、いったいどんだけ松浦さんのことが好きだと言うのでしょうか。
 必ずしもそればかりではないんですけれども、ど~も、この映画は私の心の闇のなにかを強く掻き立てるサムスィングを持っているのであります。

 にしても長すぎ……もともとこの企画、満を持して公開が開始された映画『篤姫ナンバー1』を観に行くための助走として軽くあつかうつもりで始めたものだったんですけど、もう映画を観るつもりの日が間近に迫ってきてるよ!

 ……え? もっちのろん!! ちゃんと映画館に観に行きますよ、わたくしは。
 こういう作品がちゃんと興行として成り立っていてこその平和! 2012年の春の醍醐味だと思うんですよねぇ~。
 小川麻琴さんは出てこないのか。吉澤さんが出るのならちゃんと隣に小川さんがいなきゃあ!!



映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』にかんするあれやこれや

あらすじ
 爆発物をめぐるうわさで揺れる私立聖泉学園高等学校に潜入した特命刑事が渋谷の雑踏で爆死した。アングラサイトにアクセスした生徒たちを追跡した矢先の殉職だった。サイト上では不気味に時を刻むカウンターが。
 そのころ、ニューヨークから1人の凶暴な少女「K」が日本に強制送還される。「K」はアメリカで逮捕された母親を救うため、警視庁の特務機関の指令を受け、「スケバン刑事・麻宮サキ」として聖泉学園に潜入することになった。 


キャスト(年齢は映画公開当時のもの)

K          …… 松浦 亜弥(20歳)
秋山レイカ     …… 石川 梨華(21歳)
吉良和俊警部   …… 竹内 力(42歳)
神田琴美      …… 三好 絵梨香(21歳)
今野多英      …… 岡田 唯(18歳)
騎村時郎      …… 窪塚 俊介(24歳)
暗闇警視      …… 長門 裕之(72歳)
K の母       …… 斉藤 由貴(40歳)
前任の特命刑事 …… 大谷 雅恵(24歳)


人生の役にたつ可能性のはなはだ低い『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』タイムスケジュール

(実際の上映時間)
00:00~02    前任の特命刑事が渋谷の交差点で爆死する

00:02~04    シルエット演出のカッコいいオープニングタイトル

00:04~10   (作中の時間は冒頭の爆死事件のだいたい1週間後くらい)
        CIA の手によりアメリカから強制送還された不法滞在の少女「K 」が警視庁・吉良警部の保護に置かれる
        K は収容時に11人の警察官を病院送りにしている筋金入りの暴力不良少女
        K は母親とともに13年間アメリカに不法滞在しており、母親は現在、スパイ容疑で逮捕されている
        CIA の捜査官と吉良警部との会話から、K の母がかつて日本で「非正規の警察官」として活動していたことがわかる
        K はスキをついて脱走をはかるが、吉良警部の機転をきかせた作戦で再び拘束される

00:10~18   (前シーン・K の帰国の翌日)
        吉良警部は目覚めたK に、唐突に「警視庁特務機関『K (くらやみ)機関』特命刑事」任命の辞令をくだす
        K 機関とは、少年犯罪の解決を目的に、「未成年の特命刑事」を学校などに潜入させて捜査する極秘の警察機関だった
        K 機関はかねてより東京・渋谷の「私立聖泉学園高等学校」で、非合法の爆発物情報アングラサイトにからんだ不穏なうわさを捜査の対象としていた
        だがしかし、そのために潜入していた前任の特命刑事が爆殺されていた
        アングラサイトでは特命刑事の殉職直後から「意味不明のカウントダウン」がはじまっており、このやり取りの時点では「残り62時間35分」がきざまれていた
        吉良警部はこのカウントダウンがなんらかの犯行予告であるとにらみ、K に3日間の聖泉学園への潜入捜査を指令する
        突然任命されたK は当然拒否するが、「事件を解決したらアメリカの母親を司法取引で釈放する。」と言われ、母のためにしぶしぶ承諾する
        K は潜入のためのセーラー服と携帯電話と「麻宮サキ」という偽名を受け取り、非常用の武器として警視庁特製ヨーヨーももらう
        ※この時点ではK はヨーヨーをまったくあつかえない

