アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

キリスト教の守護天使、古神道の正守護神

2023-04-13 07:09:37 | キリスト者の秘蹟neo

◎誕生から封切りまでエスコート

(2020-12-02)

 

イタリアのピオ神父の事績を見ると、悪魔が彼に殴りかかったりすると守護天使が守りに来たり、また他人の求めに応じてピオ神父の守護天使が他人に出張したりと忙しいことである。

 

霊能力者で頻繁に守護天使と交感している人以外にとって、守護天使は意識に上ることは少ないのだろうと思う。ピオ神父の周辺の人にとっては、あるいはキリスト教でも正教など守護天使を認める宗派の人にとっては、守護天使は身近な存在である。各人に一体は守護天使がついている。

 

冥想修行者にとって、守護天使あるいは守護神霊の最大のイベントは、悟るにあたり頭頂の封印を切ってくれるところ。その点では、様々な危急の時に救ってくれたり、災難を未然に回避してくれたり、深甚の願望を成就してくれたりというのは、本当は守護天使の最重要な使命ではないのかもしれない。

 

古神道では、正守護神が守護天使に該当し、出産の時に産土神から正守護神が一柱づつ付けられ、以後エスコートする。出口王仁三郎はこのことを数千人の帰神実験で実地に確認したと述べている。

 

正守護神あるいは守護天使は、本人の背後に影のように添い、一生を見守るわけだが、ちゃんとした霊能力者の前に出ると、本人がどのようなことをして生きていたかを、正守護神あるいは守護天使が霊能力者に逐一報告するそうだから、うそも体裁を取り繕うのも役には立たない。

 

逆にそうでなくては、本人の封切りまで面倒を見るということはできまいと思う。

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孔元方

2023-04-13 06:32:35 | 道教neo

◎道を伝授する相手を何十年も待つ

(2020-11-05)

 

孔元方は許昌の人。百歳になっていたが、茯苓などを服用していたため40代くらいにしか見えなかった。ある時大勢で酒を飲む機会があったが、彼は杖を立てて片手で杖を握って、身を翻して宙に逆立ちをしたまま反対の手で杯をとって酒を飲んで周囲の人を大いに驚かせた。

 

また、孔元方は寡欲であって、妻子もあったが、金品を貯蓄することもなく、彼の失火で自宅が火事になった時も、消火もせず、家財を持ち出す手助けもせず、垣の下にうずくまって見ていただけだった。

 

彼は、ある河のほとりに土窟を掘って、そこで3か月ほど断食を続け、その後自宅に帰っていった。土窟の前には柏の木が生えていた上に、雑草が茂って入り口を隠していたので、世間の人は土窟の存在を知らなかった。彼の弟子でも彼を捜しに行っても土窟を見つけられず空しく帰っていったそうだ。

 

さてここに仙道好きの憑遇少年がいて、何とかして孔元方に会ってみたいものだと思い、一生懸命に探したところ、かの土窟を見つけることができた。孔元方は、ここを見つけるだけでもよくよくの仙縁があることだと高く評価し、道の秘訣が書いてある素書二巻を授け、心して読むようにと語った。

 

さらに、この40年後になったら他人に道を授けてもよい。ただし、40年たったからといって誰にでも道を授けてもよいわけではない。その時に道を授けるのにふさわしい人物に遇わなければ、授けてはならない。その場合、80年目に二人の人物に同時に出会うことがあるだろう。

 

一体、授けるべき仙縁のある者にあっても惜しんで授けない場合、これを天道を閉じるといい、一方授けるべきでない人間に妄りに授けるのを天道を泄らすといって、その罪は子々孫々まで及ぶ。これをわきまえて決して誤るようなことをするな。自分のお役目はこれで済んだから、これから仙界に帰ると言って西岳に登っていった。

 

覚者は、その得た道を後継者に引き継がない限りは、生き続けなければならないの法則は、禅などとも同じ。伝授する相手は、金を見返りにするのでもなく、入門して何年たったからでもなく、義理のある筋から頼まれたからでもない。準備ができた者、それを受けるにふさわしく成熟した者だけが相手となる。

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冥想道手帳 ダンテス・ダイジ-15

2023-04-13 03:18:11 | ダンテス・ダイジの風光

◎オープナー、シークレッター

 

冥想道手帳の続き。

見神、見仏、見性を達成したらコース選定となる。

 

『冥想の法楽を本当に知る者は、次の四つのコースを選ぶことになるだろう。

 

1・オープナー

 

宇宙意識の正念相続を実現した者には、もう個別性においても全体性においても、どのような抑圧、シコリ、とらわれもない。

 

そしてオープナーは、開かれた人、大いな る凡人として、あらゆる人間生活の中に入って行く。聖者という言葉の本当の意味はここにある。

 

もう君は、釈迦やキリストになろうと政治家や実業家やパン屋や農夫になろうと、乞食や帝王になろうと、みんな同じだ。

どのような生活を選ぼうと、君は絶対なる光明そのものであり、君のどのような行為も慈愛の現れとなる。』

(冥想道手帳 MEDITATION WAY MEMOダンティス・ダイジから引用)

 

『宇宙意識の正念相続』とは、ニルヴァーナを見たり、体感できていること。その場合、自分が世界全体、宇宙全体にして、ちっぽけで無力な一個人であることを知っているので、『個別性においても全体性においても』という表現となる。どんな職業だろうが、どんな境遇だろうが、どんな生活をしようが、悟りを生きているので、すべての行為が慈愛に満ち、光明にあふれている。

至福千年では、凡人が神仏を知っているので、このようなライフ・スタイルになる。

 

『2・シークレッター

 

遊び戯れる者、時には神秘力を使って人々 を楽しませる。

彼は、人間社会を見ない所にいる。彼の眼は、神の菩薩的側面ではなく、神の遊戯者 の側面を見ている。

 

彼は、神通力のもっともよき使い手であり、また、決して有名になることのない聖者である。

とても茶目っ気のある聖者だ。』

(上掲書から引用)

 

これは、在家でも出家でもよいが、誰にも知られず道を達成していて、それを隠して生きている人。聖者の伝承では、時々見かける。

 

孔元方は、その一例。ある時大勢で酒を飲む機会があったが、彼は杖を立てて片手で杖を握って、身を翻して宙に逆立ちをしたまま反対の手で杯をとって酒を飲んで周囲の人を大いに驚かせた。

また、孔元方は寡欲であって、妻子もあったが、金品を貯蓄することもなく、彼の失火で自宅が火事になった時も、消火もせず、家財を持ち出す手助けもせず、垣の下にうずくまって見ていただけだった云々。

 

神の菩薩的側面とは、善男善女が平素悪いことをせず善いことを積み重ねて努力して生きているが、それを神がサポートする面というような意味。

 

神の遊戯者の側面とは、トリックスターであって、素戔嗚尊や北欧神話のロキや古代インドのヘルメス、現代ではOSHOバグワンもそれだろうか。それは一見親切や小さないたずらに見えるかもしれないが、時には人間にとってのっぴきならない試練を与える場合もある神の側面。

 

神通力を使う場合は、人知れずやるのが基本。イエスや出口王仁三郎のように派手に神通力を見せるのは例外的。

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