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華やぐ時間

時の豊潤なイメージに惹かれて 。。。。

 映画  ” マンデラの名もなき看守 ”

2008-06-10 21:55:51 | ★映画  
” 27年間囚われた、 のちの南アフリカ初の黒人大統領。  秘められた感動の実話 ”
このキャッチコピーを読んで  アパルトヘイトのことを知ることができるかな と関心がわいた
実話ものには  ついつい観たい気持ちが動く


 - チラシより -

1968年アパルトヘイト政策下の南アフリカ共和国。
刑務所の下士官ジェームズ・グレゴリーは、 最悪のテロリストとされるマンデラの担当に抜擢される。 マンデラの生まれ故郷の近くで育ち、 黒人の言葉・コ―サ語がわかるグレゴリーに 秘密の文書や会話を監視し報告しろというのだ。  異例の出世を家族とともに喜び、 任務に忠実なグレゴリーだったが、 マンデラという人物に触れ、 彼が人種を超えて平和に暮らせる自由な世界の実現を求めて犠牲を払っていることを知り、 マンデラの思想の尊さ、 魂の気高さに魅了され、 マンデラが目指す平等な社会に憧れていく。
家族、国、仕事、理想、良心・・・ さまざまな葛藤のなか、 それでも正しい歴史の一部でありたいと願った白人看守とマンデラの数十年間にわたる魂の交流を描いた物語。

南アフリカ共和国で黒人の自由と権利を獲得するために戦い続け、 27年間もの投獄生活の後に、 初の黒人大統領となりノーベル平和賞を受賞したネルソン・マンデラ。
2008年で90歳を迎えるマンデラが、 初めて自身の人生の映画化を許可した記念すべき作品である。

「 肌の色や生まれ育ち、 宗教などを理由に生まれつき他者を憎む者などいない。  人は憎しみを学ぶのだ。  憎しみを学ぶことができるなら、 愛することも学べるはずだ。  なぜなら愛は、 人間の本性により自然によりそうものだからだ。 」
         - ネルソン・マンデラ ( 自由への道 : NHK出版 ) -


観ることができて よかったと思えた映画である
アパルトヘイトについて今だから描ける ということもあるのだろうか
人種差別反対運動のマンデラが話し合おうとするのを武力で制圧してくるから  マンデラ側も応酬しなくてはならず  マンデラはテロの指導者として仕立て上げられる
黒人を恐れて 一層 差別し弾圧していく白人側の心理や都合が  よくわかった
マンデラは 白人と黒人の平等な共存を主張しているのに  その声明書を危険文書として 白人側は隠してしまう
自分の側に都合のいいように 相手を悪人に仕立てるやり方には  ぞっとしてしまう 
白人看守のグレゴリーの妻は  何の疑いもなく黒人差別を 息子や娘に伝えていく
政治の末端にいる人たちは 隠され知らされないでいると  こんなふうに自分たちの暮らしに疑念を持たないのだと思う
マンデラに惹かれて変わっていく夫を通して 妻や息子が徐々に視野を広げていく展開は ほっとする

それにしても  時を待つ偉大な心のネルソン・マンデラ
27年間の拘束にも揺るぎない信念  自分の思いを信じ 人間を信じ 自分の為すべきことをする
人間には  どんな人にも 為すべき仕事 役割があるのだと思う
人それぞれの この境遇 この環境に居て  自分の為すべきことに誠実であればいいのだと思う
マンデラの 人としての大きさ温かさに包まれたような気持ちにさせられた映画である



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映画  ” ゼア・ウィル・ビー・ブラッド ”

2008-05-12 23:08:50 | ★映画  
                         
                    

 

ほかの映画を観に行って この映画の予告編を観たとき こういう映画は観たくない と思っていたが
新聞などの映画紹介で この映画の監督や概要を読んでからは 妙に気になり  観てしまった
特異な登場人物やあの時代の映像の重さ暗さは 映画らしい厚みのある凄さで 圧倒される
主人公には感情移入したくないし できもしないけれど  目が離せないある種の魅力がある
観終わってからも ときどき思い返して  人物の心情 いろいろな場面のことを考えてしまう
時間をおいて もう一度観たいと思う怖い怖い映画である


映画のチラシ より   ------

石油ブームに沸く20世紀初頭のカリフォルニア。
鉱山労働者のプレインビュー(ダニエル・デイ=ルイス)は、 石油が沸く源泉があるという情報を耳に
する。 息子(ディロン・フリーシャー)とともに石油採掘事業に乗り出したプレインビューは、 異様なまでの欲望で 富と権力を手にしていく

『 マグノリア 』や『 パンチドランク・ラブ 』の鬼才ポール・トーマス・アンダーソンが 5年ぶりに長編映画の監督を務め、 アカデミー賞をはじめとする各映画賞を席巻した話題作。  アプトン・シンクレアの小説「石油!」をベースに、 20世紀初頭のカリフォルニアで、 石油採掘を武器に富と権力を手に入れる男の狂気的な生きざまを アンダーソン監督らしいアプローチで描いていく。

        -------------


冒頭の場面は 暗い地中で一人の男が 憑かれたように穴を掘っている
黙々と掘り続ける場面のBGMにギターの不協和音が流れて  ブレインビューの特異さを暗示してるのだろうなと  観ている者を落ち着かない気分にさせる
彼は爆薬で緩んだ穴の中へ落ちてしまい 足を骨折するが  苦心して縄をよじ登り 自力で穴から這い出る凄さには 唖然としてしまう
誰の助けも借りず 誰も信じず 暗い穴を掘り続けるプレインビューの黒い狂気を象徴しているようだ

主人公ダニエル・プレインビューを演じて アカデミー賞主演男優賞を受賞したダニエル・デイ=ルイスは
本職が靴職人とか 趣味で靴を作ってるとからしいが  この映画に出演すると決まったとき
自分の手を見て 穴を掘る者の手ではない と思い  自宅の庭に穴を掘りはじめたという
外国の俳優は 男性でも女性でも  役にかける気迫は相当なものである
自分の体重を数十キロ 増やしたり減らしたりして  本来の自分らしさを消して 役に入っていく
デイ=ルイスは 特にその没頭の仕方が際立ってるようで 他の出演作品の印象を一変させてしまう
何を演じても そこにトム・ハンクスがいる というのとは  雲泥の差である

流れ者の採掘仲間が 生後数か月の男児を残して事故死する
プレインビューは  この子H・Wを息子として育て 石油採掘の交渉などでは他人の同情を買うようにして 交渉を成立させていく
荒野の素朴な村人たちを言葉巧みに説いて 採掘権を得て土地の買収を広げていく手腕は  やり手の事業家である
不潔で図太く 人を凝視する狡猾そうな眼は恐ろしいが 採掘場で事故が起きると 真っ先に駆けつけて対処を指示し ケガ人や死んだ人を悼む  
あるいは H・Wをそばに置いて 仕事を教えていく
愛情豊かな人物かと思っていたら そうではなくて  自分の利に正直なのである
「 人に対して好意を抱けない 」「 早くたくさんお金をもうけて 人に会わないで暮らしたい 」と言う
弟ヘンリーだと名乗って現れた男と共同で仕事をしようと思うと  油井(ゆせい:石油を採取するために掘った井戸)の事故で 聴覚を失ったH・Wを遠くの学校へ追いやってしまう   
実弟として近づいてきた男が騙りとわかった途端  殺してしまう
とことん 自分の欲望に正直なプレイビューは  人のなかの欺瞞  嘘 を嫌う 

