アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

富める者批判のタブー

2023-04-07 16:54:41 | 時代のおわりneo

◎無国籍のスーパー階級

(2020-11-01)

 

『誰かがこのことをよく考えるべきだ。ああいう会社人間はいまに無国籍のスーパー階級をつくることになる。取引とゴルフの約束を生きがいにし、生まれ育った国よりもMBAをとった国を大事にする連中だ。中世がそっくり再現されるようなもので、どの大国にも属さない小さい公国や封土がそれぞれに旗を掲げ、その領土のために命を捧げると誓う者ならば誰でも、喜んで封臣に加える。共産主義が崩壊したことで自画自賛している連中は、いまに、コカ・コーラ社が国連の議席を求めるようになれば、得をしたのは誰だったのだろうかと思いめぐらすことになる。

『スコット・トゥロー、有罪答弁』』

(グローバル・スーパーリッチ 超格差の時代 クリスティア・フリーランド/著 早川書房P67から引用)

 

これは、1992年以降に書かれた小説だが、2020年現在、コカ・コーラ社でなく、GAFAが『実質的な国連の議席』を求め、中国共産党株式会社が国連を傘下に置こうとする時代になった。

 

この30年最も優秀な人材は、IT系と軍事系に流れ、内務官僚は、かつてほど優秀な人材を集めたとはいえないのではないか。その結果が、GAFAのグローバル情報支配と、中国の経済と軍事の躍進と戦狼外交となった。

 

つまり1990年代にソ連は崩壊したけれど、国民に対し貧富の格差を容認し言論信教を情報操作やマインド・コントロールで巧妙に加減し続ければ、大多数の貧困層に支えられた富裕貴族層による支配体制は、民主主義でも共産主義でも持続可能であることが発見されたのだ。また米国一強の国際政治の30年は、プルトクラート(世界でも最も裕福な0.1%の上位富裕層)がさらにリッチになる結果をも招いた。

 

かくして、貧困層の固定化は、QAnonなどの陰謀論を裏付けたものと感じる人が増える。というのは、人はパンや金のみに生きるものに非ずと真面目に考えている人がいる一方で、「スーパーリッチは賞賛すべきものであって、大衆の貧困の根源として非難することはタブーである」というマインド・コントロールが広汎に頻繁に為されていることに次第に気がつく人が増えているからである。

 

貧困が自分の世代、子の世代、孫の世代と続く可能性が高いならば、この政治経済体制で、一体得をするのは誰なのだろうと考えるのは自然の流れ。

 

以上は、この世的価値観で、何かやり残している人たちの話。

 

一方宗教界では1990年代前半までにOSHOバグワン、クリシュナムルティ、ダンテス・ダイジらの大物覚者は世を去り、混沌の時代が続いている。後継者を作らないことを宣言したダライラマ14世は存命。また、マラキ予言では最後のローマ教皇であろうフランシスコは、同性愛者の婚姻関係の権利は法律で保護されるべきだと語ったり、中国側が司教候補を選び、教皇が最終的に任命する枠組みを2年延長し、中国国内の地下教会信者を圧迫することを事実上容認したりと妙な動きをしている。

 

アクアリン・エイジとは平民、万民が神知る時代。その必要条件は、動機、つまりこの世的価値観で、何かやり残していることがないこと。そしてメソッドとしての冥想手法。そして神知る正師。外に求めるのではなくまず自分が坐ることから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

痛みの退行

2023-04-07 06:49:06 | 無限の見方・無限の可能性

◎諸感覚の扉を閉じる

 

臨死体験ものを読むと、ひどい交通事故などで重傷を負った人が、気がついたら病室の上方から痛みも感じずに、自分の身体を見ている描写がよく出てくる。

 

OSHOバグワンの高齢の友人が階段から落ち、三か月の安静が必要とされ、毎日鎮痛剤なしでは眠れないほど痛みに苦しんでいた。そこでOSHOバグワンが彼に、「自分がただの石だ、石像だと思い込んでみなさい」と示唆した。

 

友人は、それを始めて30分間目を開けなかった。そして、この30分間自分の手足やら肉体を動かそうとしても動かせなかったのだが、そんなあらゆる動きが止んだ時、突然世界が消えうせ、自分は自分の奥深くに居て、痛みはすべて消えうせた。(参照:ヴィギャンバイラブタントラ(1瞑想)OSHO P307-309)

 

さらに、ダンテス・ダイジがさる事故でひどいやけどになった際に救急車で運ばれたことがあった。その際救急車内で、意識を肉体から後退させ痛みを感じないようにして、救急車の隊員に、「薬を塗ったりなどの手当てをする必要はありません。」と求めた。

救急隊員は、「仕事ですので、少しは薬を塗らせて下さい。」と求められたので、ダンテス・ダイジは、手首のところだけに薬を塗らせた。

ところがその結果、手首のところだけが残念ながらケロイドになってしまった。

ダンテス・ダイジは、このやけどを機に顔を作り替えて、前よりいい男になったと言っている。

 

昨今、鎮痛剤を常用する人も多いのだろうと思う。医療、薬剤のない危急のシチュエイションでは、このように、肉体から意識を退行させ、痛みを感じさせない技法がある。もちろんこれは、自意識が肉体ではないとわかっている人だけが可能であって、誰もができるわけではない。

 

またOSHOバグワンは、この技法のことを『諸感覚の扉を閉じる』と称し、諸感覚の扉を閉じれば、その時世界が閉じきることで、ニルヴァーナが起きるとする。

 

痛みに苦しむ自分は、いったいどこにいるのだろうか。

 

禅僧白隠は、禅病を軟酥の観で快癒させて喜んでいたが、ダンテス・ダイジはこの点を捉えて、白隠に対する評価は低いところがあるように思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする