としよりなかま。

2022-08-05 14:27:11 | memo。


ほぼ草創期から見(聴き)に行っているアマチュアブラスバンドのアンケートの年齢区分ラスト「60歳以上」が分割(60、70、80代とか)されていることに今回気づいた。
主軸となるメンバーが60歳周辺に至り、自分のこととして80歳とひとまとめにされることに違和感をいだいたのではないか。と想像する。

NHK-BSのサイモン&ガーファンクルコンサートインセントラルパークNY1981をなぜか録画してあったのを念のため再生してみたら岡田准一と岡村隆史を足したようなポールと無垢にしか見えない自閉症みたいなアートとのそれぞれ外見とオンガクとをBGMにして、画面下の英語字幕をいっしょうけんめい追うに至った。



見知った単語がならぶ。。。わからない。ものすごくわからない。まったくわからない。


とめた。


近所の図書館に訳詞集があった。しかもその訳は山本安見だ。むかし持っていたジョン・レノンのソロアルバム数枚が山本の訳で、ひねりかたに独特のものを──英語のわからない私が日本語訳だけ見てそのひねりかたなんて言うことがおかしい──感じていた。
山本安見の訳をもってしても
詩集として私にはあまりおもしろくなかった。無教養により固有名詞や暗喩がわからないことが大きいのか小さいのかはわからない。

ただ、ウッドストックの動員数を超えた1981年の当日限定(ほぼ)の復活デュオコンサートのアンコールに応えて、次の曲が歌われたのだ。
ここで詩集(シンコーミュージック刊)に戻り、日本語訳詞のほうを無断コピペする。

旧友 (1967)

年寄り仲間が
公園のベンチにブック・エンドのように腰を下ろしている
芝生の上を舞う1枚の新聞紙が
老人たちの深靴の
丸いつま先の上に落ちる

年寄り仲間 冬の道づれ
老人たちは外套に埋れて
日没を持っている
街の喧騒が
樹々のあいだを通り抜けて
壁のように積もっていく

老人たちの肩の上に······
今から何年もたった頃の僕たちを想像できるかい?
公園のベンチにひっそりと腰を下ろす自分たちの姿を
70歳になるなんて ひどく奇妙な気がする

年寄り仲間
想い出は同じ時代をかすめて通る
ひっそりと同じ怖れを分かちあいながら……







ポールが20代のときに発表されたものらしい。
こんな想像ができた20代!と、ここでちょっとひっかかって詩集をめくることになった。



年をとるということは年をとらないとわからないというより、想像し得ない、想像しにくいものだと思う。ページ冒頭に戻る。ブラスバンドのメンバーの多くが80歳になったら「80歳以上」が分割されるかもしれない。60歳には自分の17歳のほうが自分の71歳より近い。

それでなければ生きていけないしすてむとか。



やや似た感覚が私に自覚されたのは40代かと思う。24歳のときに、自分がいま40代だったとしてもおかしくない、長生きしてしまったなあと思ったことを背景とともにリアルに思い出したその40代のときに。

いま、私には難しい。実年齢に追いつかない。追いつく努力をしている。必要な自覚というより、損失、害毒かもしれない。
実年齢に追いつかない。そういう人を何人も見てきた。「私、実は60代なの」「こう見えてもボク、ramenさんより年上なんだよ」、言われるたびに、知ってますいやもっと上かと思ってましたごめんなさいと心中つぶやきながら、ひどく驚いてみせるしかない。
ぜったいいいじゃんねえ、若く思えるほうが。




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