ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

海軍兵学校同期会@江田島~賜さん館とダンディ

2014-12-06 | 海軍

前回のこのシリーズでご紹介した「水交館」。
一般公開されておらず、このような海軍兵学校関係の催し以外では
近くで見ることもできない貴重な機会を得て見学してきました。

インターネット検索すると、中には

「水交館で自衛官のお手前によるお茶を頂いた」

という羨ましい報告(!)もあるにはありましたが、
そういう特殊な訪問でもなければ、出て来る写真はHPの公式写真か、
さもなければ

「特別に頼みこんで?撮らせてもらった」
「敷地外(裏山←うらやましくない)から撮った」

という曰く付きのものがほとんど。
しかし、皆さん、こんなもので驚いてはいけない。
水交館でもこれほどレアなのに、今日お話しする

”賜さん館”

は、さらに秘密のベールの奥にあり、なんとこの日エスコートした
幹部学校卒士官ですら

「実はわたしもここに来るのは初めてなんです」

と感慨深げに言ったくらいです。
ちなみに皆さん、「賜さん館 江田島」で画像検索してみてください。
該当する建物は全く引っかかってこず、わりと上位に
当ブログの記事「あゝ江田島羊羹」の挿絵なんかが出るだけですorz

「水交館」は非公開とはいえたまーに見ることの出来る人もいるが、
こちらはほぼ実質的に内部ですら秘匿されているらしいのです。

どうしてこのような非公開の建造物を我々が見られたかについては、
おそらくですが、当同期会が今回を以て解散するということから、
海自が特別に見学を取りはからってくれたのだと考えます。

それにしても、一体どういう理由でこの建物を
一切公開しないことにしているのでしょうか。



自衛隊の幹部候補生は着任第一日目に学校内の関連施設を巡る
「校内旅行」によって江田島を見学して歩くそうです。
その行程には「八方園」があり、日本の各地の方位を示した
「方位盤」もこのとき見ることになっています。



兵学校時代、たとえ親が危篤であっても海軍に奉職した身である生徒は
帰ることができないときにはここで故郷の方角に祈りを捧げたといいます。


幹部候補生、術科学校生、つまり
現代の海軍軍人である彼らですら、
旧海軍軍人の念の残っているに違いない
この場所に来ると、
気分が悪くなったり脚が重くなったりして、

「拒絶されている」と感じる者が必ず現れると言います。

そんな特別な場所を、一般の観光客に公開しないのは当たり前ですが、
「賜さん館」は、八方園とは別の理由で秘匿されているようなのです。


そもそも「賜(し)さん館」という建物の名称です。

まず「賜さん」って何なんでしょう。
「さん」に相当する漢字はおそらく旧字体なので表記できない、
というのはわかりますが、それでは「しさん」って何、
と調べてみても、相当する単語は見つかりません。

第一術科学校のHPにすら建物の説明も写真もないのですから、
その正体については外部には明らかにされていないということです。

わたしの持っている「海軍兵学校沿革」は、詳しい歴史の記述
(何年にどんな先生を海外から招聘していくら払ったとか、
生徒の誰々が不適格な行動により免生徒になったとか)
はなぜか大正8年までで、あとは成績順の卒業名簿、
というものなので、この建物については述べられていません。

その後国会図書館まで調べに行ったところ、賜さん館は

昭和11年、昭和天皇のご行幸を記念して建てられた

ということが判明しました。 



兵学校写真集から、昭和11年の天皇陛下ご行幸の写真を探してきました。
兵学校64期から67期までが在学していた時代です。
写真は教育参考館前の石段で、陛下はこれから観兵式に向かわれるところです。



呉到着の際の陛下。
目的は海軍兵学校のご視察でした。

 

校内の奉迎の様子、と写真のキャプションにはあるのですが、
(毎日新聞社発行・江田島)
海軍軍人だけでなく、紋付袴の一般人(子供)も随所に見えるので、
校内ではなく呉市内ではなかったかと思われます。


正確な日にちは昭和11年10月27日。
陛下はお召し艦愛宕にてご行幸遊ばしたとのことです。

この日付から考えて「賜さん館」は陛下の校内での御座所として、
ご行幸に合わせて前もって建てられたということです。



陛下の御為に建てたものであれば、その後うかつなことに使えませんし、
かといって使わずに傷ませてしまってはよろしくない。

しかも、この建物の建築費用は「陛下の私費」から賜ったという理由もあり、
戦後はこれを維持しつつも「アンタッチャブル」のまま現在に至る、
というのではないかというのがわたしの推理ですが、皆様どう思われますか。 



さて、その賜さん館に向かっては、水交館から坂を上る形で

歩いて行きます。
わたしたちには何でもありませんでしたが、80半ばの方々には
結構こういう行程はきつかったようで、後でお話しした方は

「今日はさんざん坂道を歩かされて疲れた」

とぼやいておられました(笑)

