アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

正受慧端-5

2023-04-26 16:25:31 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎その生い立ち

(2009-07-31)

 

正受慧端は、1642年信州松代藩主真田信之(真田幸村の兄)の庶子として生まれ、飯山城主松平忠倶侯に養われていた。正受13歳のころ、城下の曹洞宗大聖寺の奪心禅師の登城した時に、侯の子供達が、禅師に紙を差し出し仏名を書いて頂いていた折り、正受も請うたところ、禅師は「正受には観世音がついておられるので、仏名を差し上げられない」と断られた。

 

正受がその意味を問うと、禅師は「自分に訊いてみなさい、他人に問うてはならない」と戒められた。この時正受は、将来の自分の成道の予感を持つことになる。

 

以後、出家こそしていないが、修行に専念するようになり、しばしば寝食を忘れ、大疑団に集中し、立っては坐ることを忘れ、坐っては立つことを忘れ、城内で行方不明になることも多く、雪隠(トイレ)で発見されることが多かったので、松平忠倶侯は、正受のことを強情な白痴だろうと言うほどであった。

 

正受16歳の時、たまたま2階に上がろうとして、階段の半分位のところで、立ったまま定に入り、階段から転げ落ちて、気絶した。

 

人々が驚いてこれに水をかけて呼ぶと、蘇生して、手を打って大声で笑いだしたので、人々はこれは発狂したのだと思ったが、実は大悟したのであった。

 

その後19歳の時、江戸に出て、菰一つだけで寝たり坐ったりする極貧の、麻布の至道無難禅師について出家した。(いつの世も、極貧が本物のサインであって、豪壮な本部を構えている本物はまずない。マンモンの神は本物には寄りつかない。)

 

大器は、遅くとも思春期のころから悟りのボーダーにいる。思春期の頃から無常を生きているわけだから、生きるのはつらいものだと思う。また部屋住みとはいえ、藩主の子が出家するのはなかなかの覚悟がなければできることではない。

 

実母も長生だったようだから、覚者によくある両親の早世というインパクトがなくても、充分にこの世の思い通りにならぬことを骨身にしみて承知していたから、16歳で大悟したということだろう。

 

飢え死にする危険はほとんどないけれども、いまや小学校でも三分の一が片親家庭、失業率も高く、うつ病の生涯有病率は8人に一人と、充分に不安定な精神の者が大量に出現する時代。物質的にはそこそこで、精神的には不安定、そんな現代の環境は正受の生い立ちによく似ている。よって自覚さえあれば、大悟への道は開けやすいとも言える。

 

衣食住の環境は整い、精神は成熟した。今や待たれているのは、政治でも経済でもそうなのだが、精神世界でも『次世代のビジョン』である。そろそろ出ないと、あらゆるものが混乱のうちにコントロールを失って失速する虞がある。

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正受慧端-4

2023-04-26 16:19:42 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎正受慧端の修行時代

(2005-08-02)

 

1.屋根の下から足を突く

正受は、師家の至道無難に付いて修行を続けていたが、ある日屋根の修復を命じられた。正受が屋根に登ったところで、師家は、下から杖を伸ばして老人の足を突いて、『香厳の樹上の公案はどうだ、さあ見解を言ってみろ、言ってみろ。』と責めたてた。

 

※香厳の樹上の公案:口に枝をくわえてぶら下がっているところで、正しい見解を言わねばならないという公案。言えば枝から落下して大けが、言わねば修行としては不合格。

 

2.師匠の著作を火に投ず

ある時無難禅師が、和文で書いた法語を出して、正受に与えて言うには、「これは、私の睡眠中のたわごとである」。

そこで正受は、これを開いて2~3枚読むと、立ち上がって、炉の中に投げ入れてしまった。

無難が「何をする」と言うと、正受は「老師こそ、何をなさいますか」と答えたところ、無難も黙ってしまった。  

 

 

一人でも半人でも、得道した人間を育て上げるのは、得道した人間の使命であり、かつその育て上げた弟子は、師匠のレベルを上回っていなければならないと聞く。

 

中国古代の聖天子の一人、舜は、やはり屋根の上で、下から火をつけられたが、屋根の上で足を突かれる話は、それに比べると、ましかもしれないが、危機の中に陥れるという点では、十分な鍛え方と言えよう。

 

また、自分の法語を焼き捨てられるのは、師匠として、その場は非常に気分を害したろうが、納得した部分もあったのではないだろうか。師匠のレベルを越えるという意味で。

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正受慧端-3

2023-04-26 16:10:24 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎見性した後の正念ケアが大切

(2005-08-01)

 

見性するのも大変だが、正受慧端ほどの名僧にして、60代半ばにして、ようやく正念相続ができるようになったと述懐している。正念とは、仏の側の生き方であるが、それが日常生活、行住坐臥の中で徹底できるようになったと語っている。

 

正念相続とは、普通の人間が見ている世界というのは本物ではなく、生も死もないというのが当たり前の現実であるという意識の世界を継続していくことである。フツーの人から見れば、その認識の仕方は、変性意識とか、統合失調症の症状の一種ではないかと見られるが、それが、覚者から見たまぎれもない現実なのだろうと思う。

 

つまり『生も死もない』というのが、それしかない唯一の現実であると感じられる精神状態は、精神医学的には、変性意識とか、統合失調症の症状にしかないと思う。このような精神状態も正常として受け入れる了見が、現代社会にあるとは思えないのもまた、寂しい現実ではある。

 

理屈や観念的、知的理解で『生も死もない』とやるのは、簡単だけれど、正受慧端が、単に知的理解を期待して『生も死もない』とやったわけではあるまい。

 

※「正念とは、正しい思考、真実の思念。これを常に持ち続けて修行に勇猛邁進することが工夫」という注釈がついているが、これでは何のことかよくわからない人が多いでしょう。正念って、世間の常識からずれたところにあるので。 

 

『現代の悪風として、人々は世間的な名誉を得たい心が強く、それぞれ財をむさぼり、身を肥やす情が盛んで、時々は仏道を行っているように見えることもあるが、しかも正念工夫の決断をして動かぬ人は実に得難い。

まして正念工夫を持ち続けて絶やさぬ人を求めると、千人万人の中に二人とはない。

 

(中略)

 

今は既に七十に近いが、その間の四十年は、万事をなげうち、世の中の様々を縁を断ち切って、もっぱら仏教を護り続け、ようやくここ5~6年この方、正念工夫の本当の持続をすることができるようになった。』

(垂語/日本の禅語録/無難・正受)

 

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正受慧端-2

2023-04-26 15:51:45 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎見性した人の少なさ

(2005-07-31)

 

さて、いろいろなきっかけで、禅寺に入って修行してみようと思うことがある。その場合正しい師匠がみつかるかどうかということが重要な問題となる。インターネットで検索してみても、「某A寺のA和尚は見性しました」とか、「某B寺のB和尚は、大悟何回小悟何回の実績があります」などということが書いているわけではない。

クチコミでも、なかなか誰それが見性したという話は聞くことは少ない。

 

かたや見性した者を多数輩出している寺があり、よくよく聞いて見ると、どうも至道無難や、正受慧端のいう見性ではなく、どうも観念的な「気づき」や「知的理解」みたいなものを見性と呼んでいるので、多数見性した者を出しているようだとわかったことがある。

 

絶対なるものに対しての観念的な気づきすらも、全く理解できない人が多い中、「気づき」も決して馬鹿にすることはできないが、それは見性の重さとは全く異なるものである。

 

『近頃は、国中を払ってみても、似たりよったりの学問を看板にした生き損ないや、見性しない師匠ばかり。仏祖から伝えられた大法に至っては、今だかつて夢にも見られないと。

 

白隠(正受慧端の後継者)が人に語って曰く、

私はかつて老師の議論を聞いて思った。方々の寺が互いに威容を誇り、有名な師匠が次々に繁盛している。

私の老師はなぜこのように諸方のことを憤激なさるのか。これは、いわゆる仲間意識だろうかと。

 

その後、世の中あちこちに遊歴して、幾人かの宗匠にあったが、一人も大きな見地で導くような、本当の高僧にぶつかったことはない。初めて知った。正受老人の道は遥かに諸方の僧どもにぬきんでていたことを。』

(垂語/日本の禅語録/無難・正受)

 

江戸期の寺は、戸籍の管理をしていたり、戦の時の陣屋になったりして、今の役所以上の重要な機能を果たしていたので、有力者の厚遇を得るチャンスは多かったであろうから、今の時代と比べても、寺の経営を隆盛にすることは、簡単にできたのではあるまいか。

したがってこのような大寺が、道を説くという面をおろそかにしていても、あまり不思議はなく、逆に真正の求道者が貧乏寺に起居させられるのを見て、正受慧端が憤慨するのも納得できるところがある。

 

中国のように生き抜くこと自体があまりに厳しい社会では、結局仏教は根付かなかった。日本は、中国ほど生存環境は厳しくないが、江戸時代に寺を厚遇したら、あっという間に仏教の本当のところは、衰退したということだろう。

 

坐禅冥想をするには、必ず寺でやる必要はない。自宅でやればよい。

ところが、見性以上のところにいくためには、世間的に見たら精神異常のような状態を通過するので、見性した師匠の指導のもとに、世間から隔離された場所でする必要がある。そのことが、世間の人に常識として広く理解してもらえる時代が来ないと、冥想の本当に深いところが、広がっていくことはむずかしいと思う。

 

例えば白隠が、一軒の家の前にたたずんで、老婆に何度も「あっちへいけ」と言われたのに、つんぼ同然に突っ立っていて、一向にどかないので、その老婆に竹箒で頭を何度も殴りつけられたのは、重いノイローゼそのものの症状です。

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正受慧端-1

2023-04-26 15:44:00 | 丹田禅(冥想法8)neo

◎正受慧端の団扇バトル

(2005-07-29)

 

江戸時代のまだ関が原の合戦の硝煙の匂いも消え去らぬ頃に出た至道無難、その後継者たる正受慧端、白隠と3代続けて実のある禅者が出ている。現代においても、丹田禅で目を開いた人が出ているのはこの3代によるところが大きいのではなかろうか。

 

ある日、20年の修行により、各流派の奥義を極めた一人の剣術家がやってきて、剣術の奥義を問うてきたところ、正受慧端は、この剣術家を、拳で三回打ちすえ、さらに一踏みに踏み倒してしまった。

 

これを聞いた長野飯山の郷党の武士が、「先生は、法においては、すぐれているだろうが、剣術においては、先生は私どもには及ぶまい」と言い、剣術の試合を申し入れた。

正受慧端「お前らが私を打とうと思うなら、勝手に打って来なさい。ただし恐らく打ちこめないだろう。」

 

武士たちは、互いに顧みて、「先生を打つことはむずかしいものか。先生、試みに刀を使うことをお許しになりますか。」

正受「許す。」

武士たち「どうか先生も刀をお取り下さい。」

正受「私は仏弟子だ。どうして刀などを用いるものか。このままでよい。」と小さな団扇を持って、「試しに打ってみよ、もしわずかでも打てたら、お前は妙手だと認めてあげよう。」

 

武士は、声をあげて立ち向かい、千変万化してその技を尽くしますが、木刀の触れるのは団扇だけです。ついに正受を打つことはできず、一同は無礼を謝して帰りました。

 

後に白隠が正受に、この秘訣を訊いたが「正しい眼力が明らかならば、どうして剣術だけにとどまるものか。お前はわずかに言葉を聞いただけで、すぐ思い違いをする。もし剣の来る道がはっきりわかれば、来る途中で打ち落とせるものだ。もしそれができれば、万に一つも心配することはない。」

《出典:日本の禅語録/無難・正受P31-32》

 

白隠は、この話を聞いて、仏法と剣術は別のものであると思い込んでいたが、正受慧端は、仏法も剣術も奥義は同じであることを諭している。

 

丹田禅においては、気の源泉たるスワジスターナ・チャクラを鍛えていくことになり、大安心を得ていく。丹田(スワジスターナ・チャクラ)の開顕というのは、気を自由自在に使える超能力の発現につながっていくだろうことは想定されるので、丹田禅を極めた正受慧端が、団扇で木刀を翻弄することに、何の不思議もないように思う。

 

明治の剣客山岡鉄舟もこのような剣を使うという話を読んだことがあるが、団扇で応対した話ではなかった。

 

合気道の創始者植芝盛平は、立ち会いに際して、剣の切っ先がくる前に白い光が来るので、それを避ければ剣を避けることができ、また弾丸の来る前に白い光が来るので、それを避ければ、弾丸も避けることができると言い、そのエピソードも残っている。

 

植芝盛平は、大正8年36歳の時、一家を上げて、大本教の本拠たる綾部に移住し、大クンダリーニ・ヨーギ出口王仁三郎師の厚遇をうけ、鎮魂帰神、その他の幽斎修行、顕斎修行につとめ、同師の勧めにより、道場を開設したとのことで、合気道の出所は、クンダリーニ・ヨーガの技術のようだ。というのは、植芝盛平も「気の妙用」だと言っているので、スワジスターナ・チャクラに関連する「気」を用いた技であることを十分に承知していたように思われるからである。

 

ただ植芝盛平は、鎮魂帰神によってすべてが分かると述べ、クンダリーニ・ヨーガでその境地を極めたのに対し、正受慧端は、丹田禅でそれを極めた。一つの頂きにも登山路が複数あるわけだ。

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吉凶禍福、占いの予言と結果

2023-04-26 06:29:36 | 吉凶禍福、占い、癒し

◎外面的に恵まれていること、内面的に恵まれていること

 

これは、至道無難の自性記に出ている話。

 

『ある人が罰について訊ねた。

 答へて云ふ。 過去と現在の罰がある。 一般に、人はあるひは死ぬと か、あるひは子孫が絶えるとか、あるひは身体を失ひ、あるひは祿を失ふのを罰といふ。それも尤もだが、常に願ふことが叶はず、何や彼やが思はくと違 ふといふのは、特に目には見えないながら苦しむ。

これが人知れぬ罰。』

《日本の禅語録/無難・正受p169-170から引用》

 

世間では、漠然とバチが当たるという。

さて上の文では、表に現れる罰と、蔭に隠れた人に知られぬ罰があるという。表に現れるのは外面的なものだが、蔭に隠れたものは内面的なものであって、実は本人にとっては大きな影響を与えている。この辺がうつ病の生涯有病率が15人に一人とか言われていることや、癒し・セラピー・占いの大流行につながっているように思う。

 

さて世の中には、霊感も含めていろいろな占いがある。四柱推命、紫微斗数、西洋占星術・ホロスコープ、人相、手相、易占、タロット・カード、オラクル・カード、ルノルマン・カード、風水、気学、地相、家相、墓相、数秘術・・・・。こうしたもので吉凶禍福を予言する。

 

そこで、こうした技法は、表に現れる吉凶禍福と、蔭に隠れた人に知られぬ吉凶禍福を両方占断できているのだろうか。人間は表も蔭(裏)もそろって一人の人間。外面は内面に影響を与え、内面もまた外面に影響を与える。

 

その成功・願望成就の歓喜はいつまでも続くのだろうか、またその失望・絶望・苦悩はいつ止むのだろうか。その繰り返しに愛想が尽きはしないのだろうか。

 

現代人はその発達した知性で、自分の欲望を極限まで拡大し、拡大に成功し続ける限り欲望の拡大は終わらないが、英雄の夢はいつか破れる。

 

ところで、出口王仁三郎は、神は罰を当てないが、人は罰を当てるから気をつけよという。これは別の話だが、人一人のできることはたかが知れているので、それも気にしなければならない。人は自分で髪の毛一本白くも黒くもできないのだ(イエス)。

 

願望成就というが、まずは謙虚、謙譲であって、マインドコントロールを避けて無駄な余計な願望を起こさせないようにし、そうであれば、本源的な願望しか残らないのではないか。人には人間として生まれて来た理由、本源的な願望はあるものだ。

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