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坂の上の雲~司馬史観とNHK史観

2013-06-03 | 日本のこと

さて。

「武士の情け」は大安売りするくせに(笑)、史実として残る日本軍人の「惻隠の情」、
これについて全く無視する、これがNHKの「坂の上の雲」です。


昨日お話ししたロジェストベンスキー提督を東郷元帥が見舞った話、
せっかくロシア人の俳優まで駆り出してきたのに、原作の「坂の上の雲」
にもあるというこのシーンを、NHKは全くドラマで語ろうともしませんでした。

この話ですらスルーなのですから、勿論のこと、先日述べた
「船乗り将軍」の敵兵救助など、毛ほども触れられません。

実際にはこの日本海海戦の際も、敵艦船が退艦しているときには攻撃を加えず、
ひとたび戦い終われば、海上に漂うロシア兵をかなりの数救出し、捕虜として日本に送り、
厚遇して、あまつさえ彼らに読み書きまで教えてやった、これが日本軍なのですが。


そして、二百三高地の戦が日本の勝利に終わった後行われた水師営の会見は、
世界に向かって「日本に武士道あり」と広く知らしめました。
勝者が敗者の立場を思う。
くどいようですが、決して「同情する」ということではなく。


しかし、これもまた全く、ちらっとも、語られません。


どうなっているのこのドラマ。
司馬遼太郎が乃木を無能扱いしているから?



NHKが放送している「坂の上の雲」は、あくまでも司馬遼太郎の小説です。
テレビ番組を制作するにあたって、膨大な逸話の中から何を選択するか、
そこにおのずと作り手の思想なり姿勢なり、伝えたいことが読み取れるものですが、
ただでさえ「司馬史観」と言われる「司馬の好き嫌い」で描かれたこの小説の、
その膨大な情報の中からできるだけたくさんそのエピソードを拾うのではなく、
「これが見たい」と視聴者が思うであろうお見舞いシーンや水師営は割愛し、
そのかわり妙なエピソード、つまり、戦争が終わって愛する妻のもとに帰ったとたんに

人が死ぬのをもう見とうない。わしは坊主になる」

とPTSDを発症しておろおろと泣き伏す秋山真之の姿を強調する。
その記述が「坂の上の雲」にあったとはいえ、これが、NHKの選択なのです。

しかも、「海軍を辞める」とまで言わせておいて、その後、子規の墓参りシーンに続き、
あっさりと

「しかし真之は海軍を辞めなかった」

・・・・・って、何?なんなのこの視聴者に解釈を丸投げした投げやりな展開。
何で辞めなかったの?いつの間にPTSD克服できたの?
一言くらい何か説明があってもいいような気がするんですが。


もうね、秋山が浮かない顔で帰宅して、仏頂面で妻と久しぶりの対面をし、
夜になって妻からの「重圧に」(笑)耐え切れず、外に逃げるように出て行こうとして、
後ろから妻に抱きつかれ、

「離せ」
「離しません」

うわー恥ずかしい。
なんか、このシーン、少なくとも20回くらいは他のドラマで観たことあるなあ。
いわゆる「お約束」ってやつですね。

そう、しょせんドラマには「お約束」がつきもの。
わたしだってこの黄金のパターンを否定してはテレビドラマそのものが成り立たない、
ということくらい子供じゃないんだから百も承知です。


しかし、このお約束優先でドラマを創作するような「視聴者サービス」に努めるNHKさんが、
あの「平清盛」ではなぜその「定番」を覆すような
「天皇を王と呼び皇室を王家と言い張る」みたいな「お約束破り」すなわち
実験的な挑戦などあえてやってのけたんでしょう?(棒読み)



さて、水師営の会見について、ちょっとばかり詳しくお話ししておくと。

明治38年《1905》1月5日、旅順要塞司令官、ステッセルと乃木稀介の会見が
行われることになりました。
この会見の様子をアメリカ人の映画技師が、映画に収めたいと言ってきます。

