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華やぐ時間

時の豊潤なイメージに惹かれて 。。。。

映画  ” 幸せのちから ”

2007-02-12 00:22:13 | ★映画  
実話である という映画には  好奇心がわく      主役は ウィル・スミス
先日 テレビで放映された笑える映画 ” メン・イン・ブラック ” を観たばかりなので
ますます好奇心×二乗になって  用事がすんだ後の午後を するりと映画を観に行ってきた
映画チラシのウィル・スミスの表情が温かいのは 映画の中の息子役がオーディションで選ばれた彼の
実の息子だから というわけでもないだろうけど   わくわく 観に行ってきた

サンフランシスコで 骨密度を測定する医療機器を病院へ売って暮らしを立てていたクリス・ガードナー
全財産をはたいて何十個もメーカーから買取り その重い機械を手に持ち 自分で病院を回って売り歩く
一台売ると ひと月暮らせる高額な機械だけど  だんだん売れなくなり  部屋の隅に積まれている
妻がクリーニング店で長時間労働しても生活が苦しくなり 家賃が滞納し始め 夫婦はケンカばかりする
妻は姉のいるニューヨークで働くことになるが  クリスは自分が5歳の息子と暮らすことを望む
ある夜 託児所から息子を連れて帰ると 部屋の外に持ち物が置かれ  鍵が取り替えられている
息子のバスケットボールとトランクとビジネススーツとを持ち  駅の男子用トイレに鍵をかけて眠る
次の日からは 教会の無料ベッドに泊めてもらう抽選のために  毎夕方 大勢の人たちと並ぶ

晴れやかな笑顔で働く一流証券会社の人たちを見かけたクリスは 「 あやかりたい 」と思う
半年間の無給の研修期間を経たのち 20人のうちの一人という正式採用に向けて努力をする  
クリスが息子に「 夢はあきらめるな 掴み取るんだよ 」と言う言葉のとおり 最大の努力をしていく
朝早く 息子を託児所に預けて出社し 休憩も取らず 時を有効に使い 夕方には教会の行列に並ぶ  
繁忙なビジネスマンが 息子の世話を厭わず 話し相手になってやる姿は  すごいなぁと思う
消灯後は廊下の灯かりで採用試験のための勉強をする   数学に強いという特技を持っているが
あの頃流行したキュービックを 上司のクルマに同乗した短い時間で完成させたのは 鮮やかだった

採用試験の成績も完璧だったのかもしれないが  上司との会話に機知に富んだ受け答えができるのも
採用された一因かもしれない     プライベートで息子の世話をしていることが支障にならぬように
他人より何倍も仕事へ努力していることなどが ユニークな人として オーラを醸していたかもしれない    
わたしが 社長なら  ぜひ 採用してみたい人物である
正式採用されたのち 何年かして 自分で証券会社を立ち上げ  億万長者になったという  

「 夢をあきらめない 」 というクリスの信念とその実行を観ながら  元気をもらえた映画である
クリス・ガードナーの場合は  家族と一緒に暮らしたい やりがいのある仕事をしたい という夢で
あったかもしれないが   平々凡々のわたしにも  いくつかの夢がある
夢の実現に向かって努力していく過程をおろそかにはするまい と自分に決心しながら
やりたいこと 叶えたいことを持っている自分で  よかったなぁと うれしく思う  


   
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映画  ” ディパーテッド ” 

2007-01-22 10:26:42 | ★映画  
わたしの好きな香港映画 「 インファナル・アフェア 」のリメイク版です
観終わってから気づいたのですが  監督はマーティン・スコセッシだったのですね
この作品 ( 死者 という意味 )は オリジナルの脚本がいいのだなぁと あらためて思いました

オリジナルのほうでは アジアのその時代の猥雑が  よく描かれていたと思いますが
この映画でも 今より古い時代のアメリカにおけるアイルランドの人たちの社会状況やマフィアが
横行する社会背景を見せて  警察側・マフィア側の周到で非情な計画を 観客に伝えています
オリジナル3部を一本にまとめた運びのせいだけではなく  全編に緊迫感 スピード感がありました
暴力 殺人 卑猥な言葉 蔑みの言葉   荒く殺伐と 男たちが生きてるその場の必死が見えます

身内に犯罪者のいるディカプリオは優秀な警官になるけれど  自分の中の激しい暴力性も見せて
そのぶん 人間の感情 行動に幅が見えるような演技でした
潜入してから目の当たりにする凶暴な暴力や殺人と  自分の素性がばれないかという恐怖感が 
彼の内面の脆さのようなものを増幅させて  ストレスが痛ましいほどに ひりひり伝わってきます
映画 ”アビエイター ”の作品のときよりも  いっそう神経質で繊細で  切実に独りでした

マット・デイモンも 高級マンションに住み 出世していくエリート警官ながら どことなく落ち着きがない
オリジナル作品では トニー・レオンやアンディ・ラウに社会から抹殺されている哀感を感じましたが  
この映画での緊張と焦燥感は  これはこれで ディカプリオとマット・デイモンに適役だと思います

マフィアのボスのジャック・ニコルソン   何を考えてるか しようとしてるのか窺いしれないような
暗くて 不気味な どっしりとした存在感がありました
だらしなく下品で 汚い言葉や卑猥な言葉を言い  人への暴力にも 無造作なように行なう殺人にも 
心の痛みなど何も感じない人間のように見えるのに  ときおり 孤独や哀愁がよぎる表情をするので
人間の多層な感情がほの見えるような  不思議な可愛げのある きっちゃないオヂサンでした
自分が街のどういうところを歩き 人とどのように接してきたかが ラストのあの場面になるのですね