それにしても、賜さん館に続くこの道の風情、いかがですか。
今時こんな道があるだろうかという舗装されていない道。
おそらく陛下はこういうところも車で行かれたことと思います。





この道の途中に、このような小さな建物がありました。

まるで戦前にタイムスリップしたようです。
江田島の中そのものが時が止まったように変わらない中で、
壮麗な講堂や教育参考館などとはまた違う、「当時のままの空気」が
そっくりそのまま凝固しているような空間です。 


皆ちらっと見るだけで無関心に通り過ぎましたが、

わたしは目を爛々と輝かせ、建物に見入りました。

警衛の隊員が敷地に入らないように前に立っていましたが、
それがなければ近づいて行ったかもしれません(笑)

これ、なんだと思います?
まず注目していただきたいのが家の横に停めてある車。
自家用車ですね?(公用車ではなく)

わたしの聴き間違いでなければ、ここは幹部学校か術科学校の
誰か偉い人(ぼかしてます)の居所であるらしいのです。
二棟ありますが、おそらく右の方は昔の方式で言えば「御不浄」?

一軒家とはいえ、どう見ても仕切りのないワンルームのようですし、
窓ガラスの内側にはロッカーなど使われているものが見えていても
カーテンがないところを見ると、寝起きしているわけではなさそうです。


今になってこれが何なのか気になって仕方がないのですが、来年、

あらためて術科学校訪問が実現したら、そのとき聴いてみます。



賜さん館のまえに到着しました。
タイルと花崗岩があしらわれた白とクリーム色が基調の外壁、
屋根の瓦は薄いグレーでアクセントにはエメラルドグリーンが配され、
全体的に大変モダンで瀟洒な雰囲気の漂う建築です。

桁行き11間、梁間5間の木造平屋建てで、外壁は小口タイル張り、
基礎は花崗岩で作られています。



賜さん館の建っている敷地を「踊り場」だとすると、

ここからさらに上に上がって行く坂道が始まるのですが、
その「入り口」である鉄扉の門柱だけが残されていました。

この上にあるのは高松宮邸だけで、宮様が御在所のころには
この鉄扉は閉ざされ警衛が立っていたものと思われます。



中に入ってもいい、と言われて何人かが入りました。

外装のアクセントに使われたペールグリーンと同色の敷物が
真ん中に敷かれていて、ここは踏んでも大丈夫だとのことです。

まず、画面左手の壁面に御注目下さい。
大講堂の台上中心にも同じ仕様が施されていますが、
これは玉座の置かれる御辺り。

なるほどー。

この玉座仕様あらばこそ、賜さん館は一般公開されず、今でも
ゆめゆめヨガ教室などに使用できないというわけですね。
でも、いかにもダンス教室に使われそうな大鏡が二つもあって、
これは一体何の目的なのだろうと考えてしまいます。

それにしても床は見るからに張り替えられたばかり。
部屋の雰囲気を壊さないような大型クーラーも入れられ、
ここで何かフォーマルな行事が行われたのかと思われます。



ちなみにこれが改装前。
なんと、突き当たりは左が鏡で右は小さなドア。
ここを窓にしてしまったんですね。

天井はなんと蛍光灯が吊られています。
当初はもちろんシャンデリアだったはずですから、
この辺りは「復刻」したのでしょう、



窓も腰高で、床は組み木。



玉座部分。
ここにデザインの変更はなされていないようです。




普通の施設ならウェディングパーティなんぞに使われそうです。
その気になればかつて兵学校の生徒が卒業式の後にやったように
ガーデンパーティができますし、現在でも水交館の庭では
行われていると聴いたこともあります。
が、ここに限ってそんなことにはなりますまい。




昭和11年当時、超モダン建築だったに違いありません。

モチーフとして何度も現れて来るがアクセント。

鎖の留め具はよく見れば菊の形をしているので、もしかしたら戦前
中央の大きな丸い部分には菊の御紋が入れられていたのではないでしょうか。

進駐軍の時代、おそらくここではそういうものを排除して、
畏れ多くも(笑)ダンスパーティなどが行われていたのかもしれません。



こうして見ると、雨樋や軒の部分などは 新たに、
しかも最近作られたような感じがしますね。
彫刻を施した優美な軒下飾りは当時のものでしょう。



出入り口の両脇と同じ「隅石」。
これがため、石張りのように見えますが、実は偽石です。
軸組みが木造であるため、左官仕上げによってこのように
「演出」したものだと考えられています。

窓の下部の窓台は石材で、大変丁寧な仕上がりとなっています。

建物の裏に停めてある自転車にも注目。
なんと、色を合わせており、建物の外観に溶け込んでいるような?

