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潜水艦救難艦「ちよだ」進水式に出席

2016-10-18 | 自衛隊

いつかは見てみたいと思っていた進水式ですが、夢が叶いました。
三井造船玉野で行われる潜水艦救難艦の進水式に、
なんと直前の2週間前に参加させていただくことになり、
この度岡山県玉野まで足を運んできたのです。

なぜそんなウルトラ離れ業で参加が決まったかについて、
いつもならばここで微に入り細に入り説明するところですが、
大人の事情によりそこのところはさっくりと省略。


実はこの直前にも自衛艦は潜水艦「せいりゅう」が(清流ではなく
清瀧権現から取っているとか) 神戸で、今週には三菱でDDの進水式が
行われており、進水ラッシュの海上自衛隊であります。



三井造船玉野には、わたくし「ふゆづき」の引き渡し式のときに参加し、
土砂降りの中の感動的な船出を見届けたというご縁があります。
そのときに控え室になった三井造船の迎賓館?のような社屋にあった
社の資料館で見学したことどもを当ブログで取り上げたのですが、



一項を割いて三井造船建造の403「ちはや」について話したとき、
すでにその頃決定していた404の潜水艦救難艦の名前を

「城の名前だからあおばに違いない」

と締めくくりました。
艦名をかなり前に予想していた艦の進水式に出ることになろうとは。
ただならぬご縁に興奮してしまいますね。

まあ、タイトルですでにおわかりのように、艦名は「ちよだ」でしたが。
(あおばもいい線いっていたと思うけどな)


今回は飛行機で行ったので、岡山には前日入りしました。
岡山駅からマリンライナーで児島まで楽々ノンストップでいきます。
児島で降り損ねたらもう次は四国に行ってしまうと聞いて大変緊張しました(笑)

岡山駅にはこの「アンパンマン電車」が停まっていました。



児島駅からタクシーで20分くらい?
温泉もあるというリゾートホテルが一番近い宿泊所です。
タクシーの運転手さんが話好きで、領収書の裏に自分の名前を書き、

「指名してくれたら観光案内しますよ」

と熱心に売り込んでこられましたが、観光に来たんじゃないしな。

朝起きたらホテルからはこんな素晴らしい眺めでした。
三角のおにぎりのような島が「鬼ヶ島」かな?



おお、はるか向こうに瀬戸大橋が見える!



四国の金比羅宮で行われた掃海殉職者慰霊式のあと、わたしは
この瀬戸大橋を渡って帰ってきたのですが、そのとき何の気なしに

「地震が起きたら海に落ちるのでは」

と書いたところ、大変詳しくその安全性についてご教授くださった方あり。
それ以来、わたしは瀬戸大橋のファンです。



このボートは釣り用かな?

それにしてもみなさん、お天気が非常に怪しいと思いませんか?
前日にSiriさんに聞いてみたところ、彼は暗い声で(わたしのSiriは男性)
あまりお天気は良くないでしょう、と言い放ったので、
あの「ふゆづき」引き渡し式のときの悲惨な天気を思い出し、

もしかして、わたしが玉野に行くから雨が降るのか・・・?

と大変申し訳ない気持ちになったものです。
とりあえず午前中だけ保ってくれるように祈りながらホテルを出ました。



ところで、自衛艦の誕生に行われるセレモニーについておさらいしておきましょう。
まず、順調な工事と建造中の無事を祈って神事を行うのが起工式。

英米の艦船について書いたときに「キール・レイド」、つまり
キール(船の背骨になる部分)を最初に敷設するのが起工式である、
と知ったのですが、現代の艦船では少し違うようです。

なんかすごーく地味なことをしているように思うのですが、これは
制服を着ている防衛省の代表がスイッチをぽちっとする瞬間。

この瞬間溶接が開始されて、これをもって建造の開始とされます。



若宮けんじ氏が出席しているのでこれは「ふゆづき」のときです。

右側が三井造船の社長で、防衛省の代表である若宮氏が証書を受け取っています。

造船所で進水式の後艤装が完了し、海上公試を行った艦船は
その後会社から防衛省へと引き渡しされ、
関係者一同が見守る中、造船所の岸壁を離れて旅立っていきます。



その「ふゆづき」のときの進水式。
定義としては

「組み立てられた船体がほぼ完成した段階で水に浮かべる作業」

というのが進水式です。
まず防衛省代表によって「命名式」が実地され、それまで隠されていた
艦体の名前の部分の覆いがはずされてお披露目されます。

船の誕生にまつわるセレモニーの中で最も重要なものといえます。

「進水式って船の誕生日なの?」

同行したTOが聞くので、

「誕生日は起工式だから・・・なんだろ、元服ってところかな」

「上手いこと言うね、元服」

それでいうと、引き渡し式は出陣式というところでしょうか。



見覚えのある三井造船正門前に到着。
看板の向こうのポールには国旗を中心に社旗と自衛隊旗が
翻っています。
奇しくも紅と白2色の旗が三旒靡く様子は大変美しいものでした。