村の悪魔祓いの儀式を行う聖霊派教会の若い伝道師イーライ・サンデー(ポール・ダノ)は狂信的な宗教者でありながら 自分で気づいていないのか  名誉や権力 金銭に執着する俗物である
プレインビューとイーライには  似た者同士の嫌悪と確執がある
プレインビューの冷徹な眼  宗教を憎悪する気持ちは なんなのだろう
単にイーライを嫌っているからではなく  神の存在を否定している

自分の欲望に正直で忠実な人は 他人を信じず  自分自身を恃みとして行動していく
自身が強くなければできないし  それと釣り合って 相当な孤独感もあるだろうと思う
自分の利や欲に一徹な人は 疎まれるが  宗教や信仰に一直線な人は 善きことのように見られる
宗教者とて 悩み 惑い 悪意の感情もあろうはずなのに  無きが如くに他を糾弾するとしたら
たちまち その人は欺瞞に満ちた偽善の者に見えてしまう
プレインビューは 自分の強力な欲に正直な分  肉親も異性も 神も 要らないのである
自分だけを恃みとし  見つめている
自分にとって 役に立たない者 裏切りの者は  平然と切り捨てていく
物語の終盤  大金持ちになったプレインビューの広大な屋敷は  薄暗く寒々としている
身なりを構わないだらしない恰好で  成人した息子H・Wと話す場面がある
父親を大事に思いながら育ってきたであろう息子が 他の土地へ出て 自分で石油の仕事をしたいと
意を決して告げると 「 お前は捨て子だった 」と激怒し 憎々しげに言う
こういうときに そういうことを言うプレインビューの人間性には  哀れを覚える

数年ぶりに 金に困って訪ねてきたイーライに 神を冒涜する言葉を言うよう強要する
イーライへの憎悪は  プレインビュー自身への憎悪である
この映画は 自分の心に正直に 己を全うする人の 美であり 孤独であり 限りない悲哀の物語である


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映画  ” 王妃の紋章 ”

2008-04-23 23:14:05 | ★映画  

 

            
最近は アジアの映画や魔法の映画  ファンタジーの冒険物語映画が 大流行り
タイトルも似通っているので  この映画も そういう類のものかと ぼんやりしていたけれど
チラシのヒロインの顔を見て 女優の名前を見たら  大好きなコン・リーじゃありませんか
あわてて ウキウキ  観に行きました♪

 あらすじ
中国、五代十国、後唐の時代。 重陽節を前に王家の人々は王宮に帰って来ていた。 
王と王妃の間は冷え切り、王妃は継子の皇太子と不義の関係を続けていた。
しかし、皇太子には、付き合っている娘がおり、王妃は二人を裂こうとしていた。
王妃は、密偵を放ち、王が王妃の健康のために毎日運んでくる“薬”の中身を突き止める。
密偵を務めた侍医の妻もまた、悲しい過去があり、王に恨みを抱いていたのだった。


本当の黄金時代の王家は このようだったのだろうかと思わせる 映画ならではの絢爛豪華さである
しきたりのゆかしさ   宮廷内の贅沢   女官や使用人の多さ  兵隊の多さ 
ある王家の家族の物語が  金を使った衣装 贅を極めた王宮の映像のまばゆさの中で語られる
王妃であろうとも 愛に恵まれない人の虚しさ 孤独が  コン・リーの寡黙な表情から伝わってくる
夫に毒を盛られる王妃  王位転覆を謀る王妃  最愛の息子を亡くす王妃  美しく憂うる王妃
コン・リーは きらびやかな黄金の衣装を着て なお その立ち居ふるまいからは 哀しさがあふれる

人の幸い  楽しさ  愉快とは  何を言うのだったろうか
この頃  久しぶりの友人の近況を聞くにつけ  して わたしの気持ちも塞いでしまう
血の繋がりある家族とさえ 気持ちが通いきれず  独り暮らしをしたいと言う友人がいる
健康な心身を持って 意欲的に働いてきた友人が  来週 検査入院するという
映画の中の中国の古い時代の家族も  日本の現代の家族も  憂うる
快活で朗らかで 楽しいことを たくさん持ってる人から  おすそ分けをもらいたいョ~  




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映画  ” ラスト、 コーション   色|戒 ”

2008-02-10 22:17:27 | ★映画  

                  


 あらすじ
          
日本軍占領下の1942年の上海。  傀儡政府のスパイのトップであるイーは、 かつて香港で出会った女性ワンと再会する。  数年前、香港大学の学生だったワンは、 抗日に燃える演劇仲間たちとイーの暗殺計画に加わっていた。  その時、 イーが突然上海に帰ったことで計画は流れたが、 三年後
レジスタンス活動を行う組織は、 上海に戻っていたワンに 再びイーの暗殺計画への協力を求める。
ワンはイーに近づき、 彼の愛人になることに成功する。 
『 ブロークバック・マウンテン 』を制作した台湾人監督アン・リーの作品である。
特務機関のボスを演じるトニー・レオンは、 いつもの好青年とはがらりとイメチェンした老け役で 新境地を開いている。   しかし何といっても主人公のワンを演じる新人タン・ウェィは  一万人の中から
選ばれた新人で 演技が抜群にいい。 


1940年代の上海は きれいな街だったろうなと思わせるロケーションである
シックな邸宅  喫茶店や商店などのたたずまい  家具や化粧小物などの品のよさ  特権階級の婦人たちの仕立てのいいチャイナドレスなど  上海の雰囲気の映像がきれいである
傀儡親日政権の特務機関の長官イーの邸では  着飾った金持ち婦人達がマージャンに興じながら  ぜいたく品の入手の仕方や会話を通して気持ちの探り合いをしている
邸の外の戦争中の街のざわつきや貧しい者の服装 生活ぶりとは雲泥の差である
ヒロイン チアチーは大学の演劇サークルのリーダー格の男性に惹かれて 彼がリーを暗殺しようと主張することに共感しただけのようで あまり思想性が感じられない
仲間たちが殺人を犯し いったん分裂したかのような繋がりも  三年後の再会の時には日本の敗色は濃く  戦争が大衆の生活を圧迫している
チアチーの母は亡く 父は外国で再婚していて 彼女は身寄りがないという状況からも  好きな男の意向に沿いたいとスパイになったのではないだろうか
イー夫人の麻雀仲間として 再び邸に入り込み  イーを誘惑していく
「 俺と話すとき他人の眼の中には恐れがある   お前は俺を恐れていない 」 と言っていたイーは 
チアチーを信頼し 心を開いていく
暴力的な性愛の場面は  イーの虚無と孤独  心の闇が見えるような場面である
互いの心を探り合うような 感情をぶつけ合うような性の場面は  愛や慰撫というよりも 男のすさんだ心を現してるようで 動物的で傷ましく見える
そういうイーの心に触れて  イー襲撃の好機に チアチーは彼を逃がす
仲間とともに捕らわれ 射殺される前に 好きなリーダーと交わす微笑みは 「 一緒に死ねるね 」と
いう穏やかさで目を見交わしてるようだった
人を愛することを知ってしまったイーは   これからは 本当の独り
暗殺の恐怖よりも恐ろしい孤独の中で生きていくことになるのだろう
イーの虚無と悲哀を思うと  なんとも救われない映画である

