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静浜基地航空祭~F-15「イーグルの翼に乗って」

2013-06-08 | 自衛隊


「イーグルの翼に乗って」←クリック!

これはRobert・W・ Smithの作曲による吹奏楽ですが、
原題を

On Eagle's Wings(Our Citizen Airmen)

といいます。
この曲はこのF‐15のために作曲されたのだと思いますが、
このスミスは吹奏楽の世界では有名な作曲家で、息子の学校でも
学校のクラスで取り上げたりして我が家ではおなじみです。

と言うわけで今日はBGM付きエントリです。
本日のF-15Jイーグルの写真とともに、演奏をお楽しみください。
(空自の演奏ではありませんし、少しミスがありますがそれはご愛嬌)


さて。

静浜基地航空祭、いろんなエントリを挟みつつお送りしておりますが、
F-2はいろいろとお話ししたいことが多くて、二日もかけてしまいました。


ウィキから拝借した写真、米軍兵曹が水没したF-2を打ち眺める様子からは
エアメンの一員だからこそ感じたのであろう喪失の悲哀が伝わってきて、
こちらも思わず目頭が熱くなってしまったものです。


F-15はこの津波で大量に失われたわけですが、このF‐2は事故による喪失機数が多く、
制定以来12機が喪失しています。
このうち、殉職を伴う事故は6件、殉職者数8名。

機体の両不良というより、制空戦闘機として限界までの訓練が
行われるため、と考えればよいのでしょうか。
勿論人為ミスもあります。
そのうち一機はなんと、僚機によって撃墜されてしまっています。
有名なF-15僚機撃墜事故です。
これはどうも無意識による誤射事件ではないかということで決着し、
撃墜したパイロットは定職十日に加え、資格剥奪処分になりました。
パイロット資格はく奪のことをP免、と言います。

・・・これ、なんだか今やっている(らしい)空自ドラマみたいですね。
事故のため主人公がブルーインパルスから「P免」されたという設定。
さすがに「事故」の内容はこんなシリアスでは無いようですが。


本件では、この一尉が無意識のうちにミサイル発射系統の回路を導通状態にした、
つまり安全状態を解除してしまっていたということですが、
「慣れ」から来る無作為だったのだとしたら、これほど怖いことはありません。
おそらく、事故後、全自衛隊パイロットに対し、操作動作の確認の徹底が
厳しく戒められたのではないかと想像します。



ところでエリス中尉、決して自慢するわけではありませんが、この方面のシロートですので、
航空機マニアやコアなファンが当たり前、イロハのイ、と思っていることにこだわります。

支援戦闘機の「支援」のように、このF-15がカテゴライズされているところの

「制空戦闘機」という区分けについてもこだわってみます。


昔は「制空権を確保」などという文言をよく使い、実際に
「当時制空権は敵の手に落ちていた」
などという文章が戦記や戦記小説に散見されたものです。

しかし最近では「制空権」という言葉自体を使わなくなってきているそうです。
「制空権」すなわちair supremacyではなく「航空優勢」air superiority
と言い換えているのですが、「制空戦闘機」という呼称は日本に残り、
英語では"Air surpremacy fighter"ではなく
"Air superiority fighter"とのみ表記されます。

「航空優勢戦闘機」

今までの自衛隊のセオリーからいうと、こう言わないといけないわけですが、
まあ、なんだ、つまり「言いにくい」ってことでOK?



それはともかく、この「制空権の確保」が第一任務とされている、ということは
簡単に言うと

「対戦闘機戦闘で敵を駆逐する」

つまり純粋な「ファイター」という位置づけであるわけです。
ゼロ・ファイター」「零式戦闘機」の機体そのものを意味することは
皆さん当然ご存知ですね?

この「制空戦闘機」というものを調べていて、おもしろい話があったのでご紹介します。

戦闘機の黎明というのは戦争に航空機が使われた第一次世界大戦です。
当初、航空機は武器を搭載していませんでしたので、航空機はもっぱら
偵察機として各軍に使用されていました。

ですから、お互いのんびりしたもので、敵国機同士がすれ違う時には敬礼したりして
「挨拶」をしていたのだそうです。
まあ、この頃の戦争はまだ「騎士道の戦い」が生きていましたし、
もう少し経って搭載機銃による「空戦」が始まったときにも、
たとえばリヒトホーフェンのような貴族が「やあやあ我こそは」のノリで、
「顔の見える戦争」をやっていましたから、これも当然かもしれません。

しかし、こんな悠長なことをしていたのもつかの間でした。

航空偵察によって戦況が左右されるということがはっきりしだすと、当然ながら
お互いの偵察を妨害しなければ、という風になってきて、「空中戦」と称して
偵察同士でピストルを撃ち合ったり