このエメラルドグリーンはやはり「海軍」ならでは。

ついでに、床下の通風口にかぶせられた鉄の格子にも注目。
美は細部に宿る。
さすが陛下の御座所として造られただけあって細かいところも
神経が行き届いたデザインとなっています。

東京目黒の庭園美術館(わたしはここが大好きでよく行きます)には、
アールデコの名作、朝香宮邸が現存しますが、この賜さん館は
同じ宮内省内匠寮が設計しています。



ここと反対側、つまり水交館の場所から見上げた賜さん館。



ところで、余談です。

賜さん館の見学を終わり、この後我々は坂を上って
高松宮邸を見学するのですが、終わって帰ってきたら、
賜さん館の前に並べられていたパイプ椅子でさり気なく
座って休憩している元生徒。



この方、生徒さん達の中でも際立って若く見え、

矍鑠と言う言葉さえ失礼なダンディさんでした。

皆さん、この方80歳半ばに見えます?


ダンディなので、たとえ歩いて疲れてしまっても、
へたり込んだりなさらず、脚など組んでダンディに休憩なさっておられます。



というわけで、この方はこちらの紺ブレチノパンの元生徒と共に
この日のダンディ・ツートップ賞に(わたしの中で)輝きました。

お二人に共通するのはどうやらゴルフがお好きだったらしいこと。
(前者は持っているカバンから判断、後者はネット検索で判明)


同じ年代の集まりにおいて、次第に若さに個人差が出て来るのは当然ですが、
それが何によって決まるかというと「如何に歩いているか」ではないか。

クラスの半分が既にあの世へ旅立った中でのダンディ・ツートップを
興味深く観察させていただいて立てた仮説です。




続く。 

 


磁気掃海具〜日向灘・掃海隊訓練

2014-12-06 | 自衛隊

掃海母艦の見学が続いています。
艦橋を見学した後は、一度甲板レベルまで降りてきました。



後部甲板に向かって高速で移動していく案内の副長の図。
っていうか、夜なのですこしでも動いているとぶれてしまうわけですが。

そこで目の前に現れたジャイガンティック (gigantic)なリールに驚愕。
これはウィンチというのでしょうか。それとも普通にケーブルドラム?

夜間のせいか見たところ何もありませんが、写真を検索すると
たまに発見されるこの巻き取り機には、黄色いホース状のケーブルが巻かれています。 

デリックに吊られている救命ボートは普通の護衛艦より大型のような気がしますが、
気のせいでしょうか。

 

副長が次にご案内くださったのは後部甲板。
折しも何やら作業の真っ最中です。

甲板の向こう側に防眩物が見えますが、これは接岸用ではなく、
子供の掃海艇などと接舷するときのためのものだと見た。



何を見せてくれるのだろうと思っていたら、なんと副長、

「甲板のエレベーターで
下の階に降ります」

甲板の中央にあって、ヘリコプターを載せるにはやや小さい、
(というか乗らない)ほぼ正四角形のエレベーター。

先ほど搬入されたジュースとともに甲板からエレベーターに乗って降りたばかりですが、
一般見学者にとってはもうワクワクです(アトラクション的に)。

またもや脳内を「サンダーバードのテーマ」が鳴り響く中、エレベーター稼働。



これは、エレベーターがちょうど甲板部分を通過しているところ。
複雑に絡み合ったパイプ、無数のダクト、何一つとして無駄な部分はありません。



ここが甲板下の格納庫。
艦艇一般公開などでは決して見られない部分です。
手前の黄色いリールは掃海具の曳行用電源だと思われます。

甲板の大きな巻き取り機もそうですが、掃海という作業、何しろ
巻き取るもの=索をふんだんに使うのです。

対機雷戦には大まかに分けて、


機雷掃討・・機雷のそばで別の機雷を爆破させ処理する

係維掃海・・錘の先に付けられて海中に浮遊する機雷の糸(維)を切断し、
(けいい)  海面に浮かび上がらせたのち処分する

感応掃海・・磁気機雷に対し、ダミーの磁場を発生させて自爆させる


という三種類の方法が現在行われています。
機雷の種類とその機能によって処分の仕方を変えるわけですが、
このいずれの方法をとったとしても必要となってくるのは「引っ張るもの」=索。

機雷探知機にも、先日お見せした黄色い掃海具にも電源とデータ通信用を兼ねた
長い索がついていますし、係維掃海で機雷の糸を切断するためのロープは
艇から二股に別れたカット用の索を使います。


掃海隊HPより

そして、感応機雷をやっつけるには、掃海索という「船のふりをするための」
曳行具を引っ張る索、そしてダミーの発音をする発音体を引っ張り電源を供給する索が。




つまり、どの方法であっても「索」を必要とするので、掃海母艦にも掃海艇にも
このような巻き取り機がいたるところにあるわけです。 

まるで小学生のような観察ですが、(小並
掃海については訓練見学の報告の際にもう少し詳しくお話しすることもありましょう。



で、ここにも床のあちこちから鎖で固定されている巨大リールがあるわけですが、
これは何のためのもの?