しかし乃木大将はそれを認めませんでした。
副官を通じて丁重に断ったのですが、アメリカ以外の国々も撮影させろと要請します。
そこで乃木は

「敵将にとって後世まで恥が残る写真を撮らせることは、日本の武士道が許さない。
しかし会見のあと、我々がすでに友人となって同列に並んだところならば、
一枚だけ撮影を許可しよう」

と答え、会見にはロシア側全員に帯剣を許しました。

これまでの世界の勝者、勝てば相手をどう扱おうと思いのままで、
屈辱を与えることや命を奪うことすらあった世界の常識から見ると、
乃木のこの配慮は異例を通り越して異様ともいえるものでした。

当然、世界は驚嘆し、このときに乃木が言ったという「武士道」が有名になります。

また会見の前に、乃木大将は壁に貼られた新聞(隙間除け?)に目をやり、

「あれを白く塗っておくように」

と命じました。
その新聞には日本の勝利を麗々しく称える記事であふれていました。

そして、それのみまらず会見の一日前に、乃木将軍は長らく籠城を続けていた
ステッセルと将官たちにぶどう酒や、鶏や、白菜などを送りとどけさせています。


さらに冒頭の写真を見ていただくと分かると思いますが、
前列のネベルスコーユ参謀と、津野田大尉
(あっ、平田昭彦《様》が演じたのはこの人か)などは、
ほとんどお互いに体を凭せあっていて、
とても戦争に勝ったものと負けたものには見えません。

しかし、1月のこの水師営、寒かったと思われますが、ロシア側がほとんど
暖かそうな外套と毛皮の帽子着用なのに対して、日本側の薄着なこと・・・。
ヒートテック素材もブレスサーモもない時代、こんな軽装でよく耐えられたなあ・・・。

それはともかく、この写真は、両将軍が打ち解けて会談をし、
相手の強さを褒め称えあい、またステッセルが乃木将軍に
馬を贈呈することを申し出てから一緒に食卓を囲み、
食事がすんで出てきたところなのだそうです。

言われてみれば、全員の表情が柔らかく和んでいるのに気が付きます。



ここで少し長いですが、軍歌「水師営の会見」を。

1 旅順開城約成りて 
 敵の将軍ステッセル
 乃木大将と会見の
 所は何処水師営

2 庭に一本棗の木
 弾丸あともいちじるく
 くづれ残れる民屋に
 今ぞ相見る二将軍

3 乃木大将はおごそかに
 みめぐみ深き大君の
 大みことのり伝うれば
 彼畏みて謝しまつる

4 昨日の敵は今日の友
 語る言葉もうちとけて
 我は称えつかの防備
 彼は称えつわが武勇

5 かたち正して言い出ぬ
 この方面の戦闘に
 二子を失い給いつる
 閣下の心如何にぞと

6 二人の我が子をそれぞれに
 死所を得たるを喜べり
 これぞ武門の面目と
 大将答え力あり

7 両将昼食をともにして
 尚も尽きせぬ物語              
 我に愛する良馬あり
 今日の記念に献ずべし

8 厚意謝するに余りあり
 軍のおきてに従いて
 他日吾が手に受領せば
 永くいたわり養はん

9 さらばと握手ねんごろに
 別れて行くや右左
 砲音絶えし砲台に
 ひらめき立てり日の御旗


この軍歌によると、乃木将軍の息子が二人戦死したことが、
この会見で話題になったことがわかります。

乃木将軍は、丁寧にお悔やみを述べたステッセル将軍に対し

「ありがとうございます。
長男は南山で、次男は二百三高地で、それぞれ戦死をしました。
祖国のために働くことができて、私も満足ですが、
あの子供たちも、さぞ喜んで地下に眠っていることでしょう。」

と答えました。

ステッセルは日露戦争終了後に旅順要塞早期開城の責任を問われ、
1908年2月、軍法会議で死刑宣告を受けるのですが、
特赦により禁錮10年に減刑されました。

彼の減刑のための除名運動を行ったのは乃木稀介でした。
乃木は自決の日まで、ステッセルの家族に生活費を送り続けていたそうです。



さてところで、再び「坂の上の雲」です。

このドラマにおける乃木将軍の描き方には、非常に意図的に
「二〇三高地でたくさんの将兵を死なせた凡庸な将軍」
が強調されているように思われました。

戦地ではいつも半病人のように横たわったままで、
たまに地面を歩いたと思ったらふらふらしたり、よろよろしたり、
あるいは児玉源太郎に思いっきり馬鹿にされたり。
司馬遼太郎が自分の気に入らない人物は徹底的に「下げ」るということを
しかも感情的にこき下ろすのではなく、あの名文でそれなりに実証を上げつつやるもんで、
すっかり「司馬的世界」では無能扱いされてしまっている乃木将軍ですが、
なんかもう、ここでは乃木稀典、それにとどまらず過度の抑鬱状態。
PTSD通り越して、すでに戦闘ストレス反応第4期。(combat stress reaction
即ち完全に無気力となり、効率的に戦闘することが不可能、という状態です。

因みに第一次世界大戦前のこの世界にはまだそんな言葉は生まれていませんがね。

柄本明の演ずる乃木稀典は、極端に呆けていてある意味面白いとは思いましたが、
司馬の言うところの「不器用な軍人」「無能な将軍」ばかりを強調して、
この水師営の会見についてもやっぱり全く触れない、つまりこんなところだけは
しっかり司馬の原作を強調しようとする制作姿勢そのものに
不自然を通り越して悪意すら感じてしまったのはわたしだけでしょうか。



百歩譲って、このドラマは秋山真之のいる海軍を描くことを主体にしたというのなら、
なぜせめてロ将軍と東郷の邂逅を描かなかったのか。
これは、司馬の原作にもあり、このシーンを楽しみにしていた視聴者も
相当いたのではないかと思われるのですが。


「惻隠の情」「日本の武士道」の具現として伝えられる、
このあまりに有名なエピソード群をあえて無視して、司馬史観の中から
「人間秋山真之」の反戦、平和思想(笑)について延々と時間を使って表現する。
こういうところにも、やはり「NHKの操作」を感じてしまうのです。


そういえば、NHKはこのドラマを制作するのに

「韓国」「中国」でロケし、スタッフも現地から協力を仰いだ

そうですね。
これゆえ、内容や表現の自由に制限がかかった、と考えるのは
少々穿った考え方でありましょうか。

もしかしたら、この両国民に見せるわけでもないのに、
しかもこの両国民は我が日本国民のように製作費に寄与してもいないのに、
「遠慮」や「配慮」した結果、原作にも史実にもないできごとを
創作し思想を介入させている、ってことはありませんか?


わたしは思うのですが、NHKはこういうことをしたいのなら、
「坂の上の雲」という原作のあるものではなくて、一から自分たちで作り上げて、
好きなだけそういった思想を開陳すればいいのではないでしょうか。


司馬遼太郎は生前「坂の上の雲」の映像化はこう言って許さなかったと言います。

「なるべく映画とかテレビとか、
そういう視覚的なものに翻訳されたくない作品でもあります。
うかつに翻訳すると、誤解されたりする恐れがありますからね」

今回、NHKが

故人の意志にそぐわない形で映像化する事は絶対にないと確約し、

遺族や司馬遼太郎記念財団からの映像化の許可を得たということです。
それから担当脚本家が自殺したり、NHK自身の不祥事など(笑)様々なトラブルが重なり、
放送が開始するまで異例なほどの月日が経ってしまいました。
完結まで実に10年かがりでの制作という事になります。


まあ、日清日露戦争だけを美化し、大東亜戦争を無謀の一言で決めつけ、
なによりも秋山真之が「軍人としてはやや不適格なほどに他人の流血を嫌う男」
であるとした司馬史観と、NHK史観との間には、かなりの親和性がありますから、
生きて本人がこのたびの「坂の上の雲」を観たとしても、
もしかして、そう異論はなかったのではないかとわたしは思っておりますけれども。