アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

時間は心理である

2022-11-30 07:35:04 | 冥想いろいろ
◎只管打坐の道

時間は心理であると見ているのはクリシュナムルティ。電波時計だから正確だなどと言っているレベルの話でなく、過去も未来もなく現在だけがあるのが時間であるとするところが立脚点。

『真の危険が身に迫ったときは、時間的余裕などありえない。直ちに身を守る行動をおこすのがふつうであろう。ところが、われわれは多くの問題をかかえていてもその危険が目前に迫っていることがわからないために、その問題を克服する手段として時間を利用しようとするのだ。だが、時間はわれわれが自分自身を変えるのをまったく助けようとしない。時間は、ただわれわれを欺いているだけである。時間は過去・現在・未来の三つに分割される一つの動きである。 そして、時間を分割するかぎり、人間は常に争いと不一致に苦しまなければならない。』
(自己変革の方法/クリシュナムーティ/霞ヶ関書房P151から引用)

真の危険が身に迫った時こそ人が本当に意識的であって覚醒している、と言うのは、OSHOバグワンだが、クリシュナムルティが、こうした意識の隙間を出してくるのは偶然ではあるまい。
真に醒めれば、過去もなく未来もなく現在だけがある。

さらに
『時間とは何か。それは時計が刻む時間ではなく、年代的な時間でもなく、心理的な時間である。それはまた、観念と行動の中間に介在するものである。観念は明らかに自己を守るためのものであり、自己を安定させるためのものである。 行動は常に敏速である。それは、過去のものではなく、未来のものでもない。行動は常に現在に基づくものでなければならない。だが、行動はあまりにも危険で、あまりにも不確かであり、それゆえわれわれは確実な安全を保証してくれる観念にしたがうのである。』
(上掲書P153-154から引用)

この段階では、過去現在未来を区分してみている。この文に続いて、行動は観念によるが、行動と観念は必ずしも一致せず、そこに間隙が発生する。その間隙を人は観察と欲望で埋めるのだが、その間隙が時間であるとしている。

『こんどは、大部分の人にとって何よりも大きな問題である死の問題をとり上げることにしよう。あなたは死について知っている。死は毎日、あなたのそばを歩いている。死をまったく問題としないですむくらいに完全にそれと対決することができるだろうか。そのような対決をするには、死に対するあらゆる信念、あらゆる希望、 あらゆる恐怖を捨てなければならない。そうしなければ、一つの結論やイメージや予め抱いた不安をもって死と対決することになる。つまり、時間をもって死と対決することになるのである。
時間は、観察するものと観察されるものとのあいだに介在する隔たりである。つまり、観察者であるあなたは、死と対決することを恐れているのである。それが何を意味するか、あなたは知っていない。あなたは死に関するあらゆる種類の希望と学説を知っている。あなたは生まれ変りや死者の復活、もしくは魂、霊、さまざまの名でよばれる時間を超越した霊的実体を信じている。だが、魂がほんとうに存在するかどうか、あなたは自分でそれを発見したのだろうか。あるいはただそうした考えをあなたは他人から受けいれただけなのか。思考を超えた永遠に持続するものがあるだろうか。もし、それを思考が考えついたとしても、それは思考の分野の中 にあるものであり、思考の分野には何ら永久的なものは存しないのであるから、それもまた永久的なものではない。何一つ永久的なものがないということを発見することは心の自由にとって何よりも重要なことである。その事実を発見したとき、はじめて大きな喜びを生じるのである。』
(上掲書P156-157から引用)

時間は、観察するものと観察されるものとのあいだに介在する隔たりであって、観察するものであるあなたは、観察されるものである死と分離している。この分離に時間が発生している。

この引用文は、観察するものと観察されるものが合体すればどうなるかをあからさまに描写せず、いきなり自明のものとして記述している。観察するものと観察されるものが合体すれば。時間はなくなり、現在しかなくなる。よって時間は心理なのだと見ていることが暗にわかる。

観察するものと観察されるものが合体するのは、いわゆる大悟覚醒なのだが、仮にそう書けば、どうすればそうなれるのかという、技術だの方法だの目的だのという『観念論』に落ちていくので、クリシュナムルティは注意深くそれを避けている。只管打坐の道とはそういうものだと思う。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 見ている自分と見られている... | トップ | 悟り後の修行・聖胎長養の狙... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

冥想いろいろ」カテゴリの最新記事