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「ベイマックス」~ハリウッドの「反日と親日の振り子」

2014-12-22 | 映画


週末、家族で映画を観に行くことにしました。
少し前にコメント欄で話題になった「フューリー」を、
一応戦争映画ウォッチャーとしては押さえておくべきかと思い、
最初はこの映画を観に行くことを消極的ながら主張したわたしでしたが、
家族の、

「そんなの()より、『ベイマックス』観ようよ」

という言葉に、あっさりと考えを変えました。
「あの」ディズニーが「フローズン」(アナ雪です。一応)の次にピクサーと組んで出した新作は、
なんと主人公が日本人の少年。

発明にかけては天才少年であるヒロ・ハマダと、彼の死んだ兄、タダシが遺していった「ケアロボット」、
ベイマックスの物語。


これだけでも観たくなるのに、さらに物語の舞台は東京とサンフランシスコをモデルにした
「サンフランソウキョウ」。 

さらに、「ビッグヒーロー6」という、日本のスーパーヒーローを描いた無名のマーベル作品を
基にしているというではありませんか。


 

で、結論から言うと、良かったです。

下敷きになったマーベルの漫画は、日本政府によって結成された「ビッグ・ヒーロー6」こと、

・リーダーで炎を操る「サンファイア(ヨシダ・シロウ)」 
・『Xメン』のウルヴァリンの婚約者の異母兄弟
  「シルバーサムライ(ハラダ・ケンイチロウ)」 
・世田谷区出身の超天才少年「タカチホ・ヒロ」 
・ヒロが作ったスーパーロボット「Baymax」 
・内閣情報調査室の美人エージェント「ハニーレモン(ミヤザキ・アイコ)」 
・宇都宮の元暴走族「ゴーゴータマゴ(タナカ・レイコ)」


が主人公、となっています。
映画ではベイマックス、ヒロ、ハニーレモン、ゴーゴーというメンバーは残し、話も一から作り直しています。
この原作を選んだ監督のドン・ホールは

「 この漫画が日本のポップカルチャーへのラブレターみたいなもの」

と語っています。



出てくる「サンフランソウキョウ」 ですが、原作では「京都」の「サンフランシスキョウ」であったということ。
とにかく東京とサンフランシスコどちらも知っている者には

「新宿だ!」「新橋のガード下だ!」「お台場だ!」
「チャイナタウンだ!」「ベイブリッジ!」「ケーブルカー!」

どこかで見たような光景ばかりが次々と出て来て、それだけでもその既視感にワクワクするというお楽しみ付き。



で、可愛いんだよ。このベイマックスが。

アメリカ制作のアニメは、日本のように「可愛いものは声も可愛い」ということをあまりしません。
(魔女の宅急便の英語吹き替えでは、黒猫のジジがおっさんの声になっていて驚いた人は多いかと思います) 

で、このロボットも普通のおじさん声なんですが、そのため「可愛いでしょう」という押し付けがましさを感じず、
安心して萌えることができる気がしました。

ベイマックスは外側がふわふわしていて、ナード(オタク)ばかりのヒーロー6人組も、
その感触には癒されっぱなし。

主人公のヒロくんもぎうっと抱きしめられて和んでしまうわけですが、

「ふわふわは愛である」 

というのがこの映画の実に説得力のあるテーマの一つでは有るまいか。


ストーリーを言ってしまうとネタバレになるので控えめに述べると、わたしはこれを見終わって、
何度目かの涙をぬぐいながら、(ピクサーの最初の短編がまた犬好きならきっと泣いてしまう良作) 
あの名作「アイアン・ジャイアント」がベースにあると感じましたね。

アイアン・ジャイアントについてはブログ開設当初、
特攻隊とその自己犠牲を関連させてお話ししたことがあります。
おりしも米ソ冷戦の頃、自分を拾ってくれた少年の住む街に、
誤って水爆が落とされてしまうという危機が訪れたとき、
アイアン・ジャイアントは愛する少年とその街を守るために、水爆に体当たりします。

そう、お分かりかと思いますが、このストーリー、何をトリビュートしているかというと、日本の漫画
「鉄腕アトム」なんですね。

愛するものを救うために自己犠牲を厭わないというのは、決して日本の専売特許ではないけれど、
自分の命を引き換えにそれを完遂しようとする
という行為を語ろうとすれば、
究極の自己犠牲である日本の特攻隊を
語らないわけにはいかないというのも厳然たる事実であります。