00:18~22   (前シーンの翌朝・潜入第1日目)
        サキはさっそく聖泉学園に転入するが、聖泉の制服がブレザーだったために初日から思いっきり目立つ
        サキは同じクラスで苛烈ないじめの対象となっている今野多英と、いじめグループの中心人物である秋山レイカの存在を知る
        サキは学園の廊下で謎めいた雰囲気をはなつ用務員の青年に出会う

00:22~32   (前シーンの数時間後・1日目の放課後・カウントダウンは「残り43時間54分」)
        サキは多英をいじめるグループにさっそくガツンといわして一気にかたづける
        サキは助けた多英から、殉職した特命刑事が化学部の部員2名と接触した直後に爆死したことを聞かされる
        サキはくだんのアングラサイトにアクセスして自作の時限爆弾を作っていた部員の1人・東山をショッピングモールで確保する
        ※この時点ではサキはヨーヨーをあつかえないことはないが、操作をあやまって失敗するレベル
        が、化学部のもう1人の部員・天木は校舎で爆弾を爆発させたあとに行方不明になる

00:32~38   (前シーンの数時間後・1日目の夜)
        吉良警部がコンビニでサキに接触し、取り調べで東山がアングラサイトで「ロメオ」と名乗る人物から爆発物の材料を受け取ったと語ったことを伝える
        と同時に、少年犯罪担当のK 機関とは別に、テロ対策の公安警察からも特命刑事が潜入しているらしいという情報をサキに教える
        サキは帰り道のバスの中で用務員の青年と出会い、なぜかバロックのオルガン曲のはいった iポッドを無言でわたされる

00:38~42   (前シーンの直後・1日目の夜22時)
        アングラサイトで突然「イベントの生中継」がはじまり、廃工場におびき出された公安の刑事2名が謎の集団に虐殺される映像が流される
        謎の集団はアングラサイトのカリスマ「ロメオ」を信奉する武装グループであり、ロメオの正体はサキに接近した用務員・騎村時郎だった
        また、学園に潜入した「公安の特命刑事」の正体は秋山レイカだったのだが、時郎に心を奪われたレイカは任務を捨てて完全に時郎の奴隷になっていた
        生中継の直後、サキは取り調べのあとに開放された東山の安否を危惧して東山の自宅に急行するが、東山を拉致する武装グループの攻撃にあえなく敗れる
        ※この時点ではサキは武装グループのクンフー使いに軽くあしらわれており、ヨーヨーを使うひまもなくノビてしまっている

00:42~58   (前シーンの翌日・2日目・カウントダウンは「残り27時間15分」)
        「前日の放課後に校舎で爆弾が爆発し、さらに生徒が2名行方不明になっている」にもかかわらず聖泉学園は普通に授業をやっている
        サキは登校していない多英を心配し、授業をフケて街に出て多英をさがす
        ※ここでGAM による挿入歌『蜃気楼ロマンス』が1コーラスしっとりと流れる
        多英はサキに、ケータイのメールで「1年前に学園で爆弾を爆発させた」親友・神田琴美の話をかたる

       (ここから、多英と琴美をメインにすえた1年前のあれこれ回想シーンがはじまる)
        多英と琴美はともに連日の厳しいいじめに耐える仲間だったが、全国のいじめにあう生徒たちと想いを共有するためのサイトを立ち上げていた
        予想を超えたアクセス数の多さから、全国の学校でいじめが起きていることに憤った琴美は学園の教師に直訴するが、教師たちは「いじめなどない。」と否定する
        おもいあまった琴美は自作の爆弾を職員室に持ち込んで爆破させるが、学園はこの騒動をもみ消していた
        それ以来、多英と琴美のサイトは閉鎖されていたが、ある日突然に「ロメオ」によって、その跡地にくだんのアングラサイトが開かれてしまった

       (ここで時間はサキのいる1年後の現在にもどる)
        レイカがサキに接触し、琴美が持っていた爆弾は「琴美が好きだった男性」から受け取ったものだと発言する
        サキは見つけた多英につれられて病院のリハビリセンターにおもむき、爆破騒動いらい心を閉ざしきっている琴美に面会する
        サキは琴美と会話することはできなかったが、琴美が持っていた iポッドの形状・収録曲と「じろう」というつぶやきに着目する