トニー・レオンは 報われない愛を知ってしまう男の役が  よく似合う
たやすく人を殺す指令を出すような冷酷な男なのに  料理店でチアチーの歌う愛の歌にほだされて 
涙ぐんでしまうときのやわらかい表情が いい
6カラットのダイヤを贈るほどに愛を感じたチアチーがスパイとわかり 仲間とともに処刑を命じたあと  チアチーの部屋の中で 処刑時刻の時計の時報を聞くときの彼の表情は  イー自身の死ででもあるような悲嘆である
戦争時  国や人を裏切って生きてきたイーにも 人を愛する心があったのだけれど  
居場所のない女が 仲間と繋がることに自分を犠牲にしていくのだけれど  誰も幸福になれない愛   
それでも 愛は知ることが是なのだろうかと考え込んでしまった映画である


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映画  ” ジェシー・ジェームズの暗殺 ”

2008-01-22 21:51:41 | ★映画  
                 
  

映画のなかの風景の描写が 詩的に きれい   雪原を馬で行く  真っ暗な夜の森を馬で行く  
見渡す限りの原野に夕陽が沈む  夕暮れに輝く雲の色彩   夜の森を走ってくる列車の明かり
広く殺伐とした原野の風景に人が佇むとき  自然の中で その孤独が 際立つ
主役は ブラッド・ピット   この映画で 2007年度ヴェネチア国際映画祭男優賞を受賞している
南北戦争後に 35件の強盗  17件の殺人を犯したジェシー・ジェームズという無法者の映画である



背景
ジェシー・ジェームズは アメリカ中西部ミズーリ州の農村に生まれた  1861年に南北戦争が始まると ジェシーは兄フランクが参加したカントリルのゲリラ部隊に16歳で加わる  1865年南軍が降伏し 翌年カントリル隊の残党によるアメリカ史上初の銀行強盗事件があり ジェシーも強盗団に入る  冷静で頭のいい彼は一味のリーダー格として頭角を現していく   以降15年間に渡ってジェシーたちは銀行強盗 列車強盗をしていく   新聞は 金のために強奪を繰り返す彼らの事件を南部の英雄のように書き立て ジェシー・ジェームズの名前は有名になっていく   西部開拓の幕開けの時代  世間は大資本の銀行や鉄道会社を襲うジェームズの一味に快哉を送るようになった   ジェームズ兄弟たちは身元を隠し潜伏し続けるが その間に 三文小説のダイム・ノベルが彼らを美化し でっち上げた話を本にして売り出した   ジェームズ兄弟にかけられた賞金額は1万ドルにまでなった


映画のあらすじ
1881年秋 ジェシーの最後の列車強盗のあと 仲間は各地に分散して潜伏した
一味に新しく加わった十九歳の若者ロバートは ジェシーの熱烈な崇拝者である 
34歳のジェシーは 自分にかけられた莫大な懸賞金のせいで仲間たちの裏切りに疑心暗鬼となる  
ジェシーは仲間内の裏取引や駆け引きを疑い 父親の不在を告げる少年を殺しかけたり 裏切りの確たる証拠もないのに仲間を背後から射殺する   ジェシーの従兄を殺害したロバートはジェシーを恐れはじめ 仲間の隠れ場所を告げて警察と内通する   ジェシーは チャーリーとロバートの兄弟を自宅に連れてきて監視する   1882年4月3日ロバートは自己保身と賞金ほしさと有名になりたい功名心のために ジェシーを背後から射殺する
数年後チャーリーとロバートの兄弟は そのときの様子を寸劇に仕立てて 各地を回る
何百回も上演されたが 「 裏切り者  卑怯者 」と罵られ 舞台へ野次が飛ぶようになる
社会から疎外されていくことに耐えられなくなったかのように チャーリーは自殺する
ロバートは得た賞金で酒場を開いたが 客は店主であるロバートへは誰も親しまず 鬱々とした日を送る
ある日  店に男がやってきて ロバートを射殺する
卑怯者ロバートの死については世間は無関心だった と 映画は終わる


ジェシーは強盗の目的のためには市民へ暴力を働き 殺害する   裏切った仲間を背後から撃つという残酷さ非情さを持つ反面  妻や子どもを大切にし 教会へ行くクリスチャンでもあった
世間は 仲間に裏切られて殺されたジェシーを南北戦争後の英雄のように その生涯を美化していった
何百人もの人がジェシーの死を悼むかのように 彼が隠れ殺された家を見に行った
ジェシーの死後 兄フランクは警察に自首して裁判は行われたが  ヒーローを失ったかのような世間の反応に 特赦を与えられ 無罪となる

妻子を連れて何度も転居を繰り返す生活   新聞や本が自分の虚像をねつ造して書きたてていく  
罪の意識と自己嫌悪  逃亡生活の疲れ  賞金目当ての暗殺者への恐れ  仲間への猜疑心
鬱屈を抱えて疲れているジェシーを  ブラット・ピットは厳しい孤独と不安を漂わせて演じている
銀行を襲うという理由でチャーリーとロバートの兄弟を自宅へ連れてきて  ロバートへ新品の銃を渡す
ジェシーは 彼らの手で殺されることを待っていたのではないかと思う 
ジェシーが暗殺される場面は  きれいな情景から始まる   
庭で幼い娘が草を編みながら可愛い声で愛の歌を歌っているのを ジェシーは居間の窓越しに見ている
死を覚悟し誘導するかのようなジェシーの行動は  哀切である
「 銀行へ行くのに銃を腰に下げていては目立つから 外しておこう 」とソファの上に置き  壁の絵が曲がってると呟き 椅子の上に立って  額の位置を直す
このとき 絵のガラスには ジェシーの背後に銃を向けているロバートの姿が映っている  
見とめてから一瞬頭を垂れ  ロバートに頭を撃たれて転倒する 



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映画  ” レンブラントの夜警 ”

2008-01-18 20:16:33 | ★映画  
世界三大名画の一つといわれる「夜警」には 逸話が多く 51もの謎があるという
美術家でもある監督ピーター・グリーナウェイが 絵の完成への経緯を考察し 謎解きをみせてくれる   
 

