
ほとんど話題にもならず、勿論商業ベースにも乗らない。小さな映画館でひっそり上映され、それっきり・・。
そんな映画の中にこそ、時として強い印象を残す佳作というものが産まれることがあります。
わたしにとってのそういった「小さな名作」、それは「外科室」(坂東玉三郎監督)、
あるいは「めぐり逢う朝」「赤い風船」。
この映画もそのリストに入るかもしれません。
「戦争シーンの無い反戦映画」
このような映画評を目にしました。
この「反戦映画」というカテゴリについてこだわってみます。
およそ戦後に作られた戦争映画に少なくとも反戦的メッセージを含まないものはありえません。
「ハンバーガーヒル」や「地獄の黙示録」あるいは「コンバット」でさえ、戦争の現実に迫ることによって、
自動的にその無残さを訴えるという構図に変わりはなく、いわゆる市民団体が「旧軍を賛美するもの」
として目くじらを立てる「男たちの大和」や「連合艦隊」にしても、必ずその中に戦後の価値観を盛り込んで
「平和への願い」というところに落とし所を持ってきているのが普通です。
いまどき「反戦映画」も何もなかろう、もし好戦的な戦争映画というものがあるのなら教えていただきたい、
と言いたくなる今日この頃、
この映画をあえて「反戦映画」ということに非常な違和感を覚えたわけで、
まあ、細かいことですがここでは不思議なこの戦争映画を「小津風」と評させていただいた次第です。
さて、この映画は2006年作品、黒木和雄監督の遺作になりました。
戦争映画ですが、舞台は一軒の民家に始まり、そこで終わります。
登場人物もわずか5人。
老年夫婦が病院の屋上で小津監督作品風の淡々とした会話を始めるところから映画は始まります。
この二人は特攻で戦死した明石少尉の戦友と、彼がひそかに思いを寄せていた女性の現在の姿。
明石は航空隊所属であるがゆえに自分の好きな紙谷悦子(原田知世)に思いを打ち明けることなく、
ただ自分の戦友、長与少尉と結婚させるために紹介します。
女性が両親を亡くし身を寄せている兄夫婦の家で、兄の高校の後輩という関係から知り合った二人ですが、
ある日明石少尉は戦友の長与少尉(長瀬正敏)を伴って家に現れます。
そこでおはぎを食べながら緊張と照れから実に微笑ましい「お見合い」をする二人。
明石少尉は気を利かせて早々に姿を消しますが、桜が満開になった夜、その家を訪います。
「沖縄奪回の作戦に晴れて参加することになりました」
この一言で、何も説明せずとも明石少尉は特攻に参加するのだとそこにいる三人は察します。
「敵艦をば・・敵の空母をば・・沈めなさることを祈っております」
密かに愛していたはずの明石少尉に、このようなことしか言えない悦子。
「明石さん、行っておしまいになるんよ。追いかけんと」
しかし彼女はその義姉の言葉に従わず、ただ土間にかけ込み嗚咽します。
この映画のこの訥々とした場面運びは、この作品が元々舞台用に書かれた脚本であるからです。
確かに映画らしい演出は何一つなく、ただ一軒の民家で桜が満開になるまでの十二日間にあった出来事が、
ただ淡々と語られるだけなのです。
明石少尉が別れを告げに来た夜、号泣した悦子ですが、その四日後結婚を決めた長与少尉が
死んだ明石の遺書を渡すまでは、微笑みさえ浮かべ彼と世間話に興じる。
当時「普通」であった彼女のこのふるまいは、今の価値観で観ると胸が締め付けられるほどけなげで痛ましく、
こうやって日常の続きのように愛する人を死地へと送り出さざるを得なかった、当時の日本人の置かれた
「銃後の生活」を思うと何とも言えないやりきれなさを感じずにはいられません。
出撃した明石少尉の遺書を懐から出しながら長与少尉がこう言います。
「明石大尉(だいい)から・・・預かったとです」
この四日の間に少尉であった明石が特攻死し、二階級特進した、ということがこの言葉によって明らかになります。
この映画には「特攻」や「戦死」という言葉は一切使われません。
兄夫婦も含め、「作戦に参加」するということは「特攻で戦死すること」と理解をしており、
そして、その言葉を誰もが決して口に出そうとしないのです。
「特攻」という言葉を語らないがゆえに、より一層彼らの心の中心に動かしがたくそれがあることを感じさせます。
当時を生きておらない我々にもこの心情が理解できるのは、我々もまた日本人であるからでしょう。
そして、名優たちの演技は控え目ながら、彼らの躊躇いや、恥じらい、胸に秘めた気持ち、
思わず吹き出してしまうユーモアさえ湛えて秀逸です。
この映画を「小さな名作」と呼ぶことに賛同してくださる方は多いのではないでしょうか。
劇中BGMは流れず、その代わりに朴訥な鹿児島弁がまるで音楽のようなリズムを奏でます。
タイトルとエンドロールのためだけに流される印象的な音楽を作曲したのは松村禎三。
現代音楽の大家であり、名作「海と毒薬」の音楽も手掛ける巨匠の最後の映画音楽にもなりました。
本日画像は、夜桜の下、最後に悦子や兄夫婦に向かい別れの敬礼をする明石少尉(松岡俊介)。
この海軍式の敬礼を始め、玄関で軍刀を外す所作や、彼らの立ち居振る舞い、
あるいは航空士官である明石少尉と整備士官である長与少尉の靴が違うこと(明石少尉は航空靴)
実に細部までリアリティを持たせた映画の軍事指導に携わったのは、この物語の二人の少尉と同じ、
13期海軍予備学生で、飛行専修であった土方敏夫大尉です。
この方の名が刻まれたエンドロールを見たとき、この映画に対する切ない思いが一層深くなるのを感じました。