00:58~01:07 (前シーンの半日後・2日目の夜)
        サキが吉良警部の自宅にあがり、「カウントダウンの終了にあわせて明日、ロメオが聖泉学園で集会をおこなう」という情報をつげる
        同時に、学園の用務員の時郎が真犯人ロメオであり、はからずも自分は時郎に惚れてしまったと吉良警部にうちあける
        吉良警部はサキに、サキの母親もまた若き日にK 機関に所属して駆け出しの自分とともに活躍していた「スケバン刑事・麻宮サキ」だったことをはじめて語る
        吉良警部の家からの帰り道にサキは時郎に連れ出され、武装集団によって廃工場に監禁されてしまう
        ※ここでもサキは背後からの頭部への一撃で失神してしまっており、ヨーヨーをまるで使えていない
        時郎は多英に接触し、翌日の集会について「集会が嫌なのだったらお前が爆弾を爆発させて阻止すればいい。」とそそのかす

01:07~16   (前シーンの翌日・3日目・カウントダウンは「残り2時間00分」)
        吉良警部の指揮によって警察が動いて聖泉学園は閉鎖されるが、体育館ではロメオに賛同してやってきた全国の信者による集会が始まろうとしていた
        ※集会の参加者は全国のいじめ被害学生と爆発物マニアと学園のいじめグループと学園の教師陣(!?)
        サキは監禁されていた廃工場を命からがら脱出して学園にかけつけるが、爆弾を身につけた多英によって集会は大混乱におちいる
        時郎とレイカは多英を連れ去って学園を去り、学園の騒ぎに乗じて武装グループとともに「真の犯罪計画」を発動させ、まんまとそれを成功させる
        ※このゴタゴタのあいまに、カウントダウンの話はいつのまにか「ひっそりと」終わってしまっている

01:16~31   (前シーンの直後)
        「ぜんぶまやかしだったのか!!」怒りに燃えるサキはスケバン刑事特製のパワードスーツを装着して時郎グループのいる廃工場に向かう
        サキとなぜかボンデージファッション全開のレイカとの熾烈な「警視庁レッドヨーヨー VS 公安ブルーヨーヨー対決」
        ※この時点では、サキはレイカには劣るもののヨーヨーをしっかり操作できており、最終的にはパワー押しでレイカに勝利する

        サキと武装グループ6人衆との「ヨーヨー VS サブマシンガンなど対決」
        ※ヨーヨーというよりは防弾スーツにまかせて(頭は無防備です)全力疾走で相手に突進して体当たりをかますサキの肝っ玉の勝利

        ラスト! サキと時郎との「ヨーヨー VS 日本刀対決」
        ※防弾なのに日本刀でいとも簡単に切り裂かれるスケバンスーツ。劣化してしまったのか? ともあれヨーヨー最終奥義で勝利
        満身創痍になりながら、多英と化学部の東山・天木を救出したサキ。しかし、その瞳にはむなしさが……

01:31~36   (前シーンの数日後)
        闘いによるケガの治ったあと、釈放されたアメリカの母親と電話で会話を交わすサキ
        母親と吉良警部とのただならぬ過去を知ってか知らずか、さわやかに笑って警部のもとを去るサキ
        多英と元気になった琴美とで、3人いっしょに学園に戻っていく姿でエンディングテーマ



 ……とまぁ、こんな感じなのでございますよ。
 ここまで読んだあなた、あんたは、エライ!!

 そして、そんなあなたならば、この映画における最も大きな病巣のようなものを、なんとなくでも察知することができていらっしゃるのではないでしょうか。
 そうなんです……私も次回は、そのあたりをちゃんと主張していきたいと考えているのですよ。

 すなはち、この『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』の最大の失敗要因は、脚本なのだ~!!

 タイムスケジュールを自分でまとめてみて再認識しました。
 この映画、わけわかんねぇにもほどがあるわ……

 いでよ、もったいないお化け!! 降臨してそのあわれみの翼の音をこの映画の頭上にひびかせたまへ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年の春に映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』。 なぜ!?