主人公とその周辺に「日本」を選んだ時、このアメリカ人製作者たちは
「こう終わるべき」
というある一つの自己犠牲の形が見えたのではなかったか。

わたしはそんな風に思うとともに、どこからかの政治的意図によって素人監督、
しかし名前はすでに超有名な女優である女性に監督させることで
話題にし、
あわよくば賞を取らせるためにつくった荒唐無稽反日映画、
「アンブロークン」が、
賞らしい賞に今のところノミネートが一つもない
(つまり映画評論家が誰も全く評価を与えていない)
ことに、映画人たちの良識(金銭によっても)いまだ犯されずと胸をなで下ろしているのです。

だいたいね。

クリスマスシーズンに見る映画かい?これ。
クリスマスというのは、「愛を知る日」なんですよ?
この広い世界の
誰かが自分のことを愛してくれていて、
自分もまたその相手を愛しているということを考える日なんですよ?
プレゼントを選び、相手の喜ぶ顔を思い浮かべることによって自分もまた幸せになることができる、
そんな季節なんですよ。


こんな時期に「70年前の戦争で捕虜が日本人に生きたまま肉を食らわれた」なんて、
しかも実に怪しげな与太話をわざわざ映像で見たい人なんて、親日反日関係なくいるんですか?


ユニバーサル社は、なんとこれを日本に配給しようとしているそうですが、
まあ、日本という国はこれでなかなか懐が広いというか、
一部自虐好きとか日本嫌いもいる国ゆえ、こういうのを歓迎する向きも結構あるので、
完璧に総スカンということにもならないような気もします。

あの「パールハーバー」も、ネタとしてつい見に行ってしまったという日本人が
当時それなりにいたみたいですので。

そういえばあの映画公開の時に、監督のマイケル・ベイは

「これは日本を貶めようというのが趣旨ではなく、恋愛ものである」

なんていう噴飯(可笑しくてご飯噴き出すという意味ですよ)
コメントを残してさらなる非難を浴びたようですが(笑)今回ユニバーサルの幹部は、
新聞のインタビューに対して


「映画は『希望と立ち直る力』を表現している。
強調したかったのは人間の精神力であり、日本軍の捕虜への行為ではない」

とかなり苦しい言い訳をしているようです。
希望と立ち直る力を表現するのに 日本人に食人の習慣があるなんてことを
でっち上げてまで強調しないといけない理由がどこにあるのか全くわかりませんが。


ところで、実際に食人の習慣があったとされる()中国ですが、ここのところ、
反日映画やテレビドラマが大人気らしいですね。

2012年だけで200以上の作品が制作され、そのドラマの中では
常に最後は「水戸黄門」の印籠開陳に相当するクライマックスとして、
憎っくき日本将兵たちがバラバラにされたり八つ裂きにされたり、
信じられないパワーで真っ二つにされたり(笑)しているらしいです。
もちろんあの「パールハーバー」も中国では大ヒットしたそうです。

今回、原作の「アンブロークン」はすでに中国語に翻訳されており、

映画も相当の売り上げを

ユニバーサルでは見込んでいるとのことです。

ふーん。
なるほどねえ。(ニヤニヤ)

そういえば、パールバーバーも、ディズニーの目的は

「中国市場での儲けだった」


とわたしはこの映画についてエントリを書いたとき看破したつもりですが、

やっぱりそれなりに美味しい思いをしたってことなんですね。

人口の多い中国で、皆が憎い日本人が鬼畜生に描かれている映画を喜んで見てくれるわけですから、
そりゃあユニバーサル社が、
同じようにやってみたいと思っても仕方ないかもしれませんねー。(棒)


おとなしくて自虐傾向のある日本には、こう言い訳しておけばOKとばかり、 
ユニバーサル社側は、今回の中国での公開について


「中国での反日感情を煽っているとみられるのは本意でない」

としているそうです。
反日感情を煽っていると見られているという自覚はあるのね。
それなら何が本意なのか、ちゃんと説明してもらおうじゃないの。 


いや、それをわたしが説明して差し上げよう。

前回、アカデミー賞どころか「最も金のかかった駄作賞」を取り、ラジー賞には全ての部門でノミネートされた
「パールハーバー」
を制作したディズニーピクチャーズは、今回、
日本の文化に対しての
「ラブレター」と制作者のいう「ベイマックス」を世に出しました。


対して、前回自衛隊とアメリカ海軍がタッグを組んで地球外生物と戦う「バトルシップ」をつくった
ユニバーサル・ピクチャーズが、
「アンブロークン」で日本の戦争中の行為を糾弾しているのです。

この役柄をまるでスライドしたかのような二つの会社に通じるのは
日本との親密度を示すことと、思いっきり日本を糾弾すること、
この振り子が振れるがごとき両側への極端な振れによって、
中国という美味しい市場で儲けることと、日本というコンテンツの安定した市場を逃さない、
というバランスを取っているということです。


つまり、ネタの枯渇気味のハリウッドというところは、アニメや漫画、日本人クリエイターから
時としてそのままアイデアを取ってこなくてはいけないくらい、カルチャー的に自分たちとは違う発想の、
しかし汲めども尽きぬアイデアに満ちた日本のコンテンツとは今や密接な関係にあるわけです。

古くは「マッハGO!GO!GO!」の放映にはじまり、ライオンキングの盗作事件、
ポケモンや遊戯王などのヒットや、最近では進撃の巨人の大ヒットが証明するように。

しかし、彼らにとっていまだに中国というマーケット、そこでのヒットもまた、
たとえそれで日本の不興を買うことになっても、
多少であれば引き換えにするに足る魅力があるということなのでしょう。

もちろん、前にコメント欄でも述べたように、
かつてあのアイリス・チャンを影で動かしたような資本を持つ「勢力」の介入というのも実際にあったと思います。


さて。

ところでディズニーといえば、夏には空前のヒットとなった「フローズン」という超駄作がありましたね。
わたしはいまだにあの映画の内容に全く意味を感じません。
そもそも全くその真意がわからないのです。

エルサは自分の「なんにでも氷に変えてしまう」という能力に悩んで大きくなったわけですが、
それがある日国民にばれて城を飛び出し、「レリゴー」を歌いながら自分の好き放題やっているうちに

「別に誰に迷惑かけているわけじゃないし、
このままで(レリゴー)
いいじゃん!」


開き直ってしまい、それからはスカートにはスリットが入るし、ドレスはいきなりボディコンシャスになるし、
表情までがビッ◯化。

世間ではなんであのレリゴーが「前向きな歌」とされているのか、とわたしはまず不思議でなりません。
自分の「ありのまま」が、要は傍迷惑なものにもかかわらず、
吹っ切れたからにはやりたい放題、ってことでしょあれ。

で、自分ではその能力をコントロールできなくなったエルサの魔法が解けるのは
「真実の愛」に気づいたとき、というわけなのですが、

自分でうっかり凍らしてしまった妹のことを嘆いたとたん

魔法が溶ける、すなわちこれが真実の愛?
これ、へんじゃね?
だって、エルサってアナのこと嫌ってたわけじゃないし最初から愛してたよね?
これが今更「真実の愛」としてカウントされるんだったら、
最初に妹に怪我させて嘆いたときに魔法が解けてるはずなんじゃ?

会ったその日に結婚したがるようなお尻の軽すぎるお姫様も妙だし、
騙すつもりで近づいてきた王子が彼女に指一本触れなかったり(←)
もう、なんちゅうか、いちいち話のツメが甘~い!
とわたしがプロデューサーならダメ出ししそうな雑な話なんですよ。

子供だってその辺の辻褄の合わなさというのは気付くよ。
子供は大人が思っているほど子供ではありませんから。

でまあ、あのヒットはつまり「レリゴー」始め音楽の力がほとんど、とわたしは断言してしまうわけですが、
この「ベイマックス」、話の緻密さと、子供にも受け入れられる明快さ、キャラの可愛さ、
しかも鉄腕アトムがそうであったように、ベイマックスが

「決して人を殺すようにプログラムされていない」

ということが大きなストーリーのコアとなっているあたり、
実に道徳的にも教訓となりうるストーリーではあります。

ではこれがヒットするか、というと・・・しないんじゃないかな。
その理由。

1、プリンセスが出てこない。

2、主人公が男の子、しかも日本人である。

3、テーマソングが日本の歌( AIのSTORY)である。



でも、能力という点でいえば、ベイマックスの「ヒロ」は天才的な才能を持っているけど、
それを怒りのパワーで
とんでもないことに使おうとして、ベイマックスに「癒され」自分の間違いを知るわけです。

エルサもヒロも自分の能力の正しい使い方を愛によって知る、というのは
映画の完成度に天と地ほどの差はあれど、これもまたディズニーらしい落としどころではあるとは思います。


ところで、日本にアンブロークンは入ってこないという話もありますが、
中国で日本人が主人公のベイマックスは果たして配給されるのでしょうか。 

アンブロークンの「ブロークンな」内容より、ベイマックスの汎世界的な価値観に
より共鳴する中国人だって全くいないわけではない、とわたしは信じたいのですが。