警官も犯罪者も  平安のない生きる場だなぁと思います
人が建物の屋上から落ちてくるシーン  エレベーターのドアが開いたと同時に頭を撃たれるシーン
暴力と殺人だらけのこの映画なのに  生きる厳しさも 無念も はかなさも 感じられました
誰もがウソをつき 本当のことを隠して生きているストレスや葛藤のなかで  女医マドリンの存在は
主人公たちにとって 自分の心が素に戻れる 大切な関係だったのだろうなと思います
報われるか否かはともかくとして  暴力と殺人の匂いフンプンのこの映画の中で 普通人の感覚の
女医の存在は  ほっとする花でした

    


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 映画  ”  007 / カジノ・ロワイヤル ”

2006-12-11 21:14:15 | ★映画  
男性好みの映画という偏見があったけれど  新生ボンドが面白い と映画評が褒めていることと
脚本は ”クラッシュ” ”ミリオンダラー・ベイビー ” を書いた人 ということなので 観に行った

いきなりの展開   ハラハラ ドキドキどころじゃない パワフルでスピーディな追いかけシーン
悪者は 建設中の起重機の上へ上へと逃げていく   ボンドが追いかけていく
空の真上での綱渡りのような場面は 高所恐怖症ではないわたしでも ゾ~~  でも 美しかった!
逃亡者もボンドも 実によく走る  走る姿のきれいなフォーム  鉄筋を鉄棒のごとく 回転する
カーチェイスのような追いかけではなく 人が足で走って逃げ 走って追いかけるのが とても いい

飛行機を爆破させようとする悪者も  どこまでも冷静に任務を遂行させようとする
鍛錬し 訓練し 選ばれての悪者だから  自分のすることに揺るぎない信念があるのだろうな
よきことに情熱を向ければ 素晴らしい仕事が出来る人かもしれないのに 悪者であることが惜しい

荒けずりのワルガキっぽかったボンドが  仕事を通して  だんだんプロらしくなってくる 
宇宙飛行士も優れて選ばれた人がなる仕事だろうと思っていたけれど  ボンドも万能で カッコイイ
コンピューターや機械に強く  危機の状況のなかで何が自分に有利かという判断力が 抜群である
人を殺し  自分も拷問に遭い  女性との情の交歓もあるけれど 敵を倒すという一念が鮮やかだ
諜報員に限らないけれど  仕事のプロである人たちへは 畏敬の思いを抱いてしまう

ボンドは テロリストに資金を提供している男を破産させるために  英国財務省の金を賭けて
ポーカーに挑む
外国の美しい街  高級ホテル カッコイイくるま  男性の礼服  女性のセクシードレスを目で楽しむ
カジノなどは行くこともできないところだけど  映画では 大金持ちのお客のように間近で見られる
世の中には たいそうなお金持ちがいるのだなぁ と リッチで ゴージャスで 贅沢で という
生活空間を垣間見て 楽しめた映画だった

   
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 映画  ” 武士の一分 ”

2006-12-08 21:53:55 | ★映画  
時代劇が好きというわけではないけれど  山田洋次監督の時代劇作品は 観たいと思う
きれいな着物を着た美男美女のお話じゃないのが  安心して観られる
” たそがれ清兵衛 ”  ” 隠し剣 鬼の爪 ”  そして ” 武士の一分 ”

東北の小藩の下級武士 三村新之丞は  殿様の毒見役を勤める五人のうちの一人である
白装束姿の男だけで調理する台所の隣りの小部屋に整然と座して待ち  作法に則って一口食する
それから漆塗りの立派な器のお膳が 手順を経て  やっと殿様の前へ運ばれる
殿は いつも ぬるい食事をお召し上がりになるのだろうか

「 早く隠居して 子どもたちに剣術を教えて生きたい  武士の子も農民の子も その子の身の丈に
あったやり方で 剣術を教えてやりたい 」 と 妻に夢を話す
新之丞は 季節外れの貝料理の毒に当たって  高熱ののち  失明してしまう
今後の家の存続について縁者が集まって談義するが どの親戚も面倒を見たくない様子がみえる
妻は新之丞の上司に相談に行き 騙されてしまうが  殿からは 家禄はそのままという温情を得る
武士の義を重んじる気持ちと 夫としての憤りから  剣の使い手である上司へ決闘を申し込む

映画の前半は  若夫婦と父の代からの下男との つましい暮らしぶりが明るく描かれている
木村拓哉は こういうサムライ姿になるのかぁ と その若々しく整った扮装を面白がって見ていたが
失明し  妻を離縁し  師匠に剣の稽古をつけてもらう頃から  アイドル木村拓哉の気配が消える
自分の死を覚悟して決闘に臨もうとする若いサムライの一途さを  ハラハラしながら見てしまう
師匠との稽古の場面でも 野外の果し合いの場面でも  盲目の新之丞の剣は清新な緊迫感があって
きれいだなぁと思ってしまった     木村拓哉の個性が 似合ってるのかもしれない

つつましい家の中で家事や縫い物をして働く ふっくらした健気な妻も かわいく好感が持てたけど
質素な家の外回りの仕事を飄々とこなす中間( 召使いの男 )役の 笹野高史の雰囲気は いいなぁ
この人の舞台は何度も観たけれど  愉快で楽しく ひょうきんで哀しく 脇役には居てほしい役者である 

映画” ダ・ヴィンチ・コード ”では 主役の学者が というよりトム・ハンクスの個性が強いのか
トム・ハンクスが演技している という匂いが消えなくて 物語の重厚感が伝わってこなくて困ったけれど
” 武士の一分 ”では  アイドル歌手木村拓哉の気配を忘れて 映画を楽しめたのが  うれしい


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 映画  ” クリムト ”

2006-12-05 18:28:52 | ★映画  
画家クリムトについては  きらびやかな絵を何点か知っているだけである  
タイトルと絵が一致するのは ”接吻 ”だけ   他の絵も 特徴あるクリムトの作品は すぐにわかる
金箔を使った絵は  絵画というよりグラフィック・デザインのような雰囲気を感じる
どういう画家なのか  なんの知識も持っていないので  映画は期待して観に行った

クリムトの夢と現実が交差する映画の運びは  画家の心の軌跡を辿っているように見える
豪華なカフェや紳士たちの集うサロン お金持ちの隠し部屋は  鏡や光の使い方が幻想的である
カーテンの奥に人物が影絵のように現れて消えたり  非現実さが斬新で 抽象的な印象である 
現実の女友達と会話をしている場面なのか  憧れの女性との逢瀬を夢想している場面なのか  
あらすじだけを追っていては  わからなくなってしまう

1900年 保守的なウィーンでは クリムトの描く裸の女性がスキャンダルとなっていたが
パリでは絶賛され   パリ万博では金賞を受賞する  
フランスのアール・ヌーボーの先駆者とも言われるクリムトの時代の女性たちの衣装は きれいだった
当時 ウィーンには 「 モデルに触れないと描けない 」 と言ったクリムトの子どもが
30人いたといわれる
クリムトに関わるモデルの事などのスキャンダラスな話題や制作上の煩悶を描くというより 
自分の憧れにひたむきなクリムトの精神世界を綴ったという印象で 静けさを感じる映画だった

クリムトの描く官能と情熱にあふれた あでやかな”エロス”の世界は いまなお新しく 感動的である
生は 目くるめくようなエロスの時と共にある   熱い情熱を 華美な筆でキャンバスに載せる
ほとばしる感情が平らになっていくとき  謳歌の背中合わせに死の気配がほの見えるようで不安になる


1862年  金細工師の家庭の7人兄弟の長男として  ウィーン郊外に生まれる
ウィーン工芸美術学校に入学  のち 美術館の壁画  大学の大講堂天井画を制作
1918年  自宅で脳卒中で倒れ 入院  肺炎を併発して 55歳で死去


   

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ヴィスコンティ 生誕100年祭

2006-11-01 20:27:26 | ★映画  
イタリアのルキーノ・ヴィスコンティ監督の生誕100年を記念して 代表作3本の映画を上映します
世代交代の象徴として描かれる舞踏会シーンが圧巻の『 山猫 』 1963年  187分
ヨーロッパでもっとも美しき王といわれた男の孤独と狂気を描いた『 ルートヴィヒ 』1973年 237分
貴族社会の愛欲と退廃を容赦なくあぶり出した 『 イノセント 』  1976年  124分
いずれも20世紀の映像遺産と呼べる作品です

                               _ 映画のチラシより  抜粋 _  


何度か観た映画であるけれど 今回は完全復元版であり  劇場の大きなスクリーンで観られるのなら 
物語の世界に たっぷり浸りたくて 陶酔したくて  十月初旬の開催と同時に観に行った
3本とも上映時間が長いので 一日で観るのは無理なので  日をおいて 二日間 劇場へ通った
上映期間は 約一ヶ月なので まもなく終了するけれど  さすがに もう一度は 観に行く元気がない

イタリア ミラノを統治した名門貴族の末裔という環境に 生まれ育ったヴィスコンティの映画は
この3本の映画に限らず  絢爛豪華な映像美 という言葉で 形容したくなる
作品のセット 衣装などのリアリティあふれる美しさだけではなく 登場人物たちの描かれ方にも感動する
主人公のみならず  ほかの人物たちにおいても  こういう人間いるだろうなと 存在感がある

人物の喜怒哀楽の感情の起伏  その行動   善だけでもなく 悪だけでもない人間性のありよう 
人間の本質を見つめるヴィスコンティの目線が深いのだろうなと 思わせられる
ヴィスコンティの作品は 明るくハッピーエンドというよりも  崩壊し 破滅する悲劇の色合いが濃い
主人公は  たいてい 他から孤立して独白し  一人で 暗く 重く 深く孤独である
そういう描かれ方ではあるが  人間の生への希望 強さ  人間性へのほのかな光明をも窺わせる
映画の中の人生  どの人物にも それぞれの真摯さがあり  それに感銘を受ける
わたしは わたしを ちゃんと生きているだろうか


『 イノセント 』  
 数年前の初回には おとなしく淑やかな妻の寂しさに寄り添うように観たけれど 今回は ヒロインの
 逞しさや頑なさ 利己的なところをも感じた      あの事が起きなければ  ヒロインは自分の中の
 こういう部分に未知のまま 表わす必要もなく  家族やしきたりに守られて慎ましく 退屈に暮らして 
 生を終えたのではないだろうか などと思ってしまう
 自分の眠っている資質 たくさんの可能性の芽  パンドラの箱を開けた者  開ける機会を逃した者
 幸せとか不幸とかではなく  人の出会いと運 知らぬことは良きことなのか など 考えさせられる 

『 ルートヴィヒ 』
 日本公開時には  184分にカットされて上映されたということを知って びっくり 
 初めて観る50分ほどのストーリー 画面を観て  いっそう ルートヴィヒの特異さが わかる気がした
 王家に生まれたからとて  国を豊かにする才覚がなく  国家間の友好にも政治力を持ちえず
 肉親の愛情に恵まれず 友も持たず  繊細に 華奢に か弱く 自分で自分を抱きしめるかのように
 現実から遊離した世界に逃げ込んでいく    18歳で王位継承者という立場は 痛ましく思えた
 巨費を投じて いくつも建築されたお城は  美しいまま 現存している  
 