2012年04月06日 14時42分25秒 | ふつうじゃない映画
 すぷり~んぐはずか~む。どうもこんにちは、そうだいでございます。
 今日も千葉はいいお天気です。なのに、私は当面、花見に行くヒマがないんですよねぇ。忙しいのはすてきなことなのでいいんですが、ちょっとだけでもいいから、何の目的もなく満開の桜の花の下でボヤ~っとする時間がほしくなる。そんな季節がやってまいりました。
 しっかし毎年思うんですけど、やっぱり満開の桜って、こわいですよね……夜なんか特に! あんなの、何人もの人たちといっしょにワイワイやるから楽しいんであって、1対1で桜の大木と向かい合ったら、たいていの人なら桜の「生命力」みたいなものに圧倒されてしまうんじゃないでしょうか。植物なんだから襲ってくることはないんですけど、そのオーラにおいては、満開の桜はライオンかヒグマみたいな「猛獣性」をはらんでいるような気がするんですよ。まさしくフォービズム! こえぇ~。


 桜の花を見て思うんですけど、その一季節におのれの生涯の中の大部分を賭け、その時期が過ぎたら、また再びの季節の到来を待ってひたすらエネルギーをためる。この様子はまさしく、ある時期にしか生まれない「時分の花」を見せて多くの人々を魅了してくれる、芸能界の「アイドル」という人々のあり方にも通じるものがあるんじゃないでしょうか。

 ……えっ? あぁ~強引ですよ!! 強引に本題に入っちゃいますよ! いいじゃないっすか、ぽかぽかしてるんだから。


映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』(2006年9月公開・99分 主演・松浦亜弥 監督・深作健太)


 出ました~。天下のあやや大先生! 松浦亜弥さん主演の大迫力アクションサスペンス映画でございます。
 なつかしいですか? う~ん、やっぱり「なつかしい」っていう印象を与えることになるんでしょうか。それはちょっと寂しいことです。

 松浦亜弥さんはハロー!プロジェクトのオーディションに合格したのち、わずか14歳にしての2000年10月の TVドラマ主演が芸能界最初のお仕事となっておりまして、歌手としては半年後の2001年4月のデビューですので、実は「女優」というところからキャリアをスタートさせたということになります。
 それ以来、松浦さんはハロー!プロジェクトのつんく♂プロデュース歌手として長年にわたり、ソロでありながらもグループのモーニング娘。に伍する国民的人気を誇っていくこととなります。とにかく彼女を物マネする人が多かったことが、彼女本人のパフォーマンスの影響力の絶大さを如実にあらわしていましたね。主に男のお笑い芸人さんたちにマネされてましたけど。

 このあたりのことはすでに去年の「ざっくりすぎるアイドルグループ史」でも触れたかと思いますので詳しい経歴は省略しますが、松浦さんはもちろん2012年現在も現役活動中。ただしソロ歌手としては2006年以降はつんく♂プロデュースを離れており、2008年ごろからは病気療養のためにコンサート活動などを大幅にセーブせざるを得ない状況になっていたため、まさしくこの映画『スケバン刑事』が公開された2006年という年が、松浦さんにとって非常に重要な転換点になっていたことは間違いありません。

 ところで、松浦さんはソロ活動と並行して、他のハロー!プロジェクトのアーティストと期間限定ユニットを組んでいたことも多く、『スケバン刑事』の主題歌『Thanks!』を歌唱したデュオ「GAM (ギャム)」もまた、松浦さんとモーニング娘。第5代リーダーだった藤本美貴さんによるスペシャルユニットでした。

 そのため、ソロとしては2005年が最後なのですが、松浦さんが本当の最後につんく♂プロデュースを受けて歌唱した現時点でのラストシングルは、GAM としてのラストともなっている3rd シングルの『LU LU LU』(2007年3月)となっています。
 ちょっと『スケバン刑事』からは離れるのですが、これは名曲ですよ……しっとりしすぎだし、あんまりおぼえやすいメロディもないので流行歌としてはいまいちなのかもしれませんが、はっきり言って「アイドル」という枠を余裕で飛び越えてしまっている松浦さんの「歌声の演技力」をまざまざとみせつけてくれるものになっています。
 ともあれ、松浦さんが全力疾走した2000年代前半の5年間というものは、確実に「あやや時代」として日本芸能史に刻まれるべき内実を持っていたと、私は声を大にして主張したいです。「かわいい子が歌もうまい」んじゃなくて、「まごうかたなきプロの歌手がしかもかわいい」という事実こそが、松浦亜弥さんという不世出のエンターテイナーの本質なのです。そして、その貴重さは今現在も変わってはいないでしょう。

 さて、そんな松浦さんが「歌声でなくセリフで演技をする」とどうなるのか!? そこらへんにクローズアップした映画がくだんの『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』だったのであります。

 ただ、松浦さんのキャリアがドラマ主演で始まっているということは言いましたが、その他にも彼女は、映画出演という点ではすでに2003年公開の『青の炎』(監督・蜷川幸雄、主演・二宮和也)でういういしいヒロイン役を演じきっており、「女優」としての評価は「歌手」なみに高いものとなっていました。つまり、主演の松浦さんの演技力のせいで『スケバン刑事』が失敗するという可能性は低いと見られていたわけだったのです。

 と・こ・ろ・が。この映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』は失敗しています!!