あらすじ
” 1640年代 ハプスブルク家の支配から解放されたオランダは経済的に繁栄し やがて英国に地盤を奪われていく時期にある    絵画は人びとの投機の対象であり  人気の肖像画家レンブラントはアムステルダムに邸宅を構え 弟子とともに 時の権力者や王族から次々に舞い込む仕事をこなしていた   待望の男子も生まれた頃 市警団から集団肖像画の依頼を受ける   モデルの実像に迫ることを主義とする彼は市警団の素行を調査する   金銭的問題 性的問題 殺人事件までが絡み合う市警団の腐敗を嗅ぎとってしまう   このスキャンダルを彼は絵筆で告発することを誓う  ”


17世紀のロウソクの時代を  映画は レンブラントの絵のような重厚な色彩や構成で見せてくれる
食卓につく人びとの座る位置   後ろで立っている召使たち   そのしぐさ  衣装の重々しさ
広い室内の灯かりの届かない暗闇に 人が浮かび上がる場面の構成は  演劇のようでもあり 人物の動静の一瞬一瞬が レンブラントの絵の光と陰に満ちて  まさに絵画的である
観ているわたしも 額縁を越えて 絵のなかに一緒にいるかのように陶酔できた
レンブラントは粉屋の倅から自分の筆で富裕の者となり  社会的身分が低かった時代の絵描きの 人としての苦悩を生々しく見せてくれる
謹厳実直な絵描きというよりも  まるっこい体で やんちゃな子どものように 自分の感情に素直で騒々しく  女性を頼りにし 溺れ 敬い  栄光と悲惨を生きた人として 映画は描いている

この監督の他の映画作品に ” コックと泥棒、その妻と愛人 ”がある
この映画は よい評判があったので テレビで観たけれど  映画の雰囲気の濃さ 人物たちの饒舌に疲れてしまって  わたしは途中で投げ出してしまった
この”夜警”も  やはり 同じ監督の作品だなぁと 映画の厚みに納得するけれども 人びとのセリフが多く  長々とお喋りする会話の場面では  少し居眠りしてしまった  (-_-;
”夜警”の絵が完成していく経緯  その告発に怒った市警団によってレンブラントが破産 破滅していくという監督の推理は  そうかもしれないなぁと説得力があった





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映画  ” 僕がいない場所 ”

2007-10-22 21:35:03 | ★映画  
   
                 


秋晴れの日  たくさん時間があったので  東京へ映画を観に行った
上映中でも前売り券を買える某所のカウンターで  え”! 
わたしの観たい映画は  次週からの上映だった      
わざわざ出てきたのに帰るのはイヤだし  ウィンドウショッピングも関心ないし  どうしよう・・
どうでもこうでも何か観ようと  上映中の作品一覧表を眺めてみた
” 僕がいない場所 ”    新聞の評が褒めていたような気がする
上映時間がちょうどいいから これを観てみようという消極的な気持ちで  劇場へ行った
2005年の映画だけれど ベルリン トロント ニューヨークなどの映画祭で 五つも賞を獲得している    
不思議なきっかけで 映画に呼ばれて観ることになり   観てよかったと思える映画だった   

少年のひとりぽっちの孤独を描いた ポーランドの女流監督の作品である
ヨーロッパの街は 人があまり出歩かないのかと思うくらい 人通りが少なかった印象があるけれど
この映画の街の 歩く人のいない石畳の街路  川辺の夜明けの景色  夕方の景色の映像は美しい
子役はオーディションで選ばれた素人の子供たちらしいけれど  子供の表情はナチュラルそのもの 
特に 主役の少年の凛とした雰囲気は  過酷な境遇のなかでの独り感が切々と伝わってくる
育児放棄の親の現実やストリートチルドレンのことを描いた 現代の映画である


クンデル少年は 孤児院の発表会のような場で詩を暗唱して  先生や生徒に嘲笑される
きらいな給食を食べ残したという罰で 夕方まで食堂に残されたとき  クンデルは塀を乗り越えて 
無銭乗車をしながら  母の住んでいる家へ向かう
母は クンデルが来たことを喜ばず そばに男がいないと生きられないと クンデルを厄介なように言う
大きな川べりに朽ちかけた舟を見つけ そこで起居し  空缶やクズ鉄を集めて売り 生きていく
はじめてお金を手にしたとき  街の食堂で温かいスープを注文する   
きれいなウエイトレスが 「 お金は いいわよ」 と言うが 「お釣りは いいよ」 とお金を置いて
店を出るクンデルに  ヨーロッパの少年は小さい頃から男なんだなぁと 感心してしまった

川のそばに建つ裕福な家の少女は  優秀な姉に似てないことや家庭内で疎外感があるのか 
小学生のような年齢なのに  毎晩 舟の中へ飲酒の缶を捨てていたのである
廃船で暮らす少年に話しかけ親しくなり  パンを持ってきてくれるようになる
クンデルの唯一の慰めは 幼い頃に遊んだ手回しオルゴールを回して カタコト音を聴くこと
学校にいる少女を塀の上から見て 手を振って合図をする
母の家の庭で 母が男たちと談笑しているのを  日が暮れるまで 木の蔭から見ている
履いている靴の破れが大きくなると ガムテープを拾ってぐるぐる巻いて履く
かつて仲間だったストリートチルドレンの少年たちは空き家でクスリを吸い クンデルを標的にして追う

クンデルは ほとんど一日中 独り    笑わない子供   笑顔を見せる場面は あったかなぁ  
母に愛してもらえない少年
なぜ訪ねてきたの  今日はあの男が来る日なのにお前のせいで来ない と言わんばかりの母親
夕焼けの美しい川べりで 大事なオルゴールを 先に川へ落とし  自分も落ちて死のうとする
急いで水中のオルゴールを探し  船に上がって火を焚き  服を乾かす
少女たちの父親は 少年が一人で舟で起居してることを知っていながら  無関心でいる
妹と少年が仲良くしていることに 姉は意地悪をして警察に少年のことを通報する
警察の取り調べ室で 係官が「 君の名前は何というのか  君がだれなのか知りたいからね 」と言う
クンデルは 「 僕は 僕だよ 」と答えて  映画は終わる


主人公たちは子供だけれど  大人が手を差し伸べない少年の境遇は あまりにも殺伐としている
笑わない少年は  ひとりで生きていく工夫をしなければならない
愛されない子供の孤独は  一人前の大人の男の孤独と見まごうばかりに 傷ましく残酷だ
街のひんやりした石の建物   音のないような道   雲の厚い弱い陽射しの空
映画の中の小さな街は 佇まいが  すでに重そうな孤独をはらんでいる
大人に愛されない子供の心の叫びが  映画の背景に くっきり映っている
子供は 大人の愛の中で 温かく包まれて 育てばいい   
孤独は あとから ゆっくり知っていけば いい  
寒くなっていく季節に クンデルが警察に保護されたことは  観客として ほっとした
大人になったら詩人になりたいと少女に語ったクンデルは  よき詩人になってほしいと思う