石やレンガを持ち込んで投げ合ったり

石やレンガを持ち込んで投げ合ったり

石やレンガを持ち込んで投げ合ったり

していたのです。
以前、「フライボーイズ」というジェームス・フランコ主演のエアメンものについて書いたのですが、
このネタばらしをしてしまうと、
(ネタをばらされたくない方は一行飛ばして読んでください)


空戦で敵わないドイツ空軍のエースを、主人公がピストルで撃ってしまう


という、現代の感覚では「それちょっとアカン」なラストシーンがあったりします。
しかし開くも開かないも、このちょっと前まで普通に行われていたことなんですね。
機上の撃ち合い。

とかく非難されがちなこの「フライボーイズ」の主人公の戦闘ですが、
レンガを投げなかっただけマシ、と考えられないでしょうか。
決して彼をかばうわけではありませんが。


とにかくこの「制空戦闘機」、現代では戦闘機と一言で言っても

マルチロール機

と呼ばれる、複数の用途での運用が可能な航空機が主流となっていて、
この多用途戦闘機、多任務戦闘機のことを

マルチロール・ファイター

と称し、昔の戦闘爆撃機も「マルチロール・ファイター」にカテゴライズされます。
ちなみに自衛隊で言うとF-2がこのマルチロール・ファイターに相当します。



管制塔とF-2。
管制塔(ですよね?)の中には三人しかいないんですね。
もっとたくさんの人が見はっているのだと思っていました。



ところで皆さんは

「ピース・イーグル」

という航空用語をご存知ですか?
前回、F-2についてお話ししたのが、当時の日米経済摩擦受けて、
アメリカ側が

「日本だけで独自の航空機を開発するなんざ許さん!」

とばかりに共同開発に食い込んで(っていってもいいよね)きたという
「裏の事情」についてであったわけですが、
こたびの導入は最初から「ライセンス国産」です。

そこで色めき立ったのが、

グラマン社(F-14)
マクダネル・ダグラス社(F-15)
ジェネラル・ダイナミックス社(F-16)
ノースロップ社(F-17)
ダッソー社(仏)(ミラージュF1)
SAAB社(スウェーデン)(J37)

の各航空機会社。
(SAABが戦闘機を作っていたのをわたし初めて知りましたが)
この中からさらに、F-14,15、16の三種を絞り込み、
さらにさらにグラマンとMD社の「両雄対決」となったこの売り込み合戦。

アメリカそのものがこの権利獲得への戦いを

「ピース・イーグル計画」

と呼んでいたことからも、その権利がいかに渇望されていたかがお分かりでしょう。

その対決の舞台は、1976年10月に入間基地で行われた
「第五回国際航空ショー」となります。

この時点で実は選定作業はほぼ終了していて、MD社のF-15を採用することに
決定されかかっていたのですが、起死回生をねらうグラマン、

原子力空母「エンタープライズ」上から、
米海軍第二戦闘飛行隊の
F-14Aを呼び寄せた!

しかし、負けじとダグラス、

アメリカ建国200年記念塗装を施したTF-15A(痛機仕様)を、
わざわざアメリカ本土から来襲させた!

BGM・ドラゴンクエストII「戦いの歌」←クリック

一応他の航空会社も来ていたんですがね。
こちらはもう最初からあきらめムードだったでしょう。
目の前でこんなの見せられたら、ねえ・・。

グラマンもそんなわけでかなりいい線いってたんですが、結局はF-15を導入することになり、
三菱とマクダネル・ダグラス社との間で契約調印となりました。


しかし、このときに「第五回国際航空ショー」の観客が
「漁夫の利」(ちょっと違うかな)として、この歴史的な戦いに立ち会ったというわけですね。
どなたかこのとき見てた人、居ませんか?


ところで「ピース・イーグル計画」とは、「日本に購入させるべきF-15」に対してつけられたので、
この後ライセンス生産でできた三菱製のF-15Jのことは含まれません。念のため。




静浜基地航空祭で観客のほとんど目の高さを低空低速飛行するF-15J。
アナウンスによると、低速飛行を戦闘機でするのは高速より難しいのだそうで、
それはたとえて言えば「自転車を思いっきり低速で倒れないように漕ぐ」
のと似ている、とのことでした。

この写真では脚が出かかっていますが、皆の前に着陸したのではありません。

しかし、この機体をたった一人で操縦しているんですね・・・。
当たり前だろ、と言われそうですが、やっぱりかっこいいですよね。
ええ、シロートとしての素直な感想です。

ところで、晴れて正式な採用となり、15機の売り込みにも成功したF-15。
最初に輸入された二機ですが、まず完成後飛行検査を経て

米軍に引き渡し→米軍機として米軍パイロットが空輸→日本に到着、

そのあと、機体に付けられた米軍のマークが日の丸に描きなおされたのだそうです。