『 山猫 』
 映画は それを観たときの自分の環境や気持ちの状況で 感動する場面が 変わるかもしれない
 今回は この映画のスケールの大きさ  時代の背景  人物の生きて動き回ってる様子に魅せられた
 物語の背景は1860年頃のイタリア    シチリアの貴族が書いた小説の映画化である 
 名門貴族の当主サリーナ公爵を バート・ランカスターが扮していて  鷹揚とした雰囲気がよく似合う
 活発行動的な若い貴族のアラン・ドロン  野性的な美しさが人目を引くクラウディア・カルディナーレ
 イタリア統一の戦争  新興ブルジョワの台頭  聡明な公爵の目は 貴族階級の終焉を予感している
 大舞踏会の場面は 華やかな香気に満ち 部屋の装飾 人物たちの衣装にいたるまで ゴージャス 
 長い時間続く舞踏会の倦怠の空気   はしゃぐ若い娘たちの様子を猿のようだ と呟く公爵
 たくさんのおまるが置かれている部屋  貴族の妻や娘の優雅さと生き方に固執するその退屈さ
 アラン・ドロンの狡さ  カルディナーレの品のなさ   公爵の目はすべてを見  受容している 
 舞踏会が終わり 明け方の石畳の街を歩いて帰る公爵の ゆっくり ゆっくり 歩を進める後ろ姿は
 悲嘆や憂鬱だけではなく  貴族階級の没落 世代交代を見つめる毅然とした雄々しさが感じられる 



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映画  ” トリスタンとイゾルデ ”

2006-10-26 00:52:40 | ★映画  
ワーグナーの楽劇でも有名な二人の名前  シェークスピアのロミオとジュリエットの下地にもなった
悲恋物語らしいけれど  どんな物語なのか知らないので  よき機会と 映画を観てきた

イギリスが一つになる前の 古い古い時代のお話
コーンウォールの領主マークに育てられた騎士トリスタンは戦闘の末 重傷を負い 死んだと思われて
葬送の舟に乗せられて弔われる
舟は敵国アイルランドに流れ着き  アイルランド王の娘イゾルデから 献身的な介護を受ける
トリスタンは やがて彼女と恋に落ちるが  イゾルデはマークと政略結婚することになってしまう

愁い顔のトリスタン  かわいらしい顔立ちのイゾルデ  誠実なマーク王も勇者たちも かっこいい
重そうな剣を振り回して 斬るというより なぎ倒して戦ってるような戦闘場面
お城といえども 石造りの床の上にはわらが敷かれている   質素な料理   重そうな衣装
そんなこんなの時代背景を見ているのも 楽しかった

恩あるマーク王の后になったイゾルデを  苦悩と共にみつめるトリスタンなのだけれど
ヒロインのイゾルデは  今どきの女の子のように 積極的だなぁ
乳母が 二人の恋 逢引きに 「 若気の至り 」という言葉を言う場面があるけれど  それにしても
若気の至りは  あのように  まっすぐ 自分たちの気持ちしか 思っていないのだろうか
自分の立場や義理や人情を越えて進む恋は  他人を巻き込んでの破滅と背中合わせの若気の至り
どちらかというと  愛  愛 と叫ぶイゾルデは  困ったチャンに見えた

イゾルデの父王は  戦の中で手柄を立てた家来に 娘を嫁そうとする男である
あるいは 剣の試合で勝った者に 領土と娘をやろうと言う男である
そういう時代もあったのだろうなぁと  今の目で驚いてしまう
心から 妻のイゾルデを愛しているマーク王は  誠実で賢く  とても魅力的な存在だった
男の純情な心  善悪を見極める心  人への包容力  人を統べる理想的な男性像に見えた
マーク王の側近の勇者たちの存在感  味方を裏切る者たちの心理も なんとなく共感できたけれど  
トリスタンとイゾルデの恋には  なんとな~く  共感できかねる

恋に限らず 人への気持ちは表わしていいときと 隠していなければならないときがあると 思う
かつて  わたしは 心の正直は美徳であり 善であると思っていた
やっと この頃  事は そう単純なものではないらしいことに 気づいた 
正直な本心の表出  あるいは恋していることの告白  これらは なんだか利己的な独善の匂いがする
わたしが  わたしは  わたしを・・・   事々は  まず 自分が優先 なのだろうか 
行動したり表わすか否かは  まず 相手の状況を慮るのが 先なのではないだろうか    
こんなことを考えているようでは  わたしには 若気の至りが もう ゼロになってるのかしらン  
ン~   いいんだか まずいんだか・・・  (-_-;)

  
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映画  ” 16ブロック ”

2006-10-23 11:42:38 | ★映画  
ブルース・ウィリス主演の映画を観てきた   
映画が始まっても なかなか主役が登場しないなぁと 画面のしょぼい初老の警官を見ていた
え”!  酒の瓶を手放せない くたびれて 陰の薄そうなこのおじさんが ブルース・ウィリス!
だって  ”ダイ・ハード ”の精悍さが ブルース・ウィリスだと思い込んでたんだもん

なにを こんなに疲れてるのだろうと思わせるほど  やつれて 精彩さに欠け  活気がない
夜勤明けの朝8時 帰宅しようとしているとき  上司から 急な指示を言われる
「 証人を裁判所へ 10時までに護送してくれ  担当の警官が渋滞でこっちへ来れないから 」と
16ブロック(区画)先1.6キロほどの道路は車の渋滞で進まず  黒人青年のお喋りにウンザリする
刑事ジャックは車を停めて 酒屋へ酒を買いに入る  と 車中の黒人青年へ銃口が向けられている
ここから 話が急展開していく
法廷でこの青年は 警察内の悪事についての目撃証言をするのだということが わかってくる
同僚刑事が 護送は自分が替わろうと申し出る  口封じに証人を殺害しようとの雰囲気ぷんぷん
振り切って 証人と共にマンションの一室に隠れる    囲まれたのを振り切ってバスに乗り込む
そんなところに入ったら まずいのに・・    バスは またたくまに 警察の狙撃班に囲まれる
   
どうやって 刑事と証人は この場の危機を逃げれるのだろうかと 心配になる
8時から10時の閉廷までに証人を護送する   映画の上映時間も ちょうどそのくらい
なにやらリアルタイムの時間の進行が ハラハラ ドキドキである
アメリカ映画なので 銃撃戦もある   クルマがクルマに体当たりでぶつかっていく場面もある
バス内の人質解放のために交渉人が登場し 重装備の狙撃班がバスに突入する場面
タイヤのパンクした大型バスが車輪から火花を散らしながら 道路の乗用車にぶつかりながら走る場面

饒舌な証人が 取り留めないお喋りの中で言う  ( 話の詳細は うろ覚えだけれど・・ )
「 悪天候の野を あんたがクルマで走ってるとき  バス停に 今にも死にそうな病気のおばあさんと
 自分の命の恩人である親友と  理想の女性の3人が立っている
 クルマには一人しか乗せられない  この答えで人柄がわかるんだ  さぁ あんたなら どうする 」

長いエンドロールを見つめながら 席を立たない観客たちは きっと このたとえ話への回答にも  
黒人青年へも ジャック自身へも  あたたかい安堵感をもらって ほっこりしていたのかもしれないなぁ


 
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映画  ” カポーティ ”

2006-10-14 10:13:18 | ★映画  
水曜日レディス・ディに  映画 ” カポーティ ”を観に 東京へ行ってきた
「 ティファニーで朝食を 」の作家トルーマン・カポーティが  ノンフィクション・ノベル「冷血」を
書くにいたる6年間の経緯の話である
カポーティは 文壇で名声を得  俳優や女優とも親しく アメリカ上流社交界で人気があったが
1950年代の社会でホモ・セクシャルであることを公言し スキャンダラスな存在であったと言われる  

カポーティ役のフィリップ・シーモア・ホフマンは  この映画で アカデミー賞主演男優賞を受賞した
役作りのために 半年間の減量をし  カポーティの声 くせ しぐさを 徹底的に研究したという
生前のカポーティを知っている人たちがいる現在での演技が 本人に近似だからの受賞ではないはず
部屋の中  飛行機の中で一人でいるときのカポーティは  妙に静かで 過剰じゃない
ホフマンは 黙して横顔を見せている演技の中で カポーティの心の底の静けさを醸したのだろうか
 
人の集う場での賑やかな楽しい話術  社会的名声を利用し初対面の人に自分の過去を語る話術
刑務所所長に大金を渡し  頻々と殺人者に面会し  独房で犯人と二人だけで話をする
あごを突き出し 目線を下にして人を見下ろすような一瞬の表情    神経質そうな声のトーン
本のタイトルを ”冷血”に決めたとき「 それは犯人を指すのか 作者自身を指すのか 」と問われる

犯人のひとり ぺリー・スミスに惹かれ 親しくなっていく 
「 同じ家に育ち わたしは 表口から出て行き  君は裏口から出て行った 」と話す
犯行を書いて本にしようと思ったとき  すでに ぺリー・スミスを利用しているのかもしれない
有能な弁護士を見つけてきてやり  犯人二人の死刑判決が延期されていく  
ペリーの死刑執行を畏れながら  それを望む矛盾    本が完結できない焦燥

犯人の死刑執行を見届け  本を出版し  高く評価されるが  こののち一冊の本も書けずに
アルコール中毒で亡くなったという
いまだに高く評価される文学”冷血”を書くことは 自分の心を削って為す業であったのかもしれない
この本は 若い頃に書評が褒めるので 殺人のことを書いた本なんて・・と しぶしぶ読んだ
読み終えて  いい本だなぁと 感動し  すぐに 自伝の要素の強い ”遠い声遠い部屋”も読んだはず
さっそく この二冊を再読したいと準備中である 
カポーティほどの人の ものを書く生業の欲望と業  あるいは 矛盾 焦燥 悔い 自尊心 驕りなどの  
人の心の真っ黒い部分を 映画ではもっと踏み込んで描いてほしかったなと 少々 物足りなかった

    

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映画  ” ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ ”

2006-09-20 00:27:08 | ★映画  
好きな俳優ロバート・デ・ニーロが出演する映画が  昨夜遅く テレビで放映された
イタリア生まれのセルジオ・レオーネ監督の遺作となった1984年の作品である   

1920年代から60年代にかけて  ニューヨークのユダヤ移民の子どもたちが自衛のために
ギャング団を組織し  やがて崩壊していくさまを  少年期 青年期 老年期と 描いていく
数年がかりで作った映画というだけあって  時代背景のセット 雰囲気に厚みがあって素晴らしい
主人公たちの友情 恋 裏切り 結末までの40年間の物語は  三時間半余を感じないで観られた
ロバート・デ・ニーロのくすぐったそうな笑顔   人のよさそうな笑顔は  素敵だなぁ
映画の中の物語だとしても 人の生きた40年間を そのように生きた人がいたかもしれない と
熱心に観てしまい  感情移入して  つらくなる
日常の暮らしを豊かにしたくて  たとえば映画や芝居を観たり 本の中の物語に触れるのだけれど
状況の喜怒哀楽に ついつい感情移入し 寄り添い  思いの比重に 感嘆したり嘆息してしまう
わたしではない人の切実な物語  わたしを客観的に見つめる好機でもある物語世界なのだけれど  
でも なんだか 現実世界よりも  非日常のそっちの世界がいいなぁ と思ったりしてしまう


いまは  秋の始まりの季節
空の青色がやわらかくなり  白い雲は大きな筆で掃いたように 薄く ふんわり浮かんでいる
すんすん明るく歩を進める人たちと並んで歩いていた    並んでいるつもりだったのかもしれない
わたしは だんだん歩調が遅れ  一緒に歩いていたつもりの人たちとの距離が 開いていく
みんなの話し声 笑い声が  ゆっくり 遠のいていく
一緒に行きたい気持ちはあるのだけど  追いつけなくて ため息ばかり
道端の街路樹を見上げたり ベンチに腰掛けて空を流れる雲を見つめたり 風を探したりしている

一緒に歩いて行きたいわたしなのに  何が足りなかったのだろう
はじめから何も持っていない 一文無しだったのかもしれない
しかたがないなぁ     また やり直しだ     そう  また・・ である
間違いだらけの答案用紙を 消しゴムでごしごし消してみる   消えていく答えと消えない答え
もういっぺん書き直し    今度こそ 今度こそ  確かに書いていきたい

わたしのように自分の落ち度で滑落していく者もいるけれど  他からのどうしようもない事情で
積み上げてきたものを崩さざるを得ない人も いるだろうなぁ 
まわりを見渡せば  樹木にもたれて立っている人  向こうのベンチに座って目を瞑っている人もいる
同じ匂い 同じ心の事情の人たちではないだろうけど   立ち止まったことで出会えた人たちだ
そっと様子を窺い 気にかけながら侵蝕せず  しばしの間  語らずとも寄り添いたい
そばに居させてもらうことは 取りも直さず  わたしが 寄り添ってもらっていることなのだと 思う





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映画  ” 美しい人 ”

2006-08-07 00:52:26 | ★映画  
以前 この監督ロドリゴ・ガルシアの映画作品 ”彼女たちを見ればわかること” を観た
複数の女性の喜怒哀楽をオムニバス風に繋いだ物語であった
先日アカデミー賞を受賞した”クラッシュ”も  そういうオムニバス風物語で似ている
この映画”美しい人”は ”9lives ”の原題どうり 9人の女性の今の時を見せてくれる 
先の話の主人公が 次の物語の中では 医師であったり 友人であったりして端役のように一瞬絡む
一話が15分弱くらいの映像である    いきなり場面が始まり 唐突に終わって 次の話が映る
一話一話の意味を考えたり余韻に浸るまもなく  次の物語へ場面も主人公も代わってしまうので
最初はとても戸惑ってしまった
昨年ロカルノ映画祭で最優秀作品賞を受賞   9人の女優が最優秀主演女優賞を受賞した映画である

女として 妻として 母として 娘として 年齢も立場も異なる9人の女性の9つのエピソード 
それぞれの生の日常の15分ほどの場面を切り取って  垣間見ているような気にさせられる

第1話 刑務所に服役しているサンドラは 娘との面会を楽しみにしている
第2話 結婚して もうすぐ子どもが生まれるダイアナは スーパーマーケットで恋人に再会してしまう
第3話 父との関係がうまくいかずに家出をしたホリーは 久しぶりに実家へ戻って父に会う
第4話 ソニアは夫婦で訪ねた友人宅で 夫から二人の間の秘密を暴露されてしまう
第5話 家の中で互いに距離を置いている父と母の間にいてサマンサは娘であり続ける
第6話 元夫の妻が自殺して その葬儀に参列したローナは 元夫の心を知る
第7話 心が満たされないルースは モーテルの別室から警察に連行される女性を目撃する
第8話 乳房を切除する手術を受けるカミールは 不安な気持ちから そばに付き添う夫をなじる
第9話 娘とお墓参りにやってきたマギーは 樹に登る娘を見守り 墓前で葡萄を食べて午後を過ごす 


9人の女性たちのお話の中に あなたに似た人はいますか  という問いがあった
どの主人公の女性にも  そのときどきのひたむきさを感じられる
人を愛する気持ち 愛するためのもどかしさ ひたむきを 美しい人とタイトルしたのだろうか
9人の女性の中で わたしに近いこころの女性は 第○話のあの女性かもしれないなぁ
な い しょ ョ    ふふ  (^。^)

   
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映画  ” 花よりもなほ ”

2006-06-19 18:34:34 | ★映画  
岡田准一が扮する若い武士の笑顔が アップで載っている広告チラシに見惚れてしまった
主人公がこういう温かい笑顔をする時代劇って  どんな映画なのだろうと気になった
映画” 誰も知らない ”が カンヌ国際映画祭で評価された是枝裕和監督の第二作目の作品である

あだ討ちに藩が賞金を出していた元禄十五年  父のあだ討ちのために江戸へ出てきた宗左衛門は
目的を達成できないまま  貧しくも人情あふれる長屋で過ごしている
剣の腕が弱く  好きなことは何かと問われると「 風呂に入ること 小鳥を飼っている 」と応える
長屋の大人や子どもに習字を教え  花見には長屋の人たちとあだ討ち芝居を演じて楽しむ
武士が助太刀に入ってきたので逃げ  そして長屋の看板には「 逃げ足 おしえます 」が加わる

木を寄せ集めたような隙間だらけで傾く 掘っ立て小屋ふうの長屋は隣りの話し声が筒抜けである
ずるく いい加減っぽい住人たちは  薄汚れた真っ黒い顔をして ボロを重ね着して暮らしている
貧乏なのに 明るく 屈託なく 生きていくたくましさには  人の豊かさ健やかさを感じる  
 