この前に立った時に、ふと「ジングルベル」が脳裏をよぎったわたし。

なんだろう・・・イメージ的にどうしても「トナカイが引くサンタのソリ」
という言葉が浮かんできて仕方がないんですが、その決定的な理由は、
ソリの上に載っているこの赤い物体が、どうにもトナカイのツノみたいだから。

もちろんそんなことは口に出さずに、説明を聞きながら頷いておりましたが。

というわけで、これはMK-105磁気掃海具といいます。
なんと、ヘリコプターに引っ張ってもらってお仕事する掃海具なんですね。
で、この赤いツノは何かと言うと、ヘリコプターに曳行されている時に
抵抗を減らすための水中翼だそうです。
フロートで海上に浮くはずなのに、その上にあるツノが「水中翼」とはこれいかに。
と思ったのですが、よく見たらツノごと外側に向かって倒れるようになっています。
これ、もしかしたらフロートの真下まで倒れるのかな?

これが実際どのように曳行されるのか、動画がないか探してみましたが、
もしかしたら特定機密にあたるのか全く見つかりませんでした。

ところでこの掃海具のメインは、フロートの上に神輿のように担がれているもので、
これがエンジンであり発電機でもあります。

先ほどの「感応機雷」の理屈と同じになるかと思うのですが、これで発電した電流を
電線ケーブルに流して海中に磁場を発生させる事により、敷設された磁気機雷に
「船が通った」と勘違いさせて爆発させるわけです。


実際はヘリに曳行されたこのソリ(じゃないけど)が、さらに電線で
磁場を作っているだけなので、爆発させて処理をすることができるというわけ。


掃海母艦に搭載して現場まで運び、海に下ろしてからヘリがこれを曳行します。
ヘリと索で繋いでから海に降ろすのか、それとも
海に下ろしてから結索するのかどうかまではわかりませんでした。

曳行するヘリは掃海ヘリであるMH-53Eです。
このように航空機によって曳行する掃海具を「航空掃海具」といいますが、
航空掃海具には他に、

バーモアと呼ばれる係維掃海具Mk-103

ベンチュリーと呼ばれる音響掃海具Mk-104

があります。



掃海具格納庫からみた甲板。
いまわたしはMk-105とリールの間に立っています。



ふと甲板上の乗員を見ると、何もせずにこちらを見ている様子・・・。
もしかしたら、わたしたちが見学をしているためにお仕事ができないのでは?

ただでさえ非常識な時間に見学を強行していただいた上、
作業を中断させてしまったのだとしたら、これは申し訳なさすぎる。

後からミカさんに聞いたところによると、わたしたちが後甲板にいったとき、
やはり乗員の皆さんが何か作業をしていて、副長が

「エレベーター動かして」

とオーダーすると、現場の隊員が

「今電源を何々に使っていて(エレベーターを動かせない)」

といったそうなのですが、にもかかわらず副長は鶴の一声で
電源を切り替えさせて(たぶん)動かしてくれたというのです。

わたしはそれを聞いていなかったので、後からこの写真を見て恐縮しまくりました。
もちろんわたしは海上自衛隊の偉い人から、さらに掃海隊の一番偉い人を通じて
この訓練を見学させてもらっているわけで、決して副長が自分の利益のため、
ぶっちゃけて言えば仲のいい人にいい顔をするために中を見せているのではありません。

ですが、時間がイレギュラーすぎたことと、わたしの風体がどう見ても政治家とか、
地域の有力者とか、そういう「無理を言われても仕方ない相手」には見えないことで、
もしかしたらそのせいで
副長が誤解されたりしなかったか、今でも気にしています。



しかもエレベーター下ろしている間は夜なのにこんなロープまで
当直士官が張ってくれていたと・・・。

あああ、やっぱり作業していた人、エレベーターが上がるまで何もせずに待ってるよお。



うーん、この電源と関係あったのかな。
しかし、この話を後で聞いて思ったのは、やはりフネというものは、いちどきに
電気を同時にあっちこっちで使うことができないようになっているらしいということでした。



このあと甲板レベルの格納庫の中も見せてもらいました。
信じられない長さの細いロープが、絡まない方法で束ねてあります。

そしてここにももう一基の掃海具MK-105が。
こちらには「2」とあるのですが、下の子が「1」なんでしょうか。
横の黄色い物体は下にもあった巨大リールだと思います。

というわけで、このとき後甲板で作業していた乗員の皆様方。
その節は本当に(文字通り)お邪魔致しました。<(_ _)>



続く。