 残念ながら、ひっじょ~に残念ながら! 映画としては口が裂けても「おもしろいよ~、オススメ!」とか、「スケバン刑事、サイコ~☆」などと、映画館の入り口みたいな場所で友達と一緒にならんでカメラに向かって裏ピースをきめながら叫ぶようなことはできない出来になっていると言わざるを得ないのです。
 上映時間は99分ということなので、「2時間半」だの「3時間」だのとぬかす昨今の映画よりも物理的には短いはずなのですが、体感時間がまぁ~長い長い!
 「松浦さんはやっぱり目の演技がいいなぁ!」「アクションも派手でいいなぁ!」と自分に言い聞かせつつも、どォ~しても時計で残り分数をしきりにチェックしちゃう自分がいるんですなぁ~。


 ということで! 今回の本題としましては、「検証! 映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』はなぜつまんない?」というあたりを、わが『長岡京エイリアン』独自のスローペースでじっくりと考えていきたいと思います。

 ついてきてくれるお方は……いらっしゃる? そこのあなた。ついてきていただける?

 なぜ2012年の春に『スケバン刑事』なのか。前回の『数学♥女子学園』まででよかったじゃないかと思われる方もいらっしゃるでしょう。
 しかし、それでもわたくしはやりたいんです。自分の納得できるところまで、「なぜつまんないのか?」という問題を明らかにしてみたいんですねぇ。

 「おもしろいかつまんないのか」という判断は、やっぱり最終的には「ひとそれぞれの価値観」の問題ですし、「あの映画おもしろかったよねェ~!」という話題でかろうじて他の人たちと意見をすり合わせることはあっても、「つまんなかったよねェ~!」というあたりで議論する機会はかなり少ないような気がします。
 周囲で議論するほどの人数が観ていないことも多いですし、ましてや当時の人気アイドルが主演しているという派手な看板の作品だったりすると、その時期を過ぎたとたんにあっという間に「語ることすらはばかられる」扱いになってしまうこともあるんじゃないでしょうか。「黒歴史」だって。ヤ~な言葉ですねぇ!

 そして嫌な連鎖は続くもので、そうなっちゃうと数年後にその映画の存在をはじめて知った人は、実際に観る前から「つまんないぞ~。」「観なくてもいいぞ~。」という情報だけを知ることになってしまうのです。これじゃあ観て「おもしろい!」と感じる可能性があったかもしれない人だって観なくなっちゃいますよ。特にネット上の無名の言葉の数々は、かんたんに見られるわりに強烈なフレーズが多いですから。

 私だって、こうやってネット上のブログでくっちゃべっている人間ですので「ネットの危険性」だのなんだのとデカい口をたたくわけではないのですが、「出逢いの可能性を踏みにじってしまう言葉」に耳を貸すのは、貴重な人生の時間のムダ! これは、ネットも現実もどっちでも言えることだと思います。

 つまんない? つまんないのなら、「なんでつまんないのか?」を考える有意義なひとときを過ごせばいいんですよ! それはそのまんま、「あぁ~、オレはこういうところをつまんなく感じるのかぁ。」とか、「あぁでも、あそこはおもしろかったねぇ。」とかにたどりつけるわけなんですよ。「つまんねぇ!」だけで忘却のかなたに追いやるのはもったいないっすよね。

 まぁそういった感じで、とにかく私としましては、この『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』は、

「まぁまぁ、そこまで言わずにちょっと考えてみようじゃないの! 確実にいいところがあった上で失敗してるなんて最高のお題よぉ~コレ。」

 と言いたくなる「惜しい!」感をふんだんに盛り込んだ失敗作になっていると思うわけなんですよ。


 ところで、ネット上ではこの『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』をさして、公開時期が2006年の秋だったことから「あややも落ち目でヒットしなかった。」などと指摘した、なんともお寒いレビューとも言えないレビューを目にすることが多々あります。

 言うよね~! いるよね~、こういう「未来から目線」で語りたがる人!!