戦前からある趣のある迎賓館の前では、社員が並んで
次々とやってくる来賓をエスコートしていっています。



この右側にはテントがあり、ここで受付を行います。
実はわたしたちは地元経済界の重鎮!みたいな方の車で
ホテルまで迎えに来ていただきこれで一緒にやってきたのですが、
いくら黒塗りの車で偉い人と一緒に行っても、ランクが上がるわけではないので、
重鎮は偉い人の控え室に行ってしまわれました。
(前回はわたしひとりだったのでどさくさに紛れてチートした)



我々の控え室はこちらでした。
部屋にはエスコート係として1佐がアテンドしてくださり、
その方が皆の写真も撮ってくれました。

そう。

ここでわたしは悲しいお知らせをせねばなりません。
進水式の写真を撮るために、わたくし、32Gのメモリーカードを二枚買い、
Nikon1には広角と30-70mmのレンズ二本持ち、そしてデジカメと
万全の用意をして来たというのに、この1佐に念のため聞いたところ

「工場の中に入ったら写真撮影禁止」

だというではありませんか。
思わず目の前が真っ暗になったわたしです。

「その分わたしがみなさんをお撮りしますから」

とおっしゃるので、そんなものかーと思っていたら、
向こう側にいる一般客も、こちら側の客も、なんか写真撮ってるんですけど。
ちなみに今、玉野市のHPで本日の進水式見学情報というのを見てみたら

進水式以外の撮影は禁止です。」

書いてあるではないですか。

ってことは、進水式なら撮ってもよかったってことなんじゃあ・・。

わたしの周り(もと自衛隊の将官とか防衛団体の人たち)でも、
進水式も禁止だよ、とまことしやかに牽制し合う人たちがいて、
それにしては皆携帯やデジカメで撮ってるけどなあ、と思っていたのですが。

まあ、この1佐が写真を送ってくださるとのことなので、
それを待つことにいたしましょう。




ちなみにこれが三井造船の建造した自衛艦たち。
4段目の一番右に先代の「ちよだ」がおりますね。

こちらは1985年の就役で、もう退役しているはずなのですが、
まだウィキペディアの情報が書き換えられておらず、

本日進水した「ちよだ」のことも

後継艦としてDSRVを搭載するASR-404「ちよだ」(5,600トン型)
の取得が表明されている


などとなっています。

・・・ん・・・?「ちよだ」?・・・「ちよだ」の取得?

これってつまり、すでに名前はこのころから
「ちよだ」であることは決定していた、ということになりますね?


なんだ、わたしが知らなかっただけか(がっくり)



掃海隊の訓練の時にお世話になった「ぶんご」。
ここ三井造船玉野の出身だったんですね。


というわけで、撮った写真をもとにいろいろ説明できないのが

大変辛いところですが、引き続き進水式の様子をお話ししていきます。





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5 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
なぜ? (お節介船屋)
2016-10-18 08:21:35
エリス中尉ありがとうございました。
進水式行かれたのですね。
写真撮影禁止なんて?
起工式の写真は出席した会社と防衛省代表が接合する板2枚にそれぞれのイニシャル等をサインしているところです。左に神主さんがいますが、神事後、これを実施し、その後離れて(溶接の火花が飛びます)溶接のスイッチを防衛省代表が実施となります。
進水式は出産と考えられます。防衛省代表が斧で切断する支綱がへその緒と考え、無事進水式を実施した支綱が安産のお守りになります。

ボートは海洋少年団のカッターです。
渋川海岸では良く練習しています。渋川海水浴場は岡山の有名ところです。

「ちよだ」はまだ在籍しています。この「ちよだ」が就役する平成29年度まで除籍はされないものと思います。
潜水艦救難は常時「ちよだ」か「ちはや」が待機する必要があります。

艦名は防衛大臣が決めますので相当前に決まっていたとは思いますが、生きている艦の名前を命名したのは「しらせ」くらいです。私は最初の潜水艦救難艦「ふしみ」を予想したのですが。

写真がないのは残念ですが今後を楽しみにしています。
期待をされて進水式に出席されたと思いますがあっけなく終わってしまって「あれ」と思われたのでなければ良いですが?
返信する
ちよだ進水 (お節介船屋)
2016-10-18 10:29:35
産経新聞電子版に掲載されました。
下記のとおり
http://www.sankei.com/west/photos/161018/wst1610180020-p1.html
一般の見学者も多かったのですね。
返信する
ちよだ! (佳太郎)
2016-10-18 22:43:41
進水式見学できたのですね!本当に羨ましい!さてさてどんな様子だったのか…期待です!
護衛艦の進水ラッシュは東シナ海情勢と関係があるのか、それとも単なる世代交代のためなのか…どうなんでしょうな?
最近、どこかの人が武器輸出国になっていけないとかいう本を出していました。ちょいと気になりますね。どんなお花畑が展開されているのか…
返信する
皆様 (エリス中尉)
2016-10-22 06:37:44
お節介船屋さん
現在就役している「ちよだ」は、今回進水した「ちよだ」が艤装を済ませ
就役すると同時に退役するため、同じ名前なのだそうですね。
「ちはや」「ちよだ」と「ち」=「千」にこだわったのかなという気がしました。