主人公がほのかに慕う子持ちの若い寡婦(宮沢りえ)もまた 夫を殺した仇を探しているらしいが
貧乏長屋の暮らしを楽しんで  のんびり のん気な雰囲気が見えて 楽しい
宗左衛門は仇を探し出し 後をつけるが 仇にも妻子がいるのを知る  
あだ討ちはしなければならないのだろうか
ひそかに長屋に潜伏している討ち入り前の赤穂浪士たちの苛立ちと 対照的である
仇(浅野忠信)の子どもと長屋の子どもが仲よくなり  宗左衛門は仇を呼び出す
「子どもを わたしの寺子屋へ来させてください」と告げたとき  察した仇が深々と頭を下げた
浅野忠信も なにごとかを覚悟して生きてるような静かな雰囲気の侍が似合っていた

店賃を払えない住人たちへ大家が立ち退きを要求する
国許の身内にあだ討ちを急かされ  宗左衛門は芝居好きの住人たちと一計を案じる
「 人相書きどおりの仇を仕留めた 」と藩の江戸屋敷へ 豚の血を塗った死体の者を運び
まんまと賞金百両を得るのである
清廉潔白でなくたって いいのかもしれない   強い者でなくたって いいのかもしれない
貧乏長屋の住人たちの明るさ  赤穂浪士の討ち入りも商売にしてしまうたくましさが楽しい

あだ討ちを 現代のイジワルされたとか 好意への裏切りへの仕返しと同じように考えたとき 
仕返しはしてもいいのだろうか
自分の中で消化 整理整頓ができるのであれば  仕返しは しないほうがいい
一度そうすると それを為してしまった事実が自分の中に生涯残る
それよりは 自分のありのままを受け入れてくれる周りの人たちの明るさに助けられて
あだ討ち以外の楽しいことをみつけていくほうが 大きな生き方ができそうだなと思う

いいセリフがあった 「 桜は 来年もっときれいに咲くために 散るんだ 」  なるほどなぁ
監督は落語が好きらしい   あっちこっちが楽しく笑えるし   人を見るまなざしが温かい
ほかに俳優たちは  古田新太  香川照之  田畑智子  中村嘉葎雄  寺島進  原田芳雄  
石橋蓮司  加瀬亮  夏川結衣  国村準など 厚みのある役者たちで おもしろかった
もういっぺん 観に行って 楽しい気持ちになってきたいなぁ

コメント (4)
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映画 ” ダ・ヴィンチ・コード ”

2006-05-24 22:44:47 | ★映画  
原作が世界中でよく読まれているので  わたしも映画化には熱い期待と興味シンシンが大きかった
あらすじを知っているわたしは  随所を俳優がこんなふうに演じてる と冷静に観てしまうけれど  
原作を読んでいない人たちには  主人公たちが謎を解いていく高揚感は伝わっただろうか

大学教授の主人公がキリスト教や絵画について解説したり会話したりして 解き方がひらめいていくとき
映画では 人物の表情のアップや切り替え 場所の移動がせわしなく バタバタした雰囲気になっている
観客にあらすじをわかってもらわなければならないのに  この司祭は誰と繋がり何に奔走しているのか  
人物の過去がフラッシュバックする絵が入るけど  なぜ どういう場面なのか  わかりにくい
司祭とシラスのエピソードは見せてほしかったし  謎は ゆっくり解いていってほしかったなぁ
謎解きサスペンスのミステリーだから  画面にそういう雰囲気も盛らなければならないだろうけど
視覚でそれらをわかってもらい共感してもらうためには 時間枠の中で監督は大変だろうと思うけど
なんだか気ぜわしく移動してばかりいるある種の軽さが  画面から感じられて 惜しいなぁと思う 

ルーブル美術館や何百年も前に建てられた修道院が舞台なのだから ルキノ・ヴィスコンティの作品のようなゴージャスな雰囲気の映画を期待したが  ルーブルの圧倒的大きさ 館内の重厚な空気が感じられず 古い修道院や教会の霊的畏怖感も漂わず  映画画面の手応えは薄いなぁと思う
何をどう撮るかは  やはり監督の個性持ち味が表われるのかもしれない
主役はトム・ハンクスではなく  ほかの俳優のほうがよかったような気がする   監督も・・・   苦笑
お話がそうであるだけに 視覚から受ける厚みを期待していたので ふつうのサスペンス映画の印象である 
 
コメント (8)
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映画  ” メゾン ・ ド ・ ヒミコ ”

2006-04-24 00:07:39 | ★映画  
ヒロイン沙織(柴咲コウ)が幼い頃  父親は家を出る  
病気の母を亡くした後の24歳の沙織には  母の治療費の借金がある
塗装会社の事務員をしている沙織の前に  父親の愛人 春彦がやって来る
”ゲイ・バー 卑弥呼 ”を経営していた父ヒミコは引退して ゲイの人たちが老後を住める
ホームを作ったが  沙織の父親ヒミコは末期癌で  会ってやってほしいと晴彦が頼む
「日曜日のホームの手伝いに 破格の日当を支払う  ヒミコの遺産のこともあるし」と言われて
やって来たホーム ” メゾン・ド・ヒミコ ”では 個性的で朗らかなゲイの男たちが迎えてくれた
沙織の父親ヒミコ(田中 泯)の静かで 父性に満ちた厚い 圧倒的存在感
ベッドで目をつむり横たわっている様子にも  死期の近い人がそうであるかのような存在感がある
  映画 ”たそがれ清兵衛”の中で 清兵衛が斬り合わなければならない剣の達人役が 
  前衛舞踏家のこの田中 泯   暗い狭い家屋の中で 清兵衛と話す場面  殺陣の場面
  死を賭けた鬼気迫る立ち居  身ごなしに 強烈な凄みのオーラを感じたものです