 それを2006年の公開当時から言ってんのなら別にかまいませんけど、どうせ数年後の未来から言ってんでしょ!? 気楽なもんだよねぇ。
 「いろんな条件がかさなりあった結果そうなったこと」を、「そうなったことのたったひとつの原因」と勘違いするのは、歴史とそれを築いた偉大なる先人たちを極端に矮小化するたいへん失礼な行為ですよ。同時に、そう考える人の想像力もまずしくするもったいなさすぎる思考法だとも思います。

 たとえるのならば、「石田三成は関ヶ原合戦で負けた。」と言う情報にほとんど価値はありません。そんなものはちょっと日本史の教科書かマンガを読んだりパソコンを検索したらわかることです。
 結局それは「テストで何点かとれる」というくらいしか人生に貢献する意味はなく、むしろ「どうして勝てなかったのか?」「どうすれば勝てたのか?」「もし勝ったとしたらその後の日本はどうなっていたのか?」「ほんとのところ淀殿との関係はどこまでいっていたのか?」「圧倒的に知名度が低い兄貴の石田正澄はくやしくないのか?」といったあたりに想いをはせるほうがずいぶんと人生をうるおす楽しみになると思うわけなんですよ。

 結果論を鬼の首でも取ったかのようにふりまわすのはちっともカッコよくないし、ましてやそれで歴史を知って先人たちの上に立ったような気になるなんてダメ!ゼッタイってことなんですね~。かえって自分を小さく見せるだけ。

「明智光秀は有名だが、明智光秀を殺した百姓の名前は歴史には残っていない。」

 こういうことなんです……勢いを失った者を追い討ちする行為に、人々の記憶に残る資格は、ない。


 えーと……なんでこんな話になったんだっけ?

 あの~、話もでっかくなったし文章もかさんできちゃったんで、具体的なあれこれは、また次回にしちゃおっか!?

 とりあえず今回は、私から見た「映画『スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ』の失敗」を考える上でのポイントをいくつか挙げるとこまでやってみましょ。次回はそれらを軸に展開させていくっつうことで。
 こんな感じっすかね!


1、「アイドル映画」にしたくなかった単独上映形式
 通常の全国上映プログラムの3分の1の公開規模だった

2、「あやや主演映画!」のイメージと内容とのギャップ
 異常に硬派な「スケバン刑事」シリーズの正式続編

3、松浦さんが出ずっぱりになれなかった内容
 当時の過密スケジュールがわざわいした?

4、主人公が入れ替わって物語の軸がぶれてしまった中盤
 「スケバン刑事」シリーズでありながらまったく関係のない話が展開

5、「物語上の時間が『3日間』」と非常にタイト
 たった3日間でヨーヨー達人になれ!?

6、タイムリミットサスペンスでありながら終盤がグダグダ
 「具体的に時間期限がきてなにが怖いのか」という緊迫感がぜんぜんわかない

7、「アイドル映画」は「男優」が命!!
 竹内力さんを除いた男たちがのきなみパッとしない


 興味のある方、次回もよっといで~。ほんじゃバハハ~イ。


《どうでもいい余談ですが》

 この『長岡京エイリアン』、リアルタイムで読んでいただいている方ならばご存知かと思うのですが、ひとつの記事をいったん公開させてから完成させるまでに、およそ半日~1日の時間がかかることがありまして、完成したら消してしまうのですが、文章が途中までしかできていない状態で公開している時には、文末に「途中です~」とか「途中になったーりゃボンダルチュク」といった言葉を置いておくことがしょっちゅうあります。
 ほんで、今回は『スケバン刑事』にかんする記事だったので、松浦さんの敵役を華麗にふてぶてしく演じきったチャーミー石川梨華さんの劇中での名ゼリフの、

「テメェの全存在がうぜぇんだよ!!」

 をうける形で、

「わたくしの全存在が途中です」

 という書き置きにしたんですね。

 そしたら、その文章だけパッと見たら思いのほかズシーンとくる言葉でさぁ!!

 いや、そりゃ確かにそうなんだけどさぁ! なんかいろいろ自分で受けとめちゃいましたよ。

 ねっころんで自分の上にピンポン玉を投げてはキャッチ投げてはキャッチしてたら、何投かめにボーリング玉が落ちてきたよ!

 言霊はほんとにおもしろいですねぇ~。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする