アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

40年ぶりの巨人出口王仁三郎

2023-04-14 12:18:33 | 古神道の手振りneo

◎在家の菩薩が道を説くようにならな、みろくの世はこない

(2017-12-17)

 

40年ほど前の学生の時に、『巨人出口王仁三郎/出口京太郎』を読んだのが、私と出口王仁三郎の出会いだった。それ以前に高橋和巳の邪宗門を読んだのだが、あまりピンとは来なかった。

 

これ以後、大本神諭の天の巻、火の巻を大学図書館で閲覧したが、内容があまりにも世紀末的なのにドキドキしたことを覚えている。

 

大本教の信者であったことはないのだが、大学生の一時期霊界物語をいつも一冊持ち歩いて外出時にも霊界物語を寸暇を惜しんで(それなりに忙しかった?)読み進めた時期もあった。

 

いま巨人出口王仁三郎を読むと、内容があまりにも濃厚、かつ出来事の分量も膨大すぎて、通常の偉人でいえば、30人前くらいの仕事を一生でこなしている印象がある。

 

まして出口王仁三郎の周辺知識を持たない学生がこれを読んでも、まともに理解できるのは、超能力のところと、二度にわたる教団への弾圧のところくらいだったろうと思う。

 

出口王仁三郎を理解する道具立てとしては、

1.明治維新の薩長米英仏主導の経緯

2.出口王仁三郎の有栖川宮ご落胤説

3.明治天皇も西郷隆盛も写真がない理由と孝明天皇、14代将軍家茂の早世の原因

4.軍部、右翼、皇族との関係

5.戦後の大本系新興宗教教団(神道天行居、生長の家、世界救世教、三五教など)の隆盛と日本会議への流れ

6.国家神道の発展と解体

7.薩摩出身の古神道家本田親徳との出会い

8.チャネラー出口ナオ

9.二度の大本教弾圧事件

10.信者への帰神メソッド(チャネリング)の放棄

11.七福神の位置づけ

12.第二次大本教事件前夜に教団のご神体をすり替え、それを笹目秀和をして崑崙山中に返還せしめたこと。(巨人出口王仁三郎にすり替えシーンの記述がある。また笹目秀和の「神仙の寵児」はその経緯である。)

13.昭和神聖会

(対石屋姿勢の転換)

14.古事記復興としての霊界物語と日本の予言である瑞能神歌

15.戦後世界の未来のプロトタイプとしての第二次大本教事件

16.霊界宇宙の呈示(霊界物語)

17.言霊の大要の呈示(霊界物語)

18.死の技術としての古神道再提示(出口王仁三郎は六度死ぬ

19.超能力の使い過ぎ

(アストラル・トリップ、自動書記、霊縛、透視、未来予言、念力、他心通)

 

今の学生さんや若い人に必読書を挙げるとすれば、次のようなところだろう。

 

・巨人出口王仁三郎/出口京太郎

・モンゴル神仙邂逅記/笹目秀和

・霊界物語

・新月の光/木庭次守

・道の大原

・瑞能神歌

・出口王仁三郎全集全八巻(国会図書館デジタルアーカイブからダウンロードできるやつで天声社)

・惟神の道(国会図書館デジタルアーカイブ)

 

『巨人出口王仁三郎/出口京太郎/講談社』の中に「在家の菩薩が道を説くようにならな、みろくの世はこない」(上掲書P311から引用)という出口王仁三郎の発言がある。

 

在家の菩薩とは、在家で神知る人、仏知る人で悟った人のことである。

 

平素から坐るようにならないと。コンビニのお兄さんお姉さんも坐る時代にならないと。

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不動金縛り

2023-04-14 12:11:38 | 超能力・霊能力neo

◎幽霊も怖じ気づく

(2006-05-19)

 

1.ねずみ篇

 

元禄の頃、鎖鎌の名人正木弾之進が幼少の頃、ねずみがガリガリと襖をかじる音で、しばしば眠りを妨げられた。一夜布団から出て、坐を正し、ねずみが出て来る方を一心ににらみとおしていたところ、その夜はついにねずみが出てくることはなかった。

 

長じて修練を積んだ結果、梁を走るねずみに気を凝らすと、ねずみが気絶するほどになったという。

 

明治の剣豪山岡鉄舟も、ボロ家で坐禅を始めると、それまで走り回っていたねずみの足音がピタリとやんだという。

 

2.清水の次郎長篇

 

侠客(ヤクザ)の清水の次郎長がある時、山岡鉄舟に

「先生、剣術なんて何の役にもたちませんよ。私が素手で、この野郎とにらみつけるとたいていの奴は逃げてしまいますぜ」と自慢すると、

鉄舟は、「そうか。ならばお前のその長ドスで、俺に切りかかってこい。俺はその木刀で相手をしよう。もしかすり傷でも受けたらお前の勝ちだ。」と立ち合いを促した。

 

さて切りかかろうとした次郎長は、「だめだ先生。手足がすくんでしまうようだ。どうしたわけでしょう。」と言う。

鉄舟は、「何、お前が「この野郎」と言って相手をすくませるのと同じことだ。」と言って「眼、光輝を放たざれば、大丈夫に非ず」の一書を与えた。(鉄舟は金がなかったが、謝礼として書をよく与えていた。)

 

3.幽霊篇

 

大本教の出口王仁三郎は、幽霊にエイッという言葉を発して、霊を金縛りにかけるのはお手のものだった。人間にも気合が効くのだから、幽霊にも霊縛が効くのは当たり前か。

霊界物語にもしばしば、手に合わない相手(霊)をエイッと霊縛するシーンが出てくる。幽霊は既にエーテル体は失っているのだろうから、この手の技は、アストラル体レベルでも通用するということなのだろう。

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累卵の危険な時期

2023-04-14 12:05:16 | 時代のおわりneo

◎瑞能神歌の二段目など

(2016-12-30)

 

オバマ大統領のレームダックは2017年1月19日まで、同時に朴槿恵大統領は職務停止中であり、北朝鮮にとっては千載一遇の時期となっている。

 

こうした折柄、出口王仁三郎の未来予言の中核は、瑞能神歌である。その中でも昔から注目を惹いているのは二段目三段目のところ。

 

叙述は日清戦争、日露戦争、大東亜戦争(5年にわたる世界戦)と進む。

 

戊午年に初段となるが、将来する戊午年は2038年であって、戊午は年干支の戊午ではなく、戊午の示すシンンボリックな年を指すものと思う。騒擾、日本にとっての最終戦争シリーズのスタートである。

 

二段目は東天から襲う空襲。二段目に具体的描写がないのは、あまりひどくてよう言われんわいとのことで、その惨禍の程度が想像される。

 

三段目は、一厘の大逆転の仕組みの具現で、至福千年、弥勒神世が到来する。

 

現代は、初段以前に位置し、戊午となるのを待っている状態。戊は土であり、午は火。戦争をやりたがるリーダーが各国に出そろうのを戊午と見る。世論が政治によって高度にコントロールされている現代ではあるが、民心が戦争に向かっているかどうかを観ることで、時代の戊午度合いを測ることができる。

 

出口王仁三郎はこれを大正年代に発表したが、この悲劇が現実化しないように努力を傾注してきた。聖者の出してくる未来予言とはそういうもの。当時から見た現代はその様相より悪化している可能性を否定できないところもあるし、逆に神は人間に成熟の猶予を与え給うたという両面を感じる。

 

 

『綾の高天に顕れし、国常立(くにとこたち)の大神の、神諭(みこと)畏(かし)こみ謹みて、厳(いづ)の御魂と現はれし、教御親の神勅(かみこと)に、日清間の戦ひは、演劇(しばい)に譬えて一番叟、日露戦争が二番叟、三番叟は此度の、五年に亙りし世界戦、

 

龍虎相打つ戊の、午の年より本舞台、いよいよ初段と相成れば、西伯利亜(シベリア)線 を花道と、定めて攻め来る曲津神。力の限り手を盡し、工夫を凝らし神国を、併呑(ひとのみ)せんと寄せ来たり、

 

天の鳥船(とりふね)天(そら)を蔽ひ、東の空に舞い狂ひ、茲(ここ)に二段目幕が開(あ)く。

 

三段いよいよ開く時、三千餘年の昔より、国の御祖(みおや)の選まれし、身魂(みたま)集る大本の、神に仕えし神人が、御祖の神の給ひたる、日本心(やまとごころ)を振り起し、厳(いづ)の雄猛(おたけ)び踏み猛び、厳の身魂を元帥に、瑞の身魂を指揮官に、直日の身魂を楯と為し、何の猶予も荒身魂、爆裂弾の勇(いさぎ)能く、神の軍(いくさ)の奇魂(くしみたま)、奇しき勲功(いさお)は言霊の、天照る国の幸魂(さきみたま)、言平和(ことむけやわ)す和魂(にぎみたま)、

 

魂の助けの著るく、轟く御代を松の代の、四十有八(よそまりやつ)の生御魂、言霊閣(ことたまのや)に鎮まりて、四方の国々天の下、治めて茲に千早振、神代ながらの祭政一致(まつりごと)、開き始めて日の本の、現津御神(あきつみかみ)に奉る、常盤の御代ぞ楽しけれ。』

(雑誌神霊界大正7年2月号P11/瑞能神歌/出口王仁三郎から引用)

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出口王仁三郎の七福神

2023-04-14 11:56:21 | 究極というものの可能性neo

◎七福神の楽遊び

(2016-03-14)

 

出口王仁三郎は、七福神をことのほか重視し、その七柱にそれぞれ自ら扮装して写真まで撮影させている。現代に伝えられる多くの神話、神劇の最後に至福千年の到来が描写されているが、それに倣ったもののようだ。

 

この時代は、人間にとっては悲劇である世の大峠に向かう時代であるが、泥海を経て幸運にも生き残れば、千年王国ならぬ七福神の楽遊びの時代が到来する。

 

出口王仁三郎の随筆から

『七福神は神のあらゆる美徳をあつめたものである。

 

 これまでの大黒は仏の大黒天のことで、大黒主のことである。

本当は素尊の御子大国主命のことである。

大国が槌をもつてゐるのは土地開発の意味である。

 

 恵比須が鯛を抱へてゐるのは、国体保護の意味である。

 

 寿老人は長寿を表はしたものである。

 

 福禄寿は長者をあらはし、人を支配するのである。頭の長いのは頭の象徴である。

 

 布袋は太腹で杖をもつてゐるのは、人を指揮することを意味してゐる。

 

 弁天は芸術の神である。それで琵琶をもつてゐる。

 

 毘沙門は武力を表はしたものである。』

(玉鏡/出口王仁三郎から引用)

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聖ドナトゥスのエクソシズム

2023-04-14 11:51:57 | キリスト者の秘蹟neo

◎別の出口を作る

(2016-10-31)

 

聖ドナトゥスは、古代ローマのキリスト教の聖者。皇帝テオドシウス一世の皇女が悪霊に取りつかれてドナトゥスのところに連れてこられた。悪霊は、十字架から火が出るドナトゥスを恐れ、出口を作ってくれないとどこから出たらよいかわからないという。

 

聖ドナトゥスは、皇女に出口を作ってやったところ、悪霊は皇女の体から出て、教会の建物全体を震わせながら逃げていったという。

 

憑依には3種あるが、このケースはすでに憑依されていたので、ルートはあった。シャクティ・パットは口を作ることだともいうので、ここで作った出口はもともとあった口とは異なるものだったのだろうか。

 

またこの話には、この皇女が再び悪霊に憑依されなかったかどうかは書かれていないし、その後の彼女は幸福な人生を送れたかどうかも書かれていない。

 

聖人の奇跡譚ならば、これで十分だが、疑い深い現代人はこの話だけでは納得すまい。

 

大本教が大正時代以前に盛んにやった帰神という憑霊実験は、低級霊が多数憑依しさんざんだったし、最近ではオウム真理教の道場で似たようなことが起きていたことも伝えられている。

 

これだけあらゆる洗脳手法と余計な情報のある中で、こうした悪霊追い出し譚はもはや牧歌的とさえ思われる。霊能霊感のあることと悟りは全く関係ないことを熟知している現代人は、もはやこうした憑依霊追い出し話だけでは食い足りないだろう。

 

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幽斎と顕斎の混合

2023-04-14 11:47:05 | 古神道の手振りneo

◎神像も神社もなく

(2017-03-27)

 

出口王仁三郎のマスターである本田親徳の道の大原から

『幽斎は霊を以て霊に対し、顕斎は形を以て形に対す。

故に幽斎は神像宮社無し、而して真神を祈る。

顕斎は神像宮殿有り、而して象神を祭る。俗学蒙昧にして古義を知らず、混じて以て一と為し、岐して以て万と為し、底止する所無し。実に祭儀の大疵なり』

 

古神道では、幽斎と顕斎を分ける。幽斎では、「霊を以て霊に対し」とは、祭祀に形がなく、神像も神社もなく、大神のみを祈ることを言う。

 

これに対し顕斎では、「形を以て形に対す」とは、神像も神社もあって祭祀にも決まった形があることをいう。

 

ところが、世の中にはこの基本を知らず、まぜこぜにしている神社があるのは、祭儀の疵(きず)になっていると、本田親徳は指摘する。国家神道などは、その典型だったのだろう。

 

およそ物事の初めには不思議な力が宿っているものなので、最初に出す言葉は慎重にせねばならないし、祭儀もいわば最初に出すパフォーマンスなのだから、慎重にせねばならない。

 

道の大原では、「神界の中は、無形之中なり也。その中は測ることができないので、言葉をまぜる勿かれ」と。この中は、未発の中のこと。

 

参拝客を増やすのには、わかりやすい拝殿やら大祠、小祠があったほうがよいが、それでは信仰の半分に過ぎず、不足している。

 

この時代の人間が悪くなりすぎたせいか、帰神は、冥想テクニックとしては棄てられ、今や鎮魂だけになった。鎮魂で幽斎が、古神道のメイン・ストリームなのだと思う。

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薩摩と長州

2023-04-14 11:25:29 | 時代のおわりneo

◎国家神道から無神論へ

(2015-07-18)

 

薩摩と長州の評価について昔はさほど関心を持つことはなかったが、NHKの大河ドラマ八重の桜で初めて会津の側からの維新を知って、戊辰戦争の経緯がわかり、また薩長土肥礼賛でない維新の見方があるのを知った。

 

あの出口王仁三郎ですら、当時の政権が、薩長系であることからズバリ名指しの批判はできず、『サツマ芋や丁子が荒らしてきたのだから、跡の整理も荒らした者がする責任があるにも拘わらず、雲にかくれて首を出さぬ大熊の卑怯さ、これも自業自得とは云ひ乍ら、能くも行き詰まったものだ。

 

俗謡に「後の始末は誰がする鬼が出てきて始末する」何だか肩が凝るような、我々は思ひがするのである。』

(雑誌神霊界大正8年11月1日号「随筆」から引用)

 

つまりサツマ芋が薩摩で、丁子が長州なのだが、これだけでもわかる言論弾圧の恐ろしい時代ではあった。後の始末の鬼とは、出口王仁三郎のことだから肩がこるという。

 

出口王仁三郎は、『薩長は日本を荒らした』(新月の光(上)/木庭次守編P323)と評価しており、明治維新から150年も経とうとする今になってすら、維新時と同様に英国の大きな日本への支配力をうかがわせる、新国立競技場の高額建設費問題(設計者は英国在住のイラク人と称する人)が起きている。70年前日本は米英と戦い再び(長州は下関戦争でイギリス・フランス・オランダ・アメリカの四か国連合に敗れた)敗れたが、今に至るも米英の支配権は健在なのだなと推察される。

 

安倍政権も長州系であり、伊藤博文以来の長州系は必ず政権の近くにいる。天皇現人神での国家神道で日本を荒らし、戦後は無神論で荒らし、跡の始末は誰が考えているのやら。

 

“自分自身”で始末をつけるのだろう。

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日本人が知っておくべきこの国根幹の重大な歴史

2023-04-14 11:21:16 | 古神道の手振りneo

◎出口王仁三郎の出自など

(2016-04-27)

 

「日本人が知っておくべきこの国根幹の重大な歴史/加治将一・出口汪/ヒカルランド」は、ヒカルランドでは珍しいハードカバー本。

出口王仁三郎フリークとしては、出口王仁三郎情報を収集すべく見てみた。

 

出口王仁三郎の有栖川宮ご落胤説を丹念に追っている。ただし、クンダリーニ・ヨーギとしての出口王仁三郎については何の言及もない。出口王仁三郎は、神人合一し、肉体死を体験すること6度に及んだわけだが、そのことについて有栖川宮ご落胤は主たる条件だったかと言えばそうではあるまい。

 

彼は六神通のうち天眼通、天耳通はほとんど常時使用している人物であった。

神と常時コンタクトしながら社会的活動を遂行するというのはまことに稀有なことであり、出口王仁三郎を語る本来的な重心はそこに置くべきだろうと思う。

 

彼が人と会うとその人の守護神がその人の来歴を報告に来る。加えて、人によってはその人の人生上の重要シーンをビジュアルに見せてくれる。そうしたブリーフィングを受けた上で人に会うのだから、相手はたまったものではないだろう。でも神人というものはそういうものだろう。

 

出口王仁三郎は、昭和10年から昭和17年まで収監されていたので、世間的にはこの時期隠されていたのであるが、昭和10年の第二次大本事件までで、出口王仁三郎の社会的ご神業は完遂した。

 

新月の光という本に出口王仁三郎が出征兵士へお守りを渡す話が複数出てくるが、昭和17年8月の出所以後のことなので、昭和16年の開戦以前から日本の敗戦を見据えて出征兵士に対応していたわけではない。

 

出口王仁三郎の求道の師としては、静岡県清水の稲荷講社の長沢雄楯がいるが、力量的には、出口王仁三郎の方が上であり、師らしい師について修行していないのは、こうした実力派クンダリーニ・ヨーギには時々あることである。肉体のある師かどうかは別ということがあるようなのだ。

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日本の三度のgreat change

2023-04-14 11:14:58 | 時代のおわりneo

◎国産革命と外国勢力による革命

(2016-08-16)

 

日本の立替立直を考えるには直近三度のgreat changeが参考となる。最初は、信長、秀吉、家康と続く、宗教も含めた立て直しの時代、そして明治維新、三度目は、先の敗戦。

 

明治維新については、最近次々と明らかになっているところでもあるが、英国と米国のバックアップを受けた20名ほどの若者(出口王仁三郎が20人くらいでやったといい、フルベッキ写真という妙な写真もある)が中心になって、武家と寺(特に禅宗と浄土系)で組み上げた幕府の社会を大改革した。これは西郷隆盛など維新の元勲が成し遂げた大革命ということになっているが、実は外国の脅迫と指導の下に成ったものであって、国産の革命ではなく、実質外国勢力の手になる革命であった。

 

先の敗戦も、これも最近明らかになってきていることが多いのだが、軍部だけが悪いのではなく、国家神道体制、思想言論の統制、天皇の絶対化など舞台装置を整えておいて、ソ連やアメリカ、英国の強力な多方面にわたる影響力の下に、日韓併合、日露戦争勝利、満州国樹立と調子に乗せておいて、最後は対米戦争を仕掛けさせられ、敗戦に誘導されたもの。これも国産ではなく、実質外国主導の革命と言え、この敗戦の結果、GHQ憲法とGHQ皇室典範を戴く、妙な国家に変わってしまった。

 

これら2度の変革に対して、日本人オンリーの力で変革を成し遂げたのは、織田、豊臣から徳川幕府成立までの時期だけ。この時代にしても日本全土が戦乱に次ぐ戦乱となり、関ケ原など大会戦が何度も繰り返され、出口王仁三郎もこれをして血で血を洗う争いを繰り返さなければ変革できなかったみたいなことを書いている。

 

出口王仁三郎は、この国産革命を見て、明治維新、先の敗戦は、外国人の手による荒療治になったとしており、次も外国勢力の手によるものであろうことを暗示している。次は誰にも知られず突然起こるのだろう。第二次大本事件のように。

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冥想道手帳 ダンテス・ダイジ-16

2023-04-14 03:21:01 | ダンテス・ダイジの風光

◎コスモポリタン、冥想教師

 

見神、見仏、見性を達成した者のコース選定の続き。

 

『3・コスモポリタン

 

世界市民ではなく、宇宙市民のことである。

すべての人々は、みんな本来はコスモポリタンとして生きている。

ここでは、悟りの深さとか、個性の優劣とかはまったく関係ない。

君がどのように生きようとも、君は君らしくあればいいんだ。』

(冥想道手帳 MEDITATION WAY MEMOダンティス・ダイジから引用)

 

宇宙市民として、個人の輪廻転生の行方によっては、他の天体に転生することがあり得ると示唆しつつ、他方宇宙全体と一体であることを体験として知っている。

 

『君は君らしくあればいいんだ。』は、彼の初期の説法においては、見神、見仏、見性なしに、単に君らしく生きることでよしとしていた時期がある。これをライフ・スタイルの悟りと呼んでいた。後に、悟り必須の立場に方針転換した。

そこで、この文を読むと明らかに見神、見仏、見性を前提としての『君は君らしくあればいいんだ。』であることがわかる。

 

『4・冥想教師

 

教師は、かくされた自我の表現欲から教師であることはできない。

教師は、教育衝動という名を借りた権力欲によって教師なのではなく、教師として生まれてきたがゆえに教師なのだ。これは、教師になろうとする君の才能とか境涯以前の核芯的問題だ。

 

もし君の天命が教師であるのなら、君の神秘体験が浅かろうと、教育技術が未熟であろうと、そんなこととは別に、君は本当の教師を生きるだろう。』

(上掲書から引用)

 

ここで唐突に具体的職業としての冥想教師が、4つしかないコースの一つという重要な人生コースとして登場してくる。

今の職業として教師をやっている人のことは全く問題にしていない。

次の至福千年では、青少年は学校で冥想を授業で学ぶことになっているのだが、それを教えるのが冥想教師。冥想教師は、万人が神知る時代、すべての人が神知る時代を根底から支える重要な基盤である。

『君の神秘体験が浅かろうと』と体験とは言えない体験を経ていなくてもよいとしている。

そこで冥想教師が天命である人が、本当の教師を生きるのだ。

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