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映画  ” フリーダム・ライターズ ”

2007-10-13 01:42:59 | ★映画  
実話の映画である    主役は ヒラリー・スワンク
”ボーイズ・ドント・クライ ” ” ミリオンダラー・ベイビー ”で 二度 アカデミー主演女優賞を受賞した
そういう人が選ぶ脚本は どんな映画なのだろうと思って 観に行った
タイトルは ’60年代の公民権運動の 人種差別に反対した若者たちのグループ名に由来するという     
もっと知りたくて パンフレットを衝動買いしてしまった    もう一度 観たい映画である


 あらすじ。。。
ロス暴動から2年後の1994年、 ロサンゼルス郡ロングビーチ。 
様々な人種が通うウィルソン高校では 肌の色ごとに徒党を組み、人種間の憎しみをむき出しにする。
ここはかつて 中流白人子弟だけの進学校だったのである。
公民権運動の趣旨は あらゆる人種を一つの環境に混ぜ合わせることだった。 
その結果 遠くのスラムから長時間のバス通学で有色人種の子弟が送り込まれ 
悪化した教育環境をのがれて 白人子弟は私立校へ逃げ出した。
これは 1960~80年代 全米規模で起きた現象だった。
下層の黒人ピスパニック子弟の階層分化は なぜ起きたのか  
1970年代以降の工場の海外逃避で ブルーカラー中流層だった彼らの親たちが失業した。  
その結果 家族崩壊が深刻化し 子供たちは 麻薬取引か強盗で生計を立てる必要から 8歳くらいで 
ギャング組織 ”フッド ”に入り、 兄貴分の下で子分として殺人訓練を受けた。
登校には 敵フッドの縄張りを通るので 拳銃携帯は当然だった。

203教室に 23歳の新米の国語教師エリン・グルーウェル(ヒラリー・スワンク)が赴任してくる。 
テレビで暴動を見て、 法廷ではなく 教室で子供たちを救うべきだと 弁護士より教職を選んだ。
白人教師を拒絶する落ちこぼれの生徒を集めた教室での授業に エリンは詩の教材にラップを
取り入れたりして努力を重ねていく。
ある日の授業中、 ラティーノの生徒が黒人を馬鹿にした漫画を書き 生徒の手から手へ渡っていく。
エリンは 「こういう絵を博物館で見たことがあるわ ユダヤ人と黒人は人類で最も下等だとね 」と言い
第二次界大戦のホロコーストがこうした差別から生まれたことを説明するが 生徒たちは ホロコーストも
”アンネの日記”も 知らなかった。

教室内でも同じ人種同士で固まり  校庭でも仲間同士で集まっていて 他グループを牽制している。
それを見たエリンは 机を後方に寄せて 教室の中央に一本の線を引き 全員を線の左右に立たせる。
「今から質問することに YESの人は一歩前へ出て NOの人は一歩下がって 」と次々に質問していく。
銃に触ったことがある人  親に暴力をふるわれた人  路上で眠ったことがある人  人の死をまじかで
見た人  覚せい剤  中毒  少年院のこと・・  
さまざまな衝撃的な質問に そのたびに生徒たちが前進するし後退し ほとんどの生徒の日常が 
貧困と犯罪と不安の中にあることがわかり  お互いが似た境遇にあることを知る。
暗黙裡に 相手を認め 見直す場面は  この映画の中のわたしの好きな場面である

エリンは 生徒たちに日記帳を用意する。 
「今思うこと 未来や過去のこと なんでもいいから毎日書いて 読んでほしい時は この棚に入れて 」
日記帳を持ち帰る生徒が増え  棚の中には 日増しに生徒の書いた日記帳が積まれてくる。
エリンは生徒たちに”アンネの日記”を読ませたいと ベテランの国語教科長に申し出るが
「 あの子たちに知的興味を持たせるのは無理 」 と断られる。
エリンはパートで働きはじめ 得たお金で本を購入し ホロコースト博物館への見学も実行する。
夜 生徒たちをレストランのディナーの席へ招待して ホロコーストの生存者の話を聞く機会を設ける。
生徒たちは登下校の間に あるいは灯りのない家の中では懐中電灯を灯して 本を読み続ける。
戦争中に13歳のアンネが書くことで辛い日々を耐えた生き方は 人種間抗争の日常で生きる彼らに
自分の経験や感情 苦難を綴ることが  自分を知り 他者を認め 理解することを教える。

ある日 マーカスが アンネを匿ったオランダのヒースさんに手紙を書くことを提案する。
さらに生徒たちは ヒースさんをウィルソン高校に招待したいと 募金コンサートを開き お金を貯める。
高齢のヒースさんが高校へ来てくれて ヒースさんへ「あなたはヒーローだ」と生徒が言った時  
ヒースさんは 「 わたしはヒーローでない。 正しいことだから したの。 
あなたたちこそ ヒーローよ 」と言う。
 以下 略



   ***********


最初はエリンの教師としての熱意に協力的だった夫が エリンが生徒たちのことに一生懸命になると 
家庭で夫と過ごす時間が少なくなり 夫は 離婚したいと言い出す
「 子どもたちの生き甲斐を探す手伝いは  わたしの生き甲斐を探すことでもあるのよ 」
エリンのこの言葉は 夫にはわかってもらえなかった
この台詞の言葉を入れ替えて  いつも思うことがある
人に優しくすることは 自分が優しくされること   人を励ますことは 自分が励まされること
人は わたし自身 と思うときがある

エリンの生徒のためにと思う発想 試みが 生徒の心の側に沿っていく
荒れてた生徒たちが エリンの提案に関心を持ち 素直に心のガードをはずしていく
ささくれ立って 戦闘的 懐疑的な生徒たちが 悪友の誘いを断ってまで 課題の本を熱心に読みふける
眼差しが和らぎ 服装や雰囲気が こざっぱりと落ち着いた様子に変わっていく
落ちこぼれと見捨てられた生徒たちが 過酷な環境の中で変わっていき 自分で事の善悪を判断し
クラスの中がまとまり 大きな夢と希望を持ち 自分たちで行動を起こしていく
エリンの生徒を信じる気持ち 生徒のエリンへの信頼が  大きな勇気になっているように思う
こののち ほとんどの生徒が 大学や短大へ進学したという
人を信じること  人との繋がり  希望  可能性  生きる喜びを知っていくこと
たくさんのことを考えさせられる映画だった



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映画 ” エディット・ピアフ   愛の讃歌 ”

2007-10-04 21:32:32 | ★映画  
実話の好きな私が心待ちにしていた映画    いろいろな映画祭で すでに いくつも賞を得ている
1915年ころの貧しいパリの下町のセットなど あるいは大劇場の撮影などに 大きなお金が投じられているだろうなと思える映画
シャンソンの歌に馴染みのない私でも 聴くたびに  とても惹かれる歌を歌ったピアフ
” 愛の讃歌 ” ” バラ色の人生 ” ” 水に流して ” ” ミロール ” ” パダンパダン ”
映画の中では ピアフの実際の録音を流したというだけあって  歌は聴き応えがあった
小柄な体から 声量たっぷりに歌われる歌は 哀愁に満ちて  歌詞の意味を知らなくても感動する
エディット・ピアフの47年間の生涯を描いた映画である

時代が貧しかったのだとも思えるようなパリの下町の 貧困 不潔な環境の中で育ち
10歳ころからは 父方の祖母の娼婦館で暮らす   やさしい娼婦たちに可愛がられて育つのだけれど
幼い子は知らなくてもいいような 何を見て 何を知って育ったのだろうかと 傷ましい
子どもは生活環境を選べず  生育環境は人の性質に影響するだろうなぁ と思ってしまった

二十歳のころに歌の才能を見出されて  歌手として世間に認められていくのだけれど
作品と人は別だなぁと 思ってしまった   わがまま  傲慢  気の短さ  人へ欠く思いやり  
このせいではないだろうけど  車に同乗しての交通事故を 4回も起こして大ケガをしている
酒浸り クスリ漬けになり 40歳代のときの風貌は 背中が曲がり 足取りのおぼつかない老婆である

こういうピアフも 恋をしている時の幸せに満ちた輝くような笑顔は  とてもきれいだった
ジャン・コクトーやマリーネ・ディートリッヒと交流があり  シャルル・アズナブールやイヴ・モンタンの
才能を見出して 世に送り出したのは  ピアフである

この映画では ピアフが世間に認められていくまでの過程を描いているけれど 人生を遡っての
フラッシュバックの場面が唐突に入ってきて  かつ多すぎて   物語の流れを混乱してしまう

女優マリオン・コティヤールの ピアフになりきった微に入り細にわたった演技は すごい と思う
だけど 似せようとする雰囲気ばかりが押し出されて  なぜか ピアフの人生に共感感動できない
なんだか 作為的に過ぎる?     そっくりサンを観ているだけで ピアフが感じられなかった
こういう人生だったのか  こういうわがままな性格でもあったのか と知ることはできたけれど
「 いい映画だったなぁ  もう一度観たい 」 と思えなかったのが 残念で 不思議である



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映画  ” キサラギ ”

2007-09-23 23:24:12 | ★映画  
見逃していた映画を 近くの町の映画館が 何かの記念で上映してるので  大喜びで観に行った 
おもしろかったぁ   楽しかったぁ    何度も笑ってしまい  ホロリともさせられた
脚本がいいのだねぇ    俳優5人が 楽しんで演じてるのも いいなぁ
登場人物は 5人   小栗旬  ユースケ・サンタマリア  小出恵介  塚地武雅  香川照之
この人たちの出る映画なら  きっと 面白いだろうと思える

あまり売れなかったアイドル・如月ミキが自殺して一年  彼女の命日にインターネットの掲示板で
交流をしていた彼女のファン5人が  ミキちゃんを偲ぼうと集まる一室での出来事
ミキちゃんのことに詳しい グッズを自慢する単なるオタクっぽい男5人の集まりかと思っていたら  
人物の事情が二転三転して 意外性があり  驚き  笑わせられる
誰もが 何らかの形で ミキちゃんに接点があるのがわかっていくと  接点の持たない人へも
平等に関わりを持たせてやりたい と 観客としては応援してしまうのが  自分でも おかしい
笑いながら観ていると 意外な展開に驚き  驚いてると笑わせられるし スピーディな話の運びと
役者たちの阿吽の呼吸の演技に 安心して気持ちをゆだねて  楽しめた
明るいミキちゃんが なぜ自殺したのか という疑問から 偲ぶ会の雰囲気が変わっていくのは
推理劇のような展開で 登場人物たちのなにげないセリフが 後から ちゃんと意味を持ってくる
伏線の巧みな張り方は 後半で鮮やかに解明されて  見応えがあり  ホッと嬉しい気持ちになる
脚本がいいんだと思う   楽しかったなぁ      もう一度 観に行きたい映画である




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映画  ” モディリアーニ   真実の愛 ”

2007-09-18 22:13:13 | ★映画  
見逃した映画を テレビで見ることができた
’04年 仏 英 伊の合作映画なのかな   アンディ・ガルシアがモディリアーニの役を演じている
線の細いジャンヌ役の女優は  絵の中のジャンヌに よく似て はかなげな様子が美しい
街も室内も どの場面もフランスらしい色彩 雰囲気のある映像で  わくわく見てしまった

モディリアーニの生き方をほとんど知らなかったのだけれど  ピカソ  ユトリロ  スーチンたちと
同じ時代を生きて  あんなふうに交流があったのだね

生まれた幼子を実家に置いてまで  貧乏で無頼なモディリアーニと暮らすジャンヌ
モディリアーニの深酒  タバコ  麻薬   きっと 食事も粗末だったろうと思う
医者からは 養生しなければ年内に死ぬ と モディリアーニは宣告される
絵を描く人の衝動 情熱   他者を認めつつも 作品への羨望  駆け引き  感嘆 
傍からどう見られようとも  自身を内側から突き動かすものがあるのだろうな

「 君の心が見えたら  瞳を描くよ 」と言っていたモディリアーニは 死の前に渾身の絵を描く
ピカソが ゆっくり拍手をし始めて  絵のコンペ会場が感動の拍手でいっぱいになる場面は 
まるで 会場の感動と熱さが伝わってくるようだった

雪の夜に怪我をし やっと家にたどり着いたモディを友人たちが病院へ連れて行こうとするのを  
「 わたしのそばから連れて行かないで 」 と泣き崩れるジャンヌ
一途な愛というのかもしれないけれど  どうしようもなく哀しい愛の形
子どもを育てるとか 自分が生きていくことよりも  死したモディリアーニの後を追ってしまう愛の形

独りのモディリアーニ   独りのピカソ   独りのユトリロ   そして 独りのジャンヌ
独りで描き創造するサガの人たちだからこそ  一人ずつの熱さ 痛みが 際立つような映画である
” なんぴとも 人の孤独に触れては ならぬ ”    この映画の感想を こんなふうに思う




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映画  ” サッド ヴァケイション ”

2007-09-13 00:35:52 | ★映画  
ほんの数日前まで 猛暑の名残りを肌に感じていたのに いつのまにか秋雨模様の天気が続いている
涼しい風が吹く日中に 虫の音が聴こえてくるときがある
セミたちは この夏を 存分に鳴き終えたのだろうか 
まだ気温の高い陽射しを待ってる途中だったなら  とても かわいそうだなぁ