春彦(オダギリ ジョー)がきれいだった   ほっそり 清潔な雰囲気  穏やかな話し方
白いシャツ  細い腰にピッタリのチノパンツ   長めの前髪の中から覗く静かな視線
ホームの運営資金を援助してくれそうな老人に誘われて クルマに同乗して行く春彦
あわてず  さわがず  さらっと行くところが  なんだか おかしかった
春彦が本当に愛しているのはヒミコであり  ヒミコが作ったこのホームなのだろうけど
「日ごとに死へ向かっていくヒミコを見てると 愛とか なんだと思ってしまう 」
「欲望がほしくなる   ただ強く激しい欲望に身を任せたくなる 」と 春彦が言う
いま在る自分の環境  社会の位置  いろんなことを忘れて  人の形を失くして 溶けたい
そういう意味でなら  春彦の気持ちをわかるような気がする

ルビィが脳溢血を患い  ホームでは面倒を看れなくなり  父親がゲイであることを伝えぬまま
その息子夫婦へ ルビィを渡してしまう
普通の気のいい若い息子夫婦は 父親の体がゲイの手術をしている事実を知ったら どう思うのだろう
沙織は 母と自分を捨ててゲイとして生きた父親を憎んでいる
沙織にナイショで たまに父親の店 卑弥呼へ 母はオシャレして遊びに来ていたとヒミコが話す
母は ゲイのヒミコを受け入れていたのだと思う
熱くなって父親をなじる沙織に 死の床のヒミコは 「 あなたが好きよ 」と言う
このヒミコの言葉のうしろに どんなにたくさんの思いがあるだろうと  心がしんとしてしまう

惹かれはじめた春彦と沙織がキス以上に進めない哀しさ
会社の専務と沙織の関係に 「 専務が羨ましかったなぁ 」と話す春彦に 沙織はボロボロ泣く
越えられない人のサガ  その人がその人であるためのサガ
世の中は 「知らない 」ということからくる偏見が多いと思う
人の外見や嗜好から  その人を評価判断するのは  自分自身にとっても  とても惜しいことだ
人は  もっと もっと 豊かで広く深い存在だと思う  

メゾン・ド・ヒミコに暮らす人たちは 温かい 
ときには  わたしもあのテラスに一緒に座って 海を眺めてみたいなぁと思う 
素敵なところもそうでないところも 人を丸ごと受け入れる   呟くのは容易いけれど
忘れられない映画になったなぁと思う

コメント (2)
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映画  ” いつか 読書する日 ”

2006-04-20 00:11:50 | ★映画  
坂の多い長崎の街に暮らす50歳の高梨(岸部 一徳)と 美奈子(田中 裕子)の物語である
独身の美奈子は 早朝は牛乳配達  その後はスーパーのレジの仕事で 生計を立てている     
高梨の朝の時間と美奈子の朝の時間を   カメラが交互に映していく
夜の明けきらない 人の寝静まっている藍色の街を 美奈子が自転車で牛乳店へ走る
ズック製の鞄に牛乳瓶を入れ  家々への斜面の石段を リズミカルに駆け上がる
高梨は 余命わずかの病床の妻の朝の用事を済ませてから 出勤する
市電の電停に立つ高梨の近くを  スーパーへ向かう美奈子の自転車が走りすぎて行く
高梨の乗った市電が 自転車で走る美奈子を追い抜く    どの場面でも二人の視線は合わない

美奈子を温かく見つめる 亡き母の友人敏子の夫は 認知症の徘徊する老人
市役所に勤める高梨が気にかける子どもは  親が育児放棄をしている家庭の子
古い団地の乱雑なゴミ山のような部屋の中に 柱に紐で繋がれて青いビニールシートに座っている
空腹の幼い兄弟を見ると  映画の視覚の強烈さに慄然とする

高梨の妻は 毎朝牛乳を配達してくる美奈子と夫の高梨が かつて高校の同級生だったことを知る
夫に気づかれぬよう カラの牛乳瓶へ 「 会いに来てください 」と美奈子への紙片を入れる
高校時代に親しかった高梨と美奈子の親は 同時に交通事故で亡くなった  
自転車に相乗りをして山の方へ向かった高梨の父親と美奈子の母親が  トラックに轢かれたのである
美奈子は 一人で生きていこう と決心したのだという  レジの仲間に 「さみしくない?」と問われる
「 日中 クタクタになるまで働くと さみしくないわよ 」と言う美奈子は 買い求めたたくさんの本を
読めずに眠ってしまう

好意を告白したわけでもない高梨と美奈子は  同じ街で 会話することもなく生きてきた
見つめることもせず   無表情に通り過ぎて行く   
毎朝 牛乳を配達する美奈子   定刻に牛乳箱へ新しい瓶が入れられる音を蒲団の中で聞く高梨
スーパーで買い物をしても 美奈子のレジには並ばず  視線さえ合わせない二人
背中で感じる   目の端で確かめる   そこにその人が居る安心   無言で語り続けた30年間

二人の想いが叶ったとしても  美奈子は 今度こそ 一人
「 私には大切な人がいます  でも私の気持ちは絶対に知られてはならないのです 」
ラジオ番組に投稿したこの気持ちの先は  これから どこへ向かうのだろう
「 街中の人に牛乳を届けたい  生き甲斐なの 」 と言っていた気持ち  だいじょうぶかな
毎日クタクタになるまで  また働いていくのだろうか
本棚に並んだ本を  いつか読もうと思いながら 生きていくのだろうか
十代のときに 自分で決意した道なのだろうけど  このようにしか生きられなかったのだろうか
高梨の妻が呟いた「 気持ちを殺すって まわりのものも殺すことなんだからね 」という印象的な言葉
高梨も 高梨の妻も 美奈子も  普通に 平凡に生きてきたはずなのに  かなしい

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