式典前の会場に向かう道を歩いている時にエスコートの自衛官に
「実は予想している名前があるんですよ」などと話していたのですが、
幕が上がってからその方「当たってましたか?」とわざわざ聞いてこられました。
自衛官って(特にこの方は人事の部署だったからかもしれませんが)
実に社交的というか、如才ない方が多いなあとまたしても思いました。

佳太郎さん
予算が増えているというのはありますね。

その本がどなたの執筆かは知りませんが、国会で安保法案と絡めて
武器輸出を激しく糾弾する福島某とか山本某とか志位某とかの言っていることと
ほとんど同じではないかと思われます。
返信する
FFM「くまの」進水 (お節介船屋)
2020-11-19 15:28:01
https://news.yahoo.co.jp/byline/takahashikosuke/20201119-00208611/
本日三井E&S造船玉野艦船工場で30FFM2番艦1302号艦が進水、「くまの」と命名されました。(DEと同じ川の名称)
エリス中尉は出席されたのでしょうか?

三菱提案のFFMですが1番艦が工程遅れから2番艦のほうが先に進水となりました。艦番号は2です。
1,3,4,5番艦が三菱、2,6番艦が三井の予定でしたが三井E&S造船は造船から撤退、艦艇建造、修理は三菱に譲渡される事となっていますので三井造船の名称での建造は最後の艦となってしまいました。
1917年三井物産造船部として岡山県玉野に発足して以来、商船や軍艦を建造、1937年玉造船所、1942年三井造船と名称を変えましたが大手造船所として多くの船舶を建造し千葉、藤永田、由良も傘下にしていましたが後手持ちの数隻の商船の建造で造船を撤退となりました。
三菱に艦艇建造を譲渡しても玉野で艦艇建造、修理維持は継続する予定のようですが楽観はできないでしょう。

戦前、戦中は海防艦、駆潜艇、掃海艇、ロ号潜水艦を数多く建造していました。

戦後は海自発足と同時に、護衛艦「いなづま」、「しきなみ」、「たかなみ」、「いすず」、「やまぐも」、「みねぐも」、「ちくご」、「みくま」、「とかち」、「いわせ」、「によど」、「よしの」、「のしろ」「いしかり」、「はまゆき」、潜水艦救難母艦「ちよだ」、護衛艦「せとゆき」、「やまぎり」、「あぶくま」、「おおよど」、音響測定艦「ひびき」、「はりま」、護衛艦「はるさめ」、輸送艦「おおすみ」、掃海母艦「ぶんご」、潜水艦救難艦「ちはや」、輸送艦「しもきた」、補給艦「ましゅう」、海洋観測艦「しょうなん」、護衛艦「ふゆづき」、潜水艦救難艦「ちよだ」、音響測定艦「あき」、護衛艦「くまの」で33隻の建造で終了となるのでしょう。

藤永田で駆潜艇5隻の建造もありました。

三菱とともに三井は財閥系であり、艦艇設計、建造は強く防衛庁、防衛省を支え、石川島播磨、住友重機械、川崎重工、日立造船を引っ張る牽引役でしたし、音響測定艦のSWATH船型、補給艦のマシュー船型や潜水艦救難母艦のDPS艦位保持装置等特殊技術にも強く、民間でも地球深部探査船「ちきゅう」、テクノスパーライナー、10,000m級無人探査機「かいこう」、無索式自立走行水中ロボット等、官庁では多くの海上保安庁の巡視船、各大学の調査船等が得意でもありました。

日本造船界は世界最大の造船時代もありましたがその後の低迷時には運輸省指導の合併や建造船台の統合等で荒波を乗り越えてきましたが昨今の中国造船界の台頭や韓国造船界の政府支援の格安の船価に太刀打ちが出来ないばかりか三菱の客船建造の失敗等で負の遺産が大きく、大手造船所は軒並み受注が出来なくて今治造船等中造船所のほうが受注したり、国内商船でやりくりしている状況です。

艦艇建造では水上艦は三菱、JMU,三井、潜水艦は三菱神戸、川重神戸でしたが三井が撤退となってしまう事となりました。
本年10月三菱への艦艇建造譲渡の予定でしたが本日の報道はまだ三井E&S造船の名称ですが完成時には三菱となるのでしょうか?
三井玉野は1926年以来デンマークのB&W社や自社設計の舶用デイーゼルエンジンの製造を実施し50%以上のシェアを占めており、三井E&Sマシナリーは今後も生産継続となるのでしょう。

造船衰退した英国でも艦艇建造は数社に分割してでも維持しており日本でも会計法で競争入札させ安い社が受注ですがこの方法も再考する必要があるとも思います。
維持修理についても少ない予算や修理時期の集中等是正する事項も多いと思います。
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