監督が青山真治  配役たちの豪華さに惹かれて  映画を観に行ってきた
浅野忠信  石田えり  宮崎あおい  オダギリ ジョー  中村かずお  光石研
あらすじは  
いろんな事情を抱えた流れ者たちが住み込みで働く小さな運送会社で
主人公の浅野忠信が 幼い頃に自分を捨てた母と再会し 復讐心が芽生えていく というもの
なんでもかんでもの人間関係が絡まり  長男が次男を撲殺してしまう
「 毎日 部屋の中で壁を向いている 」と言うものの 母石田えりの艶然とした微笑みには違和を感じる
復讐を仕掛けたのは長男であり 人ひとりの死に なぜ ああも長男だけを肯定するのだろうか
” ゆるぎない女 ” ”偉大なる母性 ”というテーマらしいけど  あっけらかんとし過ぎである
登場する男たちが社会からの落ちこぼればかりで  そういう事情事態を受け入れることが
女の偉大なる母性って 監督は言うのだろうか
俳優たちの存在感が ふがいない男たち 対 ゆるぎなき しっかりした女 に分けられるだけでは
もったいない作り方の作品だと思う

運送店の社長に 主人公が問う 
「 こういう者たちと仕事してて 裏切られたことないんですか  なんで 一緒にやってるんですか 」
「 なんでかなぁ  今 この店をやめたら あの人たちは行くところがなくなるだろ?」と社長が答える
「 人は 出会うべき人に ちゃんと出会うものなんだ 」と 元医者の言った言葉も印象的だった

 

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映画  ” ボルベール ( 帰郷 ) ”

2007-08-17 00:01:22 | ★映画  
      
                    


スペインのペドロ・アルモドバル監督の作品です
この監督の前作品 ” オール・アバウト・マイ・マザー ”では 儚げで か細い少女のようだった
ペネロペ・クルスが  若い母親ライムンダを演じている
ペネロペは もともと美人だけれど  年齢を重ねて こんなふうにきれいな存在感を持てるのなら
人が歳をとっていくということは  なかなか いいもんだなぁと思う
人には 二十代  三十代  四十代と その歳にしか似合わないこと できないこともあるだろうけど
いい雰囲気に年齢を重ねてきた人を見ると  そのときどきの自分を疎かにしないで生きていれば  
おのずと よき生の蓄積になれるかなぁと  希望的思いを持ってしまう


映画の始まりの場面は  大勢の女たちが墓地の墓石を磨いているところから始まる
子どもも 若い女も  歳を取った女たちもいる  
風の強い日の広い墓地で  女たちが 一所懸命に墓地の掃除をしている
不思議な始まり方の ずいぶん印象的な場面だった

主人公ライムンダは 若い頃に産んだ娘と 働くことに熱心じゃない夫と 三人で暮らしている
ライムンダの留守中に その義父が娘に襲いかかり  脅そうと構えた包丁が誤って義父を殺してしまう
死体を隠した大きな箱を遠くの村まで運ぶのを 女友達は わけを尋ねないでクルマに同乗してくれる
夜更けに 川のほとりに穴を掘るのを手伝ってもらって  ライムンダは夫の死体を埋める

ライムンダの母は なぜ娘が自分を避け家出をしたのか わからないでいたが  ライムンダが伯母に
妊娠の事情を打ち明けたことから  夫が実娘を妊娠させたことを知り  近所の未亡人と小屋の中に
いるときに放火して  夫とその女を焼き殺してしまう
父と母は火事で死んだのだと  ライムンダは姉から聞かされて育った
世間から失踪し 身を隠していた母は娘たちに会いたくなり  姉娘の家に身を寄せる
ライムンダはときどき姉宅を訪ねているうちに  隠れていた母と再会し お互いの胸のうちを語り合う


あらすじだけを読むと  とても 陰湿な暗い物語である
ライムンダの まっすぐ前を見据えるような目は 哀しみを湛えてるような暗い眼差しだなと思っていたら
こういう話だったのである
娘から  わたしの本当の父親は生きてるの?  だれなの? と問われると  
ライムンダは涙を流しながら  今は言えないけど いつか きっと教える と約束する     
映画の中の物語とはいえ  なんという過酷な人生なのだろうか

こういう映画なのに  スペインの陽光のせいなのか  明るくユーモラスな場面もあって 重くならない
ペネロペの艶やかな真っ黒い髪  目鼻立ちのはっきりした顔  原色の服の色  食材の鮮やかな色
曇りのない強さのようなものが  映画の中の こういう色彩から伝わってくる
眩しいような美貌のペネロペがヒロインなのに  恋愛物語の映画ではないのである

ライムンダの隣家のレストラン・オーナーが  店を売るので鍵を預かってくれ  と言って街を去る
営業中の店と勘違いした映画の撮影のスタッフが  数日間 昼食を作ってくれないかと依頼する
ライムンダは 女友達たちに声をかけて  たくさんの食材を用意し おいしい昼食を提供する
色彩豊かな食材 たくさんの料理を 語らい 笑い 歌いながら  みんなは豪快に食べていく
料理を作ること 食べることは 生きることの肯定であり  その闊達さは見ていて 楽しくなる

映画の中の女たちは 人のつながりを大事にし 生活を楽しみ よく働き 明るい逞しさを感じさせる
体型もどっしりしていて逞しく 男にしなだれかかるのではなく  自分の足で立って生活している
自分の居る場所にいて するべきことを為し  誠実に生きられたらいいなと思う
そして ときには あたたかい大きな存在に寄り添い 抱かれて 頑張りの荷を降ろして憩う
おかえりなさい  おかあさん    おかえりなさい  娘
女たちのしなやかな強さ  あたたかい包容力  女が女から元気をもらえる映画だった

    
         

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 映画 ” 善き人のためのソナタ ”

2007-04-24 18:41:18 | ★映画  
物語はベルリンの壁が崩壊する前の東ドイツ社会の一隅の話らしいと知り  重そうだなと躊躇っていた 
4つの映画祭で賞をもらい  07年度アカデミー外国語映画賞受賞の作品なのに・・ である
街へ出た日 用事が済んで 帰るには早すぎる時間  開演時間がちょうどよい この映画を観る
こんなにも良い映画だったとは・・   観ることを躊躇っていたわたしへ 天の采配を感謝したくなる
いつか もう一度観たい映画のリストに  このタイトルを載せる

戦争を題材にしたほかの映画を観ても思うし  この映画を観てもそう思ったけれど 人は生まれる国や
その時代を選べない    だからこそ 厳しい時代を生きた人たちのことを忘れてはいけないと思う
国家保安省のヴィースラー大尉  劇作家ドライマン  その恋人で舞台女優のクリスタの三人が主役
物語が進むにつれて ヴィースラー大尉の冷徹な眼差しが  だんだん柔和になっていく
微笑み和らいでいく過程は  前半の大尉の寒々とした孤独を いっそう際立たせると思う
 
1984年ベルリンの壁が崩壊する直前の東ドイツ  舞台女優クリスタに横恋慕した保安大臣は
劇作家ドライマンとクリスタが反体制的である証しを掴もうと 二人の住む部屋に盗聴器をつけさせる
国家保安省(シュタージ)は 二人が留守の短時間に侵入し 壁紙を剥がして盗聴器を仕掛ける
各部屋のいたるところに仕掛けられ  電線は壁紙の中を長く這って屋根裏へ伸びる 
二人の動向 会話を監視するよう命じられた国家保安省のヴィースラー大尉は 屋根裏に機械を置いて
一日中 ヘッドフォンで二人の会話を盗み聞き  克明な記録を取る
ヴィースラー大尉は 警察学校の講義で 反体制と思しき人物の取り調べ方を学生たちに講義する
容疑者を心理的に追い詰めていく尋問のやり方  座る椅子には警察犬が匂いを追跡できるような
仕掛けをほどこしておく
容疑者が家族や友人を密告するように 人の心を繰っていく様は迷いがなく  観ていて怖くなる
この大尉役の俳優自身が  数年にわたって 監視され続けた事実があるという

国家への忠実を生きる大尉は  友人や妻を持たない自分の孤独に気づいていないように見える
愛や芸術を共有する2人の暮らしに  ヴィースラーはだんだん影響を受けていく
保安大臣に関係を強要されてクリスタが会いに行くのを盗聴した大尉は やるせない気持ちでバーに
いると 偶然クリスタが入ってくる   
演劇の一ファンと名乗って同じテーブルに座り  彼女の芸術性を褒める
演技者としての自信をもらったクリスタは 大臣の約束を反故にして 恋人のいる部屋へ戻るのである

この頃から 大尉は変わりはじめ 二人の動向を盗聴し続けながらも  温かい関心を持ちはじめる
二人の留守に忍び込み 詩集を盗んできて読みふけったり  ドライマンが弾くピアノの美しい旋律
” 善き人のためのソナタ ”を盗聴器を通して  二人と共有して聴く
ドライマンの親しい演出家が 国家に睨まれ仕事が出来なくなり  楽譜を贈って自死したのである
ドライマンは 東ドイツの自殺者の実態を西側の雑誌に発表して 当局から筆者探しの的にされる
クリスタは 薬物中毒の容疑で捕らえられ  証拠のタイプライターの隠し場所を密告するのである
国家保安省が来る前に大尉はタイプライターを隠し  自責の念に駆られたクリスタは自殺する
上司は ヴィースラー大尉が絡んでることを見抜き  彼は手紙閲覧係の閑職に左遷させられる
そして数年ののちに 東西ドイツは統一する

ドライマンは 自分が監視されていたことを大臣の口から知り 監視者“HGW XX/7” の存在を知る
アパート内で友人たちと西側で発表する論文の密談を進めていたとき ドライマンに関するレポートは
その会話を穏便な内容に捏造され変えられて報告されている 
ドライマンは 街を郵便配達の手押しの籠を引いて歩く“HGW XX/7”ことヴィースラーを探し出す
数年後  郵便配達の手押し籠を引いて歩いていたヴィースラーは 書店の新刊の広告に
ドライマンの顔写真をみつける   店内に入り 新刊 ” 善き人のためのソナタ ”を手に取ると
内表紙に ヴィースラーへの献辞の言葉が書かれていた
重い灰色にくすんでいるようなヴィースラーの目が  陽射しを浴びた花の開花のように輝いていく
長い年月を孤独に生きてきた彼は こののちも  あるいは独りの生き方をしていくかもしれないが
かつてとは違う温かい気持ちを自己の中に確認しながら  生きていけるのではないだろうか
そのときどきの自分の心の声に耳を傾けて生きていく   
自分らしさを見つけられたのではないかと  胸が熱くなるラストであった



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 映画  ” かもめ食堂 ”

2007-03-15 22:04:24 | ★映画  
よい本 よき映画 よき芝居に出会えたときは  ここちよい余韻が いつまでも あとを引く
現実の用事をしながらも  心の中には 場面のあちこちが思いだされて ほんわか酩酊状態である
いい映画を観たなぁと思う
映画館で上映され 評判になっていた頃は  とりたてて観たいとも思わなかったけれど
数日前  小さな上映会があるという案内が目にとまり  ためらうことなく  いそいそと観に行った
時機がわたしを呼んだのだね   今 出会うべき映画だったのだと  観終わって思う


フィンランドの首都ヘルシンキの街角に 日本人女性サチエが 小さな食堂を開く
フィンランドの太ってるかもめは 子どもの頃に仲良しだった太ってた猫を思い出す と言う
サーモンの好きな国の人たちと 日本のおにぎりに好まれる鮭は同じだから 高級なレストランではなく
おにぎりがメインの ” 食堂 ”をやってみたい と思った と言う
開店ひと月めに 「 珈琲をください 」とやって来た若者が  やっと お客さん第一号である
「食堂を手伝わせてください 」と言ったミドリは  目をつむって世界地図を指したら 
ヘルシンキだったので  来てしまったという
二人目のマサコは エアギター・コンテストを楽しむこの国の人たちに惹かれて 訪ねて来たという
遠巻きに店の様子をうかがっていた街の人たちが シナモンロールパンの匂い おいしい珈琲に惹かれ
サチエのやさしい人柄とあたたかい店の雰囲気に惹かれてやって来るようになり  食堂は繁盛していく


食堂で働く三人の女性が  なぜ 一人で この国へやってきたのか  誰も くわしくは尋ねない
フィンランド語を話すサチエは  ときどき プールで ゆったり泳いでいる
住まいの部屋は きれいな色彩のカーテンやシンプルな家具が置かれていて 寛げそうな様子である
日本人女性が一人で食堂を開き ひと月間お客がやってこない とウィンドウ越しにウワサされていても
目が合うと笑顔の会釈を返し  清潔でシンプルな店の中で  キュッキュッとグラスを拭いている
サチエ役の小林聡美の 人におもねることなく 人を信じる温かいまなざし  おおらかに ゆったり 
こだわらない雰囲気の中には  一本 透明な芯が通ってるような印象を受ける 
「人は変わっていくものですから 」と にこやかに言うことばの背景には どんな来し方があるのだろう
自恃  孤高に生きる  という静かな佇まいが目に浮かび  きれいな強さを感じる 

わたしは  どういうきっかけがあれば  外国で一人で生きていけるだろうか
悲嘆や暗さはなく 欲深くもなく  明るく朗らかに 一人で暮らしていけるだろうか
身ひとつで  自分の足で さらりと立って  生きていけるだろうか
これまでの日常  係累  いろんなものを措いて  新しい気持ちで生きていくとしたら
きっと  たぶん  せいぜい 日本の山奥の温泉で働かせてもらうくらいだろうなぁ
わたしは 白昼夢さえもが  こぢんまり  実際的っぽい
それにしても  フィンランドで暮していくサチエのこれまで これからへ思いが膨らむ
やさしいオンナは 強い   強いオンナは あたたかい   あたたかいオンナは きれい
それから  それから・・・       いいオンナは  それだけで  いい女サ♪   (^。^)